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ミリーはその噂話を聞き、蓋をしていた感情がぶわりと溢れ出てくるのを感じた。
死んでいると思われていたフェガリが、生きている?
パーティーを終え、一旦屋敷に帰ると皇帝陛下の都合がつかなくなったので申し訳ないが日にちを改める、という手紙が届いていた。
午後、暇になったミリーは噂話の真相を確かめたいと思い、ひっそりと屋敷を抜け出した。きっと、ミリーの身の安全を最優先にするイーリオスのことだから、魔物が出たという森にミリーが行くことを許さないと思ったのだ。
屋敷の繋がれていた馬を一頭拝借し、フェガリが死んだという森へと一人、向かう。服装は、これまたメイドのお仕着せを拝借してきた。
フェガリとよく遠乗りをしていたミリーは馬を難なく乗りこなし、気づけばその森に到着していた。
「ん?」
馬から降りて森に入ってうろうろとしていると、不意に煙が上がっているのを見つけた。そういえば朝、イーリオスがそのようなことを……
「誰だ!?」
爪先に鋭い痺れを感じたと同時に、剣呑な声が森に響いた。
「そこを動くな」
ミリーは身を竦ませ、その場から動かずにいた。動いては殺されそうな雰囲気だったから。そして、誰にも言わずに屋敷から出たことをひどく後悔した。
「……ミリー?」
声がふと和らぎ、戸惑いの色を浮かべた。木々が揺らめき、強風が吹く。ミリーは思わず目を閉じてしまい、次に目を開くと目の前にフェガリが立っていた。幾らか大人びて、美しくなったフェガリがそこにいた。
「どうしてここに?」
ミリーは嬉しさで胸がいっぱいになり言葉を発せず、はくはくと口を、動かした。
「ミリー……」
フェガリが手を伸ばし、ミリーの目元の涙を拭う。
「良かった、生きていた、良かった」
ミリーが何度もそう言えば、フェガリは少し戸惑った顔で慎重に問いかけてきた。
「ミリー……君がイーリオスに頼んだのではないのか?」
ミリーはキョトンとした顔でフェガリを見た。
「何の話?」
純粋なミリーの目に、フェガリは今まで自分が思い違いをしていたことに気づいた。
「とりあえず、ここでは色々とまずい。あの小屋に入って事実確認をさせて欲しい」
「分かった」
ミリーは頷き、フェガリに付いて行った。
「リュコス様!」
出立の準備をしている時、部下が慌てた様子でかけてきた。
「どうした?」
きゅ、と馬具を馬に括り付け、剣を腰に刺す。イーリオスはただ、早く帰ってミリーに会いたかった。だから、ちょっと怖い声になってしまった。部下は怯むも、手に持つ紙をイーリオスに渡した。
「何?」
イーリオスは険しい顔で手紙をに目を通し、握りしめて部下に言い放った。
「出立をはやめる。何かあれば伝書鳩で連絡を」
「はっ」
イーリオスは馬に飛び乗り、ものすごい勢いで森へと向かった。
「どうして、ずっとここで暮らしているの? 才能ある貴方なら、王家で重宝されるでしょうに」
フェガリが建てたという小屋に案内されて椅子に座り、出された紅茶を飲む。フェガリは何か思案しているようで話さなかった。痺れを切らしたミリーは素朴な質問を投げかけた。
「まず、私が死んだ経緯はどういう風に言われている?」
フェガリは立って窓の外を警戒していた。
「イーリィーからは魔物が出てフェガリが食べられた、と。イーリィー自身も血に塗れていたから魔物が出たのは本当なんだろうな、と」
「なるほど」
フェガリは顎に手を当てて考え込んだ。
「実際、魔物は現れていない。そう言えば、信じるか?」
じ、っと目を見つめられてミリーはこそばゆい感覚を覚えた。ここでイエスと答えればイーリオスが嘘を言っていると、ノーと答えればフェガリが嘘を言っていると言うことになる。ミリーはしばし考えたのち、困ったように笑った。
「情報が足りなくて、まだ判断できないかな」
そして、ミリーは首元にかけていたペンダントを取り出してフェガリに見せた。
「これ」
ミリーは毎晩寝る前にそのペンダントを磨き、天にいるであろうフェガリに祈っていた。何処にいようと、一番大切なのはフェガリである、天で幸せになっていてくれ。
美しく磨かれたペンダントの中央には二つの小ぶりの宝石が埋め込まれていた。深い青が特徴的なサファイヤと淀みのない透明な水色が美しいパライバトルマリン。それぞれの瞳を意識して作られたものだ。フェガリを見送ったあの日、いつもはミリーが持っていたそれをフェガリに託し、身を案じた。
「ずっと、肌身離さず持ち歩いています。イーリィーに装飾品を贈られる際にもペンダント、ネックレス以外にして欲しいと頼んでいました」
「イーリオスとは、結婚したのでは?」
この国では、妻には自分とその妻の瞳をモチーフにした宝石を嵌め込んだペンダントを渡す習慣がある。きっと、結婚式で牧師に言われただろうに。
そんな感情を込めたフェガリの言葉にミリーは笑った。
「事情を鑑みて、特例だと許して貰えました」
私は、貴方を忘れられなかったから。
そう言ってふっと笑えば、フェガリの胸は苦しく痛んだ。
「しかし、イーリオスはここに来ることをよく許したな。絶対に家から出さなさそうだけれど」
フェガリがペンダントから無理矢理目を剥がしてそう問えばどこか目を泳がせて曖昧に笑うミリーの姿を見た。
「黙ってここに?」
ははは、と乾いた笑いを浮かべるミリーは一瞬のちに「ごめんなさい!」と謝った。
「だって、イーリィーに言ったら許してもらえなさそうだったもの」
軽く唇を噛んで椅子に座るミリーをちょっと厳しい目で見て、フェガリは口を開いた。が、言葉が漏れる寸前、はっと目を見開いた。
「来た」
「何が」
来たの、とミリーが続けようとした時、どおんという爆音が空気を震わした。その後、フェガリがミリーに覆いかぶさる。
「フェガリ!?」
驚いてフェガリの硬い胸元を弱く叩くミリー。そして。
「どうして、ミリーと、会っている?」
地獄からの使者と見紛うほどの怒気を体に纏わせたイーリオスが小屋を壊して仁王立ちでフェガリを睨んでいた。