巷で噂の美と愛の女神様
思いつきの殴り書き。
とりあえず書き切ろうという目標だったのでいろいろ甘いです。
連載にする気はありませんが、そのうちちゃんと清書したいと思ってますので文体、誤字等目をつぶって読んでいただけると嬉しいです。
恋の伝道師、と呼ばれている人物を知っているだろうか。
最近王都の若い女性を中心に人気を誇っている女性である。
恋に悩む女性の前に現れて、可愛くなる手伝いをしてくれる。
彼女に幸運にも声をかけられた女性達は磨きあげられ恋を成就できるという。
もちろん、その恋の成就というのは百発百中、なんてことはない。
それでも恋の伝道師が絶大な人気と支持を保っているのは、彼女に磨きあげられた女性たちは心身共に魅力を増しているからである。
告白した相手に振られようとも、彼女たちから自信が失われることはなかった。
この失恋を糧にして、過去にして、未来へと目を向ける。
その姿は正に美しさの象徴であり、その想いを袖にした男たちの方が何故か悔しそうな顔をする。
恋の伝道師、美と愛の神に例えてウーラニアと、神出鬼没なその人物は呼ばれている。
世の女性たちは街中で偶然にもウーラニアから声をかけられるのを心待ちにしているのだ。
ハイオン伯爵家の屋敷の奥まったい位置にある部屋の中には2人の人物がいた。
日当たりが悪い、とは言わないが日が当たる、とも言いにくい、質素とは言わないけれどもそれなりとしか言えない部屋。
つい2ヶ月ほど前に結婚したばかりのハイオン伯爵家に嫁いできた女主人の部屋だとは思えない場所である。
1人は鏡台の前の椅子に座り、1人はその後ろに立ち座る女性の髪を器用に編み込んでいる。
しかも鼻歌を歌いながら、随分楽しそうだ。
日が登ったばかりの時間、侍女が主人の身支度をしている、ように見える。
椅子に座っている女性が正真正銘の侍女服を着ながらあわあわしていなければ、だが。
「イリア様! 朝の支度をそろそろ致しませんと!」
「だからしてるじゃない。今こうして髪を結っているの。化粧はさっき終わらせたしあと少しよ」
楽しそうに仕上げの髪飾りを選んで後れ毛を整えている少女は寝巻きのワンピースのまま髪はボサボサで化粧もせずに素朴な顔に笑みを浮かべた。
ルンルンと髪がざりを差し込んで微調整しているこの少女こそ、このハイオン伯爵家に嫁いできたばかりの新妻、イリア=ハイオンだった。
「はい、完成よ。今日も私のカレンは可愛いわ」
侍女、カレンは確かに整った容姿だ。
きめ細やかな白い肌、艶めかしい枝毛なんてなさそうな髪、長いまつ毛に彩られた潤んだ瞳に、思わず触りたくなるような唇。
化粧も髪型もカレンに似合っていて、イリアは満足気にそれを眺めた。
「イリア様、私の支度はいいのです。イリア様の支度をそろそろいい加減このカレンにもさせていただけませんか」
はぁ、と諦めのため息が零れているが、これもいつも通りだ。
長年使えてきた主人がそんな簡単に変わるわけもないとカレンは分かっている。
「あ、そうそう爪のオイルも塗りましょう。いい香りのを見つけたのよ」
嬉しそうなその手には小さな小瓶。
カレンはまたはぁ、と息を吐き出した。
「私ではなく自分を磨き上げてくださいよ」
真剣な瞳を向けられたイリアは顔を顰めた。
「嫌よ、だって、自分にやると時間かかる割に、つまらないし疲れるし飽きるんだもの」
だから自分はどうでもいいのだ。
人を磨きあげるのがいい。
そっちの方が楽しい。
それに、とイリアは続けて口を開いた。
「これは契約結婚で、旦那様には想い合う愛人様がいて、私が綺麗になる意味なんてないじゃない」
夫となったアレス=ハイオンに対して、イリアは何の感情も持っていない。
だから館の隅の部屋だって、夫が訪ねて来ないことだって、使用人たちからも遠巻きにされていることだって、全くもってどうでもいい。
カレンは主人を磨き上げたくて磨き上げたくてやるせない顔をしているが、本人にやる気がないのだからこればかりは仕方がない。
そんなある日、珍しくイリアへの手紙が届けられた。
カレンから手紙を受け取ったイリアは訝しげな顔をして封を切る。
なーんか、あまり面白くない内容の予感だわ、と頬づえを付きながら読み始めたイリアは、暫くしてため息をついた。
「やっぱり、面白くない内容だわ」
屋敷の奥まった場所の2階にあるこの部屋にはささやかながらバルコニーが付いている。
イリアは手紙を片手にバルコニーへと足を踏み出した。ふわりとした風が髪を攫っていく。
イリアは決して素材が悪い訳では無い。
本人が無頓着で手入れを怠っているだけで野暮ったい印象を与えるが一つ一つのパーツは整っていて、よく見れば可愛らしい。
その視線の先には庭園を歩く2人の男女。
1人はイリアと夫婦になった相手アレス。仲睦まじくアレスと歩いているのは愛人であるフローラだ。
フローラとイリアは同じ男爵令嬢だったけれど、フローラの実家の男爵家は実績がほぼ無い、貴族としてギリギリの家だった。
その上国からも見放されている、という噂まで持ちあがり、貴族としての結婚は難しい。
アレスもフローラを妻として娶るのは難しかったらしく、イリアに話を持ちかけたのだ。
結婚式でもこの家でもまともに向かい合って話したことは無い。
きっとアレスはまともにイリアの顔を知らないだろう。
アレスだけではない、一体何人の人間がイリアの顔をしっかり見たことがあるだろうか。
とカレンが感傷的にイリアを見つめていれば、イリアは着ていた寝巻きの襟部分のリボンに手をかけた。
「イ、イリア様っ!?」
すとん、と緩んだ寝巻きが落ちていく。
その下に薄いワンピース型の下着があると言っても、バルコニーに立ったまますることではない。
「これ、舞踏会の招待状だったのよ。そこそこ大きな規模の」
さすがに愛人を連れていくのは難しいようなものだった。
しかし、アレスがイリアに興味が無いように、イリアもまたアレスに興味が無い。
自分を着飾ることにも興味が無い。
おろおろとするカレンに向けて、恥ずかしがる様子もなく、イリアは満面の笑みで微笑んだ。
「だからね、いい事を思いついたわ」
カレンは思った。
これは、カレンを着飾る時の顔だ。
新しい化粧品を見つけたとか、髪のアレンジを思いついたとか、いい素材がいたと街の少女を捕まえるときの顔。
恋の伝道師、美と愛の女神の名前であるウーラニア、そう呼ばれている人物は今不敵に微笑んでいるイリアであった。
イリアが動き始めたのは舞踏会から2週間ほど前だった。
さすがに旦那様と共に舞踏会に出席するのだから最低限の準備はしなければいけないと、普段は遠巻きにしている使用人たちがイリアの部屋を訪れた。
「奥様、先日お届けしました衣装の確認をさせていただきたいのですが」
ぎい、と扉の隙間から姿を見せたイリアに使用人たちは困惑を見せる。
長い前髪はおろしたまま、体のラインが全く分からないようなローブを着て、日の当たらない廊下ではいっそ青白く見える肌が隙間から見えるのみ。
「ごめんなさい、体調がよくないの」
暗に行きたくないの、と言ったのは伝わったようでやって来た使用人たちは焦り始めた。
「で、でも、まだ2週間もありますし」
せめて準備はさせてくれ、と使用人たちも必死だがイリアはゆっくりと首を振った。
「2週間後も体調不良なのよ。だからね、あの子に行ってもらいましょう。私と同じような髪の色の子。体格も同じくらいだもの、代役にぴったり」
この館にイリアが知る限り、自分と同じ、ホワイトブロンドの髪の持ち主は一人しかいない。
正確にはイリアの髪は白に近く、あちらの方がブロンドに近いが、まあ髪も瞳も似たような色味であることに変わりはない。
「え、でも、それは、その……」
使用人たちは歯切れが悪い。
それはもちろんそうだろう。
代役を立てること自体もそうだが、イリアが指名した人物はアレンの愛人であるフローラなのだから。
彼女は愛人とは公にせず、表向きこの家の侍女として働いている。
愛人がいる、とは説明されているがこの人です、とフローラを紹介されたことはない。
「ね、準備よろしくね」
最後にダメ押しをして扉を閉めてしまえば使用人たちは引き下がるしか無かった。
トビラを閉めて振り向いた先、カレンの呆れ顔が目に入る。
「また、イリア様は……。ご自分が綺麗になって旦那様をメロメロにしようとか思わないんですか?」
「思わないわね。私のこの待遇はまあ自業自得でもあるし、旦那様のこと好きじゃないけど憎んでもいないもの」
むしろ結婚相手のいない自分を貰ってくれたのだからそこには感謝している。
結婚前に愛人の話もされているし、不満はない。
ただ、目の前にいい素材がいたら磨き上げたくなる。それだけだ。
イリアの提案はそのまま進められたようで、アレンもフローラも戸惑いはしたようだが今は乗り気のようだった。
いいことだ、とイリアは鏡の前に立っていた。
今日のイリアは染料を付けてグレーに近づいた髪を前髪ごとまとめて結い上げて、肌は血色が良く見えるようにクリームを塗りこんでいる。
そして、着ているものは侍女服である。
カレンのものを借りた訳では無い。サイズもイリアにぴったりの、イリアの侍女服である。
少し色味と服を変えただけでかなり印象が変わる。
街に少女狩り、もとい恋の伝道師をしたりするときは大抵この格好で堂々と練り歩いている。
この家の使用人たちもイリア付きの侍女は2人だと勘違いしている者も少なくないだろう。
実際は正真正銘カレン一人きりなのだが。
「楽しそうですね、イリア様……」
「ええ!とっても腕がなるわ!!」
カレンの笑みはあきらめに近い。
しかしこの時のイリアが1番輝いていることも事実だから止めることもできない。
大人しく付いてくるカレンを引き連れてイリアは目当ての部屋へと足を向けた。
「失礼致しますわ、フローラ様」
フローラの部屋の中には他には誰もいなかった。
ドレスや靴は運び込まれているようだが、フローラはあくまで使用人。舞踏会まで磨きあげてくれるような専属の侍女がいるわけではない。
「あ、あなたは、奥様の……?」
「ええ、その奥様の指示で貴方をもっと素敵にしに来ましたのよ」
見惚れるような笑みである。
今は夕食後。フローラはこのあとは仕事はないはずで、制服を脱いでゆったりとした部屋着を纏っていた。
「それでは、入浴から始めましょう?」
「へ……?」
意味がわからない、と戸惑うフローラをぐいぐい押して、イリアは部屋と繋がっている浴室に押し込んだ。
服は自分で脱げますから!という全力でいうフローラが湯船に浸かってからイリアも中に入る。
どうしても嫌がるフローラのために体は自分で洗ってもらった。
「あ、あの、どうしてこんなことを……?」
未だに訳がわかっていない様子で、しかしイリアの強引さにされるがままになるしかなかったフローラが顔を前に向けたまま疑問を口にした。
イリアはフローラの髪を丁寧に洗いながら口を開く。
「どうしてって……たのしそうだから、ですわ」
イリアは前から思ってたのだ。
アレンとイリアが仲睦まじく歩いているのを見かける度に、遠目でもわかるその愛らしい笑顔を見る度に。
胸の奥から湧き上がる衝動があった。
それを形にできる機会がやってきたのだ。しない理由がなかった。
(前から思ってたのよね、可愛いのになんか残念だって)
フローラは確かに可愛い。可愛い、のだが。
磨けばもっと光る。
可愛らしい少女から、垢抜けた女性になれるに違いないのに、と。イリアはずっと思っていた。
その辺に埋もれてしまうような可愛さで終わっていては勿体ない少女なのだ、このフローラという原石は。
髪を優しく洗い、香油を揉みこみ、身体にもフローラの肌に1番合いそうなクリームを塗り込み、そのついでにマッサージも欠かさない。
「なんだか、すごく気持ちいいです」
蕩けるようなフローラにイリアは満足気に胸を張った。
マッサージついでに爪にもオイルを塗り込んで、椅子に座ったまま寝かけていたフローラをベットに寝かしつける。
「うん、いい感じだわ」
眠っているフローラの近くにリラックス効果のあるアロマを用意してイリアも部屋を出た。
1日でも効果はあるけれど、これは続けなければいけない。
明日も楽しみだわ〜っとスキップしそうな足取りで自室へと戻っていたイリアはばったりとアレスと遭遇した。
なんだか久しぶりに見た気がするな、とその顔を見たイリアは思わず足を止めた。
「失礼、旦那様」
「……なんだ?確かイリアのところの……」
急に呼び止められたアレンは訝しげな顔をして見せたが、イリアは気にしない。
「旦那様、最近寝不足なのでは? 隈が出来ておりますし歩き方も少し重そうです」
「そうかもしれないが、君には関係ないだろう?」
一体なんなんだ、と通り過ぎようとするアレスの目の前に身体を滑り込ませて、イリアは「いいえ」と声を張り上げた。
「もうすぐフローラ様との舞踏会ではございませんか。私が磨きあげるフローラ様の隣に立つのですから旦那様にもそれなりになっていただきませんと」
そこからはイリアのペースだった。
さすがに私室はまずいかと談話室のソファにアレスを座らせ、足は香草を溶かしこんだお湯に漬け、楽な格好になったアレスの身体を揉みほぐしていく。
目の上にも暖かいタオルを乗せられれば、警戒していたアレスもさすがに力を抜いた。
「かなり凝ってますね」
「ああ、最近書類仕事が多かったからな……」
「痛かったら言ってくださいね〜」
もみもみと、肩に首に。
手足も先からゆっくりと確実に。
強くやりすぎるとそれはそれでしんどくなるものだ。
一通りほぐし終わったイリアはふう、と満足気に息を吐いた。
「今日は終わりです。ゆっくり休んでくださいませ。また参りますわ」
「ああ、楽になったよ。よくわからないがありがとう」
結婚式の日もイリアを見る目は冷めきっていたアレス、優しげに微笑まれたのは初めてかもしれない。
それを見てイリアが思ったのは、淡い恋心、なんかではなく。
(うん、顔色が良くなって凝ってる肩の力が抜けたら3割増になりそう!)
いつも通りだった。
次の日もイリアはフローラの部屋に行って一通りの手入れをして満足気に部屋に帰るところだった。
「やあ」
アレスがにこりと微笑んで立っていた。
偶然、にしては通り道の壁に寄りかかっていたのが不自然だ。
「旦那様」
アレスのケアは2日か3日に1回くらいでいいか、と思っていたので今日は素通り予定だったのが。
挨拶をして通り過ぎようとしたイリアの手はアレスによって掴まれた。
「……悪いんだが、今日も頼めないだろうか」
1日でもう肩が重いんだ、と困ったように言われて、イリアは少し考えた。
ちら、とカレンを見てから口を開く。
「わかりました。少しだけなら。カレンは戻っていていいわ」
夜更かしは美容の敵だもの。
でも、と渋るカレンを笑顔で帰らせて、イリアはアレスに付いていった。
「だいぶお疲れのようですね」
「ああ、今週中に仕事をある程度片付けておきたくて」
舞踏会前にいち段落させておきたいということだろう。
ソファに腰を下ろして首元を緩めたアレンをイリアはじっと見つめた。
「旦那様、本日はベッドにしましょう」
その言葉にアレンは背もたれに寄りかかったまま口角を上げてみせた。
「なんだ、そっちも相手してくれるのか?」
そっち、というのはまあそっちなのだろう。
イリアに経験はないが知識としてはまあ十分にある。
けれど、違う。イリアの本業はそっちではない。こっちだ。
エプロンのポケットから小瓶を取り出して、アレンにベッドに行くように指示をした。
「背中をオイルで解していきます。シャツを脱いでうつ伏せになってくださいませ」
そう、イリアの本業は人を磨きあげること。
つまりベッドですることはマッサージである。
勿論イリアは貴族令嬢であり、現在は伯爵夫人。
カレンが聞いたら泣きながら違います!と叫んでいたことだろう。
顔を赤らめることもなく、声を荒らげることも無く淡々と言ってのけたイリアにアレスは大人しく従った。
服を脱いだアレスの背中に、オイルを手で温めてから滑らせていく。
仄かに香るオイルとイリアの手の温度で気持ちは和んでいき、的確な力加減で凝り固まった背中を解されているのも確実に感じる。
「お前は、俺が憎いとか思わないのか?」
暫くしてアレスがぽつりと呟いた。
「憎い?」
「俺はお前の主人の敵みたいなものだろう」
言われてイリアは少し考えてみるが敵、と思う意味が分からなかった。
「いいえ、別にこれはお互いが同意の上での状況ですし本人も別に何とも思っていませんので」
そう、別に不遇だとか悲しいとかそんなこと思ってはいない。これはただの契約のようなもの。
イリアも分かっていて受け入れている。
むしろこんな楽しいことをさせて貰えているのだから喜ぶところだろう。
「なら、その主人を綺麗にしようとかは無かったのか?」
あれはもう少しましになるだろう、と言外に言われている。
答えは否。
イリアはイリアを、自分を磨きあげることに魅力を感じない。だからやらない。
「無いですね」
「即答か……」
「めんどくさいので」
「主人に対する発言ではないな」
「あ、この辺ちょっと痛かったらごめんなさい」
ごり、と滑らせる手が引っかかるような感触。
アレスの口からも息が漏れていた。
我慢できないほどでは無いが、溜まっている物を流すのは少しだけ痛みを感じる。
けれど、その分スッキリするはずだ。
イリアは丁寧にひっかかりをなくすように流していく。
首と肩周りまで丁寧にゆっくりと流し終わったからだいぶ楽になるだろう。
ついでにアレスの指先、爪にもオイルを塗り込んでおいた。
男性も手先が綺麗で悪いことは無い。
むしろ清潔感があって好印象だ。
うん、とイリアは満足気に頷いた。
「では、私はこれで。おやすみなさいませ、旦那様」
うとうととするアレスに一応声をかけて、イリアは部屋を出た。
「イリア様!」
自室の扉を開けるとカレンが立っていた。
イリアは思わず目を見開く。
「カレン、まだ起きていたの? 夜更かしは良くないわ。肌荒れとか髪の艶だって落ちてしまうわよ」
「それは私のセリフです!そっくりそのままお返しします!」
「カレンの美しさが少しでも欠けたら私はショックで死んでしまうわ」
ねぇ?と困った表情を作るイリアに、カレンはうぐ、と言葉を詰まらせる。
いつもの作戦だとは分かっていてもカレンはこれに弱い。
だからイリアは惜しまない。
「何もありませんでしたか?」
どうしてもイリアの寝支度をする、と言いきったカレンにされるがままにしていれば、ぽつりとそんな事を呟かれた。
ブラシで髪を優しく梳かれながら、イリアは首をほんの少しだけ傾げる。
「何かって何が?」
「襲われたりとか!口説かれたりとか!危険なことですよ!」
もうっ!と頬を膨らませるカレンにイリアが声を出して笑う。
「あはは、あの旦那様が? 私なんかに興味無いわ。本命がいるわけだし」
「イリア様は可愛くて綺麗なんですよ? それを見せてないだけで。ちゃんと見たら絶対惹かれるんですから。気をつけてくださいね?」
「わかったわ。ありえない事だけど」
カレンが拗ねてしまわないように珍しくされるがままに手入れをしてもらって、イリアは心地よい倦怠感の中眠りに落ちた。
それからは、寝る前にフローラの全身のケアをして、数日に1回アレスの体調と寝不足で荒れた肌や髪の手入れ、というのがイリアの日課になった。
フローラは日に日に美しくなっている。それは誰の目にも明らかで、本人も最初のオドオドとした様子から見違えるように毎日を楽しみにしているようだ。
外見はもちろん、内心も自信がついていく、その過程も美しいものだとイリアは思っている。
実際、イリアが手を貸した少女たちはみな、外見よりも精神的に美しくなったといっても過言ではない。
振られたとして、それに縋ることなく、前を向く。
その強さに惹かれる者は少なくなく、振った男が後悔してもその時は既に遅い。もう少女たちが過去に振り向いてくれることなどないのだ。
正に愛と美の女神ウーラニアという呼び名が相応しい。
なぜかアレスに呼び止められることも増えていたが、アレスの外見にも磨きが掛かっているので気にしないことにした。
毎日の疲れも取れて次の日の仕事も捗る。気の休まる日も増える。アレスにとってもいい事づくめだった。
そして迎えた舞踏会当日。
イリアはカレンとともに舞踏会に付いていくことに成功した。
イリアはいつも通り作り上げた完璧なフローラを見送ろうとしたのだが、最後まで手伝って欲しいとフローラから声がかかったのだ。
まあそこまで言うなら仕方ないとイリアは舞踏会で会場入りする2人をギリギリまで見送り、全身をチェックしてOKサインを出した。
「私の見立ては完璧です。お2人はこの会場で1番輝いております」
「ありがとう、そういえば名前をまだ聞いてませんでした」
教えて貰えますか?とフローラが笑う。
微笑みは正に天使のようだった。
自信と慈愛に満ちた優しげで柔らかな笑顔。
イリアはにこりと微笑んだ。
「ウーラニアと」
綺麗な角度でカーテシーをして、イリアは自分の夫とその愛人を見送った。
その表情はやりきったと満足気だ。
「イリア様、本当に良いのですか?」
「ええ、最高の出来だったでしょ? さ、休憩室1つ借りに行きましょ。確か昨日はマダムが来ているはずだから」
歩き出したイリアに、カレンが続く。
使用中と書かれた扉をノックもせずにイリアは開け放った。
「あら、どなた?」
ハスキーな声。
ソファの肘置きにしなだれるように座っている、というか寝転んでいるのは露出度が高めの体のラインにぴったりと沿った黒いドレスを来ている女性が部屋の中で存在感を放っていた。
「お久しぶり、マダム」
通称マダム。
本名は誰も知らない。
イリアが時折使わせてもらっている仕立て屋の主人だった。
腕は一流でこうして大規模な貴族のパーティにまで呼ばれているし、王族の前でだって彼女は頭が高い。
それくらい人気絶頂な彼女は気だるげにイリアをしばらくの間見つめていた。
「あらやだ。ウーラニア? また野暮ったい格好してるわね。まあいつもだけど」
ちょいちょいと手招きをされて顎で示されたソファに座る。
マダムの弟子の1人が扉に鍵をかけて、カレンと共にその前に並び立つ。
「あんた、人妻になったんじゃなかった? そんなこともうできないんだと思ってたけど」
「正真正銘人妻よ」
「じゃあ何?その格好で舞踏会てわけ?随分な趣味だこと」
イリアは侍女服をくつろげさせつつ、用意された菓子を摘んだ。
「旦那様は愛しの愛人様と一緒よ。私が2人とも磨き上げたから今日はあの二人が主役!」
ふふっと嬉しそうに笑うイリアに、マダムが心底呆れた顔をした。
「あんたって……ほんと相変わらずよね。頭おかしいわ」
「それはありがとう。それでね、ドレス1着貸してもらえないかしら?」
マダムは予備のドレスを持ってこの場所に参加していた。
まあ、滅多なことではないが、ドレスにワインの染みがついたり、不慮の事故で汚れてしまったり傷ついてしまったときにはここで着替えることが出来る。
稀に起きる令嬢たちの泥沼劇によって汚れた時や、多いのは無理をして着た細身のドレスのボタン等が耐えきれずに壊れてしまうこと。
マダムは予備のドレスを頭に浮かべながら口元に弧を描いた。
「何? 乗り込むの? 修羅場なら是非見に行きたいわね」
「まさか! 女の子漁りに決まってるじゃない」
輝く笑顔だった。
マダムの顔から愉悦の表情が消え失せる。
「まあ、わかってたわよ。好きなの持ってきなさい」
「ありがとう!!」
「まあ、私にもいつも利益があるからね。精々いい客連れてきてちょうだいな」
見事シンプルめなドレスを勝ち取ったイリアは舞踏会会場を練り歩いていた。
そして発見したのは男性たちに囲まれているフローラと、それに対してなんの興味も無さそうなアレスだった。
はて?と思わず首を傾げる。
「フローラ嬢がこんなに美しかったなんて!」
「ぜひ私と1曲 」
聞こえる声は予想通り。
対するフローラも満更では無さげだった。
「あの、ありがとう。おひとりずつお願いできますか?」
ふわりと、恥じらうような笑顔。
今までフローラは可愛いながらも垢抜けない印象があり、家は貴族だけれど貧乏ななんの旨みもない男爵家。
あえて近づいてくる男は居なかったのだろう。
それが、美しく咲き誇ってしまった。
家になんの利益がなくとも、それでも手に入れたいと思えるほどに。
そして、フローラ自身も、今まで好きと言ってくれたのがアレスだけだったから他に目が行っていなかった。
アレスしか見えていないからアレスのことを好きだと思っていた。
恋に恋していただけ。
だから選び放題の今、アレスのことは視界に入らないようだ。
「あらまあ……」
いろいろと人の恋愛事情は見てきたイリアだが、流石に開いてしまった口を扇で隠した。
磨きあげがいのある少女たちを探しに来たはずなのに、それどころでは無くなってしまった。
まあ、ある意味成功してるし、今日は帰ろうかしら。
と踵を返したイリアの腕を誰かが掴んだ。
振り返った先にいたのは最近では見慣れてしまったアレスだった。
すぐそこでフローラが男たちに囲まれているというのに何をしているのか。
数秒見つめあっていると、アレスが真剣な顔で口を開いた。
「お前、侍女だろう」
断言的なそれに、イリアはあら、鋭いと内心で呟く。
「どなたかとお間違えではないでしょうか? 急いでおりますので失礼を」
腕を引き抜こうと力を入れたのにビクともしない。
しっかりと掴まれた腕に、イリアは頭を抱えたくなった。
「いや、毎日顔を合わせていたんだ。わからないはずがない」
言いきられてしまってはあれこれ言い訳する方がめんどくさい。
イリアはにこりと微笑んだ。
「ええ、まあ、否定は致しませんが。旦那様の最愛の女性がそこにいらっしゃるのにいいんですか?」
早くこの腕を離して抱きしめてこい。
視線を集団に向けたのはイリアだけで、アレスはイリアから目を離すことは無かった。
「フローラは……確かに愛しいと思っていたが、あのマッサージと手入れをしてもらっている間の優しい時間が最近ではとても恋しいんだ」
アレスは真顔だ。
きっと本心から言っている。
妻であるイリアに向けて、妻だとは分からないまま。
人の恋バナは好きだが、自分に向けられる好意はどうでもいい。
可愛い女の子漁りがしたいのに……。
イリアは内心でげんなりとしていた。
旦那である男のアレスなんてどうでもいい。
可愛い女の子の隣に並ぶのならそれに見合った感じに、とは思うが男性を磨きあげるということにはイマイチ魅力を感じられない。
「とりあえず、私は今日は帰りますので。そういったお話はまたいつか」
にこりと拒絶をして歩き出したイリアの腕はいまだアレスに掴まれたまま。
イリアはほほ笑みを浮かべたままアレスを引きずって歩くことにした。
マッサージや手入れなんかは意外と体力と力がいる。
そのうち離れるだろうと考えていたイリアの期待は裏切られて、気づけばアレスは引きずられるまま共に馬車に乗っていた。
途中で拾ったカレンはじとりと睨みつけるようにアレスを凝視している。
「いつまで付いてくるつもりです?」
気づけばもうイリアの部屋の前だ。
屋敷の奥の方、人があまりよってこないような場所。
「ん?まあ気にするな」
なぜだかアレスは楽しげで、イリアはうんざりと自分の着ているドレスに視線を向けた。
マダムのものを持ってきてしまった。
かなり高くつきそうだ、と独りごちてため息をはく。
「いい加減に、してくださいますかっ!?」
叫んだのはイリア、ではない。
カレンが必死の形相でイリアとアレスの腕を引き離していた。
「カレン」
イリアが呼びかけてみてもカレンの怒りは静まらなかった。
「イリア様がよくても私は納得できません!私の素晴らしいイリア様をあんなに雑に扱っていたのに、今更掌返したみたいに!!」
そりゃイリア様は可愛いですけど!綺麗ですけど!とカレンが子供のように喚き出す。
流石にアレスも唖然とした様子で、そして暫くしてイリアを改めてまじまじと見つめてきた。
「お前ウーラニア、というんじゃ……」
「まあ、偽名というか通り名というか」
本名でないことは確かだ。
「イリアってまさか」
「貴方が結婚したイリア様ですよ!正真正銘の!」
口を開いたイリアより先にカレンが答えてしまった。
「は、まさか……」
顔もまともに見てこなった妻だとは微塵も思わなかったようで、ぽかんと口を開けて固まったアレスをちらりと見てから、イリアはカレンに向かって手を伸ばした。
「カレン、綺麗な顔に皺が寄ってしまうわ。もう時間も遅いし早くケアして寝ましょ。寝不足もストレスもお肌の敵なんだから!」
もうアレスのことなど視界に入っていないようで、カレンを押し込んだあとは無慈悲に扉が閉められていた。
アレスがはっと気づいた時には既に遅く、鍵のかけられた扉が開くことはない。
フローラはいい相手が見つかったらしく笑顔で屋敷を出ていき、アレスは屋敷の奥まったところに位置するイリアの部屋に通いだした。
イリアはなかなか部屋から出てこないし、部屋を自分の寝室と近づけようとしたもののきっぱりと断られた。
美と愛の女神ウーラニアと例えられる百戦錬磨の恋の伝道師。
彼女の恋は誰に芽生えるのか。
アレスに絆されてしまうのか。
「一体何をしたら喜んでくれるんだ!」
「そうですね。磨いたら光るような可愛い女の子探してきてください」
「そろそろ肩をもんでくれないか」
「貴方の手入れがしたくなってくるような可愛いお相手を見つけてくるのが先ですね」
「またどこかの女の恋を手伝ってきたのか!? 俺の相手はしてくれないのに!」
「だって男は磨きあげがないんですもの」
閉められた扉越し、2人のそんな問答が屋敷の奥で繰り広げられる。
それは果たして始まりになるのか。
使用人たちは静かに見守ることにした。




