動物園襲撃…2の7
四人と言われてすぐ思い浮かんだのは、ユキだった。
動物園襲撃…2の7
四人と言われてすぐ思い浮かんだのは、ユキだった。よくぼくたちはいつでも四人で行動していたし、それはヨウコが青い髪に染めていた日本時代から同じだった。ぼくが曇りガラスの窓から外を毎日眺めていたとき、ヨウコがやってきた。ずっと年下にも見えたし、ずっと年上にも見えた。彼女の青い髪がそれを増幅していた。それから色んなことがあってタイキやユキに出会った。彼女たちは充分日本でも輝いていたし、それにあやかりたいとばかりぼくは彼らとつるんだ。ついていけないことも多かったけど、少なくともぼくにも友達ができたってわけだ。そしてぼくはユキと付き合うようになった。
それまでにも友達がまったくいないわけじゃない。だけど労働、家庭、習慣という名前の娯楽と退屈の中、みんな去ってしまった。取り残されたぼくは、牢獄という地元の町で一人泣いて過ごした?いや、それも変な話しだ。自分が育った町なら、普通愛すべきなんじゃないのか。友達だってたくさんいるだろうに。なぜ、なぜあんなに胸が苦しかったんだろう。現実と向き合うことが難しかったのか、世渡りが苦手だったのか。親のせいにするのは簡単だけど、いつだって問題は最初からあるもんだ。遺伝的なもの、家系的なもの、土地的なもの、そして時代的なもの。ぼくの場合は性格のせいかもしれない。でもそれは誰だってかかえるもののような気もする。
ユキたちと出会うことで、ぼくは救われた。そう言うと大げさなようだけど、そのときはそう思った。きっと感じていることと実際に起こったことには差があるに違いない。冷静になろう。そう、事実をありのまま、偏見もなしに捉えるというのは難しいものだ。ユキが黒人の子を宿したとき、ぼくはそれを悲しいほど思い知った。なにもすべてがぼくのせいってわけじゃない。なのに全てを背負い込んだ。そして彼女の子を育てる覚悟をした。それは前向きな態度、男らしい姿勢だったかもしれない。少なくともぼくはそう思った。
そして流産。なぜ長旅になんて出たんだろう。しかも寒さの厳しいアメリカ縦断旅行になんて。しかしぼくとユキの気持ちは冬のせいかピッタリとくっついていた。毎日をベッドで一緒に寝て、貧乏なユースホステルだろうと宿泊し鉄道やバスで移動した。そしてようやく暖かい南のフロリダ付近までやって来たときに、彼女の体調がおかしくなった。歪むユキの顔を見ながら、ぼくは呆然とした。なすすべがなかった。全ての計画や夢、希望が打ち砕かれた。結局自分はそういうときに何もできないもんだと思い知った。
タイキやヨウコのおかげで、少しは自分を取り戻すことができた。そう、ぼくらはいつも四人だった。アメリカに行こうと言ったのも、ニューオリンズにしようと決めたのもタイキだったけど、ぼくたちは彼に着いていった。それくらい信頼しあっていた。もちろん大人だから、お金はそれぞれが貯めなければならない。ユキなんかは親にお金を借りて、それでややこしいことになっていたようだけど。体調を崩したユキは以前のように輝いてはいなかった。あの時帰国するべきだったんだ。なのに、逃げるように帰ったのはぼくだけだった。四人から三人に、そしてタイキまでメキシコに向かって、二人になった彼女たちはどれくらい心細かっただろう。日本に帰ったぼくは気軽に就職活動なんてして、彼女たちの苦しみや痛みを理解する余裕なんてなかった。
そして津波の後に
「これだけあれば戦争に勝てただろうに。」おれは船の装備を見ながらそう口走っていた。よく調べてみると、この船には大砲の弾丸やミサイルなども積み込まれているのだ。首をテーブルに置いたままKはマリファナを吸っている。「核兵器だってあるかもよ。」とはここ二、三日マリファナ漬けになっているハリオだ。テリーとマイクはギターとドラム(簡易的なものだが)でセッションをし始めていた。「なに言ってる。非核三原則を知らないのか」とおれはハリオに言ったが、何の根拠もなかった。そもそもここがどこなのか分からなかった。