正法眼蔵 袈裟功徳
仏から仏へ、祖師から祖師へ、正しく伝えている法衣と仏法を、中国に正しく伝えたのは、二十八祖の達磨だけなのである。
二十八祖の達磨は、釈迦牟尼仏から第二十八代目の祖師である。
法衣と法は、西のインドで二十八人の祖師達に正統に代々伝わっている。
二十八祖の達磨は、親しく中国に入って、中国の初祖と成った。
法衣と仏法は、中国人の五人の祖師達に伝わって、曹谿山の三十三祖の大鑑禅師に至った。
三十三祖の大鑑禅師は、釈迦牟尼仏から第三十三代目の祖師であり、「中国の六祖」と呼ぶ。
三十三祖の大鑑禅師は、法衣と仏法を黄梅山で夜中に正しく伝えられて、一生、護って保持した。
法衣は、今なお曹谿山の宝林寺に安置されている。
諸代の皇帝は、あいついで、大鑑禅師の法衣を、皇居に招き入れて、捧げものを捧げて礼拝した。
神の者は、大鑑禅師の法衣を護って保持している。
唐の中宗と、粛宗と代宗は、しきりに、皇居に招き入れて供養した。
招き入れる時、送り返す時、特別に使者を派遣して、皇帝の言葉を授けた。
代宗は、ある時、仏の法衣を曹谿山に送り返す時に、言葉を授けて、「今、鎮国大将軍の劉崇景に(法衣を)頭の上に捧げ持たせて送り返させます。
私(、代宗)は、これ(、法衣)を国宝とします。
あなた(、劉崇景)は、本寺(、曹谿山の宝林寺)に作法の通りに安置して、僧達の親しい主旨を受けた者に厳重に守護を与えて、遺失、失墜させる事が無いようにさせなさい」と言った。
実に、無量恒河沙の三千大千世界を統治するよりも、仏の法衣が現に存在する小国の王として仏の法衣を見聞きし捧げものを捧げる事は、生死の中で、善い生、最も優れている生なのである。
仏の化の導きの及ぶ場所である三千界の、どこでも法衣は存在するであろう!
けれども、正統に代々「面授して」、「言い表せないものを顔と顔を合わせて授かって」、仏の法衣を正しく伝えている者は、二十八祖の達磨、独りだけなのである。
傍系の人は、仏の法衣を授けられていない。
二十七祖の傍系である跋陀婆羅菩薩の伝承は肇法師にまで及んでいるが、仏の法衣の伝承は無い。
三十一祖の道信は、牛頭山の法融禅師を仏土へ渡したが、仏の法衣を伝えなかった。
そのため、正統な伝承が無くても、如来の正しい法の功徳は虚しくは無く、「千古万古」、「古代から現在まで」、皆、利益が広大なのである。
しかし、正統に伝承される事は、伝承が無い事と同じではない。
そのため、もし人や天人が法衣を受けて保持したいのであれば、仏祖が正しく伝えている法衣を伝えられて受けるべきである。
インド、中国では、正法、像法の時は、在家信者ですら法衣を受けて保持していた。
今、遠方の辺境の僻地では、末法の時では、髭と髪を剃り除いて「仏の弟子」を自称する人が、法衣を受けて保持していないし、「法衣を受けて保持するべきである」と未だ信じないし、知らないし、明らめていない。
悲しむべきである。
まして、法衣の「体、色、量」、「素材、色、量」を知らない!
まして、法衣を着て用いる時の法を知らない!
法衣を古くから「解脱服」と呼ぶ。
法衣で、「業障」、「悪業が原因である障害」や、「煩悩障」、「煩悩という形での障害」や、「報障」、「地獄などに堕ちるという形での悪業の報いである障害」などを皆、解脱できるのである。
竜は、もし法衣の「一縷」、「一本の糸」、「わずか」でも得れば、「三熱」という竜や蛇への苦しみを免れる。
牛は、もし角で法衣に触れれば、罪が自然に消滅する。
諸仏は、仏道を成就する時、必ず、法衣を着る。
法衣という功徳は、最も尊い、最上の功徳なのである、と知るべきである。
実に、私達は、辺境の僻地に生まれてしまっているし、末法の時代に出くわしてしまっているので、恨んでしまうであろうが、仏から仏へ正統に代々伝承している法衣と仏法に出会えた事をどれほどの喜びとしようか?
どの家門が、私が正しく伝えているように、釈迦牟尼仏の法衣と仏法を共に正しく伝えているのか?
釈迦牟尼仏の法衣と仏法に出会って、誰が恭しく敬い捧げものを捧げないであろうか?
たとえ一日に無量恒河沙の身の命を捨てても、釈迦牟尼仏の法衣と仏法に捧げものを捧げるべきである。
「生から生へ、世から世へ、釈迦牟尼仏の法衣と仏法に出会って、頂戴できて、捧げものを捧げる事ができて、恭しく敬う事ができますように」という願いを起こすべきである。
私達は、釈迦牟尼仏が生まれた国インドから十万里余り隔てている、間に山と海が有る、遥か遠くにいて、インドと交通し難いが、前世の善行が催す物によって、山と海に塞がれず、辺境の僻地による暗愚さを嫌われる事無く、釈迦牟尼仏の法衣と仏法に出会えた。
釈迦牟尼仏の正しい仏法に出会って、徹底的に日夜に習って修行している。
釈迦牟尼仏の法衣を受けて保持して、常に、頭の上に捧げ持ってから着て、護って保持している。
法衣を着て仏法を修行する事は、一人や二人の仏の下で功徳を修行する事に成るだけではない!
法衣を着て仏法を修行する事は、恒河沙などの諸仏の下で諸々の功徳を習って修行する事に成るのである。
法衣を着て仏法を修行する人を、たとえ自己であっても、尊ぶべきであるし、喜ぶべきである。
祖師が仏法を伝えてくれた深い恩に真心で報いて感謝するべきである。
人以外の動物ですらなお恩に報いる。
人は恩を知っている!
もし恩知らずならば、人以外の動物よりも愚かである。
仏の法衣と仏法の功徳を、仏の正しい仏法を伝えている祖師ではない他の者は、未だ明らめていないし、知らない。
諸仏の跡、仏道を喜んで求めるのであれば、正に、仏の法衣と仏法を喜んで願うべきである。
たとえ百、千、万の無数の代の後も、仏の法衣と仏法を正しく伝える事を「正しく伝えている」とするべきである。
仏の法衣と仏法を正しく伝える事が仏法なのである。
証拠は正に新たに成るであろう。
水を乳に入れるのには似ていない。
皇太子が皇帝に即位するような物なのである。
水を合わせた乳であっても、乳を用いる時は、水を合わせた乳の他に更に乳が無い時には、水を合わせた乳を用いるべきである。
たとえ水を合わせていなくても、(水を合わせた乳の代わりに、)油を用いるべきではないし、漆を用いるべきではないし、酒を用いるべきではない。
仏の法衣と仏法を正しく伝える事もまた同様なのである。
たとえ凡庸な師であっても、仏の法衣と仏法を正しく伝えられているならば、乳として用いて善いように、用いて善いのである。
まして、仏から仏へ、祖師から祖師へ、仏の法衣と仏法を正しく伝えている事は、皇太子が皇帝に即位するような物なのである。
俗ですらなお「先王の法服でなければ着ない」と言う。
仏の弟子は仏の法衣ではない衣服を着ない!
後漢の、諡号が孝明皇帝である明帝の時代の、六十七年以後、西のインドと東の地の中国を行き来する出家者や在家信者は、「踵を接するように」、「人々が連続するように」、絶えないが、「西のインドで、仏から仏へ、祖師から祖師へ、正しく伝えられている祖師に出会った」と言う人はいないし、如来、釈迦牟尼仏から、「面授」、「言い表せないものを顔と顔を合わせて授かる事」によって伝承されている系譜の人はいない。
経典の学者に従って、サンスクリット語の本の経を伝えて来ているだけなのである。
「仏法を正統に嗣いだ祖師に出会った」と言う人はいないし、「仏の法衣を伝えている祖師がいた」と語る人はいない。
仏法の奥義に入っていない、と明らかに知る事ができる。
このような人は、仏祖が正しく伝えている主旨を明らめていないのである。
釈迦牟尼如来、釈迦牟尼仏は、「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」と無上普遍正覚を初祖の摩訶迦葉に付属して授けた時に、迦葉仏から正しく伝えられた法衣も共に伝えて授けた。
仏法と迦葉仏からの法衣を、正統に代々伝承して、曹谿山の三十三祖の大鑑禅師に至った。
三十三祖の大鑑禅師は、釈迦牟尼仏から第三十三代目なのである。
法衣の「体、色、量」、「素材、色、量」を親しく伝えているのである。
その後、三十四祖の青原の行思と、南嶽の懐譲の法の子孫は、法衣の法と仏法を親しく伝えて来ているし、代々の祖師の法を法衣として纏い、代々の祖師の法を法衣として制作した。
法衣の洗浄の法と、法衣を受けて保持する法は、仏祖が正統に代々「面授している」、「言い表せないものを顔と顔を合わせて授かっている」仏法の奥義の学に参入しなければ、知らない物なのである。
「袈裟」、「法衣」には「三衣」、「三種類の法衣」が有る、と言われている。
(「三衣」とは、)五条衣と七条衣と、九条衣などの大衣である。
「上行」、「修行が優れている」僧は、この「三衣」、「三種類の法衣」、「五条衣と七条衣と、九条衣などの大衣」だけを受け取る。
他の衣を蓄えない。
「三衣」、「三種類の法衣」、「五条衣と七条衣と、九条衣などの大衣」だけを用いて身に役立てて事足りるのである。
掃除などの「作務」を営んだり、大小の行き来をするならば、五条衣を着る。
諸々の「善事」、「善行」を為したり、僧達の中に入ったりするならば、七条衣を着る。
人や天人を教化して敬い信じさせるならば、九条衣などの大衣を着るべきである。
仕切りが存在する場所ならば、五条衣を着る。
僧達の中に入るならば、七条衣を着る。
王宮や集落に入るならば、九条衣などの大衣を着るべきである。
また、「熅燸」、「温熱」が調和している時は、五条衣を着る。
(
「熅」は「熱」を意味する。
「燸」は「温める」などを意味する。
)
寒冷の時は、五条衣に加えて、七条衣を着る。
寒苦が厳しく切である時は、五条衣と七条衣に加えて、九条衣などの大衣を着る。
昔、ある時、「正冬」、「旧暦の十一月」の夜に入って、天候が寒くて竹を裂くほどであった。
如来、釈迦牟尼仏は、その「初夜」、「午後八時前後」に、五条衣を着ていた。
夜、久しくして、うたた、ますます、寒く成ると、五条衣に加えて七条衣を着た。
夜明け前に、天候の寒さが、うたた、ますます、盛んに成ると、五条衣と七条衣に加えて、九条衣などの大衣を着た。
釈迦牟尼仏は、「未来の世の中でも、寒苦を忍耐できない時は、善い男子は、この『三衣』、『三種類の法衣』、『五条衣と七条衣と、九条衣などの大衣』を足して重ね着して身に纏えば、よろしい」と思った。
「袈裟」、「法衣」を纏う法
「偏袒右肩」、「右肩の片側だけ脱ぐ事」が、日常的な方法、作法なのである。
「通両肩搭」、「法衣を両肩に纏う」という作法も有る。
如来と老人の僧の作法である。
「両肩に纏う」と言っても、胸を出す時も有るし、胸を覆う時も有る。
「通両肩搭」、「法衣を両肩に纏う」のは、六十条衣以上の大きい法衣の時なのである。
法衣を纏う時は、両端共、左の肘と肩に重ねて掛けるのである。
法衣の右端を左端の上に掛けて肘の外に垂らす。
大きい法衣の時は、右端を左の肩の上を通して背後に出して垂らす。
この他、法衣を着る色々な作法が有る。長く参入して質問するべきである。
(二十八祖の達磨が伝えた仏法と法衣の法は、)梁、陳、隋、唐、宋と数百年間、伝えられて、小乗や大乗の学徒の多くは、「講経の」、「経の意味をとき明かす」業を投げ捨てて、「究極ではない」と知って、進んで、仏祖が正しく伝えている仏法を習って学ぼうとする時、必ず、従来の破れた衣を脱ぎ落として、仏祖が正しく伝えている法衣を受けて保持するのである。
これは、正しく、邪法を捨てて正しい仏法に帰る事なのである。
如来の正しい仏法は、西のインドが「法本」、「法の本」なのである。(仏教はインドが発祥の地なのである。)
古今の「人の師」、「徳が有る人」の多くが、凡人の「情量」、「情による思量」や「局量」、「とらわれた限られた思量」という「小見」、「矮小な見解」を断った。
仏の世界や生者の世界は有限でもないし、無限でもないので、小乗や大乗の「教、行、人、理」、「仏教、修行、人、真理」は今の凡人の「局量」、「とらわれた限られた思量」には無い。
それなのに、いたずらに無駄に、インドの仏法を本とせず、中国で新たに「局量」、「とらわれた限られた思量」の「小見」、「矮小な見解」を「今案」、「今、新しく考案した物」として仏法としているが、道理は、そうではない。
そのため、今、「発心した」、「悟りを求める事を思い立って心した」仲間は、法衣を受けて保持するならば、正しく伝えられている法衣を受けて保持するべきである。
「今案」、「今、新しく考案した物」による新しく作られた法衣を受けて保持するべきではない。
「正しく伝えられている法衣」とは、二十八祖の達磨から三十三祖の大鑑禅師へ正しく伝えられて来ている、如来からの正統に代々、伝承されている法衣である。一代も欠けていないのである。
二十八祖の達磨や三十三祖の大鑑禅師の法の子孫が着て来ている法衣が、正しく伝えられている法衣なのである。
中国で新しく作られた法衣は、正しく伝えられている法衣ではない。
古今、西のインドから来た僧が着ている法衣は皆、仏祖が正しく伝えている法衣のように法衣を着ている。
今、中国の経典の似非学者の輩が新しく製作した法衣のような法衣を着た人は、西のインドから来た僧には一人もいない。
法衣に暗い輩は、経典の似非学者の法衣を信じてしまう。
法衣に明らかな者は、経典の似非学者の法衣を捨て去るのである。
仏から仏へ、祖師から祖師へ、伝えている「袈裟の功徳」、「法衣の功徳」は明らかなので、信じて受け入れやすい。
法衣の正しい伝承が、正しく、伝承されている。
法衣の「本様」、「基本の様式」が、目の当たりにされて、伝えられており、今も現に存在している。
法衣を受けて保持して仏法を嗣いで、今にまで至っている。
法衣を受けて保持している祖師は共に、証に適っている、仏法を伝えている師弟なのである。
そのため、仏祖が正しく伝えている法衣を作る法によって法衣を作るべきである。
法衣の法は、単一で正しく伝えられているので、凡人も聖者も、人も天人も、龍神も皆、長い間、明らかに知って来ている物なのである。
法衣の法の流布に生まれて出会って、一度でも法衣を身体に纏い、刹那でも一瞬でも受けて保持すれば、無上普遍正覚を必ず成就する護身の護符と成るであろう。
真理の一つの詩、一つの句を身心に染めれば、長い時間の光明の種と成って、終に、無上普遍正覚に至る。
一つの法、一つの善を身心に染めれば、また同様に、長い時間の光明の種と成って、終に、無上普遍正覚に至る。
心の思いも刹那に生じて滅び、留める事ができないし、身体も刹那に生じて滅び、留める事ができないが、修行した功徳は必ず熟して解脱できる時が来る。
法衣もまた、「作ではない」、「何かしているわけではない」し、
「無作ではない」、「何もしないわけではない」し、
留まるわけではないし、
留まらないわけではないし、
「仏と仏だけが究め尽くせる」物であるが、法衣を受けて保持する修行者が、法衣を所得している功徳は、必ず成就するのであるし、必ず究め尽くせるのである。
前世で善行をしていない者は、一生、二生、無数の生を経歴しても、法衣を見る事ができないし、
法衣を着る事ができないし、
法衣を信じて受け入れる事ができないし、
法衣を明らめて知る事ができない。
中国、日本を見ると、法衣を一度でも身体に纏う事ができ得た者もいるし、でき得ない者もいるが、貴賤による物ではないし、賢愚による物ではない。
法衣を着る事ができるのは、前世の善行による物である、と測り知る事ができる。
そのため、法衣を受けて保持している人は、前世の善行を喜ぶべきであるし、功徳が積み重なる事は疑問の余地が無い。
法衣を未だ得ていない人は、法衣を得る事を願うべきであるし、今の生で急いで善行という種を植える事を始めるべきである。
障害が有って法衣を受けて保持する事ができ得ない者は、諸仏、諸々の如来と、「仏、法、僧」という「三宝」に、恥じ入って懺悔するべきである。
他の国の生者は、「私の国も、中国のように、如来、釈迦牟尼仏の法衣と仏法が、正しく伝えられて、降臨しますように」と、どれほど願っているであろう。
法衣の法が、自分の国に正しく伝えられていないのは、深い恥であろうし、悲しみが有るであろう。
私達は、どんな幸いが有ったのか、如来、釈迦牟尼仏の法衣の法を正しく伝えている仏法に出会えた。
前世で植えた知の種の大いなる功徳の力による物なのである。
今の、末法の世、悪い時代では、人は、自分が正しく伝えてもらえない事を恥じず、他人が正しく伝えてもらえた事を嫉妬するが、「魔の党派者であろう」、「仏敵の仲間であろう」と思われる。
自分が今、所有している物、住んでいる物は、前世の業に引かれているので、真実ではない。
正しく伝えられている仏法にだけ帰依して敬う事は、自分が仏法を学んで修行した事による実への帰還に成る。
知るべきである。
法衣は、諸仏が恭しく敬い帰依している物なのである。
法衣は、仏の身なのであるし、仏の心なのである。
法衣を、「解脱服」と呼ぶし、
「福田衣」(、「幸福を生じる源である田畑のような衣」)と呼ぶし、
「無相衣」(、「執着を超越する衣」)と呼ぶし、
「無上衣」と呼ぶし、
「忍辱衣」と呼ぶし、
「如来衣」と呼ぶし、
「大慈大悲衣」と呼ぶし、
「勝幡衣」(、「勝利の旗のような衣」)と呼ぶし、
「阿耨多羅三藐三菩提衣」(、「無上普遍正覚の衣」)と呼ぶ。
法衣を、正に、このように受けて保持し、頭の上に捧げ持つべきである。
このため、法衣を思うがままに改変するべきではないのである。
法衣の素材は、絹でも絹以外の布でも都合に合わせて用いる。
必ずしも「絹以外の布は清浄であり、絹は不浄である」という訳ではないし、絹以外の布を嫌って、絹を選び取る所見も無い。
これらの誤った見解は、笑うべきである。
諸仏の不変の法では、必ず、「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」を無上とする。
「糞掃」、「ぼろきれ」には十種類か四種類、有る。
「火焼、牛嚼、鼠噛、死人衣」などである。
インドの東、西、南、北、中央の人は、これらのような衣を小道や野に捨てる。
これらの衣は「糞掃」、「ぼろきれ」と同じなので、「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」と名づける。
修行者は、ぼろきれを選んで取って、洗浄して、縫い直して、用いて、身の役に立てる。
ぼろきれの中には、絹も有るし、絹以外も有る。
「絹か? 絹以外か?」という誤った見解を投げ捨てて、「糞掃」、「ぼろきれ」の学に参入するべきである。
「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」を、昔、「阿耨達池」で洗浄すると、龍王が、ほめたたえて、雨のように華を降らして礼拝したのである。
「小乗」、「矮小な乗り物」、「劣悪な段階」の教師は、「『化糸』、『霊的に生じさせた糸』を法衣の素材にするべきである」という誤った説を唱えるが、根拠が無い。大乗の人は笑うべきである。
どの素材も(神による)「化糸」、「霊的に生じさせた糸」である(と言える)!
あなたには、「化(生)」、「霊的に生じる事」を聞く耳が有ると信じる事ができても、「化(生)」を(正しく)見る目が有るかを疑う。
知るべきである。
「糞掃」、「ぼろきれ」を拾う中で、絹に似た物も有るし、絹以外の物に似ている絹も有る。
各土地の風習は千差万別で「造化」、「作り方」は測り知る事が困難であるし、肉眼で知る事はできない。
このような物を得たら、「絹か? 絹以外か?」と論じるべきではなく、「糞掃」、「ぼろきれ」と呼ぶべきである。
たとえ人や天人が「糞掃」、「ぼろきれ」を生じて成長させても、情の有るものではなく、「糞掃」、「ぼろきれ」なのである。
たとえ松や菊が「糞掃」、「ぼろきれ」を生じて成長させても、情の無いものではなく、「糞掃」、「ぼろきれ」なのである。
「糞掃」、「ぼろきれ」が絹や絹以外ではないし、金銀や宝石ではない道理を信じて受け入れる時、「糞掃」、「ぼろきれ」が形成されて現されるのである。
「絹か? 絹以外か?」という誤った見解を未だ脱ぎ落としていなければ、「糞掃」、「ぼろきれ」を夢にも未だ見た事が無いのである。
ある僧が、かつて、古代の仏と等しい人に、「黄梅山の三十二祖の弘忍が夜中に仏法と共に伝えた法衣の素材は、絹以外でしょうか? 絹でしょうか? 究極的に、どういった物でしょうか?」と質問した。
古代の仏と等しい人は、「絹以外ではないし、絹ではない(。『糞掃』、『ぼろきれ』である)」と言った。
知るべきである。
法衣の素材は、絹でもないし、絹以外でもない。
(「糞掃」、「ぼろきれ」である。)
これが仏道の奥深い教訓なのである。
三祖の商那和修は、第三番目に「法蔵」、「仏の教え」を付属された祖師である。
三祖の商那和修は、生まれた時に衣と共に生じて、生まれた時から衣と共に生きている。
商那和修の衣は、在家者の時は俗服であり、出家したら法衣と成った。
鮮白比丘尼は、願いを起こして、迦葉仏に布を布施した後、生から生へ、中有でも、必ず衣と共に生じた。
鮮白比丘尼が釈迦牟尼仏に会って出家すると、生まれながらに備えている俗衣は速やかに変化して法衣と成った。
三祖の商那和修と、鮮白比丘尼は、同じく、生まれた時に衣と共に生じて、衣は出家したら法衣と成った。
法衣は、絹や、絹以外の物などではない、と明らかに知る事ができる。
まして、このように、仏法の功徳は身心といった「諸法」、「全てのもの」を変化できる。
私達が出家して戒を受ける時、身心が依り所とする環境としての報いである「この世」と過去の行いの正に報いである身心が、速やかに変化する道理は明らかであるが、暗愚で知らないだけなのである。
諸仏の不変の法が、三祖の商那和修と鮮白比丘尼だけに作用して、私達に作用しない事は無いのである。
出家して戒を受けた事に相応に成る利益を疑うべきではない。
このような道理を明らかに鍛錬して学に参入するべきである。
「善来得戒」、「釈迦牟尼仏が『出家者よ、来なさい』と言って戒を得た」人の体をいつの間にか覆う法衣は、必ずしも絹以外の物ではないし、絹ではない。
「仏化難思」、「釈迦牟尼仏の化の導きは思量し難い」のである。
「法華経」の「五百弟子受記品」の「親友(である釈迦牟尼仏)が衣の裏に掛けてくれた宝玉」を、砂を数える経典の似非学者は知る事ができないのである。
諸仏の法衣の「体、色、量」、「素材、色、量」の、量の有限、無限、「相」の有無を明らめて学に参入するべきである。
西のインドから東の地の中国までの古今の祖師は皆、学に参入して正しく伝えているのである。
祖師から祖師へ正しく伝えている事が明らかで疑問の余地が無い事を見聞きしながら、いたずらに無駄に、祖師が正しく伝えている物を受け取らない人は、心構えが許し難いであろうし、愚かさの至りであるし、不信心が理由であろう。
真実を捨てて空虚を求め、根本を捨てて些末を願う者に成ってしまうのである。
如来、釈迦牟尼仏を軽んじる事に成ってしまうのである。
「菩提心」、「悟りを求める心」を起こした仲間は、必ず、祖師が正しく伝えている物を受け取るべきである。
私達は、出会い難い仏法に出会えただけではなく、仏の法衣を正しく伝えている法の子孫として、法衣と仏法を見聞きし、学習し、受けて保持する事ができ得たのである。
法衣と仏法を見聞きする事は、如来、釈迦牟尼仏を見る事なのであるし、
釈迦牟尼仏の説法を聞く事なのであるし、
釈迦牟尼仏の光明に照らされる事なのであるし、
釈迦牟尼仏が受用したものを受用する事なのであるし、
釈迦牟尼仏の心を単一に伝えてもらえる事なのであるし、
釈迦牟尼仏の髄を得る事なのであるし、
目の当たりにして釈迦牟尼仏の法衣によって覆われる事なのであるし、
目の当たりにして釈迦牟尼仏が私に法衣を授ける事なのである。
釈迦牟尼仏に従ったので、法衣を受けたのである。
「袈裟」、「法衣」を洗浄する法
法衣をたたまず、洗い桶に入れて、香を入れた湯を煮て、法衣を浸して、二時間くらい置く。
または、別の法は、清浄な「灰水」、「灰を水に浸けた上澄み液」を煮て、法衣を浸して、(灰)湯が冷めるのを待つ。
今は、普通、「灰湯」、「煮た『灰水』」を用いる。
日本では「灰湯」を「灰汁の湯」と言う。
「灰湯」が冷めたら、清浄な澄んだ湯で、何度か法衣を洗浄する間、両手を入れて揉み洗わないし、踏まない。
垢が除去されるまで、皮脂が除去されるまで法衣を洗浄する。
その後、沈香や栴檀香などを冷水に合わせて、法衣を洗浄する。
その後、清浄な竿に掛けて干す。
良く干した後、たたんで、高い場所に安置して、焼香して華を撒き散らして、右に数周して、礼拝する。
坐具を展開して三回か六回か九回礼拝して、右ひざを地につけて左ひざを立てて合掌して、法衣を両手で捧げ持って、詩を口で唱えた後、立って、作法の通りに法衣を着る。
次のように、釈迦牟尼仏は、集まっている者達に言った。
私(、釈迦牟尼仏)は、過去の前世で、宝蔵仏の所にいた時、大悲菩薩(摩訶薩)であった。
次のように、大悲菩薩摩訶薩は、ある時、宝蔵仏の前で、願って言った。
宝蔵仏様、私(、大悲菩薩摩訶薩)が仏に成って、生者のうち、私の仏法の中に入って出家して「袈裟」、「法衣」を着た者や、重戒を犯してしまったり、邪悪な見解によって行動してしまったり、「仏、法、僧」という「三宝」を軽んじて悪口を言って信じなかったりして、諸々の重罪を積み重ねてしまった出家者や在家信者が、もし一念でも、恭しく敬う心を生じて大衣の法衣を尊重したり、恭しく敬う心を生じて「仏、法、僧」という「三宝」を尊重したりしたのに、宝蔵仏様、このような生者が一人でも三乗において「記別を受ける」、「授記」、「成仏の予言」を得られず退転したら、(私、大悲菩薩摩訶薩は、)十方世界の無数の、無限の、「阿僧祇」、「無数」などの、現に存在する諸仏をだました事に成ってしまいます。
(そうであるならば、私、大悲菩薩摩訶薩は、)決して無上普遍正覚を成就しません。
宝蔵仏様、私(、大悲菩薩摩訶薩)が仏に成って、諸々の、天人、龍(神)、鬼神といった、人と、人ではない者が、「袈裟」、「法衣」を着た者を恭しく敬って捧げものを捧げて尊重して、たたえたら、「袈裟」、「法衣」をわずかでも見る事ができ得たら、三乗の中で不退転と成る事が得られますように。
飢えや渇きで逼迫している生者や、貧窮している鬼神や、下賤な諸々の人や、餓鬼である生者が、「袈裟」、「法衣」をわずかでも四寸でも得たら、飲食物に満ち足りる事ができ得ますように。
(一寸は約三センチメートル。)
願いが速やかに成就でき得ますように。
生者が、共に背を向け合って恨んで害する思いを起こして闘争していったり、諸々の、天人、龍(神)、鬼神、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽、鳩槃荼、毘舎遮といった、人と、人ではない者が、共に闘争し合ったりした時、「袈裟」、「法衣」に念じれば、「袈裟」、「法衣」の力によって、すぐに、(慈)悲の心や、柔軟な心や、恨まない害しない心や、寂滅の心や、「調伏された善い心」、「身心を調整して悪を降伏させた善い心」を生じて、清浄に成る事ができ得ますように。
もし人が戦争、闘争、訴訟の中にいても、「袈裟」、「法衣」をわずかでも持って、このような(敵の)輩の中に入って、自身を護るために、(「袈裟」、「法衣」に)捧げものを捧げて恭しく敬って尊重すれば、このような(敵の)諸々の人達は、侵害できないし、乱せないし、辱める事ができないし、常に他者に勝つ事ができ得て、このような諸々の災難を乗り越える。
宝蔵仏様、もし私の「袈裟」、「法衣」が、このような五つの事、神聖な功徳を成就できなければ、(私、大悲菩薩摩訶薩は、)十方世界の無数の、無限の、「阿僧祇」、「無数」などの、現に存在する諸仏をだました事に成ってしまいます。
(そうであるならば、私、大悲菩薩摩訶薩は、)未来に無上普遍正覚を成就して仏の事を行いません。
(そうであるならば、私、大悲菩薩摩訶薩は、)善い法を失ってしまい、きっと、外道を破壊できないからです。
善い男子よ、その時、宝蔵如来、宝蔵仏は、黄金色の右腕を伸ばして、大悲菩薩(摩訶薩)の頭をなでて、たたえて、「善いかな、善いかな。立派な男子よ。あなたが言った言葉は、大いなる珍しい宝であるし、大いに賢明で善い。あなたは無上普遍正覚を成就して、この『袈裟』、『法衣』は、このような五つの神聖な功徳を成就できて、大いなる利益をもたらす」と言った。
善い男子よ、その時、大悲菩薩摩訶薩は、宝蔵仏がたたえてくれたのを聞き終わると、心に喜びが生じて、感無量で心が沸き踊った。
ちなみに、宝蔵仏が伸ばした黄金色の右腕は、長くて「合縵であった」、「膜が有った」。
宝蔵仏の手は柔軟で天の衣のようであった。
宝蔵仏は、大悲菩薩摩訶薩の頭をなで終わると、変身して、二十歳くらいに成った。
善い男子よ、宝蔵仏の会に集まっていた者達、諸々の、天人、龍神、乾闥婆といった、人と、人ではない者は、両手を胸の前で重ねて立って恭しく敬って、大悲菩薩(摩訶薩)に、色々な華を捧げたり、音楽を捧げたりして、また、色々とたたえ終わると、沈黙した。
如来、釈迦牟尼仏の存命中から今日に至るまで、菩薩や声聞の「経、律」という経典の中から法衣の功徳を選び、挙げる時、必ず、この法衣の五つの神聖な功徳を主とするのである。
実に、法衣は、過去、現在、未来の諸仏の、仏の衣なのである。
法衣の功徳は量り知れないが、釈迦牟尼仏の仏法の中で法衣を得る事は、他の仏の仏法の中で法衣を得るよりも優れている。
なぜなら、釈迦牟尼仏は、昔(の前世で)、「因地」、「修行中」の時、大悲菩薩摩訶薩として、宝蔵仏の前で「五百大願」を立てた時、特に法衣の功徳について、このような誓い、願いを起こしたからである。
釈迦牟尼仏による法衣の功徳は、更に、量り知れない、不可思議な物なのである。
そのため、釈迦牟尼仏の「皮肉骨髄」、「理解」を今にまで正しく伝える事とは、法衣を正しく伝える事なのである。
「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を正しく伝えている祖師は、必ず、法衣を正しく伝えている。
法衣を伝えられて保持し頭の上に捧げ持つ生者は、必ず、二、三生の間に「得道している」、「悟っている」。
たとえ戯れて笑うためや、利益のために身に法衣を着ても、必ず、「得道する」、「悟る」因縁と成るのである。
次のように、十四祖の龍樹は言っている。
また、次に、仏法の中の出家者は、戒を破る罪を犯しても、罪をつぐない終われば解脱を会得する。
次のように、「優鉢羅華比丘尼本生経」に記されているように。
釈迦牟尼仏が存命中の時に、蓮華色比丘尼は、六神通と阿羅漢を会得した。
蓮華色比丘尼は、貴族の家に入って、常に出家をたたえて、諸々の貴族の婦女に「姉妹よ、同胞よ、出家するべきです」と話していた。
諸々の貴族の婦女は、「私達は、若くて盛んで、容姿も美しいので、戒を守るのは難しいです。戒を受けても破ってしまうでしょう」と言った。
蓮華色比丘尼は、「戒を破ってしまうならば破ってしまっても良いのです。出家するべきです」と言った。
諸々の貴族の婦女は、「戒を破ってしまったら地獄に堕ちてしまうでしょう? どうして戒を破ってしまっても良いのですか?」と質問した。
蓮華色比丘尼は、「地獄に堕ちてしまうならば堕ちてしまっても良いのです」と答えた。
諸々の貴族の婦女は、笑って、「地獄では罪の報いを受けてしまいます。どうして地獄に堕ちてしまっても良いのですか?」と言った。
次のように、蓮華色比丘尼は言った。
(神通力で)私の前世の時を思い出すと、私は、遊女に成って、色々な衣服を着て古い名言を説きました。
ある時、女性の出家者の衣服を着て戯れて笑いました。
この因縁のおかげで、釈迦牟尼仏の前の迦葉仏の時代に、女性の出家者に成れました。
しかし、貴族であったためと、端正な容姿であったため、心に傲り高ぶり他人を見下す思いを生じてしまって戒を破ってしまいました。
戒を破ってしまった罪のせいで、地獄に堕ちて色々な罪の報いを受けてしまいました。
けれども、罪の報いを受け終わると、(今世で、)釈迦牟尼仏に出会えましたし、出家できましたし、六神通と阿羅漢の道を会得できました。
このため、知る事ができます。
出家して戒を受ければ、戒を破ってしまっても、戒を受けた因縁のおかげで、阿羅漢の道を会得できます。
もし戒を受けた因縁が無いのに悪行を行ってしまえば、道を得る事はできません。
私は、昔は、生から生へ地獄に堕ちてしまっていました。
地獄から出ては悪人に成ってしまって、悪人として死んでは再び地獄に入ってしまって、全く何も得られませんでした。
このため、明らかに、知る事ができます。
出家して戒を受ければ、戒を破ってしまっても、戒を受けた因縁のおかげで、「道果」、「悟り」を得る事ができます。
蓮華色比丘尼が阿羅漢として「得道した」、「悟った」最初の原因は、法衣以外の功徳による物ではない。
蓮華色比丘尼は、(前世で)戯れて笑うために法衣をその身に着た功徳によって、今世で「得道した」、「悟った」。
蓮華色比丘尼は、第二生目で迦葉仏の仏法に出会って女性の出家者と成り、第三生目で釈迦牟尼仏に出会って大いなる阿羅漢と成り三明六通を十分に備えた。
三明とは、自他の過去世を自由に知る「宿命明」と、煩悩を無くし尽くす「漏尽明」と、自他の来世を自由に知る「天眼明」である。
六通とは、「神境通」(または「神足通」)と、「他心通」と、「天眼通」と、「天耳通」と、「宿命通」と、「漏尽通」である。
実に、ただ悪を為す人であった時は、虚しく死んで地獄に入るし、地獄から出て、また悪を為す人と成る。
戒の因縁が有る時は、禁戒を破って地獄に堕ちても、終に「得道する」、「悟る」因縁に成るのである。
戯れて笑うために法衣を着てすら、第三生目に「得道する」、「悟る」のである。
まして、無上普遍正覚のために清浄な信心を起こして法衣を着たら、その功徳は成就する!
まして、一生の間、法衣を受けて保持して、頭の上に捧げ持った功徳は、正に広大で無量である。
「菩提心」、「悟りを求める心」を起こした人は、急いで、法衣を受けて保持して、頭の上に捧げ持つべきである。
好い世に出会って、仏に成れる種を植えないのは、悲しむべきである。
「南瞻部洲」、「南閻浮提」、「この世」の人の身を受けて、釈迦牟尼仏の仏法に出会って、生まれて、仏法を正統に代々伝えている祖師に出会い、単一に伝えられ直接的に指し示されている法衣を受けるべきなのを、虚しく過ごすのは、悲しむべきである。
法衣を正しく伝えているのは、祖師が正しく伝えているのだけが正統なのであり、他の師は肩を並べる事ができない。
伝承が無い師に従って法衣を受けて保持してもなお功徳は、とても深いのである。
まして、正統に代々「面授して来ている」、「言い表せないものを顔と顔を合わせて授かって来ている」正しい師によって法衣を受けて保持する人は、正しく、如来、釈迦牟尼仏の法の子孫なのである。
正に、如来、釈迦牟尼仏の「皮肉骨髄」、「理解」を正しく伝えている人に成る。
法衣は、過去、現在、未来の十方の諸仏が正しく伝えて来ていて、未だ断絶していない。
過去、現在、未来の十方の諸々の、仏、菩薩、独覚、声聞は同じく、法衣を護って保持して来ているのである。
法衣を作るには、粗い布を本とする。
粗い布が無い場合は、細かい布を用いる。
粗い布も、細かい布も、共に無い場合は、白色の絹の布を用いる。
粗い布も、細かい布も、白色の絹の布も、共に無い場合は、模様が織られた絹の布などを用いる。如来、釈迦牟尼仏が許しているのである。
粗い布も、細かい布も、白色の絹の布も、模様が織られた絹の布などの類が全て無い場合は、如来、釈迦牟尼仏は皮の法衣を許している。
法衣を染めて青色か、黄色か、赤色か、黒色か、紫色にさせるべきである。
いずれも色の中の、汚く濁った色にさせる。
如来、釈迦牟尼仏は、常に、肉色の袈裟を着ていた。
これが法衣の色なのである。
初祖が伝えている仏の法衣は青黒い色であり、西のインドの「屈眴布」、「大細布」、「木綿の花心による布」であり、千二百四十年現在、曹谿山にある。
西のインドの二十八人の祖師達が伝え、中国の五人の祖師達が伝えている。
曹谿山の、古代の仏と等しい、三十三祖の大鑑禅師の死後に残された弟子達は皆、仏の法衣の古代の法を伝えられて保持していて、他の僧は及ぶ事ができないのである。
法衣には三種類、有り、
(一)「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」
(二)「毳衣」、「毛による衣」
(三)「衲衣」、「捨てられた服による衣」
である。
「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」は、先に示した通りである。
「毳衣」、「毛による衣」は、鳥獣の細かい毛による衣で、これを「毳衣」と名づける。
もし修行者が「糞掃」、「ぼろきれ」を得られなければ、「毳衣」、「毛による衣」を選び取って法衣と為す。
「衲衣」、「捨てられた服による衣」は、朽ちて破れた服を縫って修繕して身につけるのであり、世間で好まれる良い衣服を着ないのである。
釈迦牟尼仏の十大弟子の一人である、長老の僧の「鄔波離」、「優婆離」は、釈迦牟尼仏に、「釈迦牟尼仏様、『僧伽胝衣』、『大衣』の条数は、いくつ有るのでしょうか?」と教えを請うた。
釈迦牟尼仏は、「九つ有る。
九条、十一条、十三条、十五条、十七条、十九条、二十一条、二十三条、二十五条の九つである。
九条、十一条、十三条の大衣は、二枚の長い布と一枚の短い布による物である。この通りに保持しなさい。
十五条、十七条、十九条の大衣は、三枚の長い布と一枚の短い布による物である。
二十一条、二十三条、二十五条の大衣は、四枚の長い布と一枚の短い布による物である。
二十五条を超過する大衣は、法衣の法を破る事に成ってしまう」と言った。
優婆離は、釈迦牟尼仏に、「釈迦牟尼仏様、何種類の『僧伽胝衣』、『大衣』が有るのでしょうか?」と言った。
釈迦牟尼仏は、「三種類、有る。
上、中、下の三種類である。
上は、縦三肘、横五肘である。
下は、縦二肘半、横四肘半である。
上と下の間の物を『中』と名づける」と言った。
(一肘は約五十センチメートル。)
優婆離は、釈迦牟尼仏に、「釈迦牟尼仏様、『嗢咀羅僧伽衣』、『七条衣』の条数は、いくつ有るのでしょうか?」と言った。
釈迦牟尼仏は、「七条だけである。二枚の長い布と一枚の短い布による物である」と言った。
優婆離は、釈迦牟尼仏に、「釈迦牟尼仏様、何種類の『嗢咀羅僧伽衣』、『七条衣』が有るのでしょうか?」と言った。
釈迦牟尼仏は、「三種類、有る。
上、中、下の三種類である。
上は、縦三肘、横五肘である。
下は、縦二肘半、横四肘半である。
上と下の間の物を『中』と名づける」と言った。
優婆離は、釈迦牟尼仏に、「釈迦牟尼仏様、『安咀婆娑衣』、『五条衣』の条数は、いくつ有るのでしょうか?」と言った。
釈迦牟尼仏は、「五条である。一枚の長い布と一枚の短い布による物である」と言った。
優婆離は、釈迦牟尼仏に、「釈迦牟尼仏様、何種類の『安咀婆娑衣』、『五条衣』が有るのでしょうか?」と言った。
釈迦牟尼仏は、「三種類、有る。
上、中、下の三種類である。
上は、縦三肘、横五肘である。
中と下も上と同じである」と言った。
釈迦牟尼仏は、「『安咀婆娑衣』、『五条衣』にはまた二種類、有る。
(一)縦二肘、横五肘
(二)縦二肘、横四肘
『僧伽胝衣』、『大衣』は、『重複衣』と訳す。
『嗢咀羅僧伽衣』、『七条衣』は、『上衣』と訳す。
『安咀婆娑衣』、『五条衣』は、『下衣』と訳す。
『安咀婆娑衣』、『五条衣』はまた、『内衣』とも言う。
『僧伽胝衣』は、『大衣』である。
『僧伽胝衣』、『大衣』は、『入王宮衣』、『説法衣』とも言う。
『嗢咀羅僧伽衣』、『鬱多羅僧衣』は、『七条衣』である。
『嗢咀羅僧伽衣』、『鬱多羅僧衣』、『七条衣』は、『中衣』、『入衆衣』とも言う。
『安咀婆娑衣』、『安陀会』は、『五条衣』である。
『安咀婆娑衣』、『安陀会』、『五条衣』は、『小衣』、『行道衣』、『作務衣』とも言う」と言った。
「五条衣と七条衣と、九条衣などの大衣」という「三衣」を必ず護って保持するべきである。
また、「僧伽胝衣」、「大衣」には「六十条の袈裟」、「六十条衣」が有る。必ず受けて保持するべきである。
人の寿命が八万歳の時代から、人の寿命が百歳の時代に至るまで、寿命の増減に従って、身の量の長短が有る。
「人の寿命が八万歳の時代と、人の寿命が百歳の時代は、身長が異なる」という説が有るし、「人の寿命が八万歳の時代と、人の寿命が百歳の時代は、身長が同じである」という説が有るが、「人の寿命が八万歳の時代と、人の寿命が百歳の時代は、身長が同じである」という説を正しい伝承とする。
仏と人は、身の量が遥かに異なる。
人の身は測る事ができる。
仏の身は最終的には測り知る事ができない。
このため、迦葉仏の法衣を、釈迦牟尼仏は着たが、長くないし、広くない。
釈迦牟尼仏の法衣を、弥勒如来、弥勒菩薩が着ても、短くないし、狭くないであろう。
仏の身は長短ではない道理を、明らかに見、決断し、明らかに悟り、注意して調べるべきなのである。
大梵天王は、高い色界にいるが、仏の頂上を見る事ができない。
目犍連は、遥かな光明幡世界へ至ったが、仏の音声を究める事ができなかった。
仏の音声は、遠い者も近い者も同じく見聞きできるが、実に、不可思議な物なのである。
如来、仏の一切の功徳は皆、仏の音声のような物なのである。
仏の功徳を念じるべきである。
法衣を裁縫するには、割截衣、揲葉衣、摂葉衣、縵衣が有るが、共に、作法なのである。
得た素材に従って、受けて保持するべきである。
釈迦牟尼仏は、「過去、現在、未来の仏の法衣は、必ず、返し縫いである」と言っている。
法衣の素材を得る方法は、清浄な方法を「善である」とする。
「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」を「最上に清浄である」とする。
過去、現在、未来の諸仏は共に、「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」を「清浄である」とする。
その他、布施をする信心深い在家信者が布施した衣もまた清浄なのである。
また、「浄財」、「寄付された金銭」で市場で買った衣もまた清浄なのである。
法衣を作るには期限が有るが、末法の世なのであるし、日本は遠方の辺境の国なので、信心が催したら、裁縫でき得たら、受けて保持するのに越した事は無いであろう。
在家信者の人や天人であっても、法衣を受けて保持する事は、大乗の最も究極の秘訣なのである。
今は、大梵天王と帝釈天は共に、法衣を受けて保持している。
欲界と色界の優れた行跡なのである。
人の間では、数え切れないほどの、在家信者の人々が、法衣を受けて保持している。
在家者の修行者は皆、共に、法衣を受けて保持している。
中国では、梁の武帝と、隋の煬帝は共に、法衣を受けて保持していた。
唐の粛宗と、代宗は共に、法衣を着て、僧の学に参入して、「菩薩戒」を受けて保持した。
その他、在家者の修行者、女性など、法衣を受けて、仏の戒を受けた仲間は、古今の優れた行跡なのである。
日本では、聖徳太子が、法衣を受けて保持し、法華経や勝鬘経などを読んだ時、天から雨のように宝華が降る、吉兆である不思議な現象が起きた。
この時から今まで、仏法は我が国、日本に広まっている。
聖徳太子は、摂政であったが、人や天人の導師なのである。
聖徳太子は、仏の使いであり、生者の父や母なのである。
今、私の国、日本は、法衣の「体、色、量」、「素材、色、量」を共に誤っているが、「袈裟」、「法衣」という名前を見聞きできるのは、聖徳太子の力による物なのである。
聖徳太子が、当時、邪法を打ち砕き、正しい仏法を打ち立てなければ、今日の日本は悲しむべき状況であったであろう。
後には、聖武天皇もまた法衣を受けて保持し、「菩薩戒」を受けた。
そのため、たとえ帝位であっても、臣下であっても、急いで法衣を受け保持し、「菩薩戒」を受けるべきである。
人の身の喜びは、これよりも優れている物は無いのである。
ある人は、「在家信者が受けて保持する法衣を、『単縫』、『俗服』と名づける。(在家信者が受けて保持する法衣は、)返し縫いで未だ縫っていないのである」と言った。
また、ある人は、「在家信者が道場に趣く時は、三種類の法衣と、歯磨きのために噛む木の枝と、洗浄するための水、食器、坐具を備えて、出家者のように『浄行』、『清浄な行い』を修行するべきである」と言った。
古代の高徳の僧の伝承は、このようなのである。
ただし、仏祖が単一に伝えて来ている法では、国王、大臣、在家者の修行者、国民に授ける法衣は皆、返し縫いなのである。
三十三祖の大鑑禅師は、寺の雑務を行う在俗者である「行者」の時に、仏の法衣を正しく伝えられたが、優れた行跡なのである。
法衣は、仏の弟子の印なのである。
もし法衣を受けて保持し終わっているならば、毎日、法衣を頭の上に捧げ持つべきである。
法衣を頭より上の高い場所に安置して、合掌して、次のような詩を唱える。
「大いなるかな、『解脱服』よ、『無相衣』よ、『福田衣』よ(、『法衣』よ)。如来、仏の教え(として法衣)を着れば、諸々の生者を広く仏土へ渡す」
こうしてから法衣を着るべきである。
法衣を「師である」と思うべきであるし、「仏塔である」と思うべきである。
法衣を洗って、頭の上に捧げ持つ時も、先の詩を唱えるのである。
釈迦牟尼仏は、「頭の髭と髪を剃って法衣を着れば、諸仏が加護する。一人で出家すれば、天人が捧げものを捧げる」と言った。
明らかに知る事ができる。
頭の髭と髪を剃って法衣を着てから、一切の諸仏が加護しているのである。
諸仏の加護によって、無上普遍正覚の功徳が円満するのである。
この人に天人達も人達も共に捧げものを捧げるのである。
次のように、釈迦牟尼仏は、智光という出家者に言った。
法衣で十の勝利を得られるのである。
(一)身を覆う事ができて羞恥を遠く離れる事ができるし、反省を十分に備えて善い法を修行できる。
(二)寒さや熱さと、蚊や、悪獣や、毒虫を遠く離れる事ができて安穏として仏道を修行できる。
(三)出家者の相貌を示して現す事ができて、見る者を喜ばせて邪悪な心から遠く離れさせる事ができる。
(四)「袈裟」、「法衣」は人や天人の「宝幢」、「法幢」、「旗」である「仏法」の相で、尊重して敬礼すれば、「大梵天」に生まれる事ができ得る。
(五)「袈裟」、「法衣」を着た時に、「『仏法』は『宝幢』、『法幢』、『旗』である」という想いを生じれば、多くの罪を滅ぼす事ができるし、諸々の幸福をもたらす功徳を生じる事ができる。
(六)本から「袈裟」、「法衣」の制作で、法衣を染めて汚く濁った色にさせて、「色声香味触」への「五欲」の想いから離れさせる事ができて、貪欲な愛着を生じさせない事ができる。
(七)「袈裟」、「法衣」は仏の清浄な衣である。永遠に煩悩を断つ事ができるし、良い「福田」、「幸福を生じる源である田畑」に成るからである。
(八)身に「袈裟」、「法衣」を着れば、罪の業を消して除去できるし、十善業道を念々「増上」、「成長」させる事ができる。
(九)「袈裟」、「法衣」は良い「福田」、「幸福を生じる源である田畑」のような物なのである。菩薩の道を善く「増上」、「成長」させる事ができるからである。
(十)「袈裟」、「法衣」は甲冑のような物なのである。煩悩という毒矢で害する事ができないからである。
智光よ、知るべきである。
このような「因縁」、「理由」によって、過去、現在、未来の諸仏や、「縁覚」、「独覚」や、声聞といった清浄な出家者は、身に「袈裟」、「法衣」を着て、「三聖」、「仏や菩薩、独覚、声聞」は同じく、解脱という宝の床で坐禅して、智慧という剣を取って、煩悩という「魔」、「仏敵」を破って、共に、「一味の」、「実体は唯一である」諸々の涅槃の世界に入る。
釈迦牟尼仏は、その時、次のような詩を言った。
出家者の智光よ、善く聴くべきである。
大いなる「福田衣」、「法衣」によって十の勝利が有る。
世間の衣服は欲による汚染を増やしてしまう。
如来の法服は、世間の衣服のように汚染を増やさない。
法服は世の羞恥を遮る事ができる。
反省を円満にして「福田」、「幸福を生じる源である田畑」を生じる。
寒さや熱さと、毒虫を遠く離れる事ができる。
道心を堅固にして究極を得る事ができる。
出家者を示して現して、貪欲を離れる事ができる。
「五見」、「五つの邪悪な見解」を断って除去して、正しく修行できる。
「袈裟」、「法衣」の「宝幢」、「法幢」、「旗」である「仏法」の相を仰いで礼拝して、恭しく敬えば、大梵天王の幸福を生じる事ができる。
仏の弟子が法衣を着て「法衣は仏塔である」という想いを生じれば、幸福を生じる事ができるし、罪を滅ぼす事ができるし、人や天人に感化を与える事ができる。
心を慎んで容貌に敬意が現れれば、真の出家者である。
諸々の、俗世という「塵」、「汚れ」に汚染されない。
諸仏は、(法衣を)たたえて、良い「福田」、「幸福を生じる源である田畑」と見なす。
利益と安楽を生者にもたらすには、法衣が最も優れていると見なす。
「袈裟」、「法衣」の「神力」、「不思議な力」は不思議なのである。
「菩提」、「悟り」のための修行の種を植えさせる事ができる。
春の苗のように、仏道の芽が「増上」、「成長」する。
「菩提」、「悟り」という妙なる果実は、秋の果実に似ている。
堅固さは真に金剛の甲冑のようで、煩悩という毒矢で害する事はできない。
私は、今、略して、法衣による十の勝利をたたえた。法衣について長い時間、広く説いても無限だからである。
もし、ある竜が身に「一縷」、「一本の糸」、「わずか」でも法衣を着れば、金翅鳥の王に食べられる事から脱する事ができ得る。
もし人が海を渡る時に、法衣を保持すれば、「龍魚」や諸々の霊による災難を怖れない事ができる。
雷電が雷鳴して天が怒っても、「袈裟」、「法衣」を着ている者は恐れない事ができる。
もし在家者が(法衣を)親しく捧げ持てば、一切の悪霊は近づく事ができない。
もし発心して出家を求めて、世間を嫌って離れて仏道を修行すれば、十方の「魔」、「仏敵」の宮殿は皆、振動するし、この人は速やかに法の王である仏の身を証する。
法衣による十の勝利は、広く仏道の諸々の功徳を十分に備えている。
経典に、行数が長い散文や、韻文で記されている、法衣のあらゆる功徳を明らかにして学に参入するべきである。
経典を開いて調べて見て、早々に置いておく事なかれ。
一句、一句に向かい、長い間、参入するべきである。
法衣による十の勝利は、法衣だけの功徳なのであり、修行者の激しい鋭利な常時の修行の力による物ではないのである。
釈迦牟尼仏は、「『袈裟』、『法衣』の『神力』、『不思議な力』は不思議なのである」と言った。
凡人や賢者や聖者は測り知る事ができないのである。
「速やかに法の王である仏の身を証する」時は、必ず、法衣を着ているのである。
法衣を着ていない者が「法の王である仏の身を証した」事は、昔から、未だかつて無いのである。
最も第一に清浄な法衣の素材は、「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」なのである。
「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」の功徳は、遍く、大乗や小乗の経典の中で明らかなのである。
広く学んで質問するべきである。
「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」以外の法衣の素材もまた、兼ね合わせて、明らめるべきである。
仏から仏へ、祖師から祖師へ、必ず、明らめて、正しく伝えている物なのであり、他のものは及ぶ事ができないのである。
次のように、中阿含経には記されている。
また、次に、皆さん、ある一人は、身では清浄な行いであるが、口と意では不浄な行いであり、もし知者が見て、怒りを生じたら、怒りを除去するべきである。
皆さん、ある一人は、身では不浄な行いであるが、口と意では清浄な行いであり、もし知者が見て、怒りを生じたら、怒りを除去するべきである。
どのように怒りを除去するべきであるのか?
皆さん、「阿練若の」、「阿蘭若の」、「人里離れた静かな場所にいる」出家者が「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」を拾うように怒りを除去するべきである。
「人里離れた静かな場所にいる」出家者は、「糞掃」、「ぼろきれ」の中の捨てられた破れた衣を見つける。
大便で汚れていたり、小便や涙や鼻水や唾で汚れていたり、他の不浄な物で汚染されていたりする。
「人里離れた静かな場所にいる」出家者は、汚染されている部分を見終わると、左手で破れた衣を取って、右手で伸ばして張って、大便や小便や涙や鼻水や唾や他の不浄な物で汚れていない部分で、穴が穿たれていない部分を、裂いて取る。
このように、皆さん、ある一人は、身では不浄な行いであるが、口と意では清浄な行いであれば、身での不浄な行いを思う事なかれ。
口と意での清浄な行いだけを思うべきである。
もし知者が見て、怒りを生じたら、怒りを除去するべきである。
これが、「阿練若の」、「阿蘭若の」、「人里離れた静かな場所にいる」出家者が「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」を拾うように怒りを除去する法なのである。
四種類の「糞掃」、「ぼろきれ」が有るし、十種類の「糞掃」、「ぼろきれ」が有る。
「糞掃」、「ぼろきれ」を拾う時は、まず、穴が穿たれていない部分を選び取る。
次に、大便や小便が長い間、染みて、染みが深くて洗浄できない部分は取るべきではない。
洗浄できる部分は取るべきなのである。
十種類の「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」
(一)牛嚼衣
(二)鼠噛衣
(三)火焼衣
(四)月水衣
(五)産婦衣
(六)神廟衣
(七)塚間衣
(八)求願衣
(九)王職衣
(十)往還衣
これらの十種類の「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」は、人が捨てた物であるし、人の間では用いない物である。
これらを拾って法衣の清浄な素材とするのである。
「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」は、過去、現在、未来の諸仏がたたえる物なのであるし、用いて来ている物なのである。
そのため、「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」は、人や天人や竜などが重んじて擁護する物なのである。
「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」を拾って法衣を作るべきである。
「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」は、最も第一に清浄な法衣の素材なのであるし、最も第一に清浄なのである。
今、日本には、このような「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」は無い。
たとえ求めようとしても出会えない。
日本が辺境の僻地の小国である事を悲しむべきである。
布施をする在家信者が寄付した「浄財」、「寄付された金銭」だけを用いるべきである。
人や天人が寄付した「浄財」、「寄付された金銭」を用いるべきである。
または、清浄な生活によって得た物で市場で売買して(法衣の素材を買って)法衣の素材で法衣を作るべきである。
「糞掃」、「ぼろきれ」や、清浄な生活で得た法衣の素材は、絹でもないし、絹以外の物でもないし、金銀や宝石ではないし、模様が織られた絹の布や、錦と刺繍を施した布ではない。
「糞掃衣」、「ぼろきれによる衣」なのである。
「糞掃」、「ぼろきれ」は、衣が破れたための物ではないし、美しい服を作るための物ではない。
「糞掃」、「ぼろきれ」は、仏法のためだけの物なのである。
「糞掃」、「ぼろきれ」を用いて着る事は、過去、現在、未来の諸仏の「皮肉骨髄」、「理解」を正しく伝えている事なのであるし、「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を正しく伝えている事なのである。
法衣の功徳は、人や天人に質問するべきではない。
仏祖によって、法衣の功徳の学に参入するべきである。
正法眼蔵 袈裟功徳
私、道元が、宋の時代の中国にいた昔、床で坐禅して鍛錬していた時、肩を並べている隣人の僧を見ると、「開静の」、「坐禅を止めて床を離れる」時ごとに、法衣を捧げ持って頭より上の高い場所に安置して、合掌して恭しく敬い、ある詩を暗唱していた。
その詩とは、「大いなるかな、『解脱服』よ、『無相衣』よ、『福田衣』よ(、『法衣』よ)。如来、仏の教え(として法衣)を着れば、諸々の生者を広く仏土へ渡す」であった。
私、道元は、その時、「未だかつて見た事が無い物を見る事ができた」という思いを生じて、喜びが身に余り、感激の涙が密かに落ちて法衣の襟を浸した。
その主旨は、昔、阿含経を開いて調べて見た時、「法衣を頭の上に捧げ持つ」という文を見たが、作法を未だ明らめていなかったのである。
私、道元は、目の当たりにして見て喜び、次のように、密かに思った。
憐れむべきである。
郷土にいた時は、教えてくれる師匠もいなかったし、勧めてくれる「善友」、「善知識を持つ人々」もいなかった。
どれほど、いたずらに無駄に、過ぎる時間を惜しまなかったのか?
悲しくないか?
見聞きできた前世の善行を喜ぶべきである。
もし、いたずらに無駄に、郷土の中にいたら、仏の法衣を伝承されて着て用いている僧と肩を並べる事はでき得なかったであろう!
悲しみと喜びは尋常ではない。
感激の涙が千、万に無数に流れて行く。
私、道元は、その時、密かに願いを起こした。
どうにかして、私は「不肖である」、「師に似ず愚かである」が、仏法の正統な後継者と成り、正しい仏法を正しく伝えて、郷土の生者を憐れんで、仏祖が正しく伝えている法衣と仏法を見聞きさせよう。
この時の願いは虚偽には成らず、法衣を受けて保持している在家信者や出家者の修行者は多いので、喜んでいる。
法衣を受けて保持している仲間は、必ず、昼夜に、頭の上に捧げ持つべきである。
特に優れている、最も優れている功徳に成る。
真理の一つの詩、一つの句を見聞きする事は、経が樹や石に記された因縁も有るし、遍く見聞きできて「九道」、「九有情居」に限られないのである。
法衣を正しく伝えられた功徳は、十方で出会い難いし、わずかに一昼夜であっても、最も優れている、最上の功徳なのである。
千二百二十三年か千二百二十四年に、高麗の僧が二人、中国の慶元府に来た。
一人は智玄と言い、もう一人は景雲と言う。
二人は、しきりに仏の経の意味を話していて、更に、文学者であった。
けれども、法衣は無いし、器も無いし、俗人のようであった。
憐れむべきである。
出家者の姿形であっても出家者の作法が無いのである。
辺境の僻地の小国のせいであろう。
日本の出家者の姿形の仲間は、外国へ行ったら、智玄達と同様であろう。
釈迦牟尼仏は、十九歳から十二年間、法衣を頭の上に捧げ持って、差し置かなかった。
既に、釈迦牟尼仏の法の遠い子孫なのである。
法衣を頭の上に捧げ持つ事を学ぶべきである。
いたずらに無駄に、名声や利益のために、天を礼拝したり、天人を礼拝したり、王を礼拝したり、役人を礼拝したりしている頭を巡らして、仏の法衣を頭の上に捧げ持って礼拝して「回向したら」、「布施などの功徳を分け与える相手について祈ったら」、喜ぶべきなのである。
時に、千二百四十年、観音導利興聖宝林寺にいて僧達に示した。




