正法眼蔵 自証三昧
過去七仏を含む諸仏から、仏から仏へ、祖師から祖師へ、正しく伝えられている物は、「自証三昧」、「自己を証する三昧」なのである。
「自己を証する三昧」とは、善知識を持つ人々に従う事なのであるし、経典に従う事なのである。
「自己を証する三昧」とは、仏祖の「眼睛」、「見る眼」なのである。
このため、曹谿山の、古代の仏と等しい、三十三祖の大鑑禅師は、南嶽の懐譲に「また修行と証を借りるか否か?」と質問した。
南嶽の懐譲は、「修行と証が無いわけではないが、汚染するのは駄目である」と言った。
そのため、知るべきである。
汚染させない修行と証が、仏祖なのであるし、仏祖三昧の雷鳴と風と雷なのである。
善知識を持つ人々に従う時、半面と見えたり、
半身と見えたり、
全面と見えたり、
全身と見えたりする。
善知識を持つ人々に従う時、半分の自己と見える事が有るし、半分の他者と見える事が有る。
善知識を持つ人々に従う時、天人の面々が、体が毛で覆われているのを証するし、
霊の面々が、角をつけているのを証する。
善知識を持つ人々に従う時、「異類(中)行」、「多様な種類の者達の中を行く」者が、他のものに従って来る事が有るし、
「同条生」、「同じ枝から生じている」者が、異なる者に変わって去る事が有る。
これらのような時に、法の為に身を捨てるのは、幾千万回か知らないし、
身の為に法を求めるのは、幾億百劫か知らない。
これらが、善知識を持つ人々に従う時の生活の様子なのであるし、
自己に参入して自己に従う様子なのである。
「(拈華)瞬目」に見える時、「破顔(微笑)」が有るし、
「得髄」、「髄の会得」を礼拝する時、「断臂する」、「腕を断つ」。
(釈迦牟尼仏が「拈華瞬目」すると初祖の迦葉が「破顔微笑」した。)
(「二十九祖の慧可は『断臂得髄』した」と言われている。)
過去七仏の前後で、三十三祖の大鑑禅師の左右で、自己と見えた、善知識を持つ人々は、一人だけではないし、二人だけではないし、
他者と見えた、善知識を持つ人々は、昔いただけではないし、現在いるだけではない。
経典に従う時、自己の「皮肉骨髄」、「理解」に参入して究めて脱ぎ落とす時、桃の華を見る眼が自然に突然に出て来て見える事ができるし、
竹の音声を聞く耳が自然に雷鳴のように聞く事ができる。
経典に従って学ぶ時、実に、経典が出て来る。
経典とは、尽十方界なのであるし、
山や河や大地なのであるし、
草木なのであるし、
自己や他者なのであるし、
御飯を食べる事なのであるし、
衣を着る事なのであるし、
一時の振る舞いなのである。
これらの一つ一つの経典に従って仏道を学び修行すると、さらに、未だかつて無かった経典が幾千万巻と無く目の前に出現するのである。
「である」という言葉の、真理の詩が有って、「宛然」、「そっくりそのまま」なのであるし、
「ではない」という言葉の、真理の詩が新たに、「歴然」、「明らか」なのである。
これらに会えて、身心をひねって学に参入すると、長い時間を使い切ったり、長い時間が経ったりしても、必ず、通じて利益を得る到達が有るし、
身心を手放して学に参入すると、前兆を抉り出したり、前兆を超越したりしても、必ず、受け取って保持する功績を成すのである。
現在、西のインドのサンスクリット語の文書を、東の地の中国で仏法の本に訳した物は、わずか五千巻未満である。
この中に、三乗、五乗、九部(経または九分教)、十二部(経または十二分教)が有る。
これらは皆、従って学ぶべき経典なのである。
「従わない」と回避しようとしても回避でき得ないのである。
このため、「眼睛」、「見る眼」と成ったり、「私の髄」と成ったりして来ている。
「頭が正しいので尾も正しい」のである。
他の者から経典を受け取るし、経典を他の者へ授けるが、ただ「眼睛」、「見る眼」を活かして出しているのであるし、自己や他者を脱ぎ落とすのであるし、
ただ「私の髄」を付属するのであるし、自己や他者を透過して脱ぎ落とすのである。
「眼睛」、「見る眼」と「私の髄」は、自己だけの物ではないし、他者の物ではないので、仏祖は昔から昔へ正しく伝えて来たし、今から今へ付属するのである。
杖という経が有り、縦横に説くし、自然に空を破るし「有」、「存在」を破る。
害虫を払うための毛がついた棒である払子という経が有り、雪を払い除けるし、霜を払い除ける。
坐禅という経が一つの会の座、二つの会の座、有る。
袈裟という経が一巻、十巻、有る。
これらは、諸々の仏祖が護って保持する物なのである。
このような経典に従って、修行して証して、道を会得するのである。
天人の「面」、「有様」や、
人の「面」、「有様」や、
太陽の「面」、「有様」や、
月の「面」、「有様」を存在させて、経典に従う鍛錬が形成されて現されるのである。
たとえ善知識を持つ人に従っても、たとえ経典に従っても、自己に従っているのである。
善知識は、自然に、自己の善知識に成るのである。
経典は、自然に、自己の経典に成るのである。
善知識を遍く訪ねる事は、自己を遍く訪ねる事に成るのであるし、
「百草万木」、「森羅万象」をひねる事は、自己をひねる事に成るのである。
「自己とは、必ず、このような鍛錬なのである」として学に参入するのである。
自己という学への参入によって、自己を脱ぎ落とすのであるし、自己を証に適わせるのである。
このため、仏祖の大いなる仏道には、「自証」、「自己を証する」や「自悟」、「自己を悟る」日常の道具が有り、正統な後継者である仏祖でなければ正しく伝えてもらえない。
「自己を証する」という正統に代々伝承する日常の道具が有り、仏祖の「骨髄」、「理解」が無ければ正しく伝えてもらえない。
このように学へ参入するので、人の為に伝授する時は、「あなたは私の髄を会得した」という付属の存在が有るのであるし、
「私(、釈迦牟尼仏)には『正法眼蔵』、『正しくものを見る眼』が有り、摩訶迦葉に付属する」のである。
人の為に説く事は、必ずしも自己や他者と無関係なのであるし、
他者の為の説明は、自己の為の説明に成るのである。
自己は自己と同じく参入して聞いたり説いたりするのである。
一つの耳は聞くし、一つの耳は説く。
一つの舌は説くし、一つの舌は聞く。
「眼耳鼻舌身意」という「六根」や、「眼(識)耳(識)鼻(識)舌(識)身(識)意識」という「六識」や、「色声香味触法」という「六塵」なども同様なのである。
さらに、一つの身と一つの心が有って、修行する事が有るし、証する事が有る。
耳は自然に聞いたり説いたりするのであるし、
舌は自然に聞いたり説いたりするのである。
「昨日は他者の為に不定法を説き、今日は自己の為に定法を説く」のである。
このような日々の「面」、「有様」が連なり、月々の「面」、「有様」が連なる。
他者の為に仏法を説いて修行する事は、(自己が)生から生へ仏法を聞いて明らめて証する事に成るのである。
今の生でも他者の為に仏法を説く誠心誠意が有れば、自己が仏法を会得する事は簡単なのである。
他者が仏法を聞く事を助けたり勧めたりすれば、自己が仏法を学ぶ良い手段を得られるのである。身の中で手段を得られるのであるし、心の中で手段を得られるのである。
他者が仏法を聞く事を妨害してしまえば、自己が仏法を聞く事を妨害されてしまうのである。
(自己が)生から生へ、身から身へ、仏法を説いたり聞いたりする事は、世から世へ仏法を聞ける事に成るのである。
前世までに自己が正しく伝えていた仏法を、さらに今世でも聞ける事に成るのである。仏法の中に生じ、仏法の中に滅ぶので。
(自己が)尽十方界の中で仏法を正しく伝えたのであれば、(自己が)生から生へ聞ける事に成るのであるし、身から身へ修行できる事に成るのである。
(そうすれば、)生から生を仏法に形成させて現させるし、身から身を仏法に成らせるので、一つの塵も法界も共にひねって来て仏法を証させる事に成るのである。
そのため、東で経典を一句でも聞いて、西へ来て一人の為にでも説くべきである。
これは、一つの自己によって、聞いて明らめたり説明したりする事を唯一普遍に鍛錬する事に成るのであるし、
東の自己と西の自己を一斉に修行して証する事に成るのである。
なんとしても、仏祖の仏法、仏道を、自己の身心に近づけて、営む事を喜び、望み、志すべきである。
仏法を営む事を一時から一日へ、一年から一生へ保持して、一生の営みとするべきである。
仏法を精魂として、精魂を弄するべきなのである。
このようにする事を「生から生へ虚しく過ごさない」とするのである。
それなのに、「仏法を未だ明らめていなければ、人の為に説くべきではない」と思う事なかれ。
仏法を明らめる事を待てば、無数の劫が経っても、かなわない。
たとえ人間の仏を明らめたとしても、さらに天の仏を明らめるべきである。
たとえ「山」の心を明らめたとしても、さらに「水」の心を明らめるべきである。
たとえ「因縁生法」、「因縁がものを生じる事」、「因縁が生じさせたもの」を明らめたとしても、さらに「非因縁生法」、「因縁が生じさせたのではないもの」を明らめるべきである。
たとえ仏祖の辺を明らめたとしても、さらに仏祖の向上を明らめるべきである。
これらを一生で明らめ終わった後に、他者の為に説こうとする者は、鍛錬が無いのであるし、一人前ではないのであるし、学への参入が無いのである。
仏祖の仏道を学び修行する事は、一つの物事の学に参入してから、他者の為という心意気を天を突くように盛んにさせるのである。
このため、自己や他者を脱ぎ落とす事に成るのである。
さらに、自己に参入し徹せば、以前から他者に参入し徹している事に成るのである。
よく他者に参入し徹せば、自己に参入し徹している事に成るのである。
この仏の事は、たとえ「生知でも」、「生まれながらにして知っていても」、師からの伝承がなければ体得して通達できない。
「生知」、「生まれながらにして知っている」人は、未だ師に出会えなければ、「不生知」、「生まれながらでは知る事ができない知」を知らないし、「不生不知」、「生を超越している知」を知らない。
たとえ「生知でも」、「生まれながらにして知っていても」、仏祖の大いなる仏道は知る事ができないし、学んで知る事ができるのである。
自己を体得して通達し、他者を体得して通達するのが、仏祖の大いなる仏道なのである。
自己の初心の時の学への参入に思いを巡らせて、他者の初心の時の学への参入に同じく参入するべきである。
初心の時から、自己が他者と共に同じく参入して行くと、究極に同じく参入して到達でき得るのである。
自己の鍛錬であるかのように、他者に鍛錬を勧めるべきである。
それなのに、「自証」や「自悟」などの言葉を聞いて、粗末な人は、誤って「師は伝授できない。自己だけで学ぶ事ができる」と思ってしまう。これは大きな誤りなのである。
「自解」、「師から教わらずに自己だけで(誤って)理解してしまう事」によって、思量分別を誤って巡らせて師からの伝承が無い者は、西のインドの「天然」、「自然」、「原因が無く自然と物事は成るという誤った見解」の外道のような者なのである。
これをわきまえていない輩が、どうして仏道の人であろうか? いいえ! 仏道の人ではない!
まして、「自証」という言葉を聞いて、誤って「『積聚』、『積み重なって一つに成った物』である『色受想行識』という『五陰』、『五蘊』の事なのであろう」と思ってしまえば、「小乗」、「矮小な乗り物」、「劣悪な段階」の者の「自調」、「自己だけを調教して自己だけが悟ろうとする事」と同じであろう。
「大乗」と「小乗」、「矮小な乗り物」、「劣悪な段階」をわきまえていない輩の多くが「仏祖の法の子孫である」と自称する。
けれども、明らかな見る眼を持つ人の誰が、だまされるであろうか? いいえ! だまされない!
中国の宋の紹興の時代に、径山に、大慧宗杲と言う僧がいた。
大慧宗杲は、元は、経典の学者であった。
大慧宗杲は、諸方を行脚した時に、宣州の紹理という僧に従って、雲門文偃の「公案」、「修行者への手がかりとしての言動」の批評と、雪竇重顕の「公案」、「修行者への手がかりとしての言動」の詩での説明と批評を学んだ。
大慧宗杲が、仏祖の所へ行って学ぶ事の初めである。
大慧宗杲は、雲門文偃の家風を会得できず、終に洞山道微の所へ行って学んだが、
洞山道微は、終に奥義を大慧宗杲に許さなかった。
洞山道微は、四十五祖の芙蓉道楷の法の子であり、いたずらな末席の人と並べるべきではない。
大慧宗杲は、やや久しく洞山道微の所へ行って学んだが、洞山道微の皮肉骨髄を探り当てる事ができず、まして、「『塵』、『汚れ』の中の『眼睛』、『見る眼』が有る」とすらも知らなかった。
大慧宗杲は、ある時、「仏祖の仏道には『臂香して』、『腕を香で焼いて』、『嗣書する』、『師弟の系譜の書を嗣ぐ』作法が有る」とだけ聞いて、しきりに「嗣書する」、「師弟の系譜の書を嗣ぐ」事を洞山道微に請い願った。
けれども、洞山道微は、大慧宗杲に「嗣書する」、「師弟の系譜の書を嗣ぐ」事を許さなかった。
終には、洞山道微は、「あなた、大慧宗杲よ。『嗣書する』、『師弟の系譜の書を嗣ぐ』事を求めるならば、軽率である事なかれ。
すぐに、当然に必然的に、鍛錬して学ぶ事に勤めるべきである。
仏祖は、授ける時は、妄りに授けない。
私、洞山道微は、授ける事を惜しんでいるわけではない。
ただ、あなた(、大慧宗杲)は、未だ、見る眼を備えていない」と言った。
その時、大慧宗杲は、「(私、大慧宗杲は、)正しくものを見る眼を本から備えていて、『自証できる』、『自己だけで証する事ができる』し、『自悟できる』、『自己だけで悟る事ができる』。どうして、(私、大慧宗杲に)授けない事が有って良いであろうか? いいえ!」と言った。
洞山道微は、笑って、話を止めた。
大慧宗杲は、後に、湛堂文準の所へ行った。
湛堂文準は、ある日、大慧宗杲に、「あなた(、大慧宗杲)の『(真理を嗅ぎ分ける)鼻の孔』は、なぜ、今日は半分、無いのか?」と質問した。
大慧宗杲は、「宝峰の湛堂文準の門下生だからです」と言った。
湛堂文準は、「(大慧宗杲は、)杜撰な僧である」と言った。
また、湛堂文準は、大慧宗杲が経を看ている時に、「どんな経を看ているのか?」と質問した。
大慧宗杲は、「金剛経です」と言った。
湛堂文準は、「法は平等で、(法には)高い、低いは無い。(それなのに、)なぜ、雲居山は高くて、宝峰山は低いのか?」と言った。
大慧宗杲は、「法は平等で、高い、低いは無いのです(。気にしないのです)」と言った。
湛堂文準は、「(その誤った答えでは、例えば、)あなた(、大慧宗杲)は、この寺の『座主』、『最高の僧』に成り得てしまう」と言った。
また、湛堂文準は、ある日、死者の裁判官である十王の像を(「幞頭」という「頭巾」などで)飾る所を見て、大慧宗杲に、「これらの裁判官達(、十王)の姓は何であるのか?」と質問した。
大慧宗杲は、「(十王の)姓は(湛堂文準の姓である)梁です」と言った。
湛堂文準は、手で自分の頭を撫でて、「(私、湛堂文準も、)姓が奥底まで梁であるのに、なぜ、あの『幞頭』という『頭巾』が無いのか?」と言った。
大慧宗杲は、「『幞頭』という『頭巾』が無くても、鼻の孔は似ていて髣髴とさせます」と言った。
湛堂文準は、「(大慧宗杲は、)杜撰な僧である」と言った。
また、湛堂文準は、ある日、大慧宗杲に、「大慧宗杲よ。
あなた(、大慧宗杲)は私の禅を『一時に』、『一度で』、『理解』、『会得』でき得る可能性が有る。
あなた(、大慧宗杲)に説かせれば、説く事ができ得る可能性が有る。
あなた(、大慧宗杲)に学へ参入させれば、学へ参入する事ができ得る可能性が有る。
あなた(、大慧宗杲)に『公案』、『修行者への手がかりとしての仏祖の言動』を詩で説明させたり批評させたり、説法させたり、重ねて教えを請わせたりすれば、でき得る可能性が有る。
あなた(、大慧宗杲)は、ただ、一つの事が未だでき得ないのである。
あなた(、大慧宗杲)は、わかっていますか?」と質問した。
大慧宗杲は、「(私、大慧宗杲は、)どんな事が未だでき得ないのでしょうか?」と言った。
湛堂文準は、「あなた(、大慧宗杲)は、ただ、ある理解を欠いている。
うん。
もし、この、ある理解を得ていなければ、私(、湛堂文準)が一丈四方の部屋で、あなた(、大慧宗杲)のために説いている時は禅が有るが、あなた(、大慧宗杲)が、わずかでも部屋を出たら禅は無く成ってしまう。
あなた(、大慧宗杲)が、意識を明確に保って思量している時は禅は有るが、わずかでも眠りにつけば禅は無く成ってしまう。
このようであれば、どうして生死に対応でき得るであろうか? いいえ! 生死に対応できない!」と言った。
大慧宗杲は、「正に、これを大慧宗杲は疑っていた所です」と言った。
その後、何年か経って、湛堂文準は病気に成った。
大慧宗杲は、「和尚様、湛堂文準様の死後、大慧宗杲は、誰を頼れば、この大事を終わらせる事ができますか?」と質問した。
湛堂文準は、「巴州の圜悟克勤と言う人がいます。
私も圜悟克勤を良くは存じ上げていません。
ですが、あなた(、大慧宗杲)が、もし圜悟克勤に見えれば、必ず、この事を成就できるでしょう。
あなた(、大慧宗杲)が、もし圜悟克勤に見えたら、更に他の人の所へ行ってはいけません。
後に、禅の学への参入が出来るでしょう」と言った。
これらの話を点検して詳細に調べると、湛堂文準は、大慧宗杲をなお認めず、大慧宗杲をたびたび開発しようとしたが、終に大慧宗杲は一事を欠いたままだったのである。
大慧宗杲は、一事を欠いたまま補う事が無かったし、一事を脱ぎ落とす事も無かった。
洞山道微は、昔、大慧宗杲に「嗣書する」、「師弟の系譜の書を嗣ぐ」事を許さなかった。
洞山道微は、「あなた(、大慧宗杲)は未だ、見る眼を備えていない」と言って「鍛錬して学ぶ事に勤め励む事」を勧めた。
洞山道微の「機根」、「力量」を見る眼が明らかである事を信仰するべきである。
大慧宗杲は、「正に、これを大慧宗杲は疑っていた所である」事を究めて学へ参入しなかったし、脱ぎ落とさなかったし、打破しなかったし、大いに疑わなかったし、疑いに留められる事が無かった。
大慧宗杲は、昔、妄りに「嗣書する」、「師弟の系譜の書を嗣ぐ」事を請い願った。
大慧宗杲は、学への参入が軽率だったのであるし、
道心の無さの至りだったのであるし、
(仏道の)稽古の無さが、はなはだしかったのであるし、
(悪い意味で)遠慮が無かったと言えるし、
仏道の素質が無いと言えるし、
学の疎かさの至りだったのである。
大慧宗杲は、名声や利益を貪り愛着して、仏祖の奥義を侵そうとしたのである。
大慧宗杲が、仏祖の言葉を知らない事を憐れむべきである。
大慧宗杲は、(仏道の)稽古とは、「自証」、「自己を証する事」である、と理解できなかったし、
永遠を探究する事が、「自悟」、「自己を悟る事」である、と聞かなかったし、学ばなかったので、妄りに「嗣書する」、「師弟の系譜の書を嗣ぐ」事を請い願ったという正しくない事をしたし、自己を誤ったのである。
このため、大慧宗杲の門下生に、一人前や半人前の真に「(真理を嗅ぎ分ける)鼻の孔」をとらえた者はいないし、多くが「仮底」、「奥底まで仮の者」なのである。
(理解が可能である)仏法を理解せず、「(厳密には理解が不可能である)仏法を理解が不可能である」としない人は、大慧宗杲のように成ってしまうのである。
今の僧は、必ず、明確に詳細に学に参入するべきである。
杜撰である事なかれ。
大慧宗杲は、湛堂文準の言葉に従って、湛堂文準の死後、京師の天寧寺の圜悟克勤の所へ行った。
圜悟克勤が、ある日、堂に上って仏法を説いたら、大慧宗杲は、「神がかった優れた悟りが有った」と言って、悟った事を圜悟克勤に告げて呈示した。
圜悟克勤は、「(大慧宗杲は、)未だ悟っていない。あなた(、大慧宗杲)は、悟っていると思っているが、大いなる仏法を未だ明らめていない」と言った。
また、圜悟克勤が、ある日、堂に上って、五祖山の法演禅師の「有句無句」という言葉を挙げた。
大慧宗杲は、聞いていて、「『有句無句』という言葉の下で、大いなる安楽の法を会得した」と言って、理解した事を圜悟克勤にまた呈示した。
圜悟克勤は、笑って、「(あなたの理解は誤っているが、)私は、あなたを欺いていないよ」と言った。
これが、大慧宗杲が、後に圜悟克勤の所へ行った時の話である。
大慧宗杲は、圜悟克勤の会で書記を任された。
けれども、その前後でも、新たに会得した事が有るようには未だ見受けられない。
大慧宗杲は、自ら、普遍に仏法を説いたり、堂に上って仏法を説いたりした時も、会得した事を挙げる事ができなかった。
知るべきである。
記録者は、「大慧宗杲が、神がかった優れた悟りを悟った」と言ったり、「大慧宗杲が、大いなる安楽の法を会得した」と言ったりしたが、大慧宗杲が悟ったり会得したりした事は無いのである。
大慧宗杲を重んじる事なかれ。
大慧宗杲は、学へ参入しようとした、ただの学者なのである。
圜悟克勤は、古代の仏と等しいのである。
圜悟克勤は、十方の中の無上に尊い者なのである。
黄檗希運より後に、圜悟克勤のような高徳の長老は未だいないのである。
圜悟克勤は、他の世界でも稀である、古代の仏と等しい人なのである。
けれども、この事を知っている人や天人は稀なのである。
憐れむべき「娑婆」、「苦しみを耐え忍ぶ場所」である「この世」という「国土」なのである。
古代の仏と等しい圜悟克勤の説法を挙げて、大慧宗杲を点検して詳細に調べると、大慧宗杲には、師に及ぶ事ができる知は未だ無いし、
師と等しい知も未だ無いし、
まして、師よりも優れている知も夢にも未だ見た事が無いようである。
そのため、知るべきである。
大慧宗杲の力は、師の「徳」、「力」の半分にも及ばない才能なのである。
大慧宗杲は、わずかに華厳経、楞厳経などの言葉を暗唱して伝えて説いただけなのである。
大慧宗杲には、仏祖の「骨髄」、「理解」は未だ無かったのである。
大慧宗杲は、誤って「大小の隠者が、わずかに草木についている精霊に引かれて保持し任せられる見解が仏法である」と思ってしまっている。
大慧宗杲が、このような代物を仏法であると誤解しているので、大慧宗杲は未だ仏祖の大いなる仏道に参入して究めていない、と測り知る事ができる。
大慧宗杲は、圜悟克勤の所へ行った後、更に他の人の所へ行脚せず、善知識を持つ人々を訪ねなかった。
大慧宗杲は、妄りに大きな寺の主として最高の僧に成ってしまった。
残っている大慧宗杲の言葉は、未だ大いなる仏法の近くにも及んでいない。
それなのに、無知な輩は、誤って「大慧宗杲は、昔にいても恥ずかしくない人である」と思ってしまっている。
大慧宗杲を見知っている者は、大慧宗杲は仏法を明らめていない、と確信している。
大慧宗杲は、終に大いなる仏法を明らめる事ができず、いたずらに無駄に「口吧吧地」、「バンバン話した」だけなのである。
そのため、洞山道微は、実に、後世の鑑のような人物として明らかに判断を誤らなかった、と知る事ができる。
大慧宗杲の学に参入した輩は、後々までも洞山道微を恨んで、千二百四十四年現在にまで恨みを絶やさないのである。
洞山道微は、大慧宗杲に「嗣書する」、「師弟の系譜の書を嗣ぐ」事を許さなかっただけである。
湛堂文準が大慧宗杲を認めなかったのは、洞山道微よりも激しい。
湛堂文準は、大慧宗杲と会うたびに、問いただして見破り叱った。
けれども、大慧宗杲は、湛堂文準を恨まなかった。
過去や今の、洞山道微や湛堂文準を恨む大慧宗杲の党派者の輩は、どれだけ恥ずかしい人である事か?!
宋の時代の中国には「仏祖の法の子孫である」と自称する人が多いが、真実の仏法を学んでいる人は少ないので、真実の仏法を教える人も少ない。
その事は、大慧宗杲の話によっても測り知る事ができる。
大慧宗杲の、中国の宋の紹興の時代の頃ですら、このような有様だったのである。
今は、その頃よりも劣っていて、例える事ができない。
今は、「仏祖の大いなる仏道が、どんな物であるのか?」すら知らない輩が僧の主人と成ってしまっている。
知るべきである。
仏から仏へ、祖師から祖師へ、西のインドから東の地の中国へ、「嗣書」、「師弟の系譜の書」を正しく伝えているのは、三十四祖の青原の行思の師弟の系譜なのである。
三十四祖の青原の行思より後、三十八祖の洞山良价が自然に正しく伝えられている。
他の十方の僧達は、かつて知らなかったが。
知っている者は皆、三十八祖の洞山良价の法の子孫なのであり、僧に「三十八祖の洞山良价の法の子孫である」という名声を授ける。
大慧宗杲は、生前、「自証」や「自悟」という言葉の正しい意味を知らなかった。
まして、大慧宗杲が、他の「公案」、「修行者の手がかりとしての仏祖の言動」に参入し徹しているであろうか? いいえ!
まして、大慧宗杲よりも後進の者の誰が「自証」という言葉の正しい意味を知っているであろうか? いいえ!
仏祖の言葉の「自(己)」という言葉や「他(者)」という言葉には、必ず、仏祖の身心が有るし、仏祖の「眼睛」、「見る眼」が有る。
「自証」は、仏祖の「骨髄」、「理解」であるので、凡庸な者が「皮」、「理解」を会得する事は無い。
正法眼蔵 自証三昧
その時、千二百四十四年、越宇の吉峰精舎にいて僧達に示した。




