正法眼蔵 仏経
経の中に、「教菩薩法」、「法華経」が有る。
(「菩薩は諸仏である」と言えるため、経の中に「法華経」、「教菩薩法」が有るので、)「教諸仏法」が有る。
経は、大いなる仏道の「調度品」、「日常の道具」である。
「日常の道具」は使用主に従う。
使用主は「日常の道具」を使う。
経によって、西のインドから東の地の中国までの仏祖は、必ず、善知識を持つ人々によるか経による時、各々、「発意」、「発心」、「悟りを求める事を思い立って心する事」と修行と「証果」、「悟り」の間に、かつて隙間が無い物なのである。
「発意」、「発心」、「悟りを求める事を思い立って心する事」も、善知識を持つ人々によるか経によるし、
修行も、善知識を持つ人々によるか経によるし、
「証果」、「悟り」も、善知識を持つ人々によるか経による。
「機先」、「物事が起こる前」も、言葉の後も、同じく、善知識を持つ人々か経に参入する。
物事が起きている途中も、言葉の中も、同じく、善知識を持つ人々か経に参入する。
善知識を持つ人は必ず経に通じて利益を得る。
「経に通じて利益を得る」とは、経を国土とする事であるし、経を身心とする事である。
経を他者の為に施し設ける物とするし、
経を、坐ったり横たわったりする坐禅と、坐禅の合間の歩行とする。
経を父と母とするし、経を子孫とする。
経を「修行と理解」とするので、善知識を持つ人は経に参入して究めるのである。
善知識を持つ人が洗面し茶を飲むのは、古くからの経なのである。
「経が善知識を持つ人を生み出す」とは、黄檗希運の杖の六十打は能く臨済義玄という法の子孫を生み出して成長させた事であるし、
黄梅山の三十二祖の弘忍の臼への杖の三打は能く三十三祖の大鑑禅師に衣と共に仏法を伝えた事である。
さらに、霊雲志勤が桃の花を見て仏道を悟ったのも、
香厳の智閑が小石が竹に当たった響きを聞いて仏道を悟ったのも、
釈迦牟尼仏が明けの明星を見て仏道を悟ったのも、皆、経が善知識を持つ人を生み出して成長させたのである。
見る眼を得て経を得る「皮袋」や「拳頭」、「拳」である「人」もいるし、
経を得て見る眼を得る「木の柄杓」や「漆の桶」である「人」もいる。(「漆桶」、「漆の桶」は真っ黒で見分けられないので「無知な僧」を意味し、派生して、無知の原因である「煩悩」も意味する。)
経とは、尽十方界である。経ではない時や場所は無い。
(経、善知識と成らない世界や時や場所は無い。)
経は、「勝義諦」、「最もすぐれた真理」の文字、言葉を用いるし、
「世俗諦」、「世俗で真理と思われている物」の文字、言葉を用いるし、
天上の文字、言葉を用いるし、
人間の文字、言葉を用いるし、
「畜生道」、「動物的人間」の文字、言葉を用いるし、
修羅道の文字、言葉を用いるし、
「百草」、「森羅万象」の文字、言葉を用いるし、
「万木」、「全ての木」、「全ての、木に例えられる修行者」の文字、言葉を用いる。
このため、尽十方界に森森と生い茂って並んでいる、長いもの、短いもの、角ばっているもの、丸いもの、青いもの、黄色いもの、赤いもの、白いものは、経の文字であるし、経の表面である。
尽十方界を、大いなる仏道の日常の道具としているし、仏教という仏の家の経としている。
尽十方界という経は能く時を覆って広まるし、国を覆って流通する。
経は、人を教える門を開いて、尽地の人を捨てないし、
ものを教える門を開いて、尽地のものを救う。
経は、諸仏を教え、菩薩を教えるのに、尽地、尽界と成るのである。
経は、方便の門を開き、位に住んでいる門を開いて、一人前や半人前を捨てないで、真の実の相を示すのである。
経が方便の門を開いて真の実の相を示す時、諸仏や菩薩は、慮知念覚の有無とは無関係に各々の自らの強引な行いではなく経を得るのを、各々の面々の大いなる機会としている。
必ず経を得る時とは古今とは無関係である。古今は経を得られる時であるので。
(古今のいつでも経を得られるので。)
尽十方界が目の前に現れるのは、経を得たからである。
尽十方界という経を読んで「通じて」、「理解して」利益を得ると、「仏智」、「仏の知」や、「自然智」、「自然に得られる知」や、「無師智」、「師がいなくても得られる知」が、心より先に形成されて現されるし、身より先に形成されて現される。
この時、「新しい特別な物である」と疑う事は無い。
私達が経を受け取って保持し読めるのは、経が私達を受け取ったからなのである。
言葉より先や、言葉の外や、言葉の降下や、言葉という節目上の事情は、速やかに「散華」、「華をまき散らして捧げる事」や「貫華」なのである。
尽十方界という経を仏法と呼んでいる。
仏法には八万四千の説法蘊が有る。
尽十方界という経の中に、無上普遍正覚を成就している諸仏の文字、言葉が有るし、
現に世間に住んでいる諸仏の文字、言葉が有るし、
「般涅槃に入っている」、「肉体が死んでいる」諸仏の文字、言葉が有る。
「如来如去」、「如来」は、経の中の文字、言葉であるし、仏法の言葉である。
釈迦牟尼仏の「拈華瞬目」と、初祖の迦葉の「破顔微笑」は、過去七仏から正しく伝えられている古くからの経なのである。
二十九祖の慧可が、腰まで雪が積もっても外に立ち、腕を切り、二十八祖の達磨を礼拝して達磨の髄を会得したのは、正しく、師弟で代々伝えられている古くからの経なのである。
三十二祖の弘忍が三十三祖の大鑑禅師へ衣と共に仏法を伝えたのは、経を広く全巻、付属させる時が至ったのである。
弘忍が杖で臼を三回たたくと、大鑑禅師が穀物から殻やゴミを篩い分ける農具である「箕」に米を入れて三回、篩い分けたのは、経が経に手を出させ、経が経の仏法を正しく嗣いだのである。
それだけではない。
「何ものかが、どの様にかして来ている」のは、諸仏を教える千の無数の経なのであるし、菩薩を教える万の無数の経なのである。
三十四祖の南嶽の懐譲の「ある物を似ている物によって説明しても、言い当てられない」という言葉は、能く、八万蘊を説くし、「十二部経」、「十二分教」を説く。
まして、「拳頭」、「拳」や、「かかと」や、杖や、害虫を払うための毛がついた棒である払子は、古くからの経であるし、新しい経であるし、「有」、「存在」についての経であるし、「空」、「無」についての経である。
僧達の中にいて仏道をわきまえる鍛錬をして坐禅するのは、本より、「頭も正しい」仏の経なのであるし、「(頭が正しいので)尾も正しい」仏の経なのである。
菩提葉に経を記すし、虚空の面に経を記す。
仏祖の動静や、とらえたり放ったりする事は、自然に仏の経の進退と成る。
究極が無いのを究極の目安として学に参入するので、「(真理を嗅ぎ分ける)鼻の孔」によって経を受け取ったり出したりするし、「つま先」によっても経を受け取ったり出したりする。
父と母から生まれる前にも経を受け取ったり出したりする事が有るし、威音王仏以前にも経を受け取ったり出したりする事が有る。
山や河や大地によって経を受け取り、経について説く。
太陽と月と星々によって経を受け取り、経について説く。
創世前の無である長い時間である「空劫」以前の自己によって経を保持し、経を授ける。
「面目」、「有様」以前の身心によって経を保持し、経を授ける。
尽十方界という経は、微塵を破って(微塵を)出現させるのであるし、法界を破って(法界を)出現させるのである。
二十七祖の般若多羅は、「私は、吐く息が全ての縁に従わないし、吸う息が『色受想行識』という『五蘊』による世界にいませんし、常に、『ありのまま』という経、百、千、万、億の無数の経を読んでいます。たった一つの経や二つの経ではないのです」と言った。
般若多羅の言葉を聞いて理解して取って、呼吸で経が読まれるという学に参入するべきである。
「経を読む」事を知る者は、「経が存在する場所」を知る事ができるのである。
「転じる事」と「転じられる事」とは「経を転じる事」、「経を読む事」と「経によって転じられる事」であるので、ことごとく知見と成り得るのである。
道元の亡き師、五十祖の如浄は、普段から、「私、如浄の所では、焼香、礼拝、念仏、懺悔の修行、経を看る事を用いず、ひたすらに打ち坐って、仏道をわきまえる鍛錬をして、(古い)身心を脱ぎ落とす」と言っていた。
如浄の言葉を明らめている仲間の僧は稀なのである。
なぜなら、如浄の「経を看る事」という言葉を読んで、「(見る眼が有って、)経を看る事である」とすれば差しさわりが有るし、「(見る眼が無いのに、)経を看る事である」としなければ如浄の言葉の意図に背く事に成る。
言っても言い得ていないし、言わないと言い得ない。速やかに言いなさい。速やかに言いなさい。
この道理の学に参入するべきである。
このような主旨が有るので、古代の人は、「経を看るには、経を看る事ができる『眼』、『見る眼』を持つ必要が有る」と言った。
まさに、知るべきである。
古今に、もし経が無ければ、「経を看るには、経を看る事ができる『眼』、『見る眼』を持つ必要が有る」という言葉は無かったであろう。
(古い身心を)脱ぎ落とす、(見る眼が有って)経を看る事が有るし、
用いない、(見る眼が無いのに)経を看る事が有る、と学に参入するべきである。
そのため、学に参入している一人前の者や半人前の者は必ず仏の経を伝えられて保持して仏の子と成るべきである。
いたずらに無駄に、外道の邪悪な所見を学ぶ事なかれ。
今、形成されて現されている「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」とは仏の経であるので、あらゆる仏の経とは「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」なのである。
経と「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」は、同一ではないが、全く異なる物でもない。
経と「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」は、自分だけの物でもないし、他人の物でもない。
知るべきである。
「正法眼蔵」、「見る眼」が正しく見る事ができるものは多いが、あなた達は尽くを知を開いて知って明らかにできてはいない。けれども、「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を開演すると、あなた達は信じる。
仏の経も、そうなのである。
経は多いが、信じて受け入れて行えるのは、一つの言葉だけであろう。
八万の多数の経を理解できないし(自分が)仏の経の達人ではないからといって、妄りに「仏の経は仏法ではない」と言う事なかれ。
あなた達が「仏祖の『骨髄』、『理解』を会得した」と自称して名声が聞こえても、正しい見識によって見れば、文字に依存している後進の者なのである。
経の一つの言葉を受けて保持している者に等しいであろうし、経の一つの言葉を受けて保持している者に及ばない事も有るだろう。
浅はかな理解を頼りにして、仏の正しい仏法の悪口を言う事なかれ。
音声や文字といった色形が、仏の経(の意味という心)よりも功徳が有る事は有り得ない。
音声や文字といった色形は、あなたを惑わし乱すが、あなたは、なお求めて貪る。
仏の経(の意味という心)は、あなたを惑わし乱さない。
仏の経を信じないで仏の経の悪口を言う事なかれ。
それなのに、千年頃から、中国の杜撰な臭い皮袋である似非僧侶は、誤って「祖師の言葉ですら心に置くべきではない。
まして、経は、長く見るべきではないし、用いるべきではない。
ただ身心を『枯木死灰のようにさせる』、『枯木や火が消えて冷えた灰のように無欲にさせる』べきである。
身心を『破れた木の柄杓』や『底がぬけた桶』のようにさせるべきである」と言ってしまっている。
このように言ってしまう輩は、いたずらに無駄に、外道や「天魔」、「魔」、「仏敵」の類の仲間と成ってしまう。
「用いるべきではない」と言っているはずの経の文字だけを求めてしまい用いてしまうので、仏祖の仏法(の意味という心)が、虚しく、似非僧侶にとっては、狂った転倒した代物と成ってしまうのである。
憐れむべきである。
悲しむべきである。
破れた木の柄杓や、底がぬけた桶も、仏祖の古くからの経なのである。
尽十方界という仏祖の経の数を究めている仏祖は稀なのである。
誤って「仏の経は仏法ではない」と言ってしまう人は、仏祖が経を用いた時を見ないし、仏祖が経によって出現する時の学に参入しないし、仏祖と仏の経との親密さと疎遠さの量を知らないのである。
このような杜撰な輩が稲、麻、竹、葦の様に多く、「獅子の座」、「仏の座」に上り、人や天人の師として、天下に林のように群れを成している。
杜撰な人は杜撰な人に学ぶので、杜撰ではない道理を知らないし、知らないので願い求めない。
杜撰な人は、暗闇に従って暗闇に入るのである。
憐れむべきである。
杜撰な人は、未だかつて仏法の身心が無いので、身のこなしや心構えが、どうあるべきか知らない。
杜撰な似非僧侶は、「有」、「存在」と「空」、「無」の主旨を明らめていないので、もし人から質問されたら、妄りに拳を立てる。けれども、拳を立てる主旨に暗い。
杜撰な似非僧侶は、善悪の「道」、「真理」を明らめていないので、もし人から質問されたら、害虫を払うための毛がついた棒である払子を上げる。けれども、払子を上げる主旨を明らめていない。
杜撰な似非僧侶は、人の為の手段を授けようとする時には、臨済義玄の「四料簡」や「四照用」や、雲門文偃の「三句」や、洞山良价の「三路」や「五位」などを挙げて仏道を学び修行する手本としてしまう。
道元の亡き師である天童山の五十祖の如浄は、普段から、杜撰な似非僧侶を嘲笑して、「仏を学ぶとは、このようにする事ではない!
仏祖が正しく伝えている大いなる仏道は、多くの物を心に被らすし、身に被らす。
この学に参入すると、『参入して究めよう』と思うと、暇が無い。
どんな暇が有って、後進の似非僧侶の言葉を聞き入れようとするのか?
実に、知るべきである。
(今の)諸方の老人の僧には道心が無くて、仏法の身心の学に参入していない事は明らかである」と言っていた。このように、如浄は、僧達に示していた。
実に、臨済義玄は、黄檗希運の会で後進の者である。
臨済義玄は、黄檗希運に杖での六十打を被った後、終に、高安大愚の所に行った。
臨済義玄は、高安大愚の老婆心による話によって、従来の日常を照らして顧みて、さらに黄檗希運の所に帰った。
臨済義玄の話は雷のように聞こえているので、人々は誤って「黄檗希運の仏法が臨済義玄、独りに伝えられている」と思ってしまった。
あまつさえ、人々は誤って「臨済義玄は、黄檗希運よりも優れている」と思ってしまった。
全く、そうではないのである。
臨済義玄が少しだけ黄檗希運の会にいて僧達に習っていた時、陳尊宿が臨済義玄に仏法を黄檗希運へ質問する事を勧めたが、臨済義玄は何を質問するべきか知らなかった、と言われている。
悟るという一大事を未だ明らめていない時、学に参入しているが、学に暗い僧侶として、地に立って法を聴いていて、どうして、このように呆然とする事ができるだろうか? いいえ!
臨済義玄は、上々の素質の人ではない事を知るべきである。
また、臨済義玄は師よりも優れようとする志が無かったし、臨済義玄には師を超越する言葉が見聞きできない。
黄檗希運には、師よりも優れている言葉が有るし、師を超越する大いなる知が有る。
黄檗希運は、仏が未だ言わなかった言葉を言い得たし、祖師が未だ会得できていなかった法を会得した。
黄檗希運は、古今を超越している、古代の仏と等しい者なのである。
黄檗希運は、百丈の懐海よりも優れているし、馬祖道一よりも優れている。
臨済義玄には、黄檗希運のような秀でた物が無い。
なぜなら、臨済義玄は、古くから未だ言われなかった言葉を夢にも未だ言った事が無い。
臨済義玄は、ただ、多数の物を会得して一つを忘れてしまい、一つの物に到達して多数の物に煩ったようである。
どうして、臨済義玄の「四料簡」などに仏道の良さが有るとして仏法を学ぶ指針とできるだろうか? いいえ!
雲門文偃は、雪峰義存の弟子である。
雲門文偃は、人や天人の大いなる師の務めに耐えられるが、なお「学地」、「修行が必要な境地」にいると言える。
臨済義玄と雲門文偃によって仏道の根本を得ようとすると、末を愁う事に成るだろう。
臨済義玄が「この世」に未だ来ないし、雲門文偃が「この世」に未だ出現していなかった時は、仏祖は何を仏道を学び修行する見本としていたか? 経である!
このため、知るべきである。
臨済義玄と雲門文偃の家の中には、仏教という仏の家の道の業が伝わっていないのである。
臨済義玄と雲門文偃は、根拠とするべき物(である経)が無いので、妄りに「四料簡」などのような、でたらめな言葉を説くのである。
臨済義玄と雲門文偃のような輩は、妄りに仏の経を軽んじてしまう。
人々は経の軽視に従う事なかれ。
もし仏の経を投げ捨てるべきならば、臨済義玄と雲門文偃をも投げ捨てるべきである。
もし仏の経を用いる事ができなければ、飲むべき水が無いような物であるし、水を汲むべき柄杓も無いような物である。
三十八祖の洞山良价の「三路」や「五位」は「細目」、「詳細な項目」であって、杜撰な輩が知る事のできる境地ではない。
主旨は正しく伝えられ、仏の業を直接的に指し示している。
他の師弟の系譜と等しくないのである。
また、杜撰な輩は、誤って「道教、儒教、仏教は共に、その極致は一致する。(三教一致。)入門の違いが有るだけなのである」と言ってしまう。
また、杜撰な輩は、道教、儒教、仏教を三脚の器の三脚に例えてしまう。
三教一致が宋の時代の中国の諸々の似非僧侶が盛んに話している主旨なのである。
三教一致と言ってしまうので、「似非僧侶の上からは仏法は既に地を引き払って姿を消してしまっている」か、「似非僧侶の上には仏法はかつて微塵も来ていない」と言える。
似非僧侶は、妄りに仏法が通じる事と塞がる事を言おうとして、誤って「仏の経は役に立たない。祖師の教えには別に伝えられている主旨が有る」と言ってしまう。
なぜなら、似非僧侶は、素質が矮小なので、仏道の果てを見れないからである。
「仏の経を用いるべきではない」と言うならば、祖師の経が有る時、用いるのか? 用いるべきではないのか?
祖師の言葉には仏の経のような仏法が多いが、用いるのか? 捨てるのか?
もし誤って「仏の言葉の外に祖師の言葉が有る」と言ってしまうならば、誰が祖師の言葉を信じるであろうか? いいえ!
祖師が祖師として存在するのは、仏の言葉を正しく伝えている事による物なのである。
仏の言葉を正しく伝えない祖師を誰が「祖師である」と言うであろうか? いいえ!
達磨を崇め敬うのは、二十八祖だからである。
誤って「仏の言葉の外に祖師の言葉が有る」と言ってしまうならば、十祖、二十祖と立てられないであろう。
祖師を恭しく敬う理由は、仏の言葉を正統に代々伝えているためであり、仏の言葉が重要だからである。
仏の言葉を正しく伝えない祖師は、どんな「面目」、「立場」が有って、人や天人と見えるというのか?
まして、仏を慕う深き志を翻して新たに仏の言葉ではない適わない言葉を話したり伝えたりする(偽の)祖師には従えない。
似非僧侶、杜撰な狂人が、いたずらに無駄に、仏の言葉を軽視するのは、仏の言葉に有る仏法を正しく選び取る事ができないからなのである。
道教と儒教を仏教と並べる愚かさは、悲しむべきだけではなく、罪と成る悪業の因縁と成るし、国土が衰弱する。「仏法僧」という「三宝」が衰退するので。
孔子や老子の言葉は、未だ阿羅漢と同じではない。まして、「等覚」の最高の菩薩や、「妙覚」の仏に及ばない!
孔子や老子の言葉では、わずかに聖者の視るものと聴くものを「天地」、「乾坤」という大いなる事象に、わきまえても、仏の因果を一つの生や多くの生で明らめる事は難しい。
孔子や老子の言葉では、わずかに身心の動静を「無為の為に」、「自然に」わきまえても、尽十方界の真実を「無尽際断に」、「無限の時を断って」明らめる事はできない。
孔子の儒教と老子の道教が仏教よりも劣っている事は、「天と地ほど懸け離れている」という言葉でも言い表せないほどなのである。
妄りに誤って「道教、儒教、仏教は一致する」と言ってしまうのは、仏法の悪口を言う事に成ってしまうし、孔子と老子の悪口を言う事にも成ってしまう。
たとえ孔子や老子の教えに詳細さが有っても、近頃の老人の似非僧侶などが、どうして少しの分でも明らめる事ができるだろうか? いいえ!
まして、似非僧侶に、万の多数の時期に大いなる権力を執る事ができるだろうか? いいえ!
孔子にも教訓が有るし、鍛錬が有る。
現在の凡庸な人々は政治をたやすくできはしない。
鍛錬して政治を試みる人は、もういない。
ある微小な塵ですら、他の塵と同じではない。
まして、仏道には奥深さが有り、現在の後進の似非僧侶が、どうして、わきまえ受け入れて理解できるだろうか? いいえ!
似非僧侶は、仏教も、儒教も、二つ共、明らめていないのに、いたずらに無駄に、「三教一致」という、でたらめな言葉を説いているだけなのである。
宋の時代の中国で、似非僧侶は、称号を名乗り、師と成り、古今を照らして見て恥じ入る事無く、愚かにも仏道について妄りに話す。
「宋の時代の中国の似非僧侶には仏法が有る」と聞き入れる事はできない。
老人の似非僧侶などは、あの人も、この人も、誤って「仏の経は仏道の本意ではない。祖師が伝えている言葉が仏道の本意なのである。祖師が伝えている言葉に特別すぐれた奥深い妙なる言葉が伝わっている」と言ってしまう。
このような言葉は、とても最悪に愚かであり、転倒した狂人の言葉である。
祖師が正しく伝えている言葉には、全く一言も、仏の経の言葉とは異なる特別すぐれた言葉は無いのである。
仏の経と祖師の言葉は同じく、釈迦牟尼仏から正しく伝えられて広められて来ているだけなのである。
ただし、祖師が伝えている言葉は、正統に代々伝えられているだけなのである。
けれども、祖師は仏の経を知っているし、明らめているし、読んでいる!
古代の高徳の僧は、「あなたは経に迷うが、経は、あなたを迷わさない」と言った。
古代の高徳の僧達が経を看た話は多い。
杜撰な似非僧侶に向かって言いなさい。
「あなたが言う通り、もし仏の経を投げ捨てるべきならば、仏の心も投げ捨てるべきであろうし、仏の身も投げ捨てるべきであろう。
もし仏の身心を投げ捨てるべきならば、仏の子を投げ捨てるべきであろう。
もし仏の子を投げ捨てるべきならば、仏の言葉を投げ捨てるべきであろう。
もし仏の言葉を投げ捨てるべきならば、祖師の言葉を投げ捨てないのか?!
仏の言葉も、祖師の言葉も、共に投げ捨てれば、似非僧侶は一人の髪を剃った庶民に過ぎない。
誰が『あなたは棒を食らってはいけない』、『あなたは暴力や罰を食らってはいけない』と言うだろうか? いいえ!
ただ、権力者に、こき使われるだけではなく、閻魔大王に責められるはずである」
宋の時代の中国の老人の似非僧侶などは、権力者からの任命書によって寺の主の僧と成ってしまうので、三教一致のような理に反した狂った言葉を言ってしまう。
現在、善悪をわきまえている人はいない(、と言える)。
独り、道元の亡き師である五十祖の如浄だけが、似非僧侶を嘲笑した。
如浄以外の山の寺の老人の僧などは、(「三教一致が誤っている」と)全く知らない。
「異国の僧侶であれば、明らめている『道』、『真理』が必ず有るだろう」と思うべきではないし、
「大国の帝王の師であれば、到達している所が必ず有るだろう」と思うべきではない。
異国の生者は必ずしも僧の務めに耐えられない。
善い生者は善いし、悪い生者は悪い。
(異国でも、善人は善人であるし、悪人は悪人である。)
法界の、どの三界でも、生者の種類は同様であるはずである。
大国の帝王の師には、必ずしも道に適った人は選ばれない。
帝王は道に適った人を知り難い。帝王は、わずかに、家臣の推挙を聞いて登用するだけなのである。
古今には、道に適った帝王の師もいるが、道に適わない帝王の師の方が多い。
濁った悪い時代に登用されるのは、道に適わない人なのである。
濁った悪い世に登用されないのは、道に適った人なのである。
なぜなら、人々が「人を知る事ができる」時が有るし、
人々が「人を知る事ができない」時が有るからである。
黄梅山には昔、神秀という僧がいた事を忘れないべきである。
神秀は、帝王の師であった。
神秀は、帝王の簾の前で法を説いた。
それだけではない。
神秀は、七百人の高徳の僧達の上座にいた。
黄梅山には昔、三十三祖の大鑑禅師が「盧行者」としていた事を信じるべきである。
三十三祖の大鑑禅師は、木こりであったが、寺の雑務を行う在俗者である「行者」に成り、柴の薪の運搬をしなく成ったが、米をつくのを職務とした。
三十三祖の大鑑禅師は卑しい身分を恨めしく思ったであろうが、三十三祖の大鑑禅師が俗を出て僧達を超えて仏法を会得して衣と共に仏法を伝えられたのは、未だかつて聞いた事が無い事であったし、西のインドでも聞いた事が無い事であって、単独で東の地の中国に残っている世にも稀な優れた行跡である。
黄梅山の七百人の高徳の僧達でも、三十三祖の大鑑禅師に肩を並べられなかった。
天下の、竜や象の様な高徳の僧達でも、三十三祖の大鑑禅師の行跡を辿るのは不可能なようである。
大鑑禅師は、三十三祖の位を嗣いで仏の正統な後継者と成った。
三十二祖の弘忍には「人を知る事ができる」知が有ったので、大鑑禅師は三十三祖と成れた!
このような道理を静かに熟考するべきである。軽率に考える事なかれ。
「人を知る事ができる」力を得る事を願い求めるべきである。
「人を知る事ができない」のは自分や他人にとって大いなる憂いであるし、天下の人々にとって大いなる憂いである。
「人を知る」のに、広く学ぶ事ができる優れた才能は不要である。
「人を知る事ができる見る眼」や「人を知る事ができる力量」を急いで求めるべきである。
もし「人を知る事ができる」力が無ければ、長い年月、この世に沈んでしまうであろう。
そのため、仏道には必ず仏の経が有る事を知り、言葉の意味を広く深く世界という仏の経に学んで、仏道をわきまえる見本とするべきである。
正法眼蔵 仏経
その時、千二百四十三年、秋、越州の吉田県の吉峰寺の庵に住んでいて僧達に示した。




