正法眼蔵 古鏡
諸々の仏祖が受けて保持し単一に伝えるのは、「古鏡」、「古くから鏡としているもの」である。
「古くから鏡としているもの」は、同一の面を現すし、同一のものを象り鋳造(の様に複製)するし、同一の参入を証する。
「古くから鏡としているもの」が、未開の人が来れば、未開の人を現すのは、「十万八千里」である。
「古くから鏡としているもの」が、中国人といった文明人が来れば、中国人といった文明人を現すのは、「一念万年」である。
「古くから鏡としているもの」は、古いものが来れば、古いものを現すし、
「古くから鏡としているもの」は、今のものが来れば、今のものを現すし、
「古くから鏡としているもの」は、仏が来れば、仏を現すし、
「古くから鏡としているもの」は、祖師が来れば、祖師を現す。
十八祖の伽耶舎多は、中国の西方の摩提国の人である。姓は鬱頭藍、父の名は天蓋、母の名は方聖である。
伽耶舎多の母は夢見で「一人の大神が大きな鏡を持って鏡に向かっている」のを見た時に懐胎し七日して伽耶舎多を産んだ。
伽耶舎多は、生まれた時、体の肌が磨いた瑠璃の様であり、入浴させて洗浄していなかったにもかかわらず自然と良い香りがして清潔であった。
伽耶舎多は、幼い時から閑静を好み、言う事が普通の幼子とは異なった。
伽耶舎多が生まれた時に一つの清浄な明るい「円鏡」、「円形の鏡」が自然と、共に生じた。伽耶舎多は生まれた時から円鏡と共に生きた。世にも稀な事である。
「伽耶舎多が生まれた時に円鏡が共に生じた」と言うのは、伽耶舎多の母が円鏡も産んだという事ではなく、伽耶舎多が母の胎内から生まれ出たと同時に円鏡が来て、円鏡が自然に純真に伽耶舎多の近くで目の前に現れて、円鏡が伽耶舎多の常日頃の「調度品」、「日常の道具」の様に成ったのである。
伽耶舎多の円鏡についての事柄は普通ではなかった。
幼子の伽耶舎多が向かって来る時は、伽耶舎多が円鏡を両手で捧げて来ているかの様に円鏡は動くけれども、円鏡には伽耶舎多の顔が隠れないで映っていた。
幼子の伽耶舎多が去って行く時は、伽耶舎多が(鏡面を後ろに向けて)円鏡を背負って去って行くかの様に円鏡は動くけれども、円鏡には幼子の伽耶舎多の身体が隠れないで映っていた。
幼子の伽耶舎多が眠っている時は、円鏡は伽耶舎多の上で伽耶舎多を覆った。例えば、「華蓋」の様に。
幼子の伽耶舎多が正しく坐っている時は、円鏡は伽耶舎多の面前に存在した。
伽耶舎多の円鏡は、伽耶舎多の動静に従って動いたのである。
それだけではなく、古来からの仏事と今の仏事のことごとくを伽耶舎多の円鏡に面と向かって見る事ができ得た。
また、天上と、(「この世」の)人の間の、全ての事、「諸法」、「全てのもの」は皆、伽耶舎多の円鏡に浮かんで曇る事が無かった。
例えば、経典に向かって古今に照らして知を得るよりも、伽耶舎多の円鏡によって見るのは明らかであった。
しかし、伽耶舎多が出家して戒を受けた時から、伽耶舎多の円鏡は目の前に現れなく成った。
このため、近隣と遠方の人々は、同じく、「不思議で霊妙である」とほめた。
実に、「娑婆」、「苦しみを耐え忍ぶ場所」である「この世」で、伽耶舎多の円鏡に比類する不思議なものは少ないが、かの国インドに、人族に、伽耶舎多の様な人がいた事を疑うなかれ。
深く考慮するべきである。
正に、知るべきである。
樹や石に記された経典が有るし、田畑や集落に流布する知識が有る。
樹や石に記された経典も、田畑や集落に流布する知識も、伽耶舎多の円鏡である。
今の経典も、伽耶舎多の円鏡である。
「伽耶舎多の円鏡は、十八祖の伽耶舎多だけの稀な事物である」と誰が思うであろうか? いいえ! 伽耶舎多の円鏡は、十八祖の伽耶舎多だけの稀な事物ではない!
ある時、十八祖の伽耶舎多は、外出して、十七祖の僧伽難提に出会って、直ぐに進んで僧伽難提の前に至った。
僧伽難提は「あなたの手中に有るのは、正に、何の表れか?」と質問した。
「僧伽難提の『何の表れか?』という言葉は単純に表した単純な質問ではない」と聞いて学に参入するべきである。
十八祖の伽耶舎多は、「諸仏の大いなる円鏡は内外に瑕も翳りも無い。二人は同じく見る事ができ得る。皆の心と眼は似ている」と言った。
諸仏の大いなる円鏡は、なぜ伽耶舎多と共に生じて共に生きたのか?
それは、伽耶舎多が生まれてから今までは、大いなる円鏡が明かしている物だからである。
諸仏は、大いなる円鏡に同じく参入して、大いなる円鏡で同じく見るのである。
諸仏は、大いなる円鏡の鋳造による(複製による鏡)像である。
大いなる円鏡は、知ではないし、理ではないし、性質ではないし、相ではない。
未熟な修行者などの法の中にも「大円鏡智」、「大いなる円鏡の知」という名前は有るが、諸仏の大いなる円鏡ではない。
必ずしも諸仏は知ではないので、諸仏には知が有り、知を諸仏としているわけではない(、と言える)。
学に参入した人は知るべきである。
知を説き表すのは、未だ仏道の究極の説ではないのである。
たとえ「『諸仏の大いなる円鏡は私と共に生きている』と見聞きした」と言ったとしても、道理が有る。
諸仏の大いなる円鏡は、今の生に接しないし、他の生に接しない。
諸仏の大いなる円鏡は、「玉鏡」、「宝玉の鏡」ではないし、銅鏡ではない。
諸仏の大いなる円鏡は、「肉」の鏡ではないし、「髄」の鏡ではない。
(諸仏の大いなる円鏡は、「皮肉骨髄」、「理解」の鏡ではない。)
「諸仏の大いなる円鏡は内外に瑕も翳りも無い。二人は同じく見る事ができ得る。皆の心と眼は似ている」という言葉は、円鏡の言葉なのか? 幼子の伽耶舎多の説なのか?
幼子の伽耶舎多が説いたとしても、かつて人に学んで習った(受け売りの)言葉ではないし、かつての経典による言葉ではないし、かつての善知識を持つ祖師といった人々による(受け売りの)言葉ではない。
幼子の伽耶舎多は、円鏡を捧げて、「諸仏の大いなる円鏡は内外に瑕も翳りも無い。二人は同じく見る事ができ得る。皆の心と眼は似ている」と説いたのである。
十八祖の伽耶舎多は、幼い時から、円鏡に向かうのを常としていただけである。
伽耶舎多には、生まれながらの知による、わきまえた知が有った様である。
大いなる円鏡が幼子の伽耶舎多と共に生じて共に生きてきたのか? 幼子の伽耶舎多が大いなる円鏡と共に生じて共に生きてきたのか? 正に、前後の生も有るであろう。
大いなる円鏡は、諸仏の功徳である。
「諸仏の大いなる円鏡は内外に曇りが無い」と言うのは、外に対して内があるわけではないからである。内に曇らされる外があるわけではないからである。
諸仏の大いなる円鏡は、裏表が無い。表も裏も同じく見る事ができ得る。
「心と眼は似ている」
「似ている」と言うのは、人が人に会うのである。
たとえ諸仏の大いなる円鏡の「内」の形といえども、心と眼があり、同じく見る事ができ得る。
たとえ諸仏の大いなる円鏡の「外」の形といえども、心と眼があり、同じく見る事ができ得る。
今、目の前に現れている、心と身が依り所とする環境としての報いである「この世」と、過去の行いの正に報いである心と身は、共に、内と似ている。外と似ている。
私ではないし、誰でもない。
これは、二人が見ているのである。二人が似ているのである。
彼も私だと言うし、私も彼と成る。
「皆の心と眼は似ている」と言うのは、
「心と心は似ている」のであるし、
「眼と眼は似ている」のであるし、
「似ているのは心と眼である」のである。
例えば、「各々の心と眼は似ている」と言う様な物である。
「心と心は似ている」とは、どのようなものか?
三十祖の僧璨と三十三祖の大鑑禅師である。
「眼と眼は似ている」とは、どのようなものか?
「道を見る眼は見る眼に遮られる」のである。
前記の様な事が、十八祖の伽耶舎多が会得して言い得た主旨である。
十八祖の伽耶舎多が初めて十七祖の僧伽難提に見えた本当の理由である。
「諸仏の大いなる円鏡は内外に瑕も翳りも無い。二人は同じく見る事ができ得る。皆の心と眼は似ている」という、十八祖の伽耶舎多が会得して言い得た主旨をひねって挙げて、大いなる円鏡の仏祖の「面」、「有様」の学に参入するべきである。
大いなる円鏡の仏祖の有様の学に参入した者は、「古くから鏡としているもの」の眷属である。
三十三祖の大鑑禅師は、かつて黄梅の山の三十二祖の弘忍の会で鍛錬していた時、次の様な詩を壁に書いて三十二祖の弘忍に示した。
「『菩提』、『覚』には本より(『菩提樹』といった)樹など無い(、と言える)。
また、『明鏡』、『曇りの無い鏡』は『台』、『仏が坐る蓮華の台座』ではない。
本来、無一物である。
どこに『塵と埃』、『汚れたもの』は有るのか?」
三十三祖の大鑑禅師が理解して取って選び取った、この「道」、「真理」の言葉を学んで理解して取るべきである。
世の人々は「高祖である三十三祖の大鑑禅師は古代の仏と等しい」と言う。
圜悟克勤は「真に古代の仏と等しい曹谿山の三十三祖の大鑑禅師を敬礼する」と言った。
そのため、知るべきである。
高祖である三十三祖の大鑑禅師は「曇りの無い鏡」を示して「本来、無一物である。どこに『塵と埃』、『汚れたもの』は有るのか?」と示したのである。
「『曇りの無い鏡』は『仏が坐る蓮華の台座』ではない」
「『曇りの無い鏡』は『仏が坐る蓮華の台座』ではない」という言葉には命がある。
「『曇りの無い鏡』は『仏が坐る蓮華の台座』ではない」という言葉について鍛錬するべきである。
明々に明らかなものは皆、「明鏡」、「曇りの無い鏡」である。
そのため、「明頭来明頭打」、「利発な頭の者が来たら、それに合わせて軽く打って指導する」と言うのである。
どこにも無ければ、「どこ」という所は無いのである。
まして、鏡ではない一つの塵が尽十方界に残っているであろうか? いいえ! 尽十方界の、一つの塵に至るまで鏡なのである!
鏡ではない一つの塵が鏡に残っているであろうか? いいえ! 鏡の一つの塵に至るまで鏡なのである!
知るべきである。
尽界は「塵刹」、「塵の様に無数の国土が有る俗世」ではない。そのため、尽界は「古くから鏡としているもの」の鏡面なのである。
大慧禅師と呼ばれる三十四祖の南嶽の懐譲の会で、ある僧が「鏡が像を鋳造の様に(複製)する時、光は、どこに帰るのか?」と質問した。
南嶽の懐譲は「僧である、あなたが未だ出家していなかった時の容貌は、どこに向かって去ったというのか?」と言った。
ある僧は「鏡は、像を成した後、どうして照らさないのか?」と言った。
南嶽の懐譲は「鏡は、照らさないといえども、他を一点も、だます事は有り得ない」と言った。
今、「この森羅万象は何ものである」と明らめていない時に、「森羅万象は何ものか?」と尋ねれば、「森羅万象は鏡に像を鋳造(の様に複製)させて形成させるものである」という証明は、南嶽の懐譲の言葉に有る。
「鏡は、黄金ではないし、宝玉ではないし、光明ではないし、像ではない、といえども、たちまちに像を鋳造(の様に複製)する」と、わきまえる事は、実に鏡をわきまえ究める事である。
ある僧が、「光は、どこに帰るのか?」と言ったのは、「鏡が像を鋳造の様に(複製)する」事を「鏡が像を鋳造の様に(複製)する」と理解して取って言ったのである。
例えば、「像は像の所に帰る」のであり、「像を鋳造の様に(複製)する事は、鏡を鋳造の様に(複製)できた」のである。
南嶽の懐譲が「僧である、あなたが未だ出家していなかった時の容貌は、どこに向かって去ったというのか?」と言ったのは、鏡を捧げて「面」、「有様」を照らしたのである。
鏡が有様を照らした時、どの有様が自己の有様であるのか?
南嶽の懐譲が「鏡は、照らさないといえども、他を一点も、だます事は有り得ない」と言ったのは、「鏡は照らし得ない」のであり、「鏡は他をだます事は有り得ない」のである。
「海は枯れても底を露わにするに到らない」という学に参入するべきである。
「打破するなかれ。激しく動揺するなかれ」なのである。ではあるが、さらに学に参入するべきである。
「像をひねって鏡を鋳造(の様に複製)する」道理が有る。
まさに「像をひねって鏡を鋳造(の様に複製)する」時は、百千万の無数の鏡が照らして点々と他をだますのである。
真覚大師と呼ばれる雪峰義存は、ある時、僧達に示して「『この事』を会得しようと求めれば、私の、この中は、一つの『古鏡』、『古くから鏡としているもの』の様なものに似ているのである。未開の人が来れば、未開の人を現すし、中国人といった文明人が来れば、中国人といった文明人を現す」と言った。
その時、玄沙師備は前に出て「突然、『明鏡』、『曇りの無い鏡』が『来る』のに出会った時は、どうなるのですか?」と質問した。
雪峰義存は「未開の人も中国人といった文明人も共に隠れる」と言った。
玄沙師備は「私は『そうではない』と思います」と言った。
雪峰義存は「あなたは、どう思うのか?」と言った。
玄沙師備は「お願いします、和尚様、雪峰義存様、質問してください」と言った。
雪峰義存は「突然、『曇りの無い鏡』が『来る』のに出会った時は、どうなるのか?」と言った。
玄沙師備は「全てのものが木っ端微塵に成る」と言った。
「雪峰義存の言葉の『この事』と言うのは何の事か?」と考えて学に参入するべきである。
また、雪峰義存の「古くから鏡としているもの」を習ってみるべきである。
「一つの『古くから鏡としているもの』の様なもの」という雪峰義存の言葉の「一つ」とは、永遠に限界が無くて(無限で)、内と外が無いのであり、「一つの珠が盤上を走る」自己である。
「未開の人が来れば、未開の人を現す」とは、一方の赤髭である。
「中国人といった文明人が来れば、中国人といった文明人を現す」という言葉の「中国人」の神話では、盤古が混沌で天と地を押し分けて「天と地と人」という「三才」と「木、火、土、金、水」の「五才」、「五行」が形成されて現されている、と言っている。
(
中国では五芒星に木、火、土、金、水を当てはめて五才、五行と呼んだ。
西洋では五芒星に精神と四大元素を当てはめる。
)
雪峰義存の言葉では、「古くから鏡としているもの」の功徳が「(中国人といった文明人が来れば、)中国人といった文明人を現す」のである。
「文明人」は(先天的に)「文明人」ではないので、「(中国人といった文明人が来れば、)中国人といった文明人を現す」のである。
雪峰義存の「未開の人も中国人といった文明人も共に隠れる」という言葉に言い足すと、「古鏡と明鏡といった鏡も自ら隠れる」。
玄沙師備の「全てのものが木っ端微塵に成る」という言葉は、「言えば、当然、そう言う事に成る」のではあるが、この時、玄沙師備、あなたを責める、「私に破片を返してくれ」と、また、「なぜ私に『曇りの無い鏡』を返してくれないのか?」と。
黄帝の時に、十二の鏡が有った。
黄帝の十二の鏡は、家訓では「天から授かった」と言われている。また、「崆峒山で、黄帝の師である崆峒山の仙人の広成子から与えられて授かった」とも言われている。
黄帝の十二の鏡の用い方は、一日を十二に分けた各時刻に一つの鏡を用いる。また、一年の各月に一つの鏡を用いる。十二年周期の各年に一つの鏡を用いる。
「鏡は広成子の経典である」と言われている。
広成子は、十二の鏡を黄帝に伝授する時に、「一日などは鏡である。鏡によって古今を照らして見るのである」と言った。
もし一日などが鏡でなかったら、どうして「昔」を照らして見る事ができようか?
もし一日などが鏡でなかったら、どうして「今」を照らして見る事ができようか?
一日を十二に分けた各時刻は十二の面であり、十二の面は十二の鏡である。
古今は、一日が使われている所である。
広成子は十二の鏡によって黄帝に、この様な道理を指示したのである。
これは、在俗者が理解して取った道の言葉であるといえども、「(中国人といった文明人が来れば、)中国人といった文明人を現す」一日の中の物である。
軒轅と呼ばれる黄帝は、(広成子を敬って、)ひざまずいて崆峒山へ進んで、「道」、「真理」を広成子に質問した。
その時、広成子は次の様に言った。
「『鏡』は、陰陽の本である。
身を長く久しく統治するには、自然と、天と地と人という三つの鏡が有る。
天と地と人という三つの鏡は、視えないし、聴こえない。
精神を抱いて静めれば、形も自然と正しく成ろうとする。
必ず、精神を静めれば、精神を清めれば、あなたは、形を労する事無く、精神を動揺させる事無く、長生きできる」
昔は、天と地と人という三つの鏡をもって、天下を統治し、真理という大いなる道を統治した。
真理という大いなる道に明らかな人を天地の主とするのである。
「唐の太宗は、人を鏡とした。安全か危険か、世が治まっているか乱れているか、人という鏡によって照らして見て、ことごとく知った」と俗に言われている。
唐の太宗は、天と地と人という三つの鏡のうちの一つを用いたのである。
「人を鏡とする」と聞いて、誤って「広く見聞きしている人に古今を質問すれば、聖者や賢者の用いたものや捨てたものを知る事ができる。例えば、唐の太宗が、広く見聞きしている人として、魏徴を得ていた様に。房玄齢を得ていたように」と思う。
「人を鏡とする」事をこの様に誤解して取るのは、唐の太宗が「人を鏡とする」と会得した「道」、「真理」、「道理」ではないのである。
「人を鏡とする」と言うのは、「鏡を鏡とする」のである。
「自己を鏡とする」のである。
「『木、火、土、金、水』の『五行』を鏡とする」のである。
「『仁、義、礼、智、信』の『五常』を鏡とする」のである。
「人物の去来を見ると『来る時に跡が無いし、去る時に行方が分からない』と知って用心する」のが「人を鏡とする」道理であると言う。
賢愚が万物に有るのは、「天象」、「天体の現象」や「空模様」に似ていて、実に込み入っている。
人の面、鏡の鏡面、日面、月面(は実に込み入っているの)である。
「五嶽」、「中国の五つの山」の精霊や「四瀆」、「中国の四大河」の精霊は、時を経て、「四海」、「世界」を澄まして清めるのは、鏡の慣習である。
人物を明らめて、込み入っている事情を量るのを唐の太宗の「道」、「真理」と言うのである。
広く見聞きしている人を鏡と言うわけではないのである。
日本国には神代から三つの鏡、三つの八咫鏡が有る。
八咫鏡は、三種の神器として、八尺瓊勾玉と、草薙剣と呼ばれる天叢雲剣と共に、伝えられて来て今に至る。
三つの八咫鏡のうち、一つは伊勢の大神宮に在る。一つは紀伊国の日前社に在る。一つは「内裏」、「皇居」の内侍所に在る。
そのため、国家は皆、鏡を伝えられ保持している事は明らかである。
鏡を得たのは国を得た事に成る。
人は「三つの八咫鏡は、神の位と共に、天の神から、伝えられて来ている」と伝えている。
そのため、「百錬」、「何度も精錬」した銅の鏡も、陰陽が変化して形成している鏡なのである。
「今が来れば、今を現す」し、「昔が来れば、昔を現す」のである。
古今を照らすものは、「古くから鏡としているもの」である。
雪峰義存の「未開の人が来れば未開の人を現すし、中国人といった文明人が来れば中国人といった文明人を現す」という言葉の主旨は、「新羅の人が来れば新羅の人を現すし、日本人が来れば日本人を現す」とも言える。
「天人が来れば天人を現すし、人が来れば人を現す」とも言える。
「来れば現す」事をこの様な物として学に参入するといえども、この「現す」事は今の私達の最初から最後までを知っているわけではない。ただ、「現す」のを見るのみである。
必ずしも「『来れば現す』事は『知』である」とか「『来れば現す』事は『会得』、『理解』である」と学ぶべきではないのである。
「必ずしも『来れば現す』事は『知』や『会得』、『理解』であると学ぶべきではない」という言葉の主旨は、「『未開の人が来る』と、『未開の人を現す』事に成るというのか? いいえ!」である。
「未開の人が来る」事は、一つの「未開の人が来る」事であるし、「未開の人を現す」事は、一つの「未開の人を現す」事である。
「現す」ために「来る」わけではない。
「古くから鏡としているもの」が、たとえ「古くから鏡としているもの」でも、この学に参入するべきである。
玄沙師備は前に出て「突然、『曇りの無い鏡』が『来る』のに出会った時は、どうなるのですか?」と質問した。
玄沙師備が選び取った言葉を尋ねて明らめるべきである。
玄沙師備は「明鏡」、「曇りの無い鏡」の「明」、「曇りが無い」という言葉で、どれだけ言い得たのか?
玄沙師備の言葉は、「『来る』のは必ずしも『未開の人』や『中国人といった文明人』ではない」という事を「曇りの無い鏡」という言葉で表現したのである。
さらに、玄沙師備は、「『未開の人』や『中国人といった文明人』を形成して現しているわけではない」と、「曇りの無い鏡」という言葉を選び取ったのである。
「『曇りの無い鏡』が『来る』」のは、たとえ「『曇りの無い鏡』が『来る』」のであっても、「曇りの無い鏡」が二つに成るわけではないのである。
たとえ二つに成らなくても、「古くから鏡としているもの」は「古くから鏡としているもの」であるし、「曇りの無い鏡」は「曇りの無い鏡」である。
「古鏡」、「古くから鏡としているもの」があり、「明鏡」、「曇りの無い鏡」がある証拠は、雪峰義存と玄沙師備が選び取った言葉である。
これを仏道の性質と相とするべきである。
玄沙師備の「『曇りの無い鏡』が『来る』」という言葉、話が、「七と八に通達している」と知るべきであるし、どの面も曇りが無い事を知るべきである。
人に会うには出るべきであるし、出れば彼の人と接する事ができるであろう。
そのため、「明鏡」、「曇りの無い鏡」の「明」、「曇りが無い」事と、「古鏡」、「古くから鏡としているもの」の「古」、「古くから」とは、同じものを意味しているとするのか? 異なるものを意味しているとするのか?
「明鏡」、「曇りの無い鏡」に「古」、「古くから」の道理は有るのか? 無いのか?
「古鏡」、「古くから鏡としているもの」に「明」、「曇りが無い」道理は有るのか? 無いのか?
「古鏡」(の「鏡」)という言葉によって「曇りが無いであろう」と学ぶ事なかれ。
主旨は、「私もまた、その様である」し、「あなたもまた、その様である」。
「西のインドの諸祖もまた、その様である」道理を早く鍛錬して磨くべきである。
祖師の言い得た言葉によって「古鏡は磨く事が有る」という「道」、「真理」を理解して取る事ができる。
「明鏡も磨く事が有る」のか? どうか?
まさに、広く諸々の仏と祖師の言葉に渡る学への参入が有るべきである。
雪峰義存の「未開の人も中国人といった文明人も共に隠れる」という言葉は、「未開の人も中国人といった文明人も、『曇りの無い鏡』が『来る時』は共に隠れる」という意味である。
「共に隠れる」道理とは、どういう事か?
「未開の人も中国人といった文明人も来れば現す」ので、「古くから鏡としているもの」を遮らないのに、なぜ「共に隠れる」のか?
「古くから鏡としているもの」は、たとえ「未開の人が来れば未開の人を現すし、中国人といった文明人が来れば中国人といった文明人を現す」としても、「『曇りの無い鏡』が『来る』」事は自然と「『曇りの無い鏡』が『来る』」事なので、「古くから鏡としているもの」が「現す」未開の人も中国人といった文明人も共に隠れるのである。
そのため、雪峰義存の言葉にも「古くから鏡としているもの」が一つ有るし、「曇りの無い鏡」も一つ有るのである。
まさに、「曇りの無い鏡」が「来る」時、「古くから鏡としているもの」が「現す」未開の人と中国人といった文明人を遮らない道理を決定的に明らめるべきである。
雪峰義存が選び取った言葉である「古鏡」、「古くから鏡としているもの」は「未開の人が来れば未開の人を現すし、中国人といった文明人が来れば中国人といった文明人を現す」では、
古鏡の上に「来れば現す」とは言っていないし、
古鏡の内に「来れば現す」とは言っていないし、
古鏡の外に「来れば現す」とは言っていないし、
古鏡と共に「来れば現す」とは言っていない。
この言葉を聴き取って理解するべきである。
未開の人と中国人といった文明人を「来れば現す」時は、「古鏡の、未開の人と中国人といった文明人」を「来れば現す」のである。
「未開の人も中国人といった文明人も共に隠れる」時も、「鏡は存在するべきである」と雪峰義存の言葉を誤って会得している者は、「現す」事に暗く、「来る」事に、おろそかである。錯乱と言うだけでは済まない者である。
その時、玄沙師備は「私は『そうではない』と思います」と言った。
雪峰義存は「あなたは、どう思うのか?」と言った。
玄沙師備は「お願いします、和尚様、雪峰義存様、質問してください」と言った。
玄沙師備の「和尚様、雪峰義存様、質問してください」という言葉をいたずらに見過ごすべきではない。
和尚、雪峰義存が質問して「来る」事、玄沙師備が「和尚様、雪峰義存様、質問してください」とお願いする事は、父と子(と言える師と弟子)の気が合わなければ、どうして、こう成るであろうか?
「お願いします、和尚様、雪峰義存様、質問してください」と言う時は、その人は必ず質問されているものを会得している。
質問されるという雷が鳴ると、回避できないのである。
雪峰義存は「突然、『曇りの無い鏡』が『来る』のに出会った時は、どうなるのか?」と言った。
「突然、『曇りの無い鏡』が『来る』のに出会った時は、どうなるのか?」という質問は、父と子(と言える師と弟子)が共に参入して究める一つの「古くから鏡としているもの」である。
玄沙師備は「全てのものが木っ端微塵に成る」と言った。
「全てのものが木っ端微塵に成る」という言葉を理解して取ると、「百千万に無数に木っ端微塵に成る」と成る。
「突然、『曇りの無い鏡』が『来る』のに出会った時」は「全てのものが木っ端微塵に成る」のである。
「全てのものが木っ端微塵に成る」のに参入して会得したものは、「曇りの無い鏡」に成るであろう。
なぜなら、「曇りの無い鏡」という「道」、「真理」を会得させると、「全てのものが木っ端微塵に成る」からである。
「木っ端微塵に成る」ものは、「曇りの無い鏡」である。
「先に『木っ端微塵に成る』前の時が有り、後に別に『木っ端微塵に成らない』時が有る」と狭いものの見方で見る事なかれ。
ただ「全てのものが木っ端微塵に成る」のである。
「全てのものが木っ端微塵に成る」事との対面は、孤高の高く険しい一である。
「全てのものが木っ端微塵に成る」という言葉は、「古くから鏡としているもの」の事であると理解して取るのか? 「曇りの無い鏡」の事であると理解して取るのか?
更に心を一転させる言葉を求めるべきである。
「全てのものが木っ端微塵に成る」という言葉は、「古くから鏡としているもの」を選び取った物ではないし、「曇りの無い鏡」を選び取った物ではない。
「古鏡」と「明鏡」は、たとえ「質問が来る」時が有り得ても、玄沙師備の選び取った言葉を疑う時、砂礫、牆壁だけ目の前に現す言い方と成って、「全てのものが木っ端微塵に成る」のであろうか?
「砕ける」ものが「来る」時の形、様子は、どの様か? 遥か古くから、青々とした深い淵である、空の世界の月である。
真覚大師と呼ばれる雪峰義存と三聖慧然は、歩いている時に、一群の「獼猴」という大猿を見た。
その時、雪峰義存は、「大猿達は各々一つの『古鏡』、『古くから鏡としているもの』を背にしている」と言った。
「大猿達は各々一つの『古くから鏡としているもの』を背にしている」という言葉の学によくよく参入するべきである。
「獼猴」と言うのは(大)猿である。
「雪峰義存が見た大猿とは、どの様な者か?」と自問自答して理解して取って更に鍛錬するべきである。長い時間を経ている事を顧みる事なかれ。
「各々一つの『古くから鏡としているもの』を背にしている」とは、「古くから鏡としているもの」が諸々の仏祖の「面」、「有様」であっても、「古くから鏡としているもの」は向上においても「古くから鏡としているもの」である。
「大猿達は各々一つの『古鏡』、『古くから鏡としているもの』を背にしている」と言うのは、各々の鏡に大小、優劣は無く、一つの「古鏡」、「古くから鏡としているもの」なのである。
「背にしている」と言うのは、例えば、「絵や像の仏の『裏』をあえて作る」のを「背にしている」と言うのである。
大猿の「背」を「背にする」のに、「古くから鏡としているもの」で「背にする」のである。
どの様な糊を使い得て「来る」のか?
試しに言ってみると、「猿の『裏』は『古くから鏡としているもの』で『背にする』べきであるが、『古くから鏡としているもの』の『裏』は大猿で『背にする』のか?」。
「古くから鏡としているもの」の「裏」を「古くから鏡としているもの」で「背にする」のである。
猿の「裏」を猿で「背にする」のである。
「各々一つの『古くから鏡としているもの』を背にしている」という言葉を虚しく設けたわけではない。
会得した道を正しく言い得たのである。
であれば、究極的に、会得した、言い得た、「道」、「真理」とは、どの様な物か? 「大猿」(という言葉で言い得た真理)か? 「古くから鏡としているもの」(という言葉で言い得た真理)か?
私達、人が「大猿」なのか? 「大猿」ではないのか?
誰に質問して理解して取るのか?
「自分が『大猿』であるか?」は、自分が自分を自分によって知る物ではないし、他人が自分を知る物、自分を他人によって知る物ではない。
「自分が自分であるか?」は、模索に及ぶ事ができない。
三聖慧然は、「長い時間の経過には名前が無い。なぜ長い時間の経過を表して『古くから鏡としているもの』とするのか?」と言った。
「長い時間の経過には名前が無い。なぜ長い時間の経過を表して『古くから鏡としているもの』とするのか?」という言葉は、三聖慧然が「古くから鏡としているもの」を証明している一面の一つである。
「長い時間の経過」と言うのは、「一心、一念が萌芽する以前」であり、「『長い時間』の中で現れない事」である。
「名前が無い」と言うのは、「長い時間」の日面、月面、「古鏡」の鏡面であるし、「明鏡」の鏡面である。
「名前が無い」のが真に「名前が無い」ならば、「長い時間の経過」も未だ「長い時間の経過」ではない。
「長い時間の経過」が「長い時間の経過」でなければ、三聖慧然が言い得た言葉は道を得ていない。
そうではあるけれども、「一念が萌芽する以前」と言うのは今日である。
今日を無駄にせず鍛錬して磨くべきである。
実に、「長い時間の経過には名前が無い」の「名前」は高名に聞こえている。
何を表して「古くから鏡としているもの」とするのか? 「龍頭蛇尾」、「最初は勢いが有るが、最後は勢いが無い」。
この時、雪峰義存は三聖慧然に向かって「『古くから鏡としているもの』は『古くから鏡としているもの』である」と言うべきである。
しかし、雪峰義存は「『古くから鏡としているもの』は『古くから鏡としているもの』である」と言わなかった。
(雪峰義存は「『瑕』、『きず』が生じた」と言った。)
雪峰義存が「瑕が生じた」と言ったのは、「瑕が出来た」のである。
「どうして『古鏡』に瑕が生じたのか?」と思うけれども、雪峰義存が「『古鏡』に瑕が生じた」と言ったのは、三聖慧然が「長い時間の経過には名前が無い」と言ったのを「瑕」としているのである。
「『古鏡』に瑕が生じた」とは、「全ての『古鏡』に瑕が生じた」のである。
三聖慧然は未だ「『古鏡』に瑕が生じた」という穴を出ていないので、「来られた」言葉に参入して究めるには「『古鏡』に瑕が生じた」という言葉に一任するのである。
「『古鏡』にも瑕が生じる」のであるし「瑕が生じるのも『古鏡』である」という学に参入する事は、「古鏡」の学に参入する事に成る。
三聖慧然は「どんな自棄が有ったのか? 話が理解できない」と言った。
「どんな自棄が有ったのか? 話が理解できない」という言葉の主旨は、「なぜ自棄に成ったのか?」である。
「自棄に成った」のは、今日か? 明日か? 自己か? 他者か? 尽十方界か? 中国の中か? 明確に詳細に鍛錬して学に参入するべきである。
「話が理解できない」の「話」と言うのは、「来た」言葉である話が有るし、未だ会得していない「道」、「真理」の話が有るし、既に言い終えた話が有る。
今は話である道理が形成されて現されているのである。
例えば、話も「(釈迦牟尼仏と共に、)大地と情の有る全ての生者と共に同時に仏に成った」のか?
錦を更に再現したわけではないのである。
そのため、「(話が)理解できない」のである。
梁の武帝は二十八祖の達磨に「私と相対している者は誰か?」(、「あなたは何者か?」、「あなたは、どういった者か?」)と言った。達磨は、「私は『こういった者である』と意識していない」と言った。
対面しているものを「理解できない」のである。
話は無いわけではないが、ただ「理解できない」のである。
「理解できない」(と言う)のは、個々の真心である。
また、「理解できない」(と言う)のは、明々に明らかに見えないのである。
雪峰義存は、「老僧である私、雪峰義存の罪、過ちである」と言った。
この言葉は、言い方が悪かった時にも、こう言う事も有るけれども、そうは心得るなかれ。
「老僧」と言うのは、「家」の中の主人の老人の男性である。
「老僧」は、他の学に参入せず、ひとえに「老僧」の学に参入するのである。
千万に無数に変化しても、神の頭に鬼の面が有っても、「老僧」は、ただ「老僧」一つを明らめる学に参入するのである。
仏が来ても、祖師が来ても、「一念万年」が有っても、「老僧」は、ただ「老僧」一つを明らめる学に参入するのである。
「罪、過ち」とは、寺の長の僧、「老僧」が多忙だったからである。
考えてみると、雪峰義存は、徳山宣鑑の弟子である一角の人物である。
三聖慧然は、臨済義玄の高弟である。
雪峰義存と三聖慧然は、系譜が高貴である。
雪峰義存は、三十四祖の青原の行思の法の遠い子孫である。
三聖慧然は、三十四祖の南嶽の懐譲の法の遠い子孫である。
この様に、「古くから鏡としているもの」に住んで保持してきたのである。
後進の人の「鏡」、「見本」である。
雪峰義存は、僧達に示して次の様に言った。
「世界の広さが一丈であれば、『古くから鏡としているもの』の広さも一丈である。
世界の広さが一尺であれば、『古くから鏡としているもの』の広さも一尺である」
(一丈は約三メートル。一尺は約三十センチメートル。)
その時、玄沙師備は炉を指して「では、言ってください。炉の広さは、どれくらいですか?」と言った。
雪峰義存は、「『古くから鏡としているもの』の広さに似ている」と言った。
玄沙師備は「老和尚の踵は未だ地についていない」と言った。
一丈を世界と言う。
世界は一丈なのである。
一尺を世界と言う。
世界は一尺なのである。
今、言っている一丈、一尺は、普通の一丈、一尺と異なるわけではないのである。
この事の学に参入すると、「世界の広さは、量り知れない、果てしない、三千の『大千世界』または無尽法界と言われている」と普通は思うが、ただ狭量な自己による思いであり、隣の村の彼方を少し指す様な物である。
この世界をひねって一丈とするのである。
そのため、雪峰義存は、「『古くから鏡としているもの』の広さは一丈である」、「世界の広さは一丈である」と言ったのである。
この「一丈」を学ぶには、世界の広さの一端を見て取るべきである。
また、「古鏡」、「古くから鏡としているもの」という言葉を聞き取って「一枚の薄い氷の様な物」という見解を成すかもしれないが、そうではないのである。
「一丈の広さ」は、「世界の広さ一丈」に同じく参入しても、「形、例えが必ずしも『世界に端が無い』事に肩を並べるか? 同じく参入するか?」と(考えて)鍛錬するべきである。
「古鏡」、「古くから鏡としているもの」は「一顆珠」、「一粒の宝玉」の様ではない。
明暗を見て理解する事なかれ。
角ばっているか丸いかを見て理解して取る事なかれ。
尽十方界が、たとえ「一顆明珠」、「一粒の光明に輝く宝玉」であっても、「古鏡」、「古くから鏡としているもの」に等しいはずが無い。
「古くから鏡としているもの」は「未開の人や中国人といった文明人が来れば現す」事とは無関係に、縦横に自由に宝玉の様に光明に輝く個々である。
「古くから鏡としているもの」は多さではないし、大きさではない。
「一丈」、「一尺」といった広さは「古くから鏡としているもの」の量を挙げたのであり、広さを言ったのではない。
「古くから鏡としているもの」の広さというのは、普通に二寸、三寸と言い七個、八個と数える様な物である。(一寸は約三センチメートル。)
仏道の数え方では、大いなる悟りと悟っていないのを数えるのに二両、三両と明らめるし、仏から仏へ祖師から祖師へを数えるのに五枚、十枚と形成して現す。
一丈は「古くから鏡としているもの」の広さである。
「古くから鏡としているもの」の広さは一枚である。
玄沙師備の「炉の広さは、どれくらいですか?」という言葉は、隠れない、会得した「道」、「真理」である。
千万の遥か古くからのものによって、玄沙師備の学に参入するべきである。
炉を見る時、誰と成って炉を見るのか? どの様な人と成って炉を見るのか?
炉を見ると、七尺ではないし、八尺ではない。
これは、執着している心を動揺させる時の話ではない。
新しい特別なものを形成して現しているのである。
例えば、「何ものかが、どの様にかして来ている」なのである。
「広さは、どれくらいですか?」という言葉が来たならば、従来の「どれくらい」は「どれくらい」ではない。
炉という、この場所を解脱している道理を疑わないべきである。
炉の諸々の相や量ではない主旨は、玄沙師備の言葉を聴くべきである。
目の前の一つの団子をいたずらに地に落とす事なかれ。打破するべきである。これが、鍛錬である。
雪峰義存は、「『古くから鏡としているもの』の広さの様である」と言った。
雪峰義存が選び取った言葉を静かに照らして顧みるべきである。
「炉の広さは一丈である」と言うべきではないので、「『古くから鏡としているもの』の広さの様である」という言葉を選び取ったのである。
「『古くから鏡としているもの』の広さは一丈である」と言うのは正しく言い得ていて「『古くから鏡としているもの』の広さの様である」と言うのは正しく言い得ていない、わけではない。
「『古くから鏡としているもの』の広さの様である」行為を「鏡」、「見本」に照らして考えるべきである。
多くの人は誤って「『炉の広さは一丈である』と言わないのは正しく言い得ていない」と思っている。
「広さ」の独立をも(考えて)鍛錬するべきである。
「古鏡」の一欠片をも「鏡」、「見本」に照らして考えるべきである。
あるがままの鳥かごをも見過ごさせないべきである。
「振る舞いを古くからの道にまで高く上げて、悄然とした心に堕ちない」べきである。
玄沙師備は「老人の男の踵は未だ地についていない」と言った。
言葉の意味は、「老人の男」と言ったり「老和尚」と言ったりしても、必ず雪峰義存の事であるわけではない。
しかし、雪峰義存は「老人の男」であるので、「『踵』と言うのは、どこの場所の事を言っているのか?」質問するべきである。「『踵』と言うのは、何の事を言っているのか?」と参入して究めるべきである。
「参入して究めるべきである」と言うのは、「踵」とは、「正法眼蔵」、「正しくものを見る眼」を言うのか?
「踵」とは、虚空を言うのか?
「踵」とは、尽地を言うのか?
「踵」とは、命を言うのか?
「踵」とは、何個有る物なのか?
一個有るのか? 半分有るのか? 百千万の無数個有るのか?
この様な事を学ぶのに勤めるべきである。
「未だ地についていない」という言葉の「地」と言うのは、どの様な物であるのか?
「大地」と言う「地」は、ある一つの種類の者達の所見に従って、「地」と言う。
更に、諸々の種類の者達は、また、「地」を不思議な解脱の法の門であると見る事が有る。
「地」を諸仏の諸々の行いの道であると見る、ある一つの種類の者達がいる。
そのため、「踵がつくべき『地』」という言葉は、何ものを「地」としているのか?
「地」は真実の存在であるのか? 真実の無であるのか?
また、「地」と言うものは、大いなる道の中に、一寸ばかりも、少しも無いのか?
質問して行き来すべきである。
他者に質問を言ったり自己に質問を言ったりするべきである。
「踵」は「地につける」のが正しいのか? 「地につけない」のが正しいのか?
どうして「踵が未だ地についていない」という言葉を選び取ったのか?
大地に一寸の土も無い時は、「踵」を「地につける」も「地につけない」も無く成る。
そのため、「老人の男の踵は未だ地についていない」とは、「老人の男」の消息であるし、「踵」の一時的な事である。
ある時、ある僧が、婺州の金華山の国泰院の弘瑫に「『古鏡』が未だ磨かれていない時は、どの様なものであるのですか?」と質問した。
弘瑫は、「『古鏡』である」と言った。
ある僧は、「『古鏡』が磨かれた後は、どの様なものであるのですか?」と言った。
弘瑫は、「『古鏡』である」と言った。
知るべきである。
「古鏡」は、磨かれている時が有っても、未だ磨かれていない時が有っても、磨かれた後が有っても、一つの「古鏡」である。
そのため、磨いている時は、「古鏡」のうち全ての「古鏡」を磨いている事に成る。
「古鏡」ではない水銀などを混ぜ合わせて磨くのではない。
「古鏡」が自分を磨くわけではないし、自分が「古鏡」を磨くわけではないけれども、「古鏡」を磨く事に成る。
未だ磨かれていない時も「古鏡」は「暗い」、「曇りが有る」わけではない。
「暗い」、「曇りが有る」という言葉を選び取っても、「暗い」、「曇りが有る」わけではない。
活きている「古鏡」なのである。
鏡を磨いて鏡と成す。
瓦を磨いて鏡と成す。
瓦を磨いて瓦と成す。
鏡を磨いて瓦と成す。
磨いて成さない事が有る。成る事が有るけれども磨き得ない事が有る。同じく仏祖の家業である。
江西の三十五祖の馬祖道一が三十四祖の南嶽の懐譲の学に参入した時に、南嶽の懐譲は心の印を馬祖道一に密かに受けさせた。
瓦を磨く最初の最初である。
馬祖道一は、伝法院に住んで、十何年、常に坐禅した。
雨の夜の、草の屋根の小さな質素な庵を想像するべきである。
雪に閉ざされた季節の寒い床でも坐禅を怠ったとは言われていない。
南嶽の懐譲は、ある時、馬祖道一の、草の屋根の小さな質素な庵に行った。
馬祖道一は、南嶽の懐譲のそばに仕えて立った。
南嶽の懐譲は「あなたは、近頃は、何をしているのか?」と質問した。
馬祖道一は「近頃は、私、馬祖道一は、ただ、ひたすらに、打ち坐っているばかりです」と言った。
南嶽の懐譲は「坐禅は、何を意図しているのか?」と質問した。
馬祖道一は「坐禅は、仏に成ろうと意図しています」と言った。
南嶽の懐譲は、一欠片の瓦を持って、馬祖道一の、草の屋根の小さな質素な庵の近くの石の上に当てて磨ぎ始めた。
馬祖道一は、これを見て「和尚様、何をしているのですか?」と質問した。
南嶽の懐譲は「瓦を磨いでいる」と言った。
馬祖道一は「瓦を磨いで何にするのですか?」と言った。
南嶽の懐譲は「瓦を磨いで鏡にするつもりである」と言った。
馬祖道一は「どうして、瓦を磨いで鏡にでき得ようか? いいえ! できない!」と言った。
南嶽の懐譲は「どうして、仏に成ろうという意図で坐禅して、仏に成る事ができ得ようか? いいえ! できない!」と言った。
(
馬祖道一は「どうすれば仏に成れますか?」と言った。
南嶽の懐譲は「人が牛車に乗っている時に、もし牛車が進まなければ、車を軽く打って進む様に合図するのが良いか? 牛を軽く打って進む様に合図するのが良いか?」と言った。
馬祖道一は、あえて何も応えなかった。
)
この一段落の一大事を、昔から数百年の間、多くの人は誤って「南嶽の懐譲は、単に馬祖道一を励ました」と思った。
必ずしも、そうではない。
大いなる聖者の行為は、遥かに凡人の境地を出て離れているばかりである。
大いなる聖者に、もし「瓦を磨いで鏡にする」法が無ければ、どうして人の為の手段が有るであろうか?
人の為の力は、仏祖の「骨髄」である。
たとえ構え得たとしても、人の為の力は、家具である。
「家具」や「調度品」、「日常の道具」でなければ、仏の家(である仏教)に伝われていないのである。
まして、既に、三十五祖の馬祖道一と速やかに接したのである。
仏祖が正しく伝えている功徳とは、直接的に指し示す事である、と量り知る事ができる。
実に、知る事ができる。
「瓦を磨いで鏡にした」時、馬祖道一も仏に成る。
馬祖道一が仏に成る時、馬祖道一は速やかに馬祖道一と成る。
馬祖道一が馬祖道一と成る時、坐禅は速やかに坐禅と成る。
そのため、「瓦を磨いで鏡にする」事は、古代の仏の「骨髄」に住まわさせられ保持させられてきた。
瓦が成った「古鏡」が有り、「古鏡」を磨いてきた時、従来も未だ汚染されていないのである。
瓦の「塵」、「汚れ」が有るわけではなく、ただ瓦であるものを磨ぐのである。
瓦を磨ぐ所に、鏡と成す功徳が形成されて現されるのは、仏祖の鍛錬である。
「瓦を磨ぐ」事が、もし鏡とできないのであれば、鏡を磨いても鏡にできないのである。
「瓦を磨いで鏡を作る」事に、仏を作る事が有るし、鏡を作る事が有る事を誰が思い量る事があろうか?
また、疑って知っているのは、「『古鏡』を磨いた時、誤って瓦へと磨いて成す事が有るであろうか?」という事である。
磨いた時の消息は、他の時によって量る事はできない。
そうではあるけれども、南嶽の懐譲の言葉は、正に、言い得る事を言い得る事ができたので、究極的に、「瓦を磨いで鏡にする」事である。
今の人も今の瓦をひねって磨いで試みるべきである。必ず鏡と成るであろう。
もし瓦が鏡と成らなければ、人は仏に成る事ができない。
瓦を泥の塊であると軽んじれば、人も泥の塊であると軽く成ってしまうであろう。
もし人に心が有れば、瓦にも心が有るはずである。
「瓦が来れば、瓦を現す鏡が有る」事を誰が知るであろうか?
また、「鏡が来れば、鏡を現す鏡が有る」事を誰が知るであろうか?
正法眼蔵 古鏡(古くから鏡としているもの)
千二百四十一年、観音導利興聖宝林寺にいて僧達に話した。