第七話 胡乱な聖騎士
死霊術師のロズワグンと征四郎は北方連盟と呼ばれる同盟圏内で指折りの商業都市トヌカに来ていた。
征四郎のボロボロになった服を新調しようとした矢先、聖騎士が来ると声が響く。
叫んでいるのも聖騎士らしく、征四郎は店を飛び出した。
征四郎が店を飛び出せば、ロズワグンも慌てて店を飛び出る。
だが、店の店主である老人は一瞬躊躇した。
外で叫んでいるのが聖騎士になった従妹の子、カファンである事がその声から分かっていたからだ。
老人の従妹は既に亡くなっていたが、老人やカファンの妻子は裏切り者の家族として周囲から白い目で見られていた事が躊躇の原因だ。
それでもトヌカで生活できたのは、トヌカ自治会員の一人であるロウが親身になって世話をしてくれたからだ。
彼は周囲を説得して老人の店も守ってくれた。
また、カファンの息子も衛兵となり、街の為に働けば少しずつ偏見は消えていった。彼等も身勝手な男の被害者だと言う意見も出てきていた。
そんな折にカファンが帰って来たのだ。
自ら聖騎士になったにも関わらず、聖騎士が来るなどと喧伝しながら。
そもそも、カファンならば出入り口で見咎められたはずだ。
それが街中にまで入って来ると言う事は……守りを突破した事を意味している。
子供の頃から知るカファンの顔を思い出すと、懐かしさや愛しさと共に、如何しようもない憎悪が浮かんでくる。
何故裏切ったのかと叫びたくなるほどの怒りも。
「馬鹿者が……」
それでも、無視する事が出来なかった。
何を言いに来たにせよ、無視してしまう事だけは出来なかった老人は遅れて店の外に出た。
そして、衛兵に武器を突き付けられて囲まれたカファンの姿と彼と対峙する背の小さな衛兵……カファンの息子マウロの姿を見た。
征四郎が外に飛び出てまず奇妙に思ったことは、聖騎士の異様な姿だ。
赤い髪はぼさぼさで、無精髭に覆われた顔に精悍さはなく、何とも言えない胡乱さがあった。
魔法銀の要所甲冑に厚手の衣服が聖騎士の統一された姿の筈だが、衛兵に囲まれたその男の装いは、服と言うよりは、ズタズタに引き裂かれた布きれを纏っていると評した方が正しい。
正に異様。
必死な形相で聖騎士が来ると訴えたかと思えば、途端に目が虚ろになり、口を半開きにして唸り声を挙げたり、黙ったりする。
そして、我を取り戻したように再び訴えるその姿も服装と同様だ。
その異様な行動を前にしても、聖騎士となった元同僚を許す衛兵は居ないようだ。
一体どんな裏切りを行って、聖騎士になったのか。
ロズワグンの弟とも何か事情が違うようだなと推移を見守っていると、背の低い戦斧を担いだ衛兵が前に出てきた。
「よぉ、マウロ! 裏切り者の親父だぜ!」
「ぶっ殺せ!」
「貴様ら、黙らんか! マウロ、下がれ! 仕事に私情を挟むな!」
野次馬の中でも若い連中が前に出た小柄な衛兵を囃し立て、それを衛兵がたしなめると言う構図に、征四郎は少しだけ頭が痛くなった。
国策でも威勢の良い事を言うのは大抵戦場に出ない連中なのだ。
それは、この地でも変わらないのかとうんざりもした。
「……マ、マウロか……?」
「親父、何で母さんを捨ててった……。何でみんなを裏切ったんだよ!」
マウロと呼ばれた衛兵はまだ若い。
だが、足腰は十分に鍛えているのか戦斧を構える姿は、中々の物だった。
足もふらつかず、腰を据えて重心のバランスをしっかり取っている。
並々ならぬ努力が垣間見えた。
しかし、マウロの父親はその問いには答えず、先程までと同じ事を再度訴えた。
「聖騎士が来る、来るんだよぉ! 連中が、連中が!」
「答えろよっ!! 親父っ!!」
同じ言葉を繰り返す父親に業を煮やしたマウロが叫ぶ。
征四郎はふと脇に人の気配を感じてそちらを向くと、神妙な顔のロズワグンがそこに立っていた。
彼女もこの光景に思う所があるのだろう。
遅れて、店の扉が開き店の主である老人が出て来た時に、事態は動いた。
「れ、れ、連中が! 魔人衆がっ!――――がっ、ががががっ! にげっ」
その言葉を発した瞬間に、征四郎を除く周囲の者達には聖騎士の体を巡る魔力に異変が感じ取れた。
この大陸の戦士ならば誰もが扱う技術としての魔力。
それが大きく乱れ、聖騎士を縛り、変容させていく様が見て取れたのだ。
一方の征四郎は別の事を感じていた。
足掻きもがく二つの魂を蝕む禁忌とされる呪法の存在を。
一つの魂をトヌカで生まれ育った衛兵カファンと呼び、今一つの魂を桜花長銃中隊所属の研田伍長と呼ぶことを赤土色の瞳は読みとった。
それを知った征四郎は思わず叫ぶ。
「お前、研田伍長か! 聖騎士の中にいる今一つの魂よ。お前はあの研田伍長なのか? 私だ、神土だ! 共にセヴァストポーリを駆けた神土征四郎だ!」
「ぐがっ……た、たいちょ……どの…………」
研田伍長、それは大尉時代に征四郎も指揮した事がある勇猛果敢で知れた桜花長銃中隊に属した男の名前だ。
あの計画の実験体に選ばれた事は三嶽曹長の言葉や調査の際に押収した資料から知ってはいたが、現実に突き付けられると驚きと共に怒りで腸が煮え返る思いだった。
征四郎の言葉にカファンの口から、苦しげなそれでいてまるで別人の声が聞こえてきた。
それこそ征四郎の記憶にある研田伍長の物だった。
「どう足掻いても真実であったか。我が祖国の兵士を実験と称して数多を殺し、多くを異形に変え、あまつさえその魂まで縛り、この地の者に宿らせ不死身と化す……。その存在を『聖騎士』などと呼称するとは……正に冒涜!」
征四郎の赤土色の瞳が怒りで燃える。
憤怒で猛り、激情で荒れ狂う。
一歩、足を踏みだすと訳も分らぬまでも、野次馬も、衛兵もドラゴンの怒りを目にしたように、思わず退いた。
そして、征四郎の前に聖騎士へと続く道が出来た。
「な、なんだよ、あんた……?」
「聖騎士を殺し、その魂を解き放つことを誓った者だ。ロズワグン! 剣を!」
「お、応!」
小柄な衛兵マウロが思わず問い掛けたが、征四郎のその答えには絶句してしまう。
その様子を気にすることなく征四郎は聖騎士の方へと歩を進め、ロズワグンに聖騎士レドルファから奪った剣を渡すように呼びかけた。
声を掛けられたロズワグンは腰袋に慌てて手を突っ込んだ。そして、物理的に収まる筈のない長剣を取り出せば征四郎に投げ渡した。
空中を回る剣を掴み取り、距離十分と測れば征四郎は構える。
あの右手で剣を持ち上げ、左手は添えるだけの構え。
このトンボと呼ばる構えを伝える流派は僅かに二つ。
神道流を修めた十瀬与三左衛門長宗が興した天真正自顕流と、それに東郷重位がタイ捨流と組み合わせ開いた示現流のみ。
東国の生まれである征四郎が相伝したのは天真正自顕流の方であり、その剣の威力は示現流に勝るとも劣らない。
東西に帝が立った東西朝時代に双方の流派は独自に進化していったため、較べる事に意味は無いが、それでも互いの共通点として初太刀を重視している。
トンボは初太刀で敵を仕留めるべく編み出された構えであった。
その立ち合いは、傍から見れば異様な物でしかない。
片やボロボロのローブを纏った黒髪の男。
赤土色の瞳に憤怒を宿らせながら、その足運びは冷静そのもの。
一方のボロボロの布切れを纏っただけの赤い髪の男は、先程までの胡乱さが消え、相対していた筈の息子に背を向けて構えた。
「――礼を言おう、剣士よ。今一つの魂の尽力で、漸く正気を取り戻せた。されど、これは一時の事。すぐにでも私は理性を失い獣化するだろう。それこそ命令違反の罰――っ! 我が力は変化、本来は……変化しても理性を保っているが――」
先程と打って変わった話しぶりに征四郎は微かに眉を寄せた。
「これより私は、周囲全てを殺す事になろ……う。どうか……剣士よ――私に死を」
だが、語られる言葉には耳を傾け、そして続く言葉には頷きを返した。
「相分かった。されど、未だに聖騎士を殺す術を知らぬ故、五体バラバラにして封じるが?」
「結……構」
その言葉を最後に、カファンと呼ばれる聖騎士から理性が弾き飛ぶ。
そして、その身体が膨張し、その顔が人の物でなくなっていく。
正に変化。異様な光景に周囲が息を呑む中、鋭い爪を伸ばした腕を振り上げカファンだったものが吼えた。
その様は二足歩行の狼。回りに居る野次馬たちは悲鳴を上げて逃げ出す。
その騒ぎに乗じて狼男は唸りを上げて征四郎に突っ込む。
踏み込んだ際にレンガが敷かれた地面が抉れ、風よりも早く征四郎を殺すべく腕を振り下ろす。
血飛沫が舞った。
誰もが征四郎の血である事を疑わなかったが、ザンっと音を立てて地面に突き立てられたそれを見ても、この結果を俄かに信じられなかった。
地面を抉り突き立っていたのは、獣毛に覆われ鋭く爪が伸びた腕。つまりカファンの変化した右腕であったのだ。
【第八話に続く】