第三十二話 二人
東部の動乱を切り抜けた一行は遂にジーカに辿り着いた。
だが……。
「……すまんな……」
「――気にするな……それよりも傷は如何だ?」
廃された都の地下。
暗闇と埃が支配する空間に灯されたランプの明かりは、周囲の闇の広大さに比べあまりに弱々しい。
その弱々しい抵抗を行うランプに照らされたのは、金色の髪と同じ色の柔毛に覆われた狐に似た耳を持つ美しい女と、黒い髪の刃の様に鋭い眼差しの男であった。
男は壁にもたれて座り込み、女は男の傍に屈み、気遣っている風である。
ロズワグンと征四郎である。
征四郎の衣服は胸部から斜め一文字に切り裂かれ、溢れ出た赤が滲み、滴っていた。
これでも応急措置として患部に布を巻いているのだが、血は止まらない。
聖騎士レドルファの一撃、彼の聖騎士としての力である衝撃波を極限にまで圧縮させ刃に乗せた一撃は、刃事態を防いでも致命傷に匹敵する傷を征四郎に与えた。
刃と刃がぶつかり合った際に、圧縮された衝撃だけが征四郎の胸部を裂いたのだ。
彼はホレスの戦いの後も独自の鍛錬を続け、遂には衝撃波を自在に操るようになったのだろう。
きつく締めた布地でも血止めが出来ぬほどの傷は、衝撃波が血肉をズタズタにした証。
恐るべき使い手になったものだと、征四郎は嘆息し、僅かな量だが血を吐き出した。
(……この傷は、助からん……か)
旅先であれば碌な手当ても出来ず、このままでは死が近い事を征四郎は悟った。
これが戦場であれば、手当てが出来たとしても破傷風にでもかかっていただろう。
いや、都市の地下とは言え、ここは廃都の地下。
何らかの病原菌が傷に入れば、ただでは済まない。
征四郎の額に光る脂汗が頬を伝って滴り落ち、その鋭さと鷹揚さのあった容貌を一層鋭く……或いは生気を削げ落としたかの如く、尖らせていた。
一方のロズワグンは、己の声が震えている事に嫌でも気付く。
征四郎の生気が薄れていくのも同様に。
この男に抱く思いが恋慕か、友愛か、或いは信頼かは正直判断できないが、今ここで亡くすのは我慢できなかった。
確かに戦うために生まれてきたような男かも知れないが、この男はもっと別の何かに至れたかもしれないと言うのにと歯噛みする思いだ。
それに、死なない騎士の真の脅威をまざまざと見せつけられた心地だった。
今までは、征四郎の武が圧倒的にレドルファを上回っていたが、ホレスでの戦いの際はその差は大分縮まっていた。
それでも、ロズワグンは征四郎ならば切り抜けられると何処かで楽観していた。
その甘さが、現状を招いたのか。
「い、今一度、傷を洗おう」
「――止めておけ、余程強い酒でもなければ意味はない」
これ程の傷を負っていながら、征四郎は苦痛を見せずに言葉を返す。
鋼の如き意思。
しかし、それだけなのだ。
このままでは、然程長い時間を置かずとも彼は死ぬだろう。
そう認識すれば、ロズワグンは自分の身体がガタガタと震えだしている事に気付いた。
遠くで争うような物音が響く。
その音を聞けば互いに黙り、様子を伺う。
暫くして物音が途絶え、響き始めたのは足音。
かつり、かつりと響く足音は酷く硬質であり、鉄の具足よりも澄んだ音色を奏でている事から魔法銀である事が察せられた。
魔法銀の具足など履いているのはクラッサ王国の聖騎士のみ。
今、ジーカの地で聖騎士と言えばレドルファただ一人。
足音が響いた瞬間、ロズワグンはランプの明かりを消して息を殺す。
だが、無駄な足掻きだろう。
何故ならば、足音の主は真っすぐに二人の方へと進んでくるのだから。
覚悟を決めねばならない。
そう胸中で呟き、征四郎は立ち上がった。
既にジーカにてレドルファと刃を交えた際に、黒い刀は征四郎の手を離れていた。
圧倒的に不利な無手である。
以前は、呪術の力を全身に巡らせることで大事に至らず衝撃波を相殺せしめたが、今のレドルファの放つ衝撃波は、相殺できない。
胸の傷がそれを如実に表している。
(……ここが死に場所か……)
痛みで鈍る思考の最中、征四郎は静かに思う。
何と中途半端な所で倒れる物だ。
しかし、戦いとはそう言う物である。
剣に生きてきた、剣に斃れるのは本望である筈だ。
だと言うのに……。
(死ねぬ……死ぬわけにはいかん!)
己には成さねばならぬ使命がある。
己には晴らすべき恨みがある。
己には……守りたい者が居る。
「ロズワグン……君は逃げろ。ここは私が抑える……」
「――馬鹿を言うな。余はここから逃げぬ。余の夢は貴公なくば叶わぬのだ」
己の身を掻き抱くように、自身の二の腕に爪をたてながら、ロズワグンは死の恐怖を抑え込みながら告げた。
「セイシロウ……余の事はロズと呼んでくれんか?」
「――ロズ……か。何やら照れ臭い……が、君は逃げろ、生きてくれ」
「嫌だ」
近づいて来る足音が止まり、足音の主は明かりを灯す。
ぼうっとした灯りに浮かび上がったのは、やはりレドルファ。
「お前たちを逃がしはしない。共にジーカの塵となれ」
「――させぬ」
征四郎は低く告げながら腰を落として三殿式の構えを取った。
勝機は……ない。
されど、守るべきものを守る為に鍛えた業を叩きつけるより他にはない。
そう決意した征四郎は、ロズを後ろに下がらせてレドルファと相対する。
ロズワグンには息が詰まる様な対峙であったが、征四郎は気付く。
何処か、異様な雰囲気すら感じさせるレドルファの佇まいを観察しながら、征四郎は違和感の元がジーカに辿り着いてから見た何かに関係していると。
記憶を漁る為に過去に意識を飛ばしジーカに来てからの事を思い返そうとしていた。
征四郎とロズワグンが出会いを果たしたあの日から大分月日が経ったように感じていたが、まだ二ヶ月と経っていない。
ディルス大陸北方から、十数日もかけて川を南下し、南部に差し掛かった頃合いで西へと足を向けた場所にそれはあった。
滅びた商都ジーカ。
四方を高い壁に覆われ、スルスリ川に通じる小規模な運河の様な水路と幾多の水門、それに陸路の為の四方門を備えた巨大都市の名残。
戦の荒廃で滅んだと言う伝承が嘘のように、外から眺めるジーカは立派だ。
未だに水路も生きており、小さな船を借り受けて進む征四郎一行は、近づいてくるジーカの姿に圧倒されていた。
その壁の高さは、何処の国の王城かと言うほど高い。
壁が幾ら高くとも魔術、法術、それに大砲がある以上防衛的な意味は少ない。
しかし、高さのある壁は力と権威の象徴として良く王城に用いられるのだ。
それに匹敵する高さの壁がぐるりと四方を囲んでいるジーカの威容は、かなりのものである。
この地に嘗てただ一人も大呪術師が住まい、数多の使い魔と共に過ごしていたと言う伝承を征四郎は思い返す。
大呪術師ジュアヌス。
初めて師よりその名を聞かされた時、征四郎は奇妙な感慨を覚えた事を今でも思い出せる。
未だに水枯れぬ水路を伝い、ジーカの傍に接舷すれば一行は降り立つ。
水門が閉じられており、船で中に入る事が適わなかったからだ。
四方の門は全てが開け放たれており、其処から彼等はジーカに足を踏み入れた。
これから起きるであろう死闘に付いて全く気付くことなく。
【第三十三話に続く】




