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Episode02:死臭

 事態はけたたましく動いた。

 レジ袋に放置されているのが乳児の遺体だと確認すると、田村は持っていた携帯電話で急いで一一〇番通報した。腰が抜けて動けなくなった(ながれ)を背負って、彼は現場を後にする。騒いで現場を荒らすわけにはいかないのだ。プレハブに毛を生やした程度の大きさの監視小屋まで、田村は半分気を失いかけた流を励ましながら歩いた。

 作業中だった便利屋一ノ瀬の面々も、慌しく重機から降りておのおの監視小屋に戻る。予想外の出来事に皆困惑気味だ。パトカーのサイレンが幾重にも重なり、次第に大きくなって現場に到着するのを監視小屋の窓から遠目に眺めていても、なかなか実感が沸かない。しかし、ようやく小屋に到着した田村と流の臭いを嗅ぐと、皆一様に顔を歪め、頷きあった。

 事務室のエアコンの風が身体に当たり、流の火照った身体と頭を冷やす。途端に、目を覚ました脳ミソがグロテスクな映像と臭いを思い出し、彼は思わず事務室後方のトイレへと駆け込んだ。

 便器にしがみつき、流は嘔吐を繰り返した。その背を、田村がごつごつした手でゴリゴリとさする。さっき飲んだばかりのスポーツドリンクも、逆流して便器の中へと落ちていく。胃液しか出てこなくなっても、胸のもやもやは治まらない。流の身体にも田村の身体にも、死臭がこびり付いていたのだ。嘔吐物の酸っぱい臭いでもかき消せないほどに。


「お前にはまだ、見せたくなかった」


 田村が呟く。


「十九のお前にあんなもの見せることになるなんて思いもしなかった。まして、ゴミ処理場で」


 ぜえぜえと肩で息しながら、流は少し振り向いた。


「田村さんは、初めてじゃないの」


「さあ、何度目かね。密室の中で腐り果てた人間を見たこともある。それが人間の形だったかどうか、生き物であったかさえわからなかったこともある。だけど、あんなに小さく、あんなに脆い身体が炎天下に晒されていたのを見たのは、正直初めてだ。流、これから数日間、お前は喰うのも寝るのもままならないかも知れん。だが、この先もこの仕事を続けるなら、いずれ見ることになった現場だ。その時期が早かったか、遅かったか。それだけの差。便利屋の仕事は、人の死と隣接してるんだ。それはわかって──」


「おい、事情聴取したいってよ」


 田村の台詞を、社長の一ノ瀬が遮った。トイレに半分顔を突っ込むと、いつになく神妙な面持ちで、田村においでおいでする。


「出来れば流をって話だが──、無理だろう。田村、お前が代わりに説明してもらえるか」


「ええ、勿論。流より俺のほうが近くまで行きましたから」


「すまんな。それじゃ悪いが、宜しく頼むよ」


 背から手を離し、のっそりと立ち上がる田村は、いつもとは違う重々しい表情だ。流は声をかけようとして、やめた。とてもそんな雰囲気じゃなかった。

 


 *



 事務室のチープな応接セットにドシンと腰を下ろすと、一ノ瀬は向かい側に座った女に田村を紹介した。


「私、警視庁未成年事件担当、岬と申します」


 黒い警察手帳を提示して静かに会釈する彼女は、こんな重々しい事件には似つかわしくないほどか細かった。他に数人の背広の刑事が同席していたが、どうやら一番の責任者は彼女らしい。


「第一発見者の方に話を伺いたいのですが、彼でよろしいですか?」


 一ノ瀬と、その後ろに立つ田村を交互に見ながら確認する岬に、


「いや、正確には彼じゃない。見つけたのは流という男だが、まだ十九のガキでね。あまりの衝撃に、トイレから出られんのです」


 一ノ瀬は半ばあきれ果てたように肩を動かした。


「実際、流は細かいところまで見てはいませんよ。茶色の物体がチラ見出来た程度まで近付いたら、もう腰を抜かしてしまった。不審なビニルに気付いたのは俺だし、ビニルを見に行くように促したのも俺なんだから、第一発見者は俺ということで間違いありません」


 ソファーに腰掛けながら、田村ははっきりと答えた。そうなのかと口パクで確認する一ノ瀬に、実はそうなんですよと彼は頷く。


「どっちにしろ、ウチの現場でウチの社員がえらいもんを見つけたことに違いはねえな。──刑事さん、この現場、立ち入りできるようになるまで、どれくらいかかります」


「そうね、この途方もないゴミの山から、手がかりになるものが見つかれば。現場検証するにも、あまりの煩雑さに、頭を抱えるわね。ここの会社は、この処理場の掘り出し作業を一社でやっているの? 監視体制はどうなってるのかしら」


「都から認可を貰ってウチの社だけでやってます。ほら、あそこに認可証が」


 軽く振り向きながら、一ノ瀬は社長用の事務机の真後ろに高く掲げられた、額縁入りの都の認可証を指差した。確かにそこには、『ゴミ処分場分別作業許可証』の字と、都の認可印がある。この埋立地を独占して処理分別作業をすることを認可されるには、それなりに信頼と実績がいる。つまり、怪しい業者ではないという証拠の品だ。


「まあ、この仕事だけで食ってるわけじゃないが、何とかかんとか早めに切り上げてもらうわけには行きませんか。せっかく掘り返したところも、台風が来たり雨が降ったりしちゃ、やり直しなんですよ。掘り出しかけた金属も、錆付いてしまったら価値が下がる。何とか協力しますから、うまいこと頼みますよ」


 両手をこすり合わせてニヤニヤと笑う一ノ瀬。岬はムッとして睨み返した。すかさず田村がフォローに回る。


「監視カメラを設置してますから、不審者がいれば映ってるはずですよ。勿論録画してあります。なんでしたらご覧になったらいかがですか。トイレの向かいの物置に監視装置が入ってます。外部モニターは社長席の正面に三つ。普段はそこで監視してるんです。案内します」


 立ち上がり、右手で案内しながら去る田村を、一ノ瀬はすまんなと両手で拝んだ。

 事務室の奥、小さな通路を挟んで背中合わせのトイレと物置部屋。向かって右の物置の扉を開けようと通路に立つと、田村の耳に流の苦しそうな声が聞こえてきた。トイレのドアが少し開いて、中から嘔吐物独特の臭いが漂ってくる。

 岬と部下の刑事は、思わず鼻を手やハンカチで覆った。


「流、お前、まだダメか」


 田村の声に反応して、流は重く力の抜けた身体をよいしょと持ち上げ、のらりくらりと立ち上がる。げっそりとやつれた顔でトイレからそっと顔を出し、田村の後ろの刑事たちに軽く会釈した。


「俺、自分では結構、タフだと思ってたんだけどな。気のせいだった。シャワー、浴びてきていい?」


「まあ、いいんでないの? ね。刑事さん」


 流の汚れたつなぎ服から漂うなんともいえない臭いに岬は驚き、何度も頭を上下に振った。ビニルに一番近付いた田村より流の臭いがキツイのは、重機に乗っていたか人力で掘り返したかの差だということを、彼女らはまだ知らない。

 トイレの隣の、カーテンで仕切られた更衣室に入っていく流を、岬は怪訝そうに見つめる。


「ねえ、彼、労働条件は大丈夫なの」


「流のですか。ええ、まあ、ちょっと場所が場所だけに他よりしんどいかもしれませんが。大丈夫、保護法には引っかかってませんよ。都から認可受ける際、その辺きつく言われましたからね。個人からの依頼に比べて、この仕事は結構金になる。こんなことで認可証取り消されたら、やってらんないでしょ。それに、養護施設から引き取った人間を無下には扱わないですから、ウチの社長は」


「孤児?」


「あ、ええ。そうです。ああ見えて、社長は人情の厚い人で。社員の何人かは社長の養子になってるんです」


 ふうんと鼻で答え、岬は何かをかみ締めるように更衣室のカーテンを見つめる。


「このご時世、珍しくありませんよ。産んだままゴミ処理場に子供を捨てるような親に比べりゃ、赤ちゃんポストや施設にでも預けてくれた方がマシだ。人権とか、尊厳とか、そういう倫理的なもんは、時代が進むにつれてどんどん薄れていってる気がしなくもないですがね」


「──そうね。あの、蛆に埋もれた遺体はきっと、親に抱かれる間もなく捨てられたんだと思うわ。へその緒もそのまま、胎盤と一緒にビニルに放置されたあの子の悲しみは、この世の誰にも理解できるもんじゃない。孤児であっても、誰かに託されたということは一つの命として子供を思う親の心があったに違いないと、思うしかないのかもしれない」


 憂いるように斜めに視線を落とした岬は、どこか艶っぽい。黒いスレンダーなスーツの内側に何か悲しい思いを隠し持っているような気がしたが、田村はそこには触れなかった。死臭とゴミと土の混じり合った臭いが占拠する中でも、そう感じてしまうのは職業病だと田村は小さく笑った。 


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