「怨念」
『もうあの女の人の事なんて放っておけばいいじゃない!』
警官が帰るとサキちゃんが大きな声を上げた。
僕が警官と話している間、みんなはリビングの隅でずっと話を聞いていたのだ。
『サキの言う通りだ玲士。お前はあの女にそんな酷い傷を負わされたんだぞ?
もう忘れた方がいい。これ以上関わるな』
「そうなんだけど……」
サキちゃんやミノルじいさんの言う事はわかる。
わかるけど、やっぱり僕の中でのゆきのちゃんは、あの日のゆきのちゃんだけではない。
半年も全く違う顔を見て来たのに、たった一日でそれを塗り替える事なんて出来ない。
女々しいのは自分でもわかってる。
でも、せめて名前だけでも本当の事を知りたい。
せめて本当の名前を知ってから拳銃を突きつけたい。
引き金を引くのはそれからでいい……。
「やっぱり結果がどうであれ、彼女とは半年もつき合ってたんだし、このまま何も無かったかのようになんて出来ないよ……」
『俺たちは半年どころのつき合いじゃねーぞ?
あの二人だって……』
「わかってるよタケゾー。そう言う意味で言ってる訳じゃないんだよ。
ただ、ゆきのちゃんだって死んでしまったんだ……。
僕には少なからずその責任がある。何も無かった事になんか出来ないんだよ?」
ゆきのちゃんが本当にあのストーカーの子だったとしても、何も死ぬ事は無かった。
僕が死へと追い詰めたようなものだ。
『あんな子、死んだ方が良かったんだよ…』
「え?」
サキちゃんが見上げてくる。
その目には今にも溢れそうな程の涙を溜めている。
『レイちゃんにそんな大ケガさせたんだよ?
それなのになんで……私わかんないよっ!』
サキちゃんは叫ぶように言うと駆け出した。
階段を上る音、部屋のドアが閉まる音が聞こえる。
『サキちゃんは誰よりもお前の事を心配してたんだぜ?
ちゃんと話して、とりあえず仲直りして来いよ?』
タケゾーの言葉にミノルじいさんが大きく頷く。
ついさっき「サキちゃんにも僕がいる」と口にしたばかりなのに、また彼女の気持ちを蔑ろにしてしまっていた……。
僕はタケゾーとミノルじいさんに頷き返し、急いで階段を上った。
「サキちゃん、入るよ?」
『…………』
返事はなかったが、僕は静かに部屋のドアを開けた。
部屋に入ると、サキちゃんは僕のベットの上で膝を抱えていた。
そして僕がサキちゃんの隣に腰を下ろすと、彼女はゆっくり顔を上げた。
『レイちゃん、私との約束忘れちゃったの?』
「約束?」
静かで、そして震えた声音のサキちゃん。
ただ、その内容は意外なものだった。
『レイちゃん、私をお嫁さんにするって言ってくれたじゃない?』
「ああ……」
子供の頃そんな話をしたような気がする。
確か僕がサキちゃんの歳に追いついたくらいの話だ。
「そう言えばそんな話をしてたよね?」
僕の言葉にサキちゃんはニコリと笑い、その拍子に溜まっていた涙が目尻から頬を伝った。
『だったら他の人なんか好きにならないで、早く私をお嫁さんにしてよ?』
「そっか、そうだね……。
でもサキちゃんは幽霊だし、現実にお嫁さんにするのは難しいかな?
でもね、サキちゃん。サキちゃんは僕にとってお嫁さんと同じくらい大切な友達なんだよ?」
『…………』
子供の頃に指切りをした光景が脳裏に浮かぶ。
僕は成長するにつれ忘れてしまっていたけど、サキちゃんはあの頃の約束をまだ覚えていたんだ。
愛おしくもあり、同時に切なくなってくる。
『やっぱりレイちゃんが死なないとダメなんだ……』
「え?」
サキちゃんの身体から脱皮するように、むくむくと暗黒の塊が姿を現した。
『キヨシおじさんやアキおばさんばかりで、私とはおしゃべりもしてくれなくなったし……』
「サ、サキちゃん……」
あの暗黒の生霊が、サキちゃんから生えているように立っている。
『やっぱりあの子に殺させておけば良かった…』
「…………」
細められたサキちゃんの目は真っ黒で、その暗黒の中で何かが蠢いている。
『早くこうしておけば良かった……』
「や、やめ……」
サキちゃんから生えた生霊の手が僕の頭に触れた瞬間、プツリと思考が停止する。
『……なさい、玲士!』
『早く逃げろ玲士!』
両親の声で覚醒した。
そしてジジ、ジジ、ジジっと、忘れもしない電子音。
「お母さん! お父さん……」
二人は身体のほとんどを暗黒の中に沈めていた。
もう返事は返って来ない。
それにしても二人が自分たちの部屋から出て来るなんて初めての事だ。
霊になった二人は、「見えない友達」とのつき合いはほどほどにして、もっと現実を生きろと言っていた。
そんな小言を聞くのが嫌で、二人とはだんだん距離をおくようになっていたのだ。
ジジジっと最後の電子音を立て、完全に二人の姿がなくなった。
生霊は先程より一回りは大きくなっている。
その暗黒の中では不気味に何かが蠢いている。
恐怖は一瞬で、思わず見惚れるように眺めてしまう。
そして、僕はゆっくり伸ばされる暗黒の手に、そっと自分の頭を差し出した。
「サキちゃ…」