「未練」
ドアを開けるとみんなが玄関に集まっていた。
ただ、みんなと言っても二人足りない……。
『おかえりっ』
「うん、ただいま」
サキちゃんが抱きついてきた。
少し涙声のサキちゃん。
半年ほど前からギクシャクしていたので、随分長い間こんな事はなかったし避けていた。
今思うと僕は酷い事をしていた。
こんな小さな子を心配させて、寂しい思いまでさせていたのだ……。
きっとみんなはこうなる事を予測して、僕を傷つけないよう遠回しに助言してくれていたのだろう。
やっぱり僕は初めて出来た彼女に浮かれていて、周りが見えてなかったのかも知れない。
その代償があの二人だと思うと悔やんでも悔やみ切れない。
僕は、本当に取り返しがつかない事をしてしまったのだ。
「キヨシおじさんとアキおばさんは?」
聞かずにはいらなかった。
それが、みんなにとっても酷な事だとわかっていても……。
『心配するな坊主、あの二人はちゃんと成仏したぞ』
『そうだ玲士、キヨシおじさんもアキおばさんもやっと成仏出来たんだ。だから悲しむ事なんかこれっぽっちもねぇんだぞ?』
「…………」
だったらなんでミノルじいさんは僕を坊主って呼ぶんだよ!
タケゾーもそんな硬い笑みを浮かべんなよ!
「あんなのが成仏な訳……」
ショウタロウが泣いているのに気づいた。
3歳のショウタロウにとって、アキおばさんは母親みたいな存在だった。
キヨシおじさんだってそうだ。
子供の頃の僕みたいに、毎日のように肩車や高い高いをしてもらって懐いていた。
そんな二人が突然いなくなったのだ。
あの日はあまりにも突然過ぎて、ショウタロウも良くわかっていなかったのだろう。
ショウタロウだってこれだけ日が経てば、いくら幼くても否応無く実感したに違いない。
みんなはショウタロウを悲しませない為にも、二人は成仏して天国にでも行った事にしたのだろう。
「そうだね。二人はやっと成仏して幸せになったんだね?」
『そうだ。二人は幸せになったんだ。
いなくなったのは寂しいけど、祝福してやらなきゃな?』
タケゾーは僕に答えながら硬い笑みを浮かべ、ショウタロウの頭を撫でている。
『玲士、二人はお前を守って旅立ったのだ。
最後にそんな大仕事をしたんだ。もう二人にはこの世に未練などないだろうよ?』
ミノルじいさんが真っ直ぐ僕を見つめてくる。
僕は二人に未練たらたらだけど、やっぱりそう考える事が一番なのかも知れない。
きっとそうだ。
ショウタロウの為にも。
『大丈夫……レイちゃんには私がいるよ?』
耳元で囁くサキちゃん。
そうだ。僕にはサキちゃんがいる。
それにミノルじいさんやタケゾー、ショウタロウがいる。
残ったみんなの為にも今は二人に感謝しよう。
自責の念は僕の中だけにしまっておく。
ありがとう、キヨシおじさん。
ありがとう、アキおばさん。
「ありがとう、サキちゃん…」
首に回されたサキちゃんの腕に、ぎゅっと力が入る。
思えば、いつも僕の側にはサキちゃんがいた。
人生を一緒に歩んで来たと言っても過言ではない。
そんなサキちゃんを……。
「サキちゃんにも僕がいるからね?」
サキちゃんを床に下ろして、その艶やかな髪を撫でる。
サキちゃんは顔に涙の跡を残したまま嬉しそうに微笑んだ。
『とにかく上がれ、これからお前の快気祝いだ』
ミノルじいさんの声とほぼ同時にドアチャイムが鳴った。
誰だろうと思いながらドアを開けると、先日の警官が門の外に立っていた。
「ああ良かった。今日が退院と聞いていたのですが、時間がわからなかったので在宅かどうか不安だったのですよ?」
「ちょうど今戻ったところです。どうぞお上がりください。
ただ、しばらく家を空けていましたのでお茶くらいしかお出し出来ないのですが…」
「いやいや、仕事ですのでどうぞお構いなく…」
警官はヒラヒラ手を振りながら門を開けて入って来た。
確か伊藤さんだったか。
少し若めの警官を伴っている。
二人をリビングに通して待っててもらい、とりあえずヤカンに火をかけてから、部屋に置きっぱなしにしていた携帯電話を取りに行く。
まだあの時の生霊の映像が脳裏にこびりついている。
正直言って、今日のとこらは自分の部屋に入るつもりはなかった。
もう少し気持ちを整えて、覚悟を決めてから入りたかったのだ。
ただ、こんな風に否応無く入らなければならない状況の方が、僕にとっては良かったのかも知れない。
浅く深呼吸をしながら階段を上る。
そして自分の部屋の前に立ち、大きく深呼吸。
『もう生霊はいないぜ』
僕の緊張を察してか、タケゾーが声をかけて来た。
僕はその言葉にホッとしながら扉を開けた。
チラリと例の壁に目をやると、確かに何事もなかったように壁掛け時計が時を刻んでいた。
ただ、脳裏にこびりついた映像が鮮明に再生される。
キヨシおじさんやアキおばさんが、あの生霊に吸い込まれて行く映像も……。
『レイちゃん、もう大丈夫よ?』
「う、うん、ありがとう…」
生霊の恐怖と言うより、自分に対しての怒りで手が震えていた。
サキちゃんはそんな震えた手をぎゅっと握って来た。
携帯電話はそのまま机の上にあった。
ただ、起動はしなかった。
流石に三週間以上放置していたので、バッテリーが切れてしまったのだろう。
部屋を見回し、コンセントに挿しっぱなしの充電器を手に取る。
部屋は何一つ変わったところがない。
あの日が嘘のようだ。
正直な話、部屋にゆきのちゃんの霊がいるのではないかと思っていた。
両親の時は葬儀を終えて一月半ほどしてから姿を現したけど、強い怨念を抱いていたのならば直ぐに姿を現わすのではないか、と。
「じゃあ行って来るよ…」
みんなが頷くのに僕も頷き返し、部屋を出る。
「すみません、バッテリーが切れてて充電しないとダメみたいです…」
僕はそう言いながらリビングのコンセントに充電器を挿し、お茶の用意にキッチンへ向かった。
「何かわかりましたら僕にも教えていただけますか?」
「まあ、教えられる範囲の事は教えますが……」
「名前だけ、本名だけでもいいんです。お願いします!」
紅茶を飲み終える前には粗方話し終えていた。
電話番号に大体の家の場所。
付き合った時から就活中だったゆきのちゃんには勤め先はなく、情報を伝えるのにそう時間はかからなかった。
「そのくらいでしたらお教えしますよ?
とにかく、退院早々ご協力いただきありがとうございました。
こうやって押し掛けといてなんですが、くれぐれも養生してください」
なんとか名前は教えてもらえるようだ。
警官は早く身元を調べたいと言って、紅茶を飲み終える事なく早々に帰って行った。
結局僕はあのストーカーの話はしなかった。
せめて本当の名前を聞いてから……。
ゆきのちゃんが誰なのかわかってからでもいい。
警察が過去を調べ上げて警察から聞いてもいい。
不確かな過去の情報で、これ以上ゆきのちゃんを穿った目で捜査して欲しくなかったのだ。