「サキちゃん」
『玲士、理由を話すから部屋に来い!』
あれやこれやとぼんやり考えながら帰宅すると、玄関でキヨシおじさんが僕を待ち構えていた。
何やら怒ってる感じ。
僕は今、彼女とのアレな事をあれこれ考えて、不安と期待が入り混じった幸せな時間を過ごしていた。
それなのに帰って早々なんだよ。
なんだか一気に興醒めしてしまった。
それに、そんな逆ギレのような言い方されてまで理由を聞きたくない。
そもそもちゃんとした理由があるんだったら、隠し事なんかせずに話せばよかったんだよ。
第一に今じゃなくていい。
今はこの31年間の足枷問題を甘酸っぱく熟考したい。
頬のキスの感覚が残っているうちは尚更だ。
「キヨシおじさん、悪いけど今は話を聞く気になれないから明日にしてくれる?」
『何をっ!』
パッシーンといいのをもらった。
しかも彼女の唇の感覚残る左の頬への平手打ちだ。
「な、なにすんだよキヨシおじさんっ!」
『それはこっちのセリフだっ!
少しはサキちゃんの気持ちも考えろってぇんだ!』
今までに無い剣幕のキヨシおじさん。
しかも目には薄っすらと光るものを溜めている。
涙ぐんでる?
こんな顔のキヨシおじさんは初めて見た。
どちらかと言えばキヨシおじさんはお調子者キャラで、いつもみんなを笑わせて、自らも笑っている事が多い。
僕がサキちゃんと喧嘩した時なんかは、良く冗談を交えながら仲立ちしてくれたものだ。
決して怒ったりするような人じゃないし、泣くような人でもない。
「わかったよキヨシおじさん。
僕が悪かった。これから話を聞きに行くよ…」
『うむ、それでこそ玲士だっ』
キヨシおじさんは少し気恥ずかしそうに言うと、そのまま顔を見せずに階段を上って行った。
二階には僕の部屋がある。
このところご無沙汰している部屋だ。
それにしても、あんな風にキヨシおじさんが取り乱すほど、サキちゃんを追い詰めてしまったのだろうか。
それに理由って一体なんなんだろう。
とにかく、これは真剣に聞かなくてはいけないな。
そんな風に思いながら階段を上り自室の前に立った。
「お、お邪魔しまーす……」
自分の部屋なのに緊張してしまい、思わず戯けた口調になってしまった。
『茶化すんじゃねぇぞ玲士っ』
「ごめんなさい……」
いきなりキヨシおじさんにお咎めを受ける。
部屋には左からタケゾー、ショウタロウ、サキちゃん、ミノルじいさん、アキおばさんがこちらを向いて座っていて、キヨシおじさんは手前で背を向けて座っている。
どうやらキヨシおじさんの隣が僕の場所らしい。
タケゾーは戦後間もない時代に生まれた12歳の腕白な男の子。薄汚れたシャツとズボンを身につけている。
ショウタロウは4歳の男の子でこの中では最年少。サキちゃんと同じ着物姿でみんなから可愛がられている。
ミノルじいさんは明治生まれの元軍人で72歳の最年長。彼もいつも着物を着ている。
アキおばさんは割烹着を着たいかにもおばさんって見た目だけど、実は39歳。今となってはかなり歳が近づいている。
ちなみにキヨシおじさんはカーキ色の軍服姿だ。
『玲士、とにかく座りなさい』
「はい……」
ミノルじいさんに言われ、素直にキヨシおじさんの隣に座る。
『いーい、玲士くん。おばちゃんだって今まで玲士くんのことを思って、口を酸っぱくして言って来たんだからね?』
『そうだぞ玲士! アキおばさんもそうだし、みんなもお前の事を思って言って来たんだ。
大人になったからって調子に乗ってんじゃねーぞ!』
『ちょーしのってんじゃねーぞ!』
『タケちゃん、ショウタロウが真似するから汚い言葉は使わないのっ!』
『いいじゃねーかよ、これくらい…』
『良くない! 特にショウタロウの前では言葉遣いに気をつけろっ!』
『わかったよ。そんな怖い顔しないでくれよミノじぃ』
なんだか、このいつもと変わらない感じに少しホッとするのだが、いつもだったらここでサキちゃんがコロコロと笑い出すところ。
今のサキちゃんは俯いて正座したまま、笑うどころか一言も言葉を発しない。
艶やかな黒髪がだらりと畳に垂れている。
みんなを避けていた事が、彼女をこんなに追い詰めてしまったのか……。
僕はもう大人だと言うのに、子供のように意地になっていた。
確かにみんなは僕の事を想ってくれている。
人生のほとんどの時間を一緒に過ごして来た友達。
そんな友達なのに、少しばかり意見が気にくわないからって、あそこまで遠ざける事はなかったよな。
サキちゃんは尚更だ。
一番僕の事を想ってくれている子なのだ。
「サキちゃん?」
思わず声をかけていた。