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オルフェウス号の伝説  作者: 梶 一誠
3/22

難民船

 9月4日、早朝のグダンスク湾の海上はねっとりとした肌にまとわりつくような白い(もや)に包まれていた。その只中、()いだ波間に揺れる貨客船アウローラ号のすぐ隣には一隻の潜水艦が横付けされていた。船の舷側には縄梯子(なわばしご)が幾つも垂れ下がっていてそこを数名の水兵が昇っている。先に甲板にたどり着いた水兵は自動小銃や拳銃で武装し、否応無く船客たちを追い立てて船首デッキ側に集合させていた。

 見た目からして一本煙突のみすぼらしい、この小型商船には永年、ヨーロッパの国々をいくつも渡るうち、その船体に叩きつけられる海風と厳しい日光の影響でほんらいの塗装色が判らないほどに色褪(いろあ)せてしまい、いたるところに錆が浮いている。

 甲板に集められたのはほぼ全員が、中立国スウェーデンを目指す難民たちであった。老若男女、全部で40名ほどで、皆が着の身着のままである。自分たちの故郷はドイツ軍の飛行機の爆撃か戦車を中心に編成された機械化師団に蹂躙(じゅうりん)され焼け出された哀れな弱い一般人。海へでてやっと一心地つけるかと思ったのもつかの間。またしても命の危険にさらされていた。

 難民たちが怯えた表情でひしめいている船首側デッキの反対側、船橋と呼ばれる貨客船の運航をつかさどる構造物の真下から船内の下層デッキに通ずる階段を男たちが昇ってきた。一人は上下を潜水艦用乗組員のダークグレーの制服で身をかためている無精ひげの中肉中背の男、服装は他の水兵とさして変わらないが頭の上の制帽は艦長を示す白帽を被っていた。

 もう一人は小柄でハゲ頭、油で薄汚れたツナギ服を着てブカブカの作業用ブーツを履いている。この男は目を伏せたまま、何か不満げにブツブツ云っている。

 最後にこの船の最上デッキに上がってきた人物はおよそ、海の上のこの場では場違いとも言える格好をしていた。

 その男はナチス親衛隊SSの制服をキッチリ着込んでいた。上着の左襟と右肩に階級章が付き、白シャツに黒のネクタイ、士官用の制帽、左腕の赤い腕章には円形の白地に黒字でナチスのハーケンクロイツが目立つ。膝下までの革製のブーツに到るまで黒一式に統一されたこの装備は彼に合わせてのオーダーメイドである。

 襟の階級章はこの人物が武装SSの大尉であることを示していた。そのブーツの(かかと)をコツコツ鳴らしながら悠然と錆だらけの階段を上がってきて、手摺(てすり)を触ったときについた赤サビの汚れが付いてしまった白の手袋を忌々しげに見て、更に難民が銃を突きつけられているのを一通り眺めてから、開口一番こういった。

「あーぁ、こういう無粋(ぶすい)で暴力的な仕事きらいなんですよ。全く文明的じゃないんだから」その後、更に白帽の人物に向って

「キュヒナー艦長、参りましたね。問題のトマス・ハックスリー氏はこの男の言う通りお亡くなりになってましたなぁ」というとキュヒナーと呼ばれた男が

「どうされますか?SS大尉殿。えーっと……失礼」そういいながら相手の顔を見つめていると

「カール・フリードリッヒ・フォン・シュテルンベルガーSS大尉ですよ。艦長」とSS将校は返した。

「長ったらしい名前で、シュテルンベルガーで構いませんよ、ウルヴァルト・キュヒナー艦長」

「失礼した。最近、覚える名前が多くてね。で、我々U-X09はあなたの指揮下に入り全面的に協力する旨の命令自体に変更はありませんが?」

「デーニッツ閣下の配慮に感謝します。もう少しお付き合い願うことになると思われますので。何としても”荷”は回収せねばなりません。戦争の帰趨(きすう)を制する可能性がある…とのヒムラー長官の厳命ですので」ここで彼はドイツ海軍の潜水艦Uボートの艦長に怪訝な表情をむけ

「ところでUボートにアルファベットを冠した艦籍ナンバーなんてありましたっけ?本来はU-何号なのですか」この問いにはキュヒナー艦長は無言で、質問者に笑みを向けるのみ。

「なるほど。……まぁお互い事情っていうものがあるでしょうからね」

 そこへ自動小銃を携えた下士官が船倉、船室をくまなく捜索したが大尉の仰るような荷物は確認できなかったと艦長に報告を入れた。

 それを聞いた後シュテルンベルガーは靄に覆われた天を仰ぎ

「こうも後手後手に回るとは…。ベルリンからワルシャワへ、そしてダンツィヒからアルメに急行。さらにはバルト海。またここでも空振りですか。少し気が滅入ってきましたよ。今日の天気みたいにすっきりしません。それでも任務に精励する私って働き者だと思いませんか?」と、キュヒナー艦長に訴えたが彼は無関心を装い無言のまま集められている民間人の捕虜たちに目を向けていた。

「もうここいらで勘弁願えませんか?ドイツの旦那がた」二人の間に割って入って来たのは下層デッキに用意されていたハックスリーの船室に二人を案内してきたハゲ頭でツナギ服の男だった。

「お探しの御仁(ごじん)は残念なことでしたが、これでお気に済んだでしょう?もうここに着いた時にも意識なんてほとんど無かった……。だから乗せるのはイヤだったんだ!」ツナギは最後のほうは口の中で忌々しげに呟いた。

「まだだ!船長。子供の姿が見えない!何処に隠したのかな?」シュテルンベルガーが声高に問い詰めたが、貨客船アウローラ号の船長は不貞腐(ふてくさ)れたようにして無言を通していたが

「知りませんよ。あっちこっちの港やら浜辺から人を拾ってるんだ。子供がいたかどうかなんて!いちいち数えちゃいないんでね」と二人に不快な目線をむけた。

「隠さない方がいいぞ。まだ商売続けたいんだろう?盗人野郎!」こういったのはUボート艦長のキュヒナーだった。彼はあからさまな嫌悪の感情をむき出しにしてハゲ頭の船長に食ってかかった。

 彼は抗弁した。

「人聞きの悪い事いいなさんな!こちとら人助けのつもりでやってんだ!おい、分かってんのか?これはスウェーデン船籍の船だぜ。ドイツのUボートが中立国の船を勝手に臨検すれば国際問題にされるんだ!」

「正義漢ぶったってダメですよ。中立国の船だからって戦争当事国の海域沿岸で火事場ドロボウのような真似しちゃまずいでしょう?人助けだって?着の身着のままで逃げてきた人から、服飾品をふんだくって偉そうにしてさぁ」目聡(めざと)いシュテルンベルガーは難民の出で立ち、特に女性達のネックレス、指輪、宝石の付いた高価な髪留め、男たちの腕時計や金製の腕輪といった非常時に身に着けておける彼ら庶民の生きていく知恵でもある、なけなしの財産がそっくりなくなっていることに気が付いていたのだった。

「そ、そりゃぁ……こっちだって命がけで来てんだからさぁ……」とばつが悪そうにドイツ人とは目を合わせようとしない船長。そんな小男にSS大尉は上からの物言いで

「昨夜、アルメという小さな漁師町からひろった子供たちさ。ヨブ・コヴァルチェク神父からの依頼があったはずだ。アルメで確保できてたら、あの村は焼かずにすんだのに。ここからは無電連絡だけだったにも関わらず、東プロイセンの部隊は真面目でねぇ。我々は徹底しているんだよ。黙秘していたいなら別に構わんよ!君の金づるを死体の山にしてもいいならね!」とシュテルンベルガーがやや甲高い声色で、甲板デッキに木霊するような大声で船長を恫喝した時だった。

「オオカミ!この人でなし!あの人たちを焼いたなんてぇー!」難民の最前列にいた一人の婦人が、自動小銃を構える水兵らの制止も聞かずにSS大尉の目の前まで進み出てきた。

「ほら、やっぱり出てきた。コヴァルチェク神父の奥方ですね?アンナさん…それともワーニャさんかな?そうですよ。あなた達が村人にこの船まで送ってもらっている間のことです。皆殺しは私が指示した」さも当然だと言わんばかりに口の端に笑みを浮かべながらその婦人の前にSS大尉は歩み寄った。

「ワイダよ!あなたが気安くわたしの愛称を口にしないで!ヨブは、あの人をどうしたの?」ワイダと名乗った婦人はやつれて枯れ木のように節くれだった手でSS大尉の袖口をつかんだ。

 背丈は大尉の胸あたりまでしかない、黒に近い茶の髪は手入れされていないために肩の辺りでそり返りボサボサである。そんな事には構わず茶色い瞳を見開いて彼に詰め寄るワイダ婦人に大尉は

「誠に残念ですが、お連れだった方と今頃は、ダンツィヒ港の海の底ですな。ご主人には協力していただくために自白剤を使わせていただいたんですがぁ…どうも、お薬が身体に合わなかったみたいでねぇ…この船の名前とアルメ側の協力者の名前を聞き出したあとに、旅立たれました。ハイ」自分が武装民兵にふんしてダンツィヒことグダンスクの街で尋問した時の様子を思い出しているのか、更に目を細めて狡猾さを含ませた表情のシュテルンベルガーはさらに口の端から白い歯をのぞかせながらこう云った。

「参りましたよ!奥様。ご主人最後には私の上着にゲロ引っ掛けてそのまま痙攣したカエルみたいに手足突っ張ったまま倒れましたよ。それっきりです。……神父が呟いていたワーニャが奥様なら、アンナの方が娘さんですね?」

「ああ……クリムさんまで、なんてこと」ワイダ婦人は膝からその場に崩れ落ちた。それもほんの束の間、今度は一転して彼女は座り込んだまま天を仰ぐようにして声高らかに笑い始めたのだった。

 その船上に居合わす面々がこの婦人はとうとう気が触れてしまったのかと(いぶか)るほどに笑い続けた彼女はやおら立ち上がって、

「やったわよ!あなた。ドイツ軍を出し抜いてやったわよぉー!」そういうとシュテルンベルガーを睨みつけた。

「笑うな!どういう事かなぁ」彼は腰のホルスターからモーゼル軍用拳銃を抜き、細長い銃身部分に手を持ち替えると銃把の部位で彼女のこめかみを狙って打ちすえた。勢いよく朝もやに濡れた木製の甲板に倒れこんだワイダを見て、難民達の間から悲鳴がおこった。それでも、彼女は笑うのを止めず

「最初からこの船に子供たちなんて乗せていなかったのよ。ハックスリーさんが潜水艦を待つべきだ。子供たちを離れ離れにしてはいけない。必ず来る!待つんだって……これが彼の最後の言葉になったわ。私も迷ったけど、子供たちは漁師のお爺さんに預けて私とハックスリーさんだけで乗り組んだのよ!」

今度はSS大尉は無表情に黒い革製のブーツで思いっきりワイダ婦人の顔を蹴り上げた。

「……今頃はあの子たちはポーランド海軍の潜水艦の中よ!荷物も子供たちが持っているわ!」

「潜水艦の名は…答えろ!」もう軽口を叩く余裕を無くしてシュテルンベルガーは更に彼女の腹を蹴り、更に頭をブーツの先で踏みつけた。

「……ヨブの言いつけには逆らったけど……正解だった。……アンナ、みんなぁ……負けんじゃないよぉ。助け合ってしっかりねぇ」さんざ、SS大尉に暴行を受けたワイダは顔中血だらけで、意識は朦朧としてうわ言をつぶやくのみになったが、シュテルンベルガーが拳銃の劇鉄を起こすのを目の端で捉えると”ガバッ”と上体をおこして拳銃で自分に狙いをつけている男に最後の力をふり絞りこう抗った。

「可哀そうな坊やだこと!自分だけが正しいって思ってる!あの人はこう言ってなかった?”本を焼くような人間は平気で人をも焼く”って。ドイツの将校さん、あなたたちはその本を焼いた炎であなたの国を、お仲間を戦火の地獄に引込むのよ―」

 モーゼル独特の銃声が朝もやの中に轟いた。頭半分を正面から吹き飛ばされたワイダという元女性の肉塊がデッキに転がった。

「もう、オレの船で人殺しは勘弁してくれぇ!帰ってくれ!もう充分だろう。二人分の遺体をどう処理すりゃいいんだよぉ」アウローラ号のハゲ頭船長が泣くようにわめきたててUボート艦長のキュヒナーの方に詰め寄った。

「大丈夫!心配しないでいいから。邪魔したねぇ」シュテルンベルガーは拳銃をホルスターに収めながらスェーデン人の船長ににこやかに言ってから”戻りましょう”とキュヒナーの脇をすり抜けようとした時、彼はSS大尉の肘をつかんで

「どういう事だ?何の権限か知らんが、やりすぎだ!何を追ってるんだ?”荷”とは何だ?」と更につかんだ肘を力を込めて締め上げて問い詰めた。しばらく無言でキュヒナーと対峙したシュテルンベルガーであったが軽く息をつくと、キュヒナーの耳元である単語を呟いた。

「……!おい!まさか」キュヒナーはその後の言葉をなくした。

「正確には模造品(コピー)ですが、本国の製品と性能は寸分違わぬそうです。回収、もしくは完全に破壊するしかありません。特にあなた方、Uボート潜水艦隊にとっては死活問題です!」

 キュヒナー艦長は無言のまま頷いた。そして、そばで自動小銃を構えたままの部下の下士官に臨検の終了を告げると、

「撤収!船へ戻れ」と、艦長の意を受けた下士官が号令をかけた。

 難民たちは一斉に安堵の表情を浮かべ、その内何名かは甲板に横たわったままのワイダ婦人の亡骸に上着をかけてから、十字を切って祈りを捧げた。その様子を小さな子供たちが興味深げに眺めていたが、その母親達は、子らの手を引き遺体というものを見せないようにした。

 「解放するのかね?」キュヒナー艦長は、微速前進でアウローラ号から離れつつあるU-X09の司令塔でシュテルンベルガーに訊ねた。

「解放、どうして?沈めてください。方法はお任せします」と、彼は制帽を脱ぎ、見事な金髪を晩夏の日差しに輝かせた。

 いつの間にかすっかり朝もやは拭い去られて、潜水艦の舳先の向こうには水平線を夏の名残の陽光でキラキラ光らせている海原が広がっていた。 シュテルンベルガーは何度も手ぐしで髪を撫でつけながら

「忙しくなります。空軍には偵察機を何機も借り受けねばなりませんし、本国へ連絡をとって、スウェーデン政府に協力を依頼、というより強請(ゆす)ってもらう必要もありますね……」誰に言うでもなく今後の仕事の段取りを口にした。

「魚雷発射用意!艦尾発射管を使う。ハルトマン中尉、艦橋へ」伝声管を使って水雷を担当する先任士官の名を呼ぶキュヒナー艦長の声を背に受けながら、シュテルンベルガーは武装SS士官用の制帽独特の徽章を指で撫でている。彼の背後では手狭な艦橋に人数が加わって(せわ)しない。

 雲ひとつ無い晴天に恵まれたバルト海に、貨客船アウローラ号の間延びした汽笛が鳴り響いた。こちらが必殺の矢を射ようとしているのを知りもせずにボイラーの圧を上げた船のスクリューは回転を増し白い波を発生させた。長居は無用とばかり行き脚を上げようとしている。

「”人をも焼くようになる”ですって……。そうですねぇ、ええ喜んで焼き尽くしますとも」

「距離三〇〇!射角〇。五番管開け!発射用意」SS大尉の背後で、キュヒナー艦長とは明らかに違う野太いハルトマン中尉の声がする。

 手に持っていた制帽をキュッと被り直すとシュテルンベルガーは水平線に目を凝らしながらこう言ったのだった。

「人も、街も、我らに敵対する国家も全て焼くのさ!知っててやっているんですよ私はね。いい機会だよ。停滞しきって先が見えない、民族も文明も絡まりあってにっちもさっちもいかないこの古い世界を焼き尽くして新しい時代の扉を押し開くのは、我ら若者の務めさ……存分にやらせてもらう!」

発射(ロースッ!)!」

 一度、Uボートが微かに揺れるのをシュテルンベルガーは感じた。


 

 


 

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