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 吸いつくようなゴム製の手袋を慎重に外し、持ってきたキッチンタイマーを二十分でスタートさせた。芳さんの長い髪の毛はどこも流れに逆らって、ぺたりと頭に張り付いている。しゅわしゅわと泡が消えていくのを聞きながら、カフェオレと名のついた髪色の仕上がりに期待して、風呂場で一人、待ち続ける。後のシャワーのために薄着でいるが、湿気が肌にとけていくのが分かるほどだ。こもったような空気とツンとした染料の香りを逃がす為に換気扇を回した。

 浴室は音がよく響く。耳を澄まさなくとも、金曜日の街を駆け抜ける車が、大きな水たまりを次々と跳ねていくのが分かった。芳さんは小さな声で歌い始めた。途切れ途切れになるようなか細い声が、とびきり暗い詞をシャボンのように浮かばせる。一週間の終わり、帰り道の薬局で衝動買いしたヘアカラー。頭だけでも明るくなりたかったのだろうか。間奏部分でバカみたいだと呟いたが、脳を巡るのは嫌なことばかりだった。

 こうなると、思い出すことはどれも黒いフィルターに通される。帰りの電車、隣り合った人の突き出た肘すらも、鬱々とした心に継ぎ足される。芳さんは左手をぐいと伸ばすと、悲しい歌には似つかわしくないリズムで浴槽を叩き始めた。外の雨音に消されかけていた声もボリュームを上げ、全部吐き出そうとしている。陰鬱のシャボンが風船へ変わった時、単調な電子音が鳴り出した。ハッとしてストップボタンを押す。また、雨と車の音だけが響いた。

 再びゴム手袋をはめて、泡が消えべっとりとした髪を丁寧に流していく。目をつぶる直前、濃い色水が流れていくのが見えた。シャワーの音は、まるで外の雨のよう、まっすぐだ。もう、歪んだシャボンも風船も同時に流してしまおう。一直線に向かう水が、雨に打たれているような開放感を錯覚させる。カフェオレ色の髪が覗いた時、芳さんの顔は穏やかだった。

 心を洗い流す、芳さんの雨。


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