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DESIRE -Vengeance Werwolf-  作者: 渡鳥 鴎
2/2

Episode:01

こんな感じで気まぐれに更新してこうと思います。

ほんと不定期です。

 罵声飛び交う喧騒。鳴り止むことのないクラクション。まばらに聞こえる銃声はもはや日常の一部と化している。どこか安っぽいネオンの電光は夜になっても消えることなく、空は昼間のように明るい。

 まるで墓標のように立ち並ぶ雑居ビルの群れ。路地裏に足を運べば、野良犬のように飢餓状態に陥った人間が何人も壁にもたれかかり腰を下ろしている。

 空気は紫煙によって常に汚濁しており、まともに息を吸おうものなら肺が汚染されてしまう。

 道行く人々の顔に生気はなく、皆視線をどこに定めることなくただ風に身を任せゆらゆらと死体のように歩いている。……無理もない。事実、彼らは一度死んでいるのだから。社会的に死に、行き場を失い、ここへ逃げてきた負け犬たちなのだから。


 ここはAREA:03と呼ばれる場所。全世界の頂点と名高いバベルの影であり、裏であり、闇である。

 行き場をなくした者達が集うゴミ捨て場として忌避され、他の6つのAREAから最も離れた位置に存在する隔離空間。

 この区画には生きる屍しかおらず、半ば死人の街と化していた。救いなどなく、希望もない。


 しかし、どういうわけかそんな場所に、まったくと言ってもいいほど不釣り合いな少女が1人いた。

 少女の身なりはきちんと整えられており、この地域では滅多に見られない清潔さが感じ取れる。

 その少女は走っていた。まるで獣に追われた獲物のように。必死に、必死に、走り続ける。

 生暖かい、嫌な風が吹き抜ける。まるで巨大な獣が吐いた吐息のようだ。


「はっ、はッ……はっぁ」


 信じ難いことに、少女は人気のない路地裏を走っていた。こんな治安が悪い地域の路地裏を、己の身を守る術など欠片も持ち合わせていない少女が、だ。身の程知らずとしか思えない。もしくは白痴。

 だが、こうは考えられないだろうか?

 そんなどうでもいいことなど忘れてしまうほどに、彼女は今追い詰められているのだ、と。

 事実、彼女は追い詰められていた。路地裏で弱者に集るハイエナのようなチンピラ共など、どうでもよくなるほどに。


「なんなの、なんなのよ、あれは一体なんなのよッ!?」


 走りながら、叫ぶ。

 恐怖と驚きと焦りと困惑と……様々な激情が混ざりあい、少女の頭の中は文字通り混沌としている。

 少女が見た光景。それは到底現実のものとは思えない、頭のおかしくなるようなものだった。


「嫌だ、嫌だ、嫌だッ」


 少女の足音とは別に、何やら生肉を地面に何度も叩きつけたような音が路地裏に響き渡る。

 その音は徐々に少女へと近づいてきており、距離を離すことができない。


「来ないでッ」


 焦燥感。

 あれに追いつかれては、ダメだ。

 脳が、全身が、生存本能が、彼女を構成する全てがそう訴えかけてくる。

 故に彼女は己の限界すらも超えた速さで走る。走る。ひたすら走り続ける。


「────ッ」


 しかし、現実は時として残酷である。

 少女が行き着いた先は、壁。つまり行き止まりだ。少女が必死に走っていた道のりは、死への一方通行だったというわけである。

 引き返すことは出来ない。引き返せば、背後から追ってきている()()に何をされるか分かったものではない。……だが、先へ進むこともできない。目の前にそびえ立つのは高い壁であり、よじ登って超えることなどできそうにもない。

 ようするに、詰んだのだ。少女に逃げ場はなく、迎え撃つ術もない。八方塞がりとはまさしくこのこと。


「ひ、っあ」


 恐る恐る背後を向く。

 思わず耳を塞ぎたくなるような不快な音は、もうすぐそこまで迫ってきていた。

 暗闇の中から音の主がついに姿を現す。

 まず目を奪われたのが、その強靭な前脚だ。腕だけで少女の胴よりもさらに太い。次に頭部。どんなおぞましい獣の顔がそこにあるのかと目を向けると、そこにあったのは獣でもなんでもない、人の顔があった。醜悪な笑みに顔を歪ませた男の顔だ。

 そう、暗闇から現れたそれは、人外の化け物の肉体を持ちながら、頭部だけは人間のものだったのである。

 下手な化け物よりも数倍不気味で気色が悪い。もし頭部も化け物のものであったら、少女の心境は幾分かましなものとなっていただろう。


「オいツめタぞ、ガき」


 歪められた口から放たれたのは、やはりというべきか人の言葉であった。しかしその発音はまるで不協和音のようで、聞いているだけで不快な気持ちになるものだった。


「なん、なの。なんなのよ、貴方たちはッ……!」


 人面でありながら巨大な獣の肉体を持つ化け物の背後から、同じく奇形にして異質な化け物たちが姿を現す。

 ある者は腕が無数にあり、ある者は上半身が刺のようなもので覆われている。

 異形の集団。魔物の群れ。悪魔の軍勢。元より常軌を逸したことが日常的に起こるAREA:03であったが、今回ばかりはあまりにも異常すぎた。


「さァ、"魔導書"を渡しテもラおウか」


 化け物たちの代表として、地に四足をつく人面の化け物が少女に歩み寄る。

 距離にして、少女まであと数メートルもない。

 万事休す。絶体絶命。もはやどう足掻いてもこの少女は助からない。


 ────この場にいる誰もがそう思った、その時だった。


「よぉよぉ、化け物共が寄って集って小娘を襲ってんじゃねぇよ」


 緊迫した雰囲気を打ち砕くかのような、軽薄な男の声が辺りに響き渡った。

 無論、化け物たちの誰かが発したものではない。

 この場に姿を見せない、どこの誰とも知れない第三者が発したものだ。


「モテねぇからってガキをレイプしようとしてんじゃねーよモブ野郎が。モテねぇのはそんな形してるてめぇらが悪いんだろうが」

「……ダれダ。姿ヲ見せロ」


 声の主に、人面の化け物は怒るでもなく慌てるでもなく、ただ低く唸るようにそう告げた。それなりに場数を踏んでいるのであろう。この程度の事態ならば過去に何度も経験している。

 故に、化け物たちはあくまでも冷静に行動を始める。今の彼らに、一切の隙は存在しない。


「おー怖っ。モテないから男でもいいってか? 生憎、俺は男と化け物には興味が無いんでねっ!」


 刹那。

 何者かが少女と化け物たちの間を裂くように、上空から音もなく降り立った。

 まるでコミックのヒーローのように、少女の窮地に現れた影は2つ。


「俺様参上ってな。五体投地しながら歓喜に奮えやがれ、オーディエンス共」

「……」

「おーい、ツッコミ役頼むぜリリィ」


 燃えたぎる炎のような赤髪の男と、そんな男とは対照的にどこまでも透き通った雪原を彷彿とさせる純白の髪の少女。

 どちらも、この場においては不釣り合いだ。今まさに追い詰められていた少女もだが、この2人はそれよりもさらに不釣り合いだ。


「貴様ら、何者ダ」


 人面の化け物が、唸る。油断はしない。冷静に、状況を分析しながら、突然の乱入者2人に話しかける。

 戦闘経験など生まれてこの方体験してこなかった少女でも分かる。この化け物たちは、かなりの手練だ。だが、対するこの2人に関してはまったく分からない。この化け物たちを上回る手練なのか、はたまた己の命をかえりみないただの白痴なのか。


「俺たちが何者か、だって? ……そんなことはどうでもいいんだよ。今問題なのは、お前達が俺の欲しいものを奪おうとしていること、ただそれだけだ」


 赤髪の男がホルスターから銃を2丁抜き放つ。

 黒と白の、巨大な拳銃だ。到底片腕では撃てないであろう規格外な大きさのその拳銃を、しかしその男は片手に1丁ずつ軽々と握る。


「なァ、分かるか? てめぇらは他でもないこの俺から横取りしようとしてんだ。ふざけんじゃねぇぞコラ。俺が欲したもんはなぁ────」


 人面の化け物に銃口が向けられる。

 その動作に無駄な動きは一切なく、それはこの男が銃火器を扱い慣れている何よりの証拠だった。


「全部、余すことなく、この俺様の物なんだよォッ!!」


 怒号と共に、2丁の銃が同時に火を噴く。

 竜の口から炎が吐き出されたのかと勘違いしてしまうほどに、凄まじい轟音だ。少女は一瞬、己の鼓膜が破れてしまったのではないかと錯覚した。

 それほどの威力だ。反動も桁外れなものとなったであろう。少女は男に目を向ける。しかし、男の両腕は反動によってちぎれるどころか、傷一つ負っていなかった。撃った状態のまま、銃口は化け物たちへと真っ直ぐ向けられている。


「ふン、たダの人間風情ガ図に乗るナよッ!!」


 だが、放たれた銃弾は化け物たちに当たることも掠ることもなく虚しく虚空を過ぎる。

 彼が銃を放つその寸前に、化け物たちは動き出していたのだ。魔界の軍団が、一斉に2人に襲いかかる。


「どコの誰ダかハ知ラなイが、見らレたカらにハ死ンでモらウ」


 赤髪の男の胴回りとほぼ同じくらいの太さを持つ豪腕が、何の躊躇いもなく振り下ろされる。

 コンクリートで固められた地面はそれだけで大破し、そこに人間がいたならばまず間違いなく潰されて死んでいたであろう。あくまで、その場にいたらという仮定の話だが。

 そう、そこに赤髪の男の姿はなかった。それどころか、いつの間にか白髪の少女の姿も消えている。

 これには流石の化け物も、目を疑った。確実に仕留めたと確信したのにも関わらず、死体がどこにもない。避けられた? まさか、そんな事は有り得ない。あの一撃をかわせられる人間など、この世には存在しないだろう。それこそ自分たちのような化け物でなければ、あれを回避することなどできるはずもない。


「よう、どこ見てんだよモブキャラ」


 背後からの軽薄な声。間違いない、赤髪の男のものだ。信じられないことだが、やはりあの一撃を避けられてしまったのだ。

 振り向くのと同時に、人面の化け物は声がした方に向けて拳を放つ。手応えは先程と同様に微塵も感じない。またしてもかわされたのだ。

 己の中の常識がことごとく覆される。それでもなお、化け物たちは冷静だった。こと戦闘において、この化け物たちが慌てた事は一度もない。慌てて隙が生じてしまえばそれで終わりだからだ。決して油断してはいけない。いけない。……いけない、のだが。


「オのレッ!!」


 攻撃がまったく当たらない。それどころか男の姿すらまともに目視できない。油断など微塵もしていないというのに。

 徐々に、化け物たちの中で焦燥感が現れ始める。

 この男を早くなんとかしなければきっと恐ろしいことになる。そんな嫌な予感が拭えないのだ。


「怠けてんじゃねぇぞ。おらどうした、さっきまでの威勢はどこにいった?」

「ダまレッ!!」


 腕を真横に振るう。

 視界の端に一瞬人影が映ったのを、人面の化け物は見逃さなかった。

 捉えた。そう確信した時にはもう全てが遅かった。


「ダ、ぐ、ギァッァッァッ!?」


 噴き出す血液が、周囲の床や壁を汚していく。

 人面の化け物の両前脚が消失していた。宙へと舞った腕の残骸がボトボトと地面に叩きつけられる。

 この時何が起こったのか、化け物たちには理解出来なかった。


「な、にヲしタきサまァっ!?」

「……」


 視界の先で佇んでいるのは白髪の少女。乱入してきたときと変わらず沈黙を貫いている。

 変化している点があるのならば、それはただ1つ。彼女の右腕の肘から先が、鋭利な刃物と化していることだ。


「なン、だソの、う、腕はッ! まサか、貴様も、EGOISTなノかッ!?」

「否定//私はEGOISTではありません。私はオートマキナです」

「オートマキナ、だトッ!?」


 無感情に、そして無表情に。彼女は淡々とそう告げる。

 オートマキナ。化け物たちに狙われていた少女もよく知る単語だ。オートマキナとは機械仕掛けの人形のことであり、人間の命令を受けて忠実に動くロボットのことだ。

 しかし、あの化け物が驚くのも無理はないだろう。少女も化け物たちと同様、かなり驚いている。

 何故なら、あれほどまでに人間に近い見た目をしたオートマキナなど見たことがないのだ。

 オートマキナはあくまでも道具だ。人間の命令を実行するための道具。そんな道具を、あそこまで精巧に人間に似せて造る必要性がない。故にオートマキナはそのほとんどが、もっと機械じみた外見をしており、あれほどまでに人間に酷似したオートマキナが存在しているなど聞いたことがない。


「肯定//私はオートマキナ。名前はリリィ。正式名称DMS-01です。よろしくお願いします。……もっとも、あなた方と会うことはもうないと思いますが」


 嘘ではないのかもしれない。

 人として大切な何かが欠如したような、そんな雰囲気が彼女にはある。命の鼓動が感じられない、まさしく人形と言ったところか。

 となると、やはり彼女はオートマキナで間違いないのだろう。


「忠告//その場から動かないでください。でないと、苦を与えずに殺害することが難しくなります」


 自身と同じくらい小柄な少女が、剣と化した腕を振るって情け容赦なく化け物たちを斬殺していく姿を見て、少女は言葉を失ってしまう。

 あまりにも眼前の光景が凄まじかったがために、隣に赤髪の男が立っていたことにも気づけなかった。彼の存在にようやく気づいたのは、他でもない彼に声をかけられてからだ。


「凄ぇだろあいつ。生意気なヤツではあるが、あんな雑魚共に負けるほど弱くはない」


 ケラケラと愉快げに笑う赤髪の男。あの白髪の少女も凄まじいが、この男もまた化け物だ。

 あれほどの猛威に晒されたにも関わらず、掠り傷一つ負っていないのだ。身に纏うジャケットでさえも損傷が見られず、真実彼は無傷だった。


「抗議//サボっていないでカインも働いてください。でないと、貴方も彼らと同様に斬り殺しますよ」

「怖い怖い。そいつは洒落にならんな。……つーわけで、ご指名受けたからよ。お前はもうちょいそこで待っててくれや」


 少女の頭を軽く撫で、カインと呼ばれた赤髪の男は酷く面倒くさそうに戦場へと歩を進めていった。

 化け物たちの猛攻を掻い潜りながら、リリィと呼ばれた白髪の少女の横に立つ。銃を持つ両手はだらりとさげられている。明らかにやる気が、戦意が見られない。隙だらけ。油断しきっている。戦場の真ん中に立つ者にあるまじき態度だ。

 だというのに。誰も彼に襲いかかろうとしない。傍から見れば絶好のチャンスにしか見えないのに、誰1人として彼に襲いかかろうとしないのだ。

 彼らは本能で察したのだ。隙だらけなのは表面だけで、彼には何かがあるのだと。


「本当に醜いよなお前ら。そんな姿になってまで己が欲望を叶えたいのか?」

「なンだトッ?」

「情ねぇ。情ねぇよマジで。お前らの欲望は、底が浅い。程度が知れてる」


 そう言うと、カインはさらに一歩前へと踏み出し、無防備に己の体を死地へと差し出す。

 これ以上何かをさせてはいけない。不気味な予感を感じ取った化け物たちは、再び一斉にカインへと飛びかかる。

 この場合、飛んで火に入る夏の虫とはどちらのことを指す言葉か。

 カインの表情に焦りは欠片も見られない。むしろ彼は、喜悦に顔を歪ませていた。


「いいか、目をかっ開いてよく見ておけ。絶対に目を逸らすなよ。刮目しろ────これが真の欲望ってやつだ」


 瞬間、カインを中心に"何か"が広がった。それを言葉で表すことは出来ない。実体がなく、目には見えないものだから。しかし、何かに覆われたのだという事実だけは感じ取ることが出来る。

 発生源であるカイン自身を、傍らに立つリリィを、迫り来る化け物たちを、隅で縮まっている少女を、およそここら辺一帯にある全てのものを、その"何か"は丸ごと飲み込んだ。

 世界が変わる。異世界に包み込まれる。景色景観こそ変わらないものの、今しがた感じた"何か"に包まれた一帯の全ての法則と理が書き換えられる。



     "DESIRE(デザイア)"



「ここは俺の世界、俺の欲望が体現される異世界だ。てめぇらの不完全なDESIREとは訳が違う。正真正銘、本物のDESIREだ」


 何が起こったのか、少女にはまるで理解出来なかった。化け物たちがカインに襲いかかろうとして、ここら辺一帯が"何か"に覆われて、そして気がつけば化け物たちが全員残らず地に伏していた。

 この一瞬で何が起こったのか。凡人に過ぎない少女にはまるで理解出来ない。少女が生きてきた環境とはジャンルがあまりにも違うのだ。


「どうだよ、俺の欲望の味は。紛い物のお前らと違って、凄ぇだろ?」

「あ、アがアぁァあァッ!?」


 化け物たちの身体から一斉に血が噴き出す。

 部位はどれもばらばらで、しかしその出血量は総じて同じ。まるで、寸分違わず同じ大きさの獣に噛み付かれたかのような、そんな血の噴き出し方だ。

 目を凝らして、化け物たちの方を凝視する。すると、薄らとだが、地に伏した化け物たちに群がる、陽炎のような影の姿を少女は目にした。

 その影は獣であり、見た目は狼に近い。肉体を持たない蜃気楼の狼たちが、異形の化け物たちに襲いかかっているのだ。


「俺は、俺から何かを奪おうとする奴らを決して許さない。略奪者は俺だ。奪われる側のてめぇらが、俺から何かを奪い取ろうとしてんじゃねぇよ」


 次々と死んでいく化け物たち。

 最後に残った化け物の1体が、怯える表情でカインを見る。その視線を受け止めた彼は、情け容赦を与えるわけでもなく、ただただ無感情に、手に持つ拳銃の銃口をいまだ震える化け物の眉間に突きつけた。


「バイバァイ。テメェみたいな救いようのないブサイクは、さっさとおっ死ね♪」

「や、ヤめッ」


 命乞いの言葉は、乾いた銃声によってかき消される。数秒遅れて、薬莢が地に落ちる音と、肉塊と化した化け物の巨体が崩れ落ちる音。

 辺りを、再び静寂が包み込んだ。

 戦闘が終了したのと同時に、周囲を包み込んでいた違和感が霧散していく。異世界の法則が解除され、元の状態に戻ったのだ。


「久しぶりの運動で疲れたわぁ」


 踵を返したカインが、少女に歩み寄る。

 今後の展開がまるで読めない。窮地は脱したものの、この眼前の2人がどう動くのか、少女にはまったく予想がつかないのだ。

 もしかしたら、さらなる窮地に立たされたのかもしれない。少女は無意識に身構えていた。

 そんな彼女を見て、カインは呆れたようにため息を一つ漏らす。


「あのなぁ、助けてもらっといてその反応はねぇだろオイ。何も取って食おうとしてるわけじゃないんだからよ」

「……でも、ここはAREA:03よ。油断なんて、絶対にできない。しちゃいけない」


 そう、ここはAREA:03だ。人生の負け犬たちが集い、退廃的な毎日を過ごしているゴミ溜め場。油断などしようものなら、一瞬にして何もかもを奪われてしまうことであろう。


「ったく、だからって礼の一つもなしかよ。パパやママに、誰かに助けられた時はお礼を言えって教わらなかったか?」

「貴方が私を狙っていないという確証はないもの。……信用出来ない相手に対して、お礼なんて言えないわ」


 自身を庇うようにして身を固める少女に対し、カインはあからさまに嘲笑を浮かべてみせた。


「ハッ、安心しろ。俺はガキに興味はない。俺をその気にさせたいならあと10年は経ってからにしやがれ」

「なッ」


 少女の顔が羞恥と怒りで赤く染まっていく。思わず立ち上がって抗議しようとしたものの、しかしカインは遮って言葉を続けた。


「だがまぁ、確かにお前が礼を言う必要はないかもしれないな。うんうん、なかなか良い勘してるわ」

「へっ?」

「だから、俺たちがお前のことを狙ってる云々の話だよ。ピンポーン、大正解。俺たちお前のこと攫うために邪魔なあいつらぶっ殺しました~ってな」

「ちょっ」


 少女が何かするよりも先に、いつの間にか少女の背後に立っていたリリィが彼女の首筋に手刀を落とし、一撃で意識を刈り取る。

 地面に倒れた少女をカインは何でもないように抱きかかえ、僅かに苦笑を浮かべた。


「恨むんなら力のない自分を恨むこったな。なんたってここはバベルの汚点AREA:03だ。様々な悪意が飛び交い、様々な罪が蔓延る、欲望の区画なんだからよ」


 カインは誰に言うでもなくそう呟き、リリィと共にその場を後にする。

 小汚い路地裏に、静寂が戻る。後に残されたのは辺りに散らばった肉塊と、少女の悲鳴さえ飲み込んでしまう騒がしい繁華街の雑踏の音だけだった。

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