ちびっこ女子ですが、幼馴染の脳筋騎士に、筋トレ道具になってくれと迫られています。
「お願いだよアンジェラ。今日こそ俺の願いを叶えてくれないか」
私の幼馴染は、つぶらな金の瞳で誘惑する。
「い、や、だ!」
「頼む!今日は君が望むように、無茶はしないから」
逞しい腕が私の背に回される。
「やだったら、やだ!……いい加減にしてよ、オリバー!」
ぺちっ!ぽよん。
貧弱な鉄拳を食らわす。鍛えられた胸筋に当たった拳が痛い。奴はびくともしない。
「君の言うとおりにしたら、抱かせてくれるって言ったじゃないか」
教会のステンドグラスをすり抜けるきらきらした午後の光に照らされ、叱られた子犬のようにしょぼーんとする大男。
幼馴染のオリバーは、シャツの前をはだけさせ筋骨隆々の鋼の肉体美を惜しげもなく晒して、隙あらば私をお姫様抱っこしようと目論む。
「抱く……って、誰かが聞いたら誤解を招くような表現はやめてよ」
「強い騎士になるにはもっと腕の筋肉を鍛えたい。訓練のために君を抱き上げたい。銅像も椅子も、持ち上げるのに飽きたんだ。君がいい」
「失礼ね。そのへんの物のうちで、私が一番重いみたいじゃない」
銅像は子供の背丈ほどもある青銅製だ。椅子も三人掛けじゃないの。
「君は羽より軽いよ」
「じゃあ体力作りに貢献できないわね」
私が軽いのは本当だ。子供の頃から病弱だったためか、体格は同年代の女子より小さい。熊のようなオリバーと並ぶと、倍ぐらい違うように見える。
「ううん、アンジェラはちょっと重い」
「どっちなのよ!」
「うううー」
赤い髪をバサバサ揺らして頭を振る。
難しいことを言わせようとすると、こいつはいつもこうなるのよね。
「どうして私を抱き上げる訓練が必要なの?きちんと説明してもらわないと分からないわ」
「あっと、ええっと……」
大男のくせに乙女みたいにもじもじするな。気持ち悪い。
「いい?何で私が筋トレの道具にならなきゃないか、説明できるまで近寄らないで」
「そんな……」
オリバーはその場にへたりこむ。
私は彼を振り返ることなく教会を出た。
◆◆◆
いずれ、彼とは潮時なのだ。
友人として軽口を叩くのもそろそろ限界だ。
子供の頃から弟のように面倒を見てきた、赤い髪と金の瞳の一つ年下の少年は、三年の年月を経て立派な青年になって私の前に現れた。
貴族令息は十五歳から三年間、王立学院で勉強するものらしい。
「僕は立派な騎士になって戻ってくる。待っていてくれ、アンジェラ」
もっともらしいことを言って、私が住む町を旅立ったオリバーは、いつの間にか「僕」が「俺」になり、腕が丸太のように太くなり、風格だけはいっぱしの騎士になって帰ってきた。
――そう、本当に、見た目だけは立派になったもんだわ。
再会した時、不覚にも一瞬見とれてしまった。あのオリバーに。
でも、かえすがえすも残念なのは、あの中身。
言葉で説明するのが苦手なのは昔からだけど、三年も勉強してきたのに、全く進歩が見られない。言うに事欠いて、椅子や銅像を持ち上げるのに飽きたからって、人を何だと思っているのよ。私を筋トレの重しにしようなんて、百年早い。私を抱き上げようだなんて、……もう。
今日は日差しが眩しい。父が牧師を務める教会から出ていくらも行かないうちに、私は眩暈に襲われた。普段は自宅の敷地から滅多に出ないのに、オリバーがなかなかうちの教会から出て行かないものだから、こっちが出てきたのだ。……出てくるんじゃなかった。あいつを追い出してしまえばよかった。
後悔はいつも先に立たない。
「アンジェラ?」
近所の家の木柵に縋り、蹲っていると声をかけられた。
この声は我が家の三軒隣のエイドリアンだ。顔を上げれば、眼鏡の縁を指の背で上げる神経質そうな顔がこちらを見ていた。
「どうしたのさ。酷い顔色だよ」
「……散歩に出たら、急に、眩暈が……」
「こんな暑い日に外に出る方が悪い。……ほら、送っていくから掴まって」
お互い町の学校に通っていた頃は、女の私の方が試験の点数がいいと、決まってチクチク嫌味を言うような器の小さい男だと思っていたが、病人には優しいらしい。明日は雨が降るに違いないわ。
「ありがとう」
膝に力を入れて立ち上がる。エイドリアンは私の腕を引き、自分の肩にかけた。小柄な彼ではあるけれど、流石に子供のように小さい私には高さがあり、足がうまく地につかない。眩暈でふらついているのもあって、私は彼の胸に縋るような格好になった。片腕は肩に回されているので、一見すると抱きついているようにも見えたのだろう。
「ひゅーひゅー」
どこでそんな冷やかしを覚えてきたのか、近所の悪ガキ三人が私達をはやし立てた。エイドリアンは真っ赤になって手で追い払う。
「……ごめん。私がチビだから……」
「アンジェラは悪くないよ。君を支えられない僕が情けないだけだから」
眼鏡の奥の瞳が細められ、私はつられて微笑んだ。
◆◆◆
オリバーは教会に来なくなった。
あれほど毎日、抱かせてほしいと言い続けていたのに。飽きたのかしら。
きっと新しい筋トレ道具を見つけたんだわ。銅像より重い、効果抜群の何かをね。
――悔しいとか寂しいとか、絶対に思わないんだから。
道端で倒れかけている私を見つけた日から、エイドリアンは心配して様子を見に来てくれるようになった。地方官吏になるため試験勉強をしていて、あとひと月もしないうちに試験日だと言っていたのに、忙しい合間を縫って私に会いに来る。
「アンジェラ、今日は少し、頬に赤みが差しているみたいだね」
「ええ。家でゆっくりしたせいか、とても気分がいいの」
「それはよかった。この間、ぐったりした君を見かけた時は、本当に肝が冷えたよ」
「私もいつも倒れるわけじゃないのよ」
「知っているよ。……でも、君は子供の頃から身体が弱いだろう。このまま君のお父さんの教会で働くにしろ、体力がないのは致命的だ。ボニーやエイプリルのように農場主に嫁ぐこともできないし、ヘザーのように店を経営するのも難しいと思う」
十九歳になって嫁ぐ気配のない同級生をからかうつもりなのだろうか。
エイドリアンは深く溜息をついて、私の瞳を見つめた。
「僕は君を、まるでお姫様のように大事にできる」
――はい?
私は耳を疑った。いきなり何を言い出すのか、この同級生は。
「官吏の試験に必ず合格してみせる。馬車馬のように働いて、使用人の一人や二人雇って……君が働かなくてもいいように」
――ん、んん?
何か、話が怪しくなって……。
どう返したらいいか分からず固まっていると、彼は私の手を握り、頬を紅潮させながら抑揚のない声で話し出した。
「アンジェラ。僕と一緒に街に出ないか。……僕の妻になって欲しい」
真剣な眼差し。彼にとっては一世一代の告白に違いなかった。
◆◆◆
子供の頃から気になっていたのだと、エイドリアンは言っていた。私がよく覚えていないようなことも、彼にとっては特別だったと気づかされる。思い出話に曖昧に返事をしては、彼を騙している罪悪感が私を苛む。たまにはこちらから思い出の場所に誘おうと思うが、彼との思い出が私の内に棲みついていない。
「ええと、そうね、これは……」
河原に生えた木を眺めた。何か思い出があったような気がする。
――何だったかな。確か木に登って……。
「あなたがよく登った木よね」
「僕は木登りは得意じゃなくてね」
「う、うん。そうだったわね」
……おかしい。不発に終わってしまった。向こうにある大きな石はどうだったかしら。
「そうそうあの石!押したら川に落ちないかしらって……」
――一瞬、金色の瞳が、悪戯な笑顔が脳裏を掠める。
「……アンジェラ?」
エイドリアンは怪訝そうに私を見た。彼は石を川に落としたりしないのよ。ましてや大人でも動かせそうにない岩を落とそうだなんて、非生産的なことはしない。
「さっきからどうしたんだい?君、変だよ。落ち着きがない」
「おちちゅ、落ち着いてるわよ」
「噛んだ。動揺しまくりじゃないか。河原に行こうと誘ってきたのは君の方なのに」
「ごめんなさい、何でもないの。……歩きなれていないから疲れてしまったみたい。戻りましょう、エイドリアン」
自分の体力のなさに感謝したのは初めてだった。デートを切り上げる口実に体調不良を挙げれば、彼なら必ず私を家に帰らせてくれる。確信して、今来た道を戻ろうとする。
「アンジェラ」
エイドリアンは私の背中に呼びかけた。
「君は、待っていたのか」
「待つ?何のことかしらね」
振り返ったりはしない。彼に表情を見られるのは嫌だ。
「オリバー様のことを待っていたんだろう?病弱を理由に、断った縁談もあったと聞いている」
「私の身体が弱いから、先方に断られたのよ」
「どうだかな。でも、君がいくら待っていたからって、オリバー様は君を妻に選んだりしないよ。侯爵家、しかも代々騎士を輩出する名家だ。次期当主の妻に、君のような女性を……」
「知ってるわ」
エイドリアン、あなた、私を苛立たせる天才ね。
子供の頃も嫌な奴だと思っていたけど、初対面の印象はあながち間違っていなかったみたい。こんなにずけずけと、傷口に塩を塗るなんて。流石はあなただわ。
――嘘。悪いのはエイドリアンじゃない。
思い切りの悪いこの私よ。
「もう、オリバーは来ないわ。……私が来るなって言ったの。銅像や椅子の代わりに私を持ち上げたいだなんて、意味不明で付き合ってらんないのよ。図体だけでかくなって、言ってることは前と同じだなんて、ちっとも変わっていないだなんて、そんなのって……」
エイドリアンは涙声になった私を振り向かせようとはしなかった。
ただ黙って、私の肩を二度叩き、
「君の不器用な性格も、ちっとも変わっていないよね」
と抑揚のない声で呟いた。
◆◆◆
顔を見られないようにして涙を拭い、私は家へ急いだ。
小さい町は噂が広まるのが早い。エイドリアンと私は既に恋人同士だと思われている。デートに行った後に泣いて帰ってくれば、何かがあったのだろうかと憶測だけで噂が立つ。教会の役立たずの娘である私は、一度や二度噂されてもどうってことはない。が、エイドリアンは違う。町の神童として褒め称えられてきた彼の名誉を傷つけるわけにはいかない。
俯いたまま教会に入ると、両親が慌てた様子で祭壇や椅子の掃除をしていた。
「どうしたの?」
「アンジェラ、ああよかった。お前も体調がいいようなら手伝ってくれないか」
「大掃除なんて珍しいわね。祭りの前でもあるまいし」
「一週間後にはこちらに大勢のお客様が見えられる。この通り、古くて狭い教会だが、せめて小奇麗にしておきたくてね」
教会関係者の集会か何かだろうか。父はあまり、王都の教会と付き合いはないはずなのに。
「わかった。手伝う。私は何をすればいい?」
「椅子を水拭きしてほしいわ」
母から雑巾を受け取り、桶の水に浸して絞る。
「こんなこと、この教会で初めてじゃないか?歴代牧師の中で初めてだろう、領主の結婚式を執り行うのは」
「オリバー様はまだご当主になってらっしゃらないわよ。気が早いわ、あなた」
――オリバーが、結婚?
景色が暗転した。
父母の会話が遠くに聞こえる。
次第に、意味をなさない木々のざわめきと一つになっていく。
紙をくしゃりと丸めるような音がひっきりなしに聞こえ、頭の中を支配している。
「……掃除、頑張らなきゃ」
手に伝わる水の冷たさですら、私を正気に戻せない。
風景は歪んで何も見えない、……何も見たくない。
この家にいたら嫌でも見てしまう。
幸せに浸る彼と、逞しい腕に抱き上げられた花嫁を。
◆◆◆
「エイドリアンが試験のために街へ旅立った。優秀な彼のことだ。合格してそのまま、街の人間になるだろう。……見送らなくてよかったのか、アンジェラ」
父は私と彼の間に何かがあったと気づいていたが、若い恋人達によくある痴話喧嘩だと信じて疑わなかった。彼の手を取らなかった私を責めるでもなく、今まで以上に腫れ物に触るように扱う。
「いいの。エイドリアンは官吏になって、馬車馬のように働くのが夢なのよ。夢が叶うようにこの町で応援するわ。だって、彼が故郷に錦を飾るときには、昔の思い出話をする人が必要でしょう?」
人に話せるくらいの思い出はないけれど。
「……そうか。ところでアンジェラ」
「なあに」
「今日の午後、明日の準備のために、侯爵様、奥方様、オリバー様がいらっしゃる」
「ええ。前に聞いたわ」
「私はお相手をしなければならない。控室の準備をお前に頼んでもいいか」
酷いお父様。花嫁のために部屋を誂える役目を、私にしろというのね。
「……分かったわ。準備が終わったら、出かけてきてもいい?」
「遠出はするなよ」
小さく頷いて、私は花嫁の控室へと向かった。
侯爵家からの依頼通りに、この町で育てた花を使ってブーケを作った。町で手に入る一番上等なリボンで飾り、末端を束のまま水桶に浸す。
「何やってるのかしら……」
教会の引きこもり娘風情が、領主の息子に失恋したような気になっていること自体、お門違いなのよ。感傷に浸ってブーケを作りながら泣いているなんて、馬鹿みたいじゃない?
馬鹿と言えば、あの男。
筋トレのことしか頭になくて、どうせ新妻に「愛してる」の一言も言えないのよ。
あたふたと変なこと言って嫌われるだけよ。ざまあみろ。いい気味だわ。
「ふふふ」
気が付けば笑っていた。
妻に幻滅されて、大きな身体を小さく丸めていじけるオリバーを想像して、私は楽しくなってきた。
「フン、フフーン、フフン……」
鼻歌まで出てしまう。
「……アンジェラ」
「ふごっ!」
歌を堪えようとして鼻に力が入り、豚の鳴き声のような音が鳴ってしまった。
恥ずかしい。もうお嫁にいけない。
私は向こうを向いて顔を押さえた。
「ここにいたんだね」
声の主は大股で歩いてくると、小柄な私を簡単に抱きすくめる。
――丸太のような腕で。
「君が準備をしているとは思わなかったよ」
「うちの教会でやる式だもの。手伝うのは当然だわ」
よりによって、うちでやらなくてもよくない?あなたの家の領地は他にたくさんあるのよ。
「……もう、間に合わないかと思った。街に行ったのかと」
オリバーは私を回れ右させ、屈みこんで視線を合わせた。
「街には行かないわ」
「幼馴染と結婚してここを出るって聞いて、お、俺は……」
赤茶の眉が下がる。大男のくせに、何て顔してるのよ。
「私がこの町を出たらいけないの?」
「ダメだ。行ってほしくない」
「どうして?教会の役立たずの娘が一人減るだけよ。私の食べる分を修繕費に充てられるわ」
「しゅうぜんひ……」
分からないのか。分からないんだな、こいつは。
「でも残念なことに、私はここに居残りなのよ。エイドリアンに捨てられて、教会の石潰しのままだって、町の皆は知ってるの」
「ごくつぶし……」
これも分からないんだな。そうか、そうだろうな。
「オリバー、これは幼馴染からの忠告よ。あなた、もう少し言葉を勉強しなさいよ。言葉は気持ちを伝える方法なの。……明日、結婚式なのよね?」
「うん」
「奥様には『愛してる』の一言ぐらい言ったのよね?」
「……言ってない」
やっぱりか。もう、つっこむ気も失せた。
「少しは気の利いたセリフを言ってみたら?……まあ、あなたの夫婦生活がどうなろうと、私には関係ないけど」
落ち込む彼の姿が微笑ましくて、つい、ボロボロに言ってしまった。
「関係ない?」
金色の瞳が私を捉える。言葉に言い表せないのか、感情が奥に揺らめく。
「そうでしょう?」
最後は、笑って送り出したい。
「……じゃあね、オリバー。末永くお幸せ、ニッ!?」
言いきらないうちに背中と膝裏に手が当てられ、軽々と抱えられる。
「ずっと、こうしたかった……」
オリバーは熱の籠った瞳で私を見た。
今さら筋トレの話?
「こうやって、君を抱き、上げて……」
上下させられたらたまったものではない。嘔吐してしまいそうだ。
「お願い!動かないで!」
上着の襟を握りしめる。オリバーは満足そうに頷いた。
「動かない。ずっとこのままだ。腕から離したくない」
下ろしてもらわないとそれはそれで困るんだけど。
「……アンジェラ」
「何よ」
「君は教会から出たくないのか?」
「出たくても行く先もないもの。働き口だってないわ」
「じゃあ、ずっと俺といてくれ……『愛してる』」
取ってつけたようにぎこちなく、オリバーは愛を囁いた。
「私は……あなたの妻にはなれないわ。チビだし、病弱だし、平民だし。おまけにブタ鼻鳴らすような女よ」
「何で?俺が『昨日聞いたセリフ』を言えば、君は喜ぶんだろう?」
「『昨日』じゃない……って、いちいち直させないでよ」
オリバーが下ろしてくれないので、上目づかいで睨む。視線が合って、彼の腕がびくりと震えた。
「この間の、答えだけど」
「……うん」
「君を、筋トレの道具にしたかったんじゃないよ。俺は……君を」
金色の瞳が近づく。唇に熱が伝わる。
「抱き上げて、キスしたかったんだ」
「悪役令嬢が四つ子だなんて聞いてません!」のヴィルソード侯爵夫妻のなれそめでした。
本編と関係ないので、独立した物語としました。