一、白陽の都〈イ・シャーナ〉
薄暗い森を抜けた先には、なだらかな丘が広がる。
冬でも、ぱっと冴えわたるような緑が広がるその丘は、今は重苦しい霧が覆いかぶさっていた。空も厚い雲に覆われ、とても日が昇っているようには思えない。リトの知る限り、この天候は数日前から続いていた。
この丘は、時折こうやって辺り一面を白く染めることがある。
そういう時、大体の者がその視界の悪さを警戒して、霧が晴れるのを大人しく待つものなのだが、リトは「もしもの可能性」に構いもせず、ひとり悠々と野を進みつづけた。まとった黒の外套が、柔らかな草をそっと撫であげる。
しばらく丘を進んだ頃、ふと立ち止まったリトは、眼下に見えはじめた、薄らと輪郭だけを浮かばせるそれに目をこらした。
東の国、白陽の都〈イ・シャーナ〉――。
家も路地も、全てが白く染まった神秘的な都だ。霧がその姿を霞ませている今、都全体が淡く発光しているようにみえる。より神秘的になったそれは、えも言われぬ幻想的な光景だ。なんとも美しい。
けれど、リトはそこに、ほんの少し、毛が逆立つような胡乱なモノが混じっているような気がして、ゆっくりと眉を寄せた。
「……なんだろ」
何かが大きく変わった気がするのに、でも、なにも変わっていないようにしか、目が判断できない。そういう違和感に似ていた。
霧に惑わされているのだろうか。
リトがもう一度目を凝らそうとしたそのとき、背後遠くに怪しい気配が現れた。
数は六といったところか。この濃霧に、巧妙に紛れているようだった。気配の消し方が手馴れている。恐らく相手は野盗だろう。最近、都でもっぱら噂のここらを根城にし始めた質が悪いの、というのは、きっと奴らのことだ。
(……我ながら、最後の最後で運の悪い)
あと少しで、都だったのに。
せっかく、ここまで、何事もなかったのに。
リトは心の内でぼやきながら、相手に気取られぬよう己の感覚を研ぎ澄ましてく。
野盗など、面倒だからできれば相手にしたくない。
でも、だからといって、戦わず都に逃げ込めば、きっと、次にここを通る者が、自分に逃げられ、鬱憤の溜まった野盗の餌食になるだろう。それを知っていてなお、無視を決めこめるほど、リトは冷淡にはなれない。
腹をくくったリトの警戒の糸に、ぴん、と何かが引っかかる。敵がリトの神経にさわる距離に入ったのだ。リトは目を鋭くし、風に身を乗せた。
突如、現れたリトの姿に、はっと目を剥く男の姿があった。リトはその男の懐に身を滑り込ませ、顎に掌底を打ちこむ。続いて、流れるような動きで、空いた懐に力強い蹴りをいれれば、あまりの痛みに意識を失ったらしい巨躯が、地にどさりと崩れおちていった。
すると、今度はその影から、鋭い鉤爪が飛び出してきた。
リトは咄嗟に身を引きながら、その手首を掴んで自分の方に寄せる。そうして、突然のことに対応できず前のめった相手の首筋に狙いを定め、勢いよく手刀を振りおろし、一気に地に沈めた。
あっという間に二人を伸したリトに、危機を覚えたのだろう。残りの四人が、静かに身を潜め始めたのが分かった。分の悪さを感じ取り、このまま引き下がるつもりなのかもしれない。
ふうっと強く息を吐き、構えなおしながら、もう一度、都の方に意識を走らせた。けれど、そこに、先ほど感じたものは既になかった。
「……気のせいだといいけど」
まあ、どちらにしても、目の前のものをさっさと片付けてしまうに、こしたことはないのだ。
リトは、向こうが体勢を立てなおすのを当然待たず、再び力強く地を蹴った。
***
あちらこちらに、薬草が吊るされた薄暗い薬問屋に、快活な笑い声が響いた。
「あっはっ! そりゃ、確かに運の悪い!」
「でしょう? あと少し早ければ、彼らと遭遇せずに済んだのに……」
リトが不服そうにすれば、ほっそりした面立ちの、とても四十がらみとは思えない麗人、カナンは、目を細めた。
「いやいや、ウチはキミに共感してるんやのうて、たまたま狙うた獲物が〈キミ〉やった、野盗の運を哀れんどるんよ」
何故、野盗を哀れむ。
リトは口を尖らせながら、「まあ、逃げても良かったんですけどね」と言った。
「せやな。キミなら逃げそうなもんやけど」
「でも、それで後から知り合いが殺されちゃあ、目覚めが悪いなと思って」
「なるほど。……キミ、この国来て何年経った?」
「えー……」
リトは入都時を思い起こす。
「たしか、十二のときに来たから……、五年ぐらい、ですかね?」
「五年、か」
「はい」
「そりゃあ、まあ、さしものキミも顔見知りが増えるわな」
「おかげさまで。ここへ来てからはずいぶんと、人の中で生きることを覚えましたよ。イオリさんが、まあ、見事にこき使ってくれるもんで」
イオリとは、リトがなりゆきで身を寄せている呪術師のことだ。これがなんとも、人使いの荒い横柄な男で、五年前、彼に恩を作ったのは人生最大の過ちであった、とリトは常々思っている。
「まあ、そもそもや」
カナンは休ませていた手を動かし、再び薬草を石で挽きはじめた。
「〈黒狼のリト〉がおる、この都周辺を根城としたのが、その野盗の運のつきやわ。ほんで、キミの運のつきは、もっと前……、イオリと出会ったこと、やね」
前半はなんだか釈然としないのだが、
「後者は、おっしゃる通りで」リトは何度も頷いた。
「あれからというもの、キミの名前は一人歩きばかりしとるからな」
あれから、というのは、五年前の事件のことで、縁あってイオリとともに、この国の長、巫女王を助けたときのことを指す。表立って巫女王を助けたばっかりに、リトはこの国、特に都では英雄視されているのだ。
カナンは「そういえば」とクスクス笑った。
「酒場で聞いたわ。英雄〈黒狼のリト〉は、あのロウバフ〈狼ノ民〉らしいぞ、って」
「げっ……誰だよ、ロウバフのこと喋った奴……」
ロウバフ〈狼ノ民〉とは、狼と魂を交える、稀有な者たちを指す言葉だ。今いる都から、遥か遠く極東の地にて、山を渡りながら暮らしている。
カナンは薬師でもあるが、呪術者でもある。
魂に触れることを生業とする呪術師だからこそ、極東の地でひっそり暮らす民の存在を知っていたようだが、一般的にロウバフ〈狼ノ民〉というモノは、お伽話の中に出てくる存在、ぐらいにしか、思われていない。
別に、ロウバフ〈狼ノ民〉であることを隠したことはないが、だからといって、よそでむやみに騒がれるのは、正直いい気はしない。
(まあ、噂を広げ回ったのが誰なのかは、おおよそ見当がつくけど)
「で、面白いのがな……」
カナンは咳払いすると、その時のことを再現しだした。
「なんでも〈黒狼のリト〉は、たいそう屈強な筋肉隆々の大男らしいぞ。こないだ一緒に仕事したって奴から聞いたから間違いねえ」
「へえ、じゃあ、あれだな、そりゃ女がほっとかねえだろう」
「ああ、ちがいねえよ。英雄はそうだと、大体相場が決まっとるからな」
「ああ、なら、少しぐらい分けて欲しいもんだな! 見てくれはこんなだけどな、オレはアッチの方は大男なんだ!」
「嘘つけ! しゃがみっぱなしの小男だろうが!」
「ああ?! お前見たことあんのか?」
酔っ払う男たちの真似をするカナンが立ちあがり、「なんなら、見せてやろうか」と服に手をかけたところで、「あー、もういいです。それ以上は興味ないです」とリトが再現の停止を求めた。
カナンは肩をすくめて座りなおすと、「ところで、キミのはどっちや?」と訊ねてきた。
「教えるわけないでしょ」
「ちなみにな、そいつのは、思ったより大男やったけど、普通の範囲内やったわ」
「見たんですか」
「ばっちりと」てきぱきと作業を進めるカナンは、あっさり認めた。
(この人は……)
リトは思わず頭を抱える。
この人は黙っていれば、本当にいい女なんだけどな。中身が残念すぎてどうしようもない。
落ちてきた横髪を耳にかける、どこか色っぽいカナンを、指の間から覗き見るリトは、心の内で惜しんだ。
すると、カナンが思い出したかのように、急にケタケタと笑いはじめる。
「しかし、まあ、アレや。キミが屈強な大男で、なおかつ女の子をはべらせとる、とか。そんな出任せ、どっから流れたんやろね」
「え、でまかせ? 割と真実じゃないですか?」
リトがわざとらしく目を見開くと、
「……ホンマに女の子が集らんよう、見てくれの割にキミのは小男やって、噂流しといたろか?」
リトの下腹部を、じっと見つめるその目があまりに怖いので、「冗談です。だから見ないでください。やめてください」と言いながら、そこを隠すよう膝を抱えて座った。
カナンは、ふっと呆れるように息を吐いた。
「あんな、キミみたいなんは、どっちかっていうと好青年、もしくは犬っころ言うねん」
「好青年は良しとして、犬っころは酷い」
「可愛らしい、っちゅう褒め言葉やん」
「全然褒めてないですから、それ」
ロウバフ〈狼ノ民〉相手に犬っころは、どちらかというと侮辱に近い。
じっとリトが睨むと、カナンは「おー怖い怖い」と肩をすくめ、麻袋を手渡してきた。
「はい、お待ちどうさん。いつもの薬と、あと、追加で頼まれていたもんね」
リトは礼を言い、カナンにお代を手渡した。それを手のひらで転がしながら確認すると、カナンは満足そうに頷いた。
「しかし、こんなようさん買いこんで、またどっか行くん?」
「どうでしょ。イオリさん次第、ですかね」
「アレも、厄介な男やな。備えあれば患いなし、ってやつか」
「です」
「ふうん。相も変わらず、落ち着かん子らや」
リトが立ち上がるのを見て、カナンは煙管を吹かしながら、ゆるゆると手を振った。
「ほんじゃ、イオリとミヤちゃんにもよろしゅう」
***
外に出たリトは、外の眩しさに思わず目を細めた。
雲も霧もすっかり晴れている。
カナンの薬問屋までは、重苦しい天候のままだったのに。今は容赦ない太陽が、都をギラギラと照らしていた。ただでさえ目に優しくない真っ白な都が、照り返しのせいで余計に眩しく感じる。
リトは持ち前の身体能力を活かし、家への近道となる塀に駆けあがった。都に浮き上がる、その細い道ならぬ道を進めば、真っ白な都が眼下に果てしなく広がる。
東の国の都、イ・シャーナ。
イ・シャーナとはこの国の古語で、〈白陽の都〉という意味になる。
東の国は、夜明けの光を、大陸一番に浴びる国であるため、「誕生」と「清浄」を司った国とされており、その中でも、最東端にある都、イ・シャーナは、どの街よりも早く、夜明けの光を受ける地として、聖なる都とされている。
都を通る風が背を押し、リトの癖の強い黒髪が舞い踊る。
ここ最近、急に冷え込んできた。日差しの割に、風が異様に冷たい。
でも、脳が茹だるような風より、こういう風のほうがずっといい。ひんやりとした風を吸いこめば、思考がすっと冴え渡る気がする。夏より冬、猛暑より極寒。リトは冬のほうが好きなのだ。
もうすぐ、冬がくる。
東の国は雪国ではないが、ごくまれに、雪が積もることもある。それこそ、足首が埋まる程度のすぐ溶けるような厚さなのだが、それでも、東の国の人間は珍しがって、やたらとはしゃぎ回った。
特にイ・シャーナのはしゃぎようは、他とは比べ物にならない。なんせ、わざわざ火祭りまでひらくほどなのだから。
***
あれは、リトが都に来て、二年経った頃の話だ。
ある冬の日に、東の国に雪が積もった。イオリの遣いで、南の国からの帰る途中だったリトは、ちょうど、都に至るその積雪の丘を歩いた。
リトにとって、雪はさほど珍しいものではない。
雪国、というわけでもないが、それでも、リトの故郷は、はっきりとした四季が訪れる国だったから、雪は見慣れたものだった。
そんなリトでも、初めは目をまるくした光景があった。
都を見下す、いつもの丘のうえに立ったとき、イ・シャーナがあるはずの場所には、一見、雪化粧した、平らな丘が続いているように見える、不思議な。
「え……?」
もちろん、都がたった数日で消えるはずもない。目をこすり、よくよく見なおしてみると、そこには、ちゃんとイ・シャーナは存在している。けれど、いくら真っ白な都だからといっても、人の住む場所が、白銀の世界に埋まるだけでこれほど見つけづらいものになるとは、想像していなかったのだ。
「すごいな……。まるで、天敵から身を隠す生き物みたいだ」
思わず、といったふうに、独りつぶやくリトのそばを、五人くらいの子供が通り過ぎていく。どうやら、雪につく友達の足跡を、自分の足跡で消そうとしたり、逆に自分の足跡を友達に消されないよう、守ったりして遊んでいるようだった。
「ユル・スラン! ユル・スランだ!」
子供たちは、なにやら叫びながら、キャッキャ笑いあっている。
ユル・スラン……。
聞き覚えのない言葉に首をひねるが、子供たちのあいだで流行っている、遊び歌か何かだろう。リトはあまり気に留めることなく、そのまま都に帰った。
しかし、都に入ると、今度は、妙に浮かれた様子の大人たちが「ユル・スラン、ユル・スラン」と楽しそうに挨拶しているではないか。
なにかの儀式だろうか。
リトは更に首をかしげながら、また、その横を通り過ぎた。
***
「イオリさん、〈ユル・スラン〉ってなに?」
都中が唱えているのだ。
さすがのリトも気になって、家に帰るなり一目散にイオリに訊ねた。
当のイオリはというと、もうすぐ、真上に日が昇る頃だというにもかかわらず、呑気にぐうぐう寝ていたらしい。リトの声に何度か目を瞬かせたあと、不機嫌そうにして、こちらを睨んだ。
「あ……? お前……なに、いつ帰ってきたの?」
「たった今」
呆れるように腰に手をやったリトは、もう一度訊ねる。
「ねえ、〈ユル・スラン〉って何か知ってる? 都中の老若男女が、しきりに唱えているんだけど。今日、なにか神事でもやるの?」
「ゆる、すらん……」
しょぼしょぼした目をこすりながら、イオリは身を起こした。
「あ……? お前、今〈ユル・スラン〉って言ったか?」
「言った」
リトが言葉を強めれば、イオリはのっそりと立ち上がって、木窓から外を覗き、「ああ、クソ、どおりでな。いつもより冷え込みが酷いわけだ」「いやでも、しかし、こりゃあイイ」と何やらぶつぶつと呟いた。
「〈ユル・スラン〉はあれだ、今帰ってきたんなら、ちょうど、見てきたんじゃないのか」
「……何を?」
「阿呆」
煩わしそうに、眉根をぐっと寄せたイオリは、丘の方角を親指で指さした。
「雪のせいで、都がどこにあるか、わからなくなっていただろう」
「……ああ」
たしかに見た。他では中々見られない光景だろうし、それなりに驚きもした。けれど、それがなんだというのか。
難しい顔をするリトに、イオリはため息をつくように答える。
「〈ユル・スラン〉は、イ・シャーナの古語で〈雪よ、さらうな〉という意味を持つ」
「雪よ、さらうな?」
うなずいたイオリは、腕を組んでから続けた。
「昔の人間が、都が雪に消える様を見て、雪の神が都を攫ってしまうのではないか。雪が積もるのは不吉なのではないか? なんて考えたんだと。だから、雪が積もったときは、必ず、火祭り……、〈ユル・スラン〉をひらくようにしたんだよ」
「火祭り?」
「〈大聖堂〉から、都の代表に聖火が分け与え、その代表から、各々の家に、また聖火が分け与ええられる。そうして、受け取った家が、またさらに違う家に分け与えて……。最後には、都の家中に聖火が灯るっていう、まあ、動き自体はなんとも地味な祭りさ」
「……それだけ?」
「いや、都全域に火が灯ったら、雪が溶けるまで、都中が飲めや歌えの大騒ぎだな」
やや浮ついた面持ちで言うイオリを見て、さっきから都全体が浮かれているのは、そのお祭り騒ぎが待ち遠しいせいかと、ひとり合点がいく。
都を雪にさらわれることを恐れて、はじめた祭りが、これほど陽気なものになるなんて、当時の人間は、考えもしなかっただろうが。
それでも、ビクビク震えながら祭りを行う陰気な都よりも、そちらのほうがずっといいのだろう。病は気からというし、結果良ければ全てよしだ。
イオリは窓から、遠く、見えもしない丘の方を眺めた。
「たくさんの灯りに照らされた都の姿は、あの丘から見ると美しいそうだ」
「へえ」
リトは、都中に松明、もしくは蝋燭が置かれる、その様を頭に描いた。ぼうぼうと燃えさかる炎、静かに揺らめく火。そこに大小はあれど、それが都中、家の数だけ置かれるとなれば、さぞかし、都は明るくなることだろう。
「宵はその美しさが格別だそうだ。気が向けば、見てくるといい」
「宵……。そうか、暗いと殊更、白がよく浮かび上がって……?」
そこでリトは、あることにはたと気付く。
「ああ、だから、火祭りなんだ」
「……へえ、というと?」
「要するに、それほどの灯りで照らされた都なら、太陽の加護がない夜でも、雪の神にさらわれないだろう、って考えて始めた火祭りなんじゃないの? ほら、灯りのおかげで都の場所なんて一目瞭然だし、攫いようがないというか……」
イオリはまじまじとリトを見つめたあと、難問を問いた子供を前にするように笑った。
「お前、この二年でずいぶん変わったな」
「……どういうこと?」
「都の営みはおろか、人の営みにすら関心も持たなかった、可愛げのない餓鬼が、今じゃあ、与えられた知識以上のことを、自ら考え、吸収しようとする」
「なっ……」
可愛げのない餓鬼……。
つい、反射的に撤回を求めようとしたが、実際、あの頃の自分は、他人から見ればさぞかし嫌な奴だっただろう、と認める心が、その言葉をなんとか喉に押しとどめた。それに、今の自分について言われたことも、なんだか気恥ずかしくてたまらない。
咳払いしたリトは、話をすり替える。
「……イオリさんこそ、あの頃と比べたら、えらい変わりようだよ」
すると、表情を一変させたイオリは、ぎろりとリトをにらんで、「俺の話はいらん」とぴしゃりとはねつける。やっぱり怒られたか、とリトは肩をすくめた。
そう、イオリこそ、あの頃は酷い荒みようだった。
リトがイオリに出会ったのは、イオリにとって、かけがえのない人間が死んですぐのころだった。その荒みようは、他人にまったく興味のなかったその頃のリトでさえ、少し狼狽えたほどで、まるで、自分の死に時を見定めるために誰も近よらせようとしない、死にかけの獣のようだった。
心の整理がついたらしい、今のイオリからは、とうに消え去ったものだ。どちらかといえば、それで良かったと思う。
「まあ、でも、残念なことに、横柄で怠惰なとこは、何一つ消えなかったんだけど」
「おい、今なんか言ったか」
「別に」