-8- 知らない意思
乾いた塩を払い服を着直すカツのうしろで、セコは鬱蒼とする木々のひとつに触れ、幹をいじりながらあることを思い出す。
「神を愛した花ってやつ、どんな花なんだろうな」
その言葉に、カツは悩ましげな表情で首を横に振った。
「僕も目にしたことがないんだ」
「ふうん、そうか……」
セコは自分が親友の反応に落胆していることに気付いた。
彼自身、決して読書しないわけではない。
島の中に唯一ある書庫は、およそ200万世紀ほどの歴史を保有しているとされるが、その実態を彼はまだ知らない。
2人が形ある存在として島に出現してから、300年ほどしか経っていないだけなのだが、更に400年ほど前に出現した先輩死神のかいでさえ、読破した数はそう多くない。
蔵書の数は長たちでもおおよその見当しかつけられず、個人のみで書物を探すにはとても労力がかかる。
加えて厳重な保存管理を徹底しているために、仕事へ出たことのない若い死神はどこか敬遠する節があった。
そんな中でセコは普段持て余している好奇心から、時々だが書庫に出入りしている。
カツに至っては、自分の探究心を満たすためだけに、住んでいるのではと勘違いさせるくらい通い詰めていた。
事実、寝食を忘れた彼は自分に与えられた部屋へ着替えを取りに帰るくらいで、寧ろ書庫にいない時間の方が少ない。
そんな親友でも疑問だと首を振る珍しい姿に、セコはほんの少しだけホッとし、同時にあっさりと自身の不知を認めたカツに落胆したのだ。
「僕も、絵だけでもないかと思って探したけど、それらしいものは何もなかったよ」
ただ、《神を愛した花がある》という言い伝えだけが一人歩きをしている。
この伝説に対し、カツはそんな印象を受けたのだった。
長たちでも驚くほどに、どの棚にどんな内容の本が揃えられているか、彼はよくよく知っている。
だからこそ、カツは安易に首を振ることはしない。
知らないものに対する話題では、会話を続けることもできない。
伝説への興味が薄れることはないが、セコは新しい話題を探して、過去に感じた疑問を掘り返した。
「そういや、死神の鎌を見たことはあるか?」
もう60年も前に気になって調べ、色や形、特徴や用途まで頭に入れてあるそれを、親友が知らないはずはない。
自分より圧倒的に書庫へ入り浸るカツを、セコはそんな風に見ていた。
友人の話題提供に乗っかり、彼は顎に指を宛てがって思案に耽る。
カツとしては伝説に関する話を続けても良かったが、セコは話を終わらせたがっているように感じたからだ。
「実際に見たことはないけど、文献には絵を付けて説明が載っていたよ」
死神のあいだでは必須とも言える道具だ。
外界の人間は魂を狩る道具だと認識していると、人間について記された古びた本には書いてある。
長い柄の先に長く湾曲した鋒先がついているものを、鎌と呼ぶ。
この点も、外界で知られる形と遜色ない。
けれど死神が持つ鎌は、鋭利性が削がれていた。
硬質な黒石で鋒先を模っただけで、切っ先や刃は存在しない。
切断する意図のない鎌は、湾曲した内側で多くの魂を一気に集めるためとされている。
ゆえに黒石は少々角ばった仕様である。
魂を狩るのではなく、導くため。
彼らに与えられた役目はしかし、神によって阻まれていた。
「僕はただ、閉じ込めている理由が聞きたいんだ」
唐突にポツリと呟く声に、セコは片眉をあげて反応する。
神の意図を今から想像する時間は、カツには無駄なことに思えた。
もしかすると特別な理由があるのかもしれない。でも反対に、とても小さくて大雑把な理由なのかもしれない。
カツもセコも神様ではない。
もちろん、かいや長たちも神様ではないため、事の次第が分かるはずもない。
自分は、どっちでもいいのだ。
カツは本心から、そう考えている。
どれほど重大な理由でも、どんなに矮小な理由でもいい。
それが本人の意思だったなら、それだけで動機としては十分なのだから。
「なあ、やっぱりさ」
友人の声に反応するカツは、無表情のまま相手を見つめる。
冷めた視線は、セコの口から出る言葉を想像してのものだが、彼は反対に親友を熱く見つめ返した。
「オレにも、何か考えさせてくれよ。神さま退治」
鎌を大きく振り回すように腕を振る友人に、カツはすんなりと破顔する。
「──だから、その言い方は物騒でしょ。それに、退治じゃないよ」
「ああ。分かってるって。話し合い、だろ?」
セコはニタリと笑う。
いたずらを画策するような表情を横目に、カツは思わずといった調子でフッ……と息をこぼした。
**
「さ、これで準備は完了かな」
数や種類を把握するため、砂浜に並べた道具を一つ一つ手にとって確かめるカツ。
親友の邪魔をしないよう後ろに控えていたセコは、カツの手元を覗き込んで首を傾げた。
「にしても、こんなものを用意する必要があるのか?」
「そうだよ。僕たちの島から見えるあの境界線の光が揺らめいているのは、神様が無差別に、無分別に命を裁いているからだ」
「ああ。それは良く分かるんだがよ」
「でも、神様は直接命を奪うことはできない。絶対、何らかの間接的な方法を使ってる」
「部族同士の争いとか?」
「それもあるね。実際、どこかではそういう規模の争いはされてるんだろうし、あの揺らめきの一部でもある。だけど、部族間の抗争より規模はもっと大きいよ」
「おい、まさか大陸全土で争いが起こってるっていうのかよ」
「それ以外に有り得ないと、僕は思ってる」
瞠目するのはセコばかりで、カツは至って冷静に自身の抱いた考えを話す。
「……そうかもしれねぇけどよ」
「あの揺らめきは、僕たちが存在し始めたときには、既にあったんだ。外界暦で300年だよ?」
「おい、でもよ。カツ。人は必ず死ぬんだぜ?」
「そうさ。1日のうち誰か1人は必ず死ぬ。それが問題なんじゃないんだよ、セコ」
「うーん。……分かるように説明してくれよ」
「僕もあまり断定的な言い回しは避けたいんだけど。──……神様が、死神に魂を導かせてくれないことが問題なんだ。ただ魂を裁いているだけだって言うなら、どうして長たちや消失していった先代たちは、あの揺らめきを問題視して、神を裁く基準にしていたんだと思う? 神が無秩序に裁いているから揺らめくんじゃないんだよ」
「もしかして、あれが全部、導かれずに留まっている魂だって、お前は思うのか?」
友人の訝しむ声に、カツは迷いなく首肯する。
死神たちに導かれなかった魂たち、神様にただ裁かれ続ける魂たちが、自ら外界の地を離れることはない。
ならば現在、かの魂たちはどこに存在するのか?
「それを調べるために、僕は島を抜け出したんだよ」
「まだ推測の段階ってことか」
「そうそう。だから、明言はしたくないんだよね。神様は、……──」
親友の言葉が途切れたことに、セコは2度すばやく瞬きして反応する。
「どうした?」
「何だか、胸騒ぎがするんだ」
「は? 何も感じねぇけど」
「セコって、死神の前の記憶ってある?」
「は? 死神になる前って、オレたち元は人間だったりしたのか?」
「……いや、いいよ」
「んだよ。煮え切らねぇ言い草だな」
意図の読めないことばかり口走る親友に、彼はつい微妙な笑みで返してから嘆息する。
友人から呆れの雰囲気を感じて、カツも曖昧な笑みで応えた。
「とにかく、今は神様の居場所を割り出す方法だ」
「それなら、良い考えがあるぜ?」
「なに?」
「勝手に死者を導けば良いんだよ」
確かに、壁に囲まれる島から出た今なら、魂に触れられるかもしれない。
相手の言い草から少々乱暴さを感じるが、カツも彼の考えには概ね同意だった。
ただ一つ、懸念事項があるとすれば────。
「セコ。死神したことあるの?」
「研修くらいだな。そういう、カツはどうなんだ?」
「僕も研修」
「やっべ超楽しみ!」
「僕は楽しみじゃないよ。緊張してきた」
「なに言ってんだよ。神様相手に啖呵切ったやつが」
「それは未遂だってば……」
「……」
カツとセコは、今回の一度きりでしか外界に出たことはない。
そもそも研修とは言っても、島の外に出ることは敵わないからだ。
ならば若い死神たちが何をするかと言えば、実際に外界で使っていた鎌を振るう練習を、魂を集め導いたことのある長や、自分たちより永く存在している先輩たちの指導のもと行うだけ。
かいの二つ前の2000年世代からは、実践にも出たことのない名ばかりの死神たちだ。
ふたりは互いに苦笑を浮かべた。