-4- 外の世界
「「はあーーッ、はあ、はあッーーーー」」
岸辺へ上がる二人の息遣いは、肺の底から迫り上がる苦しさを訴えるように荒い。
「ほんとーーッ、無茶しやがってッーー」
「でもーーッ、行けたねーーッ」
彼らは体に水滴を纏わせ、サラサラとした土に座り込んだ。
「そういや、お前さッーー。…………なんか危険なことがとか、言ってなかった?」
「……? ああ、それはーーーー」
ーーーー潜水前のこと。
「セコ。囲いの外に出たとしても、君は直ぐには浮上しない方がいいと思うんだ」
「どうしてだ?」
ただ真っ直ぐな疑問を向けられて、カツは自分のうちにある考えの何もかも明かすことを躊躇った。
基本、彼らは暗視能力に特化している。
故に暗がりの中でも遥か遠方まで見通すことが出来るが、その代償として外界の光は彼らにとって、文字通り目の毒になり得た。
しかし、その事実が机上の空論である可能性を、カツはまだ捨てていなかった。
「どんな危険が待ち受けてるか分からないからね。僕が先に確認して合図を送るよ」
曖昧に微笑みカツはササっと準備を始める。視線を合わせない親友に、セコは訝しげな表情を浮かべたのだった。
ーーーー。
相手のわずかな逡巡にセコはすかさず自分の意見を挟み、揶揄うネタが出来たと笑みを深める。
「今やっと危険なことをやり遂げたオレとしては、これ以上にどんな危険があったのか、ぜひ教えて欲しいね」
「うん、まあ、それは最終手段がね……。セコを放り投げて強行突破しようと思ってたから。その石頭で貫けないものはないからさ」
カツはニヤッと笑って話す。
危険云々は、自分を脅かしただけだと考えたセコは調子を合わせ、呼吸も落ち着いてきた二人は休憩ついでに軽く言葉を交わした。
「石頭は認めるが、体積がデカイから貫くって表現はおかしいんじゃないか?」
「セコってそういうところ無駄に賢いよね」
「無駄ってなんだよ、悪口じゃねぇか」
「まあまあ、深くまで潜るのも充分に危険な行為だからさ」
「そりゃな。あー、昔みたいに不死だったら良かったのになー」
そう言うと、セコは砂辺で横になり深く息を吐く。続くカツも同じく呼吸を深くし、友の隣で横になった。
「不老じゃないから再循環するのに激しい痛みがあるらしいよ。それを嫌がった先人達が、死を受け入れるしかないって逆説論持ち出して研究を続けた結果、今に至るって古書に載ってた」
「消失も結構こわいけどな」
「そんな時のこと心配してたの? 意味ないよ、それ」
「なんでだよ?」
怪訝そうな顔を向けてくる友に、カツは更に続けて言う。
「消失する瞬間なんて、僕たちに自己の意識はないからね。ーーーー再循環、もといこの世に生を受け体が作られる時の痛みに比べたら、消える時は痛みや苦しみが少ないとは聞いてるけど」
「そういや、オレが知ってるやつ、まだ誰も死んでねぇわ」
「物騒だね」
「だってよお、そういう話聞かねぇんだもんなあ。長たちも知らねぇみてぇだし」
「仕方ないよ。死神は、死んだら存在の残滓すら拭い取られるらしいから」
「受け入れてるお前に哀しい思いを抱いてるよ、オレは」
言うとセコは、大袈裟に両手を広げ憐憫のポーズを取った。そんな友をおかしく感じたカツはクスクスと笑い、からかってみせる。
「珍しく優しいね」
「珍しいってなんだよ」
「言ってみただけ。あ、目は慣れてきた?」
軽く自分の目元を叩いてみせる親友に、セコは自分の下瞼を指で更に引き下げ応えた。
「オレはもともとハーフだから。外と」
「ああ、そっか。僕はまあ、術を持ってるから大丈夫だけれど」
「それ、オレにもかけてくれよ」
「無理だよ。術を知ってるもの相手でないと。……共有するような感覚に近いかな」
「ふぅーん。そうか」
「ていうか言葉に変なフリガナ付けるのやめなよ、格好悪い」
「そんなことねーだろ! 格好いいだろッ」
時間差で訪れた非難の声にセコは瞠目して反論し、対するカツはそんな友を見てケラケラと軽い笑い声を上げる。
自分たちの状況がよほど予想外で滑稽だったのか、互いに自身を客観視した二人は、海上に広がる波を暫く放心したように見つめていた。
* * *
「ここは、どこになるんだ?」
思考も冴えてきた頭で、同じく再覚醒の気配を見せる親友に声をかけたセコ。細身な体格で非力な印象を受けるカツは、わずかにグッタリした顔付きで友に視線だけ向けた。
「そうだね。セコ、地図とか持ってないの?」
「オレがそんなもの持ってる性格に見えるのか?」
「……。ダメだ。どんなに頑張っても、セコをそんな風には見れないや」
「だったら初めから聞くな」
冗談混じりで睨む友に、カツは両手を擦り合わせて頭を下げる。
「ごめんってば。怒んないでよ」
「とは言ってもなあ……、結局ここが何処なのか見当もつかねえよ」
「僕は何となくだけれど、心当たりがあるよ」
「まじかよ!」
カツの一言に、セコの表情は喜色ばんでいく。
「……で、どこなんだ?」
「死神島が存在しない場所」
「あー、もうその時点で訳が分かんねぇわ」
間を空けず返ってきた親友の突拍子のない言葉に、セコは投げやりな弱音を上げる。
「んー、だから、僕らは存在していないことになっているんだよ。……そんなことが出来るのは神様くらいだけどね」
はやくも核心を突いたと得意顔を浮かべるカツを目の前に、セコは浜から立ち上がって砂を払うと、親友を水の中へと突き飛ばした。
「ーーーーッ、何すんのさ!」
あまりにも突然の出来事に、普段は大人しいカツも大声を上げる。
「いや、なんか突然……」
対するセコも、腕を前に突き出したまま僅かな放心を見せている。
「なんかって…………」
困惑した友人にカツはどう怒れば良いのか分からなくなり、そのまま言葉を失って諦めの眼差しを向けた。
漸く衣服が乾いた矢先で再び水濡れした親友を、セコは罪悪感が透けて見える顔で出迎える。
「わ、悪りぃ。大丈夫か、カツ?」
「ああ。問題ない」
そんな友に、カツは素っ気なく冷たい声を返すだけだった。
不愉快なのを隠そうともしない表情は、水を吸って体に纏わりつく服に対してか、またはこの状況を起こした友人に対してか。
否。
カツは、おおよその見当をつけている。
服の下に隠れた肌のヒリヒリとした痛み、素の手足や顔を焼かんとする陽射しの強さも、セコが疎ましがっている様子はない。
なのに、自分はさっきから塩水に浸かった腕や腰から下の部分に、鋭くて細かな痛みを感じている。
セコの手前もあり顔に出ないよう注意しているが、一旦服を脱ぎ体の表面を拭くため、カツは荷物の中を探った。
黒く艶のある、不浸水の施された鞄から手拭いを出した親友の後ろ姿から、わずかにだが素肌が覗くのを見つけたセコ。
赤紫の斑点が服の隙間からチラリと見え、近付いた勢いのままにカツの服を捲り上げた。
発見したセコを背後に、カツは誤魔化す言葉を必死に探す。
だが、隠し事を作ることに躊躇いが生じてしまい、彼は声を発することが出来ずにいた。
「おまえ……。ーーーー海の中で何かに刺されでもしたのか? クスリ塗った方が良いぞ」
友から溢れた声に疑念が含まれていないことに、カツは内心ホッと胸を撫で下ろす。
「ああ。ちゃんと塗るよ。…………あ。」
「あ、って何だよ。ーーーーったく、お前って昔っから、どっか抜けてるところあるよな。どうせ、荷物が嵩張るからクスリ置いてきたんだろ?」
カツの声に反応して鞄を覗き込んだセコは、親友が肌身離さず持っていたチューブ型の塗り薬がないのだと考え、彼のことを揶揄した。
しかし、対するカツは振り返りつつ首を横に振る。
「違うんだ。これ、セコの荷物だったよ」
そう言って中から雑誌や甘露瓶を取り出す親友に、セコは慌てた様子で自分の持ち物を取り上げた。
セコやカツが持ってきた鞄は、島から支給されている。荷物に含まれる手拭いや水筒、その他諸々も支給品として配布されたものなので、持ち物だけで個人を特定するのは難しかった。
しかし、カツの鞄には他のものと違う荷が加えられている。
それが、彼らの言っていたクスリだ。
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