-3- 考える者
ふたりは、木舟の中で進む方向を見失っていた。
しかし、カツの中ではそれも範疇内だったようで、特に慌てる素ぶりは見せない。
平然と辺りを見渡すだけの友人を見て、セコも周囲から違和を探そうと首を動かす。
「つーかさ、神様なんかに会えんのかよ。オレ達、ただの死神だぜ? 長でもないのにさ」
神様を裁くのは長の役割であり、一介の死神には成し得ない事柄だ。故に、神様と謁見できる立場も限られてくる。
長達が生きた年数の十分の一にも届かない若い彼らには、対話以前に会うことも難しいと言えた。
友の言葉に、カツは一瞬ニタリと笑みをこぼす。
「だからだよ、セコ。本来なら長達しか会えない。でも、今は普通じゃないんだ」
カツの言葉に、すぐ合点のいったセコもニタリと笑みを浮かべた。
「神様は、なんでこんな事してるのかね〜」
言うと、セコは組んだ腕を後頭部に当てて空を仰ぐ。同じく天を見るカツの目には、空が反転して映っていた。
「どうしてだろうね。でも、カイさんが若い時に隔離されたらしいから。たぶん、何か理由があるんじゃないかな」
「理由? どんな?」
反対側でまた舟を漕ぎ始めるカツの話に、セコは漕ぐのをやめ正面を軽く睨む。そんな親友にカツは苦笑を返した。
「そんな恐い顔しないでよ。理由にも色々ある。たぶん神様にとっては良い理由で、僕らにとっては悪い理由なんだ。何か掛け違っているだけなんだ、きっと」
「ふうん。ま、難しいことは分かんねぇよ。つーか、これ着く見込みあんの?」
「方角は合ってると思う。でも、何かが邪魔してる」
言うと、カツは何かを警戒するように視線を巡らせ、やはり何も見えずお手上げのポーズを取る。
「神様か?」
「それは、まだ分からないよ。推測での決め付けは良くないからね」
「はいはい。で、何かが邪魔してるとして、どうやったら抜け出せる?」
確証がない状態で誰かを嫌悪することに、カツは心の底から不快感を覚えていた。だからこそ親友の言葉を敢えて肯定せず、まだ考える余地があるとセコに示す。
そんな友人を理解するセコは軽い調子で合わせる。カツもそれ以上は持論を展開せず、親友の言葉に考える仕草を見せた。
暫しの時が流れ、カツは胸元で組んでいた腕を解き、緩く握った拳を顎の下に当て言葉を選びながら話し出す。
「僕は、勉強は出来るけれど、……その分、実経験を培っていない」
「つまり?」
「一か八か。出たとこ勝負でやるしかないね」
「それで死ぬと思うか?」
「それは、どうだろう。八対ニくらいかな」
「どっちが八?」
「無事。でも、あとの二割は確かな割率だからね」
「おうおう上等だぜ。だったら、行動面はオレの出番ってことで良いぜ」
包み隠さず考えの全てを話せば、セコはニカッと笑って先に舟漕ぎを再開した。
続いたカツも、手元のオールを再び握り直す。
しかし二人の顔には、それまでの会話とは真逆の感情が乗っていた。
「セコ、ーー」
「ーーカツ。誰かがやらなきゃなんねぇんだ」
友人の呼び掛けを遮ったセコは、互いが真剣な表情を浮かべていることに心の内で笑う。カツがあまりにも不安そうな表情をするから、余計におかしいのだ。
「それが偶々オレだった。なら、オレがやらなきゃなんねぇ。そうだろ? BF」
Best Friend。親友から最大限の友好的別称を受けたカツは、その思いに応えなければいけないと気を引き締めた。
「セコ。確実に八割の方へ持っていくから」
「分かってるよ」
確証はなくても、賭けに参加しなければならない時は必ずある。それがどれだけ危険な行為か分かっていても、こちらに勝利の盃が傾くのだと信じることしか出来ないのだから。
カツは目を閉じた。
辺りの気配を探る。
そこにあるものを順に挙げていく。
光を通さない海、水平線。
光の射さない空、途切れを知らない重く鈍色の入道雲。
先を見透そうとするほどに霞みがかっていく視界。
無理やりに続けると、プツリーーーー。
遮断。
「見つけた」
……そこにあるのだ。閉ざされた先が。
「分かったのか!?」
相方が静かに発した言葉に、セコは舟を揺らした。しかし、興奮気味に前傾姿勢をとる親友を片手で制し、カツはゆっくりと首を横に振る。
「分かったのは境界だけ。ただ、どうやら境界はこちらと同期してるらしい」
「は?」
「僕たちが動くと境界の位置も動くんだ。同じ間隔を保ったまま」
もう一度試しに漕いではみたが、やはり推測通りに境界との間隔は一定。
これは明らかに故意だと、カツは思った。セコも気付き、不確定な対象に怒りをぶつけ出す。
「ああ! もう! 何だよ! オレ達にどうしろってんだよ! ちくしょー!!」
「興奮しないでよ。波が立つ」
「見えるのは真っ黒い海と空ばっか!! 島とか生き物とかいねぇのかよー!!」
セコが苛立つのも無理はない。カツは溜め息だけ吐き、騒ぐ親友を思考の外にやり打開策を考えていた。
死神は多種多彩。事務作業のように淡々と役割をこなしていく者。
無感情で役割すら放棄する者。鉄仮面をかぶり死神としての本分に準じようとする者。
役割と命の狭間で苦しむ者。役割をただ熟すだけで評価を得ようとする者。
それ以外にも、限りなく人の感性に近い価値観を持ち生まれるものがいる。それがセコとカツだった。
特にセコは、性格も含め人間のそれと大差がない。
つまり同じ景色が続くと、セコの脳波は乱れ疲労していく。脳は必然的に景色の変遷ーーーー刺激を求め出す。
しかし、この場所に変化の見られる箇所は何一つない。
常時一定に保たれる境界との間隔を、少しでも縮めれば或いは……ーーーー。
どこまでの変化を求めたら、変遷はもたらされるのか。カツはオールを漕ぐ手まで止めて静かになる。
「ああ! 分かったよ! お前も何か喋れ! 無音すぎて死んじゃう!」
「ふはッーー、僕たちは、そう簡単には死なないよ。セコ」
舟を揺らさないようにと静かに頭を揺さぶるセコがおかしくて、カツはついに吹き出した。
闇雲に大声を上げるセコだったが、その後見せた真っ直ぐな視線にカツも表情を改める。
「分かってるよ! ……カツ。率直に聞くが何考えてんだ?」
「まだ何も」
「答えが聞きたいんじゃねぇよ。問題文を聞いてんの。ほら、話せ」
普段とは違い、落ち着きながらも切羽詰まった顔をするセコに、カツは一つ一つをじっくり考えながら話した。
「……間隔は常に一定だ。こちらが動けば、周りも動く。境界に近付くにつれて霞む視界。光の射さない空と光を通さない海。まるで……ーーーーッ!」
「なんか、箱の中にいるみてぇだな」
「ーーそれだ!」
「んあ?」
それまで不明瞭だったものが、親友の一言で明るみに出る。
「それだよ! セコ! 君は最初に神様がこんなことをしてるって言ったね。あれは多分、半分だけ正しい。この境界は島ごと囲んでいるんだ。辺りが暗いのも、その所為だ」
「……じゃあ、オレらが生まれてからずっと見ていた天地は、作られた空間だったってことか」
「そういうこと。だから、僕たちまでも出さないようにしている。神様は僕たちを閉じ込めたい。常に干渉しなければならない。つまり、特別な意思があるってことだよ」
「ゲッ。それって……」
「愛とかではないよ」
「お前、よくそんな言葉を真顔で言えるな」
「言葉は所詮、文字を声に乗せてるだけだから。そんなことより、だ。神様は嫌悪もしくは憎悪、或いは恐怖。または他の何かを、死神に対して抱いてるんだ」
「だとして、ここから出ることにどう繋がるんだ?」
「セコ、どうして閉じ込められても、死神としての役割をこなせるのだと思う? それは死んだ人が、ちゃんとコッチに来るからだ。接触することが出来るんだよ! 干渉できるんだよ!」
カツは考えを話すごとに前のめりになり、反対にセコは静止したまま友人の言葉をゆっくり咀嚼した。
そして、セコはゴクリと喉を鳴らす。
「……なら、オレ達が死ねばいいのか?」
「え? ……あ、いや、そこまで大袈裟なのは……」
「どうするつもりだよ」
「触れることは出来るんだ。移動してると悟られるから遠ざかるだけで。見て」
そう言い指さす先には、重たい雲の連なり。しかし良く目を凝らしていると、僅かにだが流れを感じる。同系色で分かりづらいが、雲は動いているのだ。
流れを水平線まで見送ったあと、カツは下を指し朗らかな笑みを浮かべた。
友人がこれから挑戦しようとしている考えを察し、セコは苦笑にも似た微笑みを返す。
「……お前って時々、人格変わったように突拍子もない考え方するよな。…………でも、面白い」
「さあ、楽しい潜水を始めようか」
2人の顔に、不安の色はなかった。