番外篇・燦【与え】に尽くす運命(さだめ) 〜セコ〜
セコには、死神島での暮らしは退屈そのものだった。
そんな中、島での生にわずかばかりの遊興を見出せたのは、親友とも呼べるカツの存在があったからだ。
件の親友は普段から読書に耽り、一度目を通したものは二度と忘れない優れた記憶力を持つ。
セコは彼が本以外の物事に興味を持ち、更には行動に移すところを見たことで、神という存在に初めて関心を抱くのであった。
その親友が書物の蔵に籠るのは、彼自身のなかで確定した知識の更新を図るためだ。
別の角度から見れば、四角の側面が三角であることは、そう珍しいことではない。
認識の幅を広げ、認知の深みを増す。
親友であるカツにとって、その瞬間はセコ自身を友とし眼前に置くより重要であることを、とうの本人たちはよく理解していた。
囚われの身ながら、セコは親友のことではなく、思い出しつつある己の過去に思いを馳せる。
セコは死神であった。
しかし、島に迎え入れられただけの、導かれざる魂である。
ヒノトマルが魂の裁きを乱した故に生じた、死神となるはずではなかった存在なのだ。
そうして彼は思い出した。
自分が外界のにんげんだったことを、今の今まで忘れることができていたのは、セコが死神島での生活に満足していたせいもある。
だが、一度思い出してみると何のことはないのだ。
記憶は蘇ってしまえば、ただの事実でしかない。
彼は、はっきりと覚えていた。
家族や友のこと、それから自分のことを。
とくに家族、なかでもセコは誰より祖父に愛され、また懐いていた。
その会話も、彼は鮮明に思い出せる────。
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オレの爺ちゃんは、偶に変なことを言う。
婆ちゃんと母ちゃんは昔からだよと言うし、父ちゃんはしょうがないねと笑うだけだった。
でもオレは知っている。
爺ちゃんが変な話を真面目な顔でするようになったのは、死期が迫る三月半も前からだ。
爺ちゃんは、夢でよく、花を見ると言っていた。
婆ちゃんは天国にあるという桃源郷の花畑だろうと言った。
母ちゃんは、彼岸の花じゃないかとからかっていた。
だけどオレにだけは、爺ちゃんは夢の内容を詳しく教えてくれた。
──李曾や。花はのう、いろんな色になるんじゃ。その人の心が、その色に、相応しい色になってくれるんじゃ。じゃから、きっと、李曾や。おまえの色もある。
爺ちゃんにも色があるのかと訊くと、それは黄色だと教えてくれた。
それから昔に住んでいた村の話も、爺ちゃんは数回に分けて語り聞かせてくれた。
婆ちゃんと出逢う前に村を出たと、だから婆ちゃんも母ちゃんも知らないと、咳き込みすぎて嗄れた声で爺ちゃんは言った。
村は爺ちゃんの故郷らしかった。
日に日に体が衰弱していった爺ちゃんは、村の話をする度、さいごは泣きながら謝っていた。
花のことも、退屈が嫌で村を抜けたことも、歳を取ってから故郷を思い出したことも。
頭を床に擦り付けて、額に血が滲んで顎に垂れてくるまで続けていた。
そんな爺ちゃんの最期は、オレには急な出来事には思えなかった。
看取ったやつから聞いた話だと、息を引き取る前にはしきりと呟いていたらしい。
花が見える。
神を愛した花がある。
そこに咲いている──と。
**
──にんげんだった頃のオレは、周りの大人も手を焼く程ヤンチャだった。
今も大して変わらないが、大人から駄目だと言われることは一通りやってきたつもりだ。
そんな性格だったからなのか、オレの死因は川で溺れたことだった。
しかも山の峰から真っ逆さまに落ちて。
だけど不思議と息ができない苦しさとか、怪我なんかの痛みとかは感じてなかった。
あの時、オレの記憶で一番新鮮なものは、地元の山には咲くはずのない凛とした花だ。
それは赤と黄色の混じる、明るくて活発そうな色をしていた。
ああ。爺ちゃんもこれを見たんだ。
そう唐突に理解した。
花は健気にも、雑草の群生から頭をニョッキリと出している。
その様子はまるで、オレを見ているようで。
オレも、その花をただジッと見ていた────。
**
「あの、ひとつ訊いてもいいすか?」
「……」
神から返事はないが、セコは話を続けた。
「神様の庭に花がありますよね? あれって、黄色もあるんすか?」
生者だった頃の記憶がある今、彼にとって質問は妥当に思えた。
目の前の神に会うため、カツやセコが小舟で島を出た初めの日。
セコは、カツに、神を愛した花の話を聞かされている。
話の内容に、自分や祖父が見た花の色はなかった。
セコ自身もうろ覚えの記憶ではあるのだが、それでも神様の反応を買うくらいのことはできた。
さるお方は問いの声に、執務机の向こうから片眉をあげる。
セコを見る神様の眼差しは、驚きを隠そうとしていた。
「花を知っているのか」
その死神には、神様の言葉は的外れに思える。
質問返しというには、あまりにも淡白だ。
「はい。親友も、死神たちも」
セコは事実を話した。
島の書庫には、花に関する本があることも、親友のカツを通して知っている。
「そなたの花は、何色だ」
「黄色と赤だった気が……」
物理的な距離が近くなったわけでもないのに、彼は自分が絶対的な存在に詰め寄られているような錯覚を抱く。
死神では、けして抗えない圧迫感だ。
「黄色、だと……」
神様でも、知らないことはあるんだなあ。
目の前のお方には、死神島に膜を張るような方には、知らずにいたことも多いだろうと、セコは密かにヒノトマルを揶揄する。
彼は脳内で神様と、自分の親友とを比べた。
カツは、自分が知らないことに対して貪欲だ。
持たないからこそ、求め続ける。
純粋に、真っ直ぐに、だけど執拗に、知識を得ることが存在するための糧であるかのように欲した。
そんな親友のことだ。
未来で何が起こるかも知らず、得た知識を口にするだけで満足する彼のことだ。
まともに神の逸話を聞くものなんて、カツの周りにはいなかった。
セコもはじめはその1人だった。
けれど、そうじゃなくなった瞬間がある。
親友と呼ぶには、まだ程遠い関係だったとき。
相手のほうは自分のことなんて、島に住む同胞程度にしか認識してなかっただろうと、セコは薄く笑みを浮かべる。
彼にセコという名があることも、カツには与り知らぬ頃の出来事である。
誰も聞いてなくとも、カツはその時、口にしていた。
彼自身は覚えていないが、セコはその語りを忘れずにいる。
セコが親友になる予定の死神は言った。
『神さまだけが居住を許された場所がある。
そこは神界と呼ばれ、その庭にある植物に様々な色はあれど、黄色の花だけが咲かない。
黄色は、《ただ》のにんげんだけが見ることのできる色なのだ。』
セコは生前の記憶を振り返る。
彼の祖父は神候補でも、ほかの存在に生まれ変わるでもなく、ありきたりなにんげんだった。
だから、死ぬ間際で視た花は黄色だったのだろう。
神を愛した花がもたらす色には類するはずのない、その色。
セコ自身も、視えた花には紅が混じっていたけれど、やはり黄色だった。
地上に咲く彼岸花のように紅く、けれど木々の間から差し込む陽光に照らされたそれは、間違いなくその光に染まっていた。
天上界で親しまれる色と、にんげんにしか視えない色が混じる。
自分は、死神ではないのだ。
セコは今はっきりと、そのことを自覚した。
……オレは、あの村の血を引いている────。
自身が人であった生の記憶を、セコは簡潔にまとめ話した。
花を視る祖父がいたことは黙っていた。
神はたじろぎ、表情から戸惑いが見えるようである。
「そなたの、同行者も同じものが視えるか」
「聞いてないすけど、たぶん視えないすよ」
わざわざ訊ねなくても友人であった彼には分かる。
カツには色どころか、花すら視えないだろうことが。
2人は、基本的なところが異なるのだ。
種という大きな枠組みで考えるなら、その違いはあまりにも大きすぎる。
枠の質や大きさ、量の多さからして異なるもの同士を、仲間とは言えないんだと思うと、セコはほんの少しの侘しさを覚えた。
そして悲しいことに、目の前におられるお方こそ、自分の枠組みに近いのだと感じてもいた。
だから自分は死神より、『神』に近しいのかもしれない。
そうセコが悟った考えは、彼の、そしてヒノトマルの運命を明らかにした。
「神さま、提案があるんすけど」
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【死神は、与えられた運命に尽くすため、存在し続ける。】
【そして神もまた、与えられた運命のもとで存在する。】
【これが運命だというのなら、信じよう。】




