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オタクのキオク

作者: IOTA

この作品にはゲームや漫画のネタが含まれています。

わからない人はごめんなさい。

「俺はオタクだ」


 自らそんなことを言う奴は少ない。言える奴がいたとしたら、そいつはいい感じに頭のネジがずれているか、自らの姿を理解し、認め、それを暴露する勇気のある"戦士"だ。

「俺はアニメオタクだ」

 勿論、俺は後者だ。自分で言うのもなんだがネジはしっかり締まっている・・・つもりだ。では何故言えたのか、俺が戦士だから他ならない。しかも何のオタクかまではっきりと口にしたのだ。戦士という称号だけでは、この俺の偉業を表せないだろう。いうならスーパー戦士。しかし、これではまだ足りない・・・・・・。

「俺はロリータ大好きの十七歳っ! ギャルゲー、エロゲーなんでも来いっ! かわいいおんにゃの子が出てるものは全て愛せる! ミココたん萌えっ! 萌えっ! 萌えっええぇえぇぇっ!」

 俺はその瞬間、神化した。

 戦士? なんだそれは? 安い安い。スーパー戦士? それなんてエロゲ? マ○オじゃあるまいし。

 そう、俺は神。アイ・アム・レジェンド・・・・・・。

 

 ――バチンッ

 

 唐突に、光が見えた。

 これが後光? 自分の後光が、激しすぎて、目の前が・・・真っ白だ。

 さすが俺・・・これなら、こいつも・・・あれ? こいつ、なんで泣いてるんだ? 

 

 ・・・・・・・・・




 気が付くとベッドで寝ていた。

 白いベッドに白い布団、薬品の染み付いた独特の臭い。

「俺ん家じゃない・・・」

 ぼやけた眼で横を見ると、大きな人影が立っていた。

「お、気付きましたな!? いやぁ〜、感動しましたぞ。まさかあんなにはっきり言うとは。この大林、年甲斐もなく興奮してしまいました」

 その大林と名乗った男は学生服を着た、横にも縦にも肥えた大男だった。

 笑いながら俺の手を握りぶんぶんと振っている。微妙に湿った手の温もりがかなり不快だ。学生服を着てはいるが、その老けた顔はどう見ても学生には見えない。オッサンとかオッチャンとか、そんなあだ名がぴったりだ。

 俺は解放された手を布団で拭いながら、「はぁ」と相槌を打つ。

「それにしても、あの女はひどいですなぁ。あんなに強く殴るなんて、なんとあなたは気絶してたんですぞ!?」

 捲くし立てる大林に「へぇ」と応じる。

 そこで誰かが力強くドアを開けた。セーラー服でショートヘアー、見るからに気の強そうなツリ目の少女。その少女はズカズカと室内に入ってきて大林を無理矢理脇に押しやり、俺のベッドの真横に仁王の如く立ち塞がり、きっついツリ目をさらに吊り上げて言い放つ。

「ばっかじゃないのあんた! あんぐらいで気絶なんて、弱過ぎっ! 死ねっ! キモオタっ! 死ねっ!」

 その剣幕に大林は「ひぃ〜」と小さく震えている。小さくなってはいるがその少女よりずっと大きい。

 それにしても、酷い言われようだ。ここは怒っとくべきだろ。

「なんだあんた? 全然わかんないけど、なんか腹立つぞ?」

 我ながら頭の悪い怒り方だった。遺憾の意を表明できたかどうかも微妙だろう。しかしそれはしょうがない本当に何が何やらさっぱりわからないのだから。

 それでも俺の怒りが伝わったのか、俯いてプルプルと震える少女。

「あ、あんたって何よ・・・。あんたにあんたって呼ばれたくないわ・・・」

 どうやらあんたと言ったのが気に入らないらしい。

 俺が首を傾げていると、世界が回った。いや、回ったのは俺の首だ。

 見ると女の手が見えた。力強く握った拳は俺の頬にめり込んでいる。

 痛い。ちょっと痛い。・・・ん? ・・・痛い! 否っ! めちゃくちゃ痛い!? なんでこんなに痛いんだ!? まるで同じ場所を二回叩かれた様な!? ま、まさかっ、『二重の極み!?』この歳で、しかも女が使えるとは、この女只者じゃないっ。

「死ねっ! バカっ! 死ねっ!」

 そう吐き捨てると、女は逃げるようにどこかに走って行ってしまった。

 なんてことだ。会ってから一分足らずで死ねと三回言われてしまった。きっと彼女の口癖は、死ねっ! なのだろう。

 頬を擦っていると「四回ですぞ」と大林が近寄りながら言ってくる。

「まっことに酷いですなぁ。青痣になってますぞ? まったくあんな女子、幼馴染みじゃなかったらとっくに縁切りしてるでしょう?」

「へぇ〜、あんたの幼馴染みなんだ?」

「え? いやいやいやいや。いくら嫌だからってわたくしに押し付けられても困りますぞ。 あんなじゃじゃ馬。わたくしどっちかって言うと大人しいネガネの委員長タイプが好みなのです。もっとも、リアル女に萌えの要素があればの話ですが。ぐっふっふっふっ!」

 大林は巨体をくねくね揺らしながら終わっちゃってる事を平然と言う。かなりキモイ。さっきのキモオタっ死ねっの件はこいつに言ったんじゃなかろうか?

「しっかし、何か様子がおかしいですな? ・・・まさかっ、記憶喪失ですかっ!?」

「まっさかぁ。記憶喪失ってのは過去の事、全部忘れることだろ? 俺ガキの頃の事、覚えてるもん」

「ぐっふっふっふっふ、ですよねぇ。いやぁ、わたくしとした事が一瞬、心配しましたぞ」

 家族のこと、小学校のこと、中学校のこと、俺はしっかり覚えている。しかし、幾つかわからないことがあった。

「・・・で、あんた誰?」

「ぐっふっふっふっふ・・・・ぐふっ!? ・・・ぐっふっふっふ・・・・・・今なんと?」

 暑苦しい真顔を近づけてくる大林。

「いや、だからあたなは誰ですかって?」

「・・・冗談、ですよね?」

「いや、冗談ではないな。あと、さっきの子は何? ここ病院だよなぁ。なんで俺こんなとこいんの?」

「・・・・・ぐっふぅうぅー!!」

 大林は奇声と共に俺の頭上にあったナースコールをひったくり、ボタンを連打する。

「看護婦っ! 否っ! ナースさんっ! 否否っ! ナースたん!」

 三回も言い直してより酷くなってる。それに今は看護婦じゃなくて看護士なんだが、細かいことは言わないでおこう。




 俺は車椅子に乗っていた。

 後ろには昨日の暴力少女が優しげな表情でゆっくりと車椅子を押している。

 あの後、医者の問診を受けて記憶に混乱が見られると言われた俺は精密検査のため一週間程入院することになったのだ。

 そして次の日、学校帰りという暴力少女がお見舞いに来てくれたのだった。

 お見舞いに来たよ、なんて言うもんだから何をお見舞いされるのかとビクビクしたが、どうやら通常の意味のお見舞いのようだ。

「本当に何も覚えてないの?」

 病院の廊下、彼女は車椅子を押しながら話しかけてくる。

「・・・オッチャンのこととかも?」

「オッチャン?」

「ああ、え〜とっ、大林よ。あの昨日の太ったやつ」

 やっぱりな、と俺の得心していると、彼女は悲しそうな顔をして、

「あんたが付けたあだ名なのよ。本当に何も覚えていないのね」と言う。

 それに無言で頷いたが、彼女の言葉は正確ではない。何も覚えてないわけじゃないのだ。正確には高校に入学してから今までの記憶がすっぽり抜け落ちてしまっているだけらしい、それ以前の記憶はかなり正確に覚えている。子供の頃に遊んでいたロックマンのドリルマンを倒した後のパスワードまで覚えているぐらいだ。

 俺がエアーマンのパスワードを思い出しに掛かっていると、彼女は悲しげな声で訊いてくる。

「あたしのことも、覚えてないの?」

「・・・あ」

 そこで疑問が生じた。俺は高校以前の記憶は普通にある。それは医者の問診でも証明済みだ。しかし大林の話ではこの少女は俺の幼馴染みらしい。じゃあ、なんで彼女の事を覚えてないんだ?

「あん・・・、君と俺は幼馴染みなんだよな?」

 あんたと言いかけて思い止まり言い直した。自分の経験から何も学ばないほど、愚かではない。

「そうよっ! 思い出したの!?」

 彼女は後ろから身を乗り出して、嬉々とした表情で見つめてくるが、

「いや、昨日、君の言うところのオッチャンに聞いただけ」

「・・・そう」

 と俺の返答でまた悲しげな顔に戻る。その横顔は本当に悲痛、これではまるで彼女の方が患者だ。何も悪い事はしていないが罪悪感が込み上げてくる。

 俺を乗せて彼女が押す車椅子は病院を出た。そこはいかにも大病院らしい広場だった。沈みかけた夕日が名残惜しげに緑を照らしている。

 新鮮な外気を体中に感じながら、

「そういえば、君の名前は?」

 とさりげなく訊いてみる。実はずっと訊きたかったのだが、なんとなく訊けずにいた。しかし、彼女は沈黙したまま考えるように俯いてしまった。しばらくしても返事がない。聞こえなかったのかと思い、確認しようとしたら、彼女はようやく口を開いた。

「ゲームしよっか?」

「は?」

 意外な返答に俺は呆ける。勿論、彼女の名前はゲームシヨッカさんではないだろう、この場合、ゲームと呼ばれる行為をしませんか? って意味だと思う。そんな俺の理解は周回遅れで、もう彼女はゲームとやらの説明を始める。

「あたしの名前思い出すの、誰かに聞いたり調べたりしちゃダメ」

「・・・それってゲーム?」

 我ながらもっともな疑問。

「う〜ん、そうねぇ。じゃあ、期限は一週間、思い出したらあたしの勝ち、思い出せなかったらあんたの勝ち」

「思い出せなかったら俺の勝ち? 逆じゃないか?」

「それでいいのよ。あたしはあんたが思い出すようにがんばるから。そっちの方がゲーム性あるでしょ?」

 ニッと少年の様な笑みを見せる彼女。

「でも、俺が思い出して黙ってるかもしれないぜ?」

「そこまでして勝ちたいと思う?」

「・・・思わねぇな」

「じゃあ」とここで言葉を区切り、なぜか頬を赤く染め俯きながら、

「・・・敗者は勝者の言う事になんでも従う」そんなことを言う彼女。

 俺は小首を傾げながら「まぁ、いいよ」と適当に頷く。

「それじゃあ、今からゲーム開始ねっ」

 その時、一陣の風が吹いた、その風を称えるように、木々がざわつく。

「思い出した」

「速っ!!」

 風、木、そしてゲーム、彼女の言葉が俺の記憶のトリガーとなったのだ。

「本当に思い出したの?」

「ああ、ばっちりだ、・・・ああっ! 消えていく、記憶が薄れていくぅ! 紙とペンをっ! 誰か紙とペンをくれ!」

「ちょ、ちょっと待って!」彼女は肩に掛けていたバックからノートと鉛筆を取り出す、俺はその様子を見ながらも蘇った記憶を留めようと必死だ。確実に知っているのに書けない漢字を思い出す感覚に似ている。

 渡された紙にペンを素早く走らせる、縦の線を何本か引いて、横の線も同じだけ引く、できたマス目に黒い点を書いていく。

「できた、完璧だ・・・、すごくねぇ?」俺は自慢げに彼女に紙を渡す。

「・・・何これ?」俺の力作を見た途端、彼女は眉間にしわを寄せ意味不明といったリアクションをとる。無理もない、きっと信じられないのだ、こんなものを記憶している人間はきっと世界に十人もいないだろう。

「ロックマン2のパスワードだっ! エアーマンとウッドマンのだぞ。嘘だと思うなら確かめてみな、あ、ゲームボーイ版のだからな、ファミコン版と間違えんなよ」 

「・・・・・それだけ?」気のせいか、彼女の顔が引きつって見える。

「え? ええっと、もうちょっとでワイリーステージの中ボスの名前も思い出せそうだ・・・」

 俺が削岩機を武器に使う一等奇抜なボスの名を考えていると、

「この、オ・タ・ク・野朗おぉぉっ!!」

 殴られた。

「クイントッ!」

 昨日と同じ右頬にグーパンチの重みを感じながら、思い出した中ボスの名前を叫ぶ。

 倒されてカラカラと間抜けに車輪を廻す車椅子と、地面にうっぷす俺を交互に一瞥して彼女は足早に去って行く。

 その様子を広場にいた患者達が驚いた表情で見つめている、俺は普通に立ち上がり汚れを払うよう身体を叩いて車椅子を起こしに掛かる、それを見てさらに驚愕する患者達。当然の反応だ、歩ける人間は車椅子に乗ったりしない、これは彼女、否、あの暴力女が「こっちの方が雰囲気出るから乗って」などと意味不明なことを言って無理矢理乗られたものだ。

 患者達に軽く頭を下げ、誰も乗っていない車椅子を押して院内に戻った。

「・・・わけわかんねぇよ」

 名前も知らない女に二回(三回か?)も殴られた頬を擦りながら苦し紛れの独白を漏らす。 



 入院生活、経験のある者はわかると思うがそれはかなり退屈だ。

 テレビ以外娯楽の無い部屋に閉じ込められて、一日をベッドの上で過ごさなくてはならない、本来身体に異常の無い俺の場合、ある程度自由に行動できるはずなのだが、主治医は俺の紫に腫れた頬を見るや否や優しく諭し、一人部屋への引越しと絶対安静を命じた。

 一人部屋になったのはありがたいが、トイレに行く度に看護士や他の入院患者達の怯えた視線の標的になるのはさすがにキツイ。

 まったく、暴力女のおかげで不良患者扱いだ。最悪退院が延びるかもしれない。

 暴力女のことを思い出し憂鬱な気分でテレビをつけるとアニメをやっていた、画面にはやたらカラフルな少女達が所狭しと動き回っている。

「お、今回、クオリティ高いなぁ〜、アニメーター変えたのかな・・・」

 そんなことを呟く俺・・・ん? 待てよ? こんなアニメ初めて見るぞ、それにクオリティとかアニメーターとか何を言ってるんだ俺は? わからない・・・わからないが・・・。

『次回、ドッキドキ修学温泉旅行、お楽しみにぃ〜♪』

 気が付くと次回予告まで見入ってしまっていた、そして不思議な充実感が全身を満たしている、異常なまでに続きが気になる。

 なんだこの感覚は? 胸の奥から迸る熱いパトスが込み上げてくる。パトス? パトスってなんだ? 俺はおかしくなってしまったのか。いや、記憶の混乱って時点で十分おかしいか。とにかくアニメには何かある、俺の記憶の何かがあるはずだ。

 俺はベッドの脇に置いてあった袋を漁り、中に入っている携帯電話(俺の物らしい)を取り出し開いてみる、待ち受け画面はさっきのアニメのヒロイン『奈川ミココ』だ。焦った様に親指を動かし他に保存されていた画像も見てみる、「小澤マチ」、「ロイ・メイリン」、「哀桐・マリア・セイレン」、俺の携帯のメモリーはアニメ美少女で埋まっていた、そして彼女達の名前、好きな食べ物、思い人まで全ての設定がわかってしまう。

 思い出すという感覚ではない、知っているのだ、嬉しいと笑い、悲しいと泣く、それと同じ様に俺の脳みそ奥深くに刻み込まれた、そう、これは本能。

 どうやら俺はかなりのアニメオタクだったらしい。

「・・・うあ〜」

 自身で自分に引いてしまう、だが引いてる場合じゃない、アニメ、つーかアニメ絵の美少女に俺の記憶を蘇らせる手掛りがあるっ! ・・・我ながら嫌過ぎる手掛りだった。

 俺は考えた挙句、ある男に電話することにした、三日ぽっちの記憶で頼れる男は彼しかいない。

『もしもし、こちら大林ですぞ、オーバー。ぐっふっふっふ』

 ・・・かなりうざい、しかしここで切るわけにはいかない、とりあえず探りを入れてみる。

「ドッキドキ修学温泉旅行・・・」

『お楽しみにぃ〜♪ですな。いやぁ〜、今回はクオリティが高かったですなぁ〜、もうミココたんの萌えっぷりときたら常軌を逸脱してましたな。それにマチ様の秘密もどんどん垣間見えてきましたなぁ〜、大林的にはメイリンちゃんとの絡みがもっと欲しいのですが。まぁ、それはそうと今週始まるマジキャルギャールズの――――』

 やはり知っていた。聞いてもないのに今回の評価や、今後の予想、他の新作アニメの話まで電話の向こうで熱弁し始める大林、常軌を逸脱してんのはお前だよという突っ込みは置いといて、流石としか言いようがない。

『――――それで、ハァ、次回の、ハァハァ、ラブみこが、ハヒィ、ヒィヒィ、どうかしましたかな? ハァフゥ』

 興奮したのか疲れたのか、一頻り喋り終えた大林は息を荒らげながらようやく話を振ってくれた。

 俺は適当に事情を説明し、明日ありったけのアニメグッズを持ってきてくれるように頼む。

『喜んでっ! この大林しかと心得たっ! 二次元の世界なら地獄までお供いたしますぞっ!!』

 冷静に考えたら、かなり終わっちゃてる台詞だが、今の俺には妙に心強い。

「お前だけが頼りだっ! 任せたぞ! 軍曹っ!」と大尉クラスのノリで命じて電話を切ろうとしたら、『あと、一つ』と急に真面目な声で呼び止められた。

『無理に思い出すことないと思いますぞ? ゆっくりでいいと思います、ゆっくりで。このワタクシめも及ばすながら協力しますから』

「ありがとな」と応じて電話を切った。

 大林、いや、オッチャン・・・、うざいけど良い奴だな。

 今日はもう寝ることにした。まだ消灯時間にもなっていないが明日のことを考えると、その方が得策だろう。

「忙しくなりそうだぜ・・・」



 次の日、大林は朝一で来てくれた、学校は何かの振り替えで休みなのだそうだ。勿論、そんなこと俺は覚えていない。

 大林は幼稚園児が入れそうな巨大な紙袋を両手に提げていた、その袋には中身を表す様な美少女のイラストが大きく輝いている、まるで兵士の誇りの象徴エンブレム。今の大林は硫黄島に星条旗を掲げる海兵隊員達のように神々しく見えた。

 そしてその隣に同じサイズの紙袋がもう一つ、招かれざる客が抱えていた、暴力女だ。

 頬を染め、唇を突き出し、そっぽを向きながらエンブレムを隠すようにわざと両手で抱えている。おそらくそんな調子で病院まで歩いてきたのだろう、気持ちはわかる。でもそこまでして無理に来なくてもいいのに。

「あんた、思い出してんじゃないのっ!?」

 俺がアニメ物資を要求したことを大林から聞いたのだろう、暴力女が怒鳴る。

 俺はできる限りの挑発顔で両手を広げ首を振って見せる、ささやかな復讐だ。両手が塞がった状態では攻撃できまいとふんだのだ、しかし甘かった暴力女は唇を噛み締め睨みつけてきたかと思うと、こともあろうにエンブレム入りの紙袋を俺に向かって投擲した。

「なあっ!?」

 無駄に重量のありそうなそれは、神風の零戦よろしく俺に向かって飛来する。

 結果から言えばそれは俺に命中しなかった。

 縮地、一種の仙術で地面の距離を縮めて一瞬で移動する神業だ、その業が俺の目の前で行われたのだ。

「・・・おい、デレなし女。お痛もほどほどにしとけよ・・・」

 その異様に重みのある声の主は大林に他ならない、暴力女が紙袋を投げたときには確かにその隣、入り口付近に立っていたはずなのに、今は病室の中央に居た、まるで最初からそこに居たかのように、大事そうに三つの紙袋を抱えて。その顔は人間のものではない、まさに修羅。

「返事はあぁぁっ!!」

「ひっ、は、はいっ!・・・すいませんでした、調子乗ってました、もうしません、許してください」

 大林の怒声にビクッと肩を揺らし、青ざめた顔で素直に頭を下げる暴力女。

「ぶふぅーん、まったく最近の若い女子は・・・、ワタクシのコレクションが壊れてたら、ビオランテの触手で陵辱してましたぞ」

 シャレになってない、この男ならビオランテぐらい召喚できるだろう。ちなみにビオランテとはゴジラに出てくる薔薇の怪獣だ。

「では、これが約束のブツですぞ、大尉殿。ぐっふっふっふ」

 穏やかな口調と顔に戻った大林が紙袋を差し出してくる。

「ご苦労様ですっ! 大林元帥っ!」

 軍曹から元帥へ、空前絶後の十九階級特進だ、短い上官ライフだった、泣けてくる。

 俺は大林のコレクションとやらを漁る、中にはフィギュアやらぬいぐるみやら携帯のストラップやらが詰っていた。勿論、全てアニメ少女のものだ、それら全ての名前がわかってしまう俺、しかしその中には記憶の奥を刺激する物はなかった。

「それは『ある意味三次元パック』ですぞ」

 どうかと思うネーミングセンスだが、的を射ているので何も言わないでおこう。

 暴力女は俺のベッドの上に散乱したコレクションを見て突っ込みたそうに口をぱくぱくさせている、大林の手前、下手な発言はできないのだろう。今度、折檻されたときは大林に助けを求めよう。

 俺はそんなことを考えながら二つ目の袋を持ち上げる。

「やたら重いぞ、これ」

「ええ、そっちは『神々の黄昏パック』ですから、重いのは当たり前でしょう?」

 そんな知ってて当然みたいな口調で言われても・・・、無駄に仰々しいネーミングだが。

 覗いてみると、コミックやら同人誌やらライトノベルやらがぎっちりと詰め込んであった。

 なるほど重いわけだ。これを見たら、いくら心の広い神様でも黄昏るな。大林は黄昏の意味を知っているのだろうか?

 一冊を手に取りパラパラと捲ってみたが、いまいち心に響かない。

 やはりこんなことでは思い出せないのか、俺は諦めかけて、最後の袋を開ける。

「ぐっふっふっふ、それがお待ちかねの『DVDパック』ですぞ」

 その時、暴力女が体を回転させて、

「最後だけ名前普通なのかよっ!」

 ビシッと理想的な突っ込みのポーズで間髪入れずに突っ込んだ。我慢していた物が抑え切れなくなったのだろう。しかし、大林はリアル女の妄言だと言わんばかりにシカトを決め込み説明を始める。

「あなたが絶賛していたアニメのDVDを片っ端から持って来ましたぞ、これだけあれば一年は萌えに困らないでしょうな。ぐっふっふっふ」

 萌えに困る状況が想像できないが、一つ問題がある。

「どうやって見んの? この病室にはDVDプレイヤーなんかないぞ?」

「その辺りの抜かりありませんぞ、この大林にお任せあれ」

 言うと大林は背中のリュックから、黒い長方形の物体を取り出した、ノートパソコンだ。

「さすがっ! 頼りになるな」

 さっそく大林のパソコンを立ち上げる。無論、壁紙は美少女キャラだったが、もうなんとも思わない。むしろほっとする。

 とりあえず、昨日のアニメ『ラブみこ』を一話から鑑賞することにした。

 記憶を失ってから初めて聞いたはずなのに聞き覚えのあるオープニング曲。

 頬を伝う熱い汁、・・・これは涙?

「・・・私達のトキメキ〜熱く、こぼれちゃい〜そう♪」

 誰かが曲に合わせて口ずさんでいる。誰だ? ・・・・・この声は、俺?

 気付くと俺は歌っていた、聞いたこともないはずなのに、そう、まるで『ラブみこ、第八話、思い出は青色吐息』で小澤マチが生き別れになった母の子守唄を口ずさむ様に・・・ってなんで八話の内容を知っているんだ?

「やはり何かあるっ! このアニメには何かあるぞっ!」

 号泣しながら叫ぶ俺におおっと歓声を上げる大林、うあ〜と本気で引く暴力女。

「なんだよ、その顔は。俺の記憶の手掛りがあるんだぞ、君も俺の記憶を戻すために来たんだろ?」

「そうだけどさ、なんて言うか、そのための手段は選びたいじゃない? もっとドラマチックな手段もあるでしょ?」

「どんな手段だよ?」

 歯切れの悪い暴女に訊くと、なぜか彼女は赤くなりさらに歯切れ悪く取り乱し始めた。

「ええと、それは、その、なんかこう・・・、なんでもないっ! 死ねっ! キモオタッ!」

 また言われた、まったく女子高生の感情はヤンデレキャラの奇行ばりに理解できない。

 とりあえず俺は周りの声を一切無視することにして、アニメに没頭した。

 三時間ほど経っただろうか、第七話のオープニングが流れている。俺の脳内ではミココ達の声がミラーハウスに迷い込んだ光の様に乱反射している。

「一日の萌え摂取量を越えていますっ! これ以上潜ると戻って来れなくなりますぞっ!?」

 大林がせがむように俺の手を握る、今はその汗ばんだ手もまったく気にならない。

「ダメだっ! ここで止めるわけにはいかない! 俺の、俺の中のゴーストが囁くんだ! この先に、この先に答えがあるっ!」

 バチンッ

「え?」

 突然、ミココの笑顔が視界から消え失せた、見ると暴女がパソコンのディスプレイを押さえ込むように閉じている。

「てっめ、何しやがるっ!」

 怒鳴る俺に暴力女は壁に架かった時計を指差す。

「もうお昼よ、お腹空いたわ」

「別に俺はっ」

 言いかけたが暴力女の睨みに怯んでしまう、しょうがなく俺は頷いた。

「でも、この時間じゃもう給食も片付けられちまっただろう」

 この病院では歩ける患者は自分で給食を取りに行くのだ、まぁ、行くと言っても廊下に出されたトレイから自分の分を取って来るだけだが。

「どっか食いに行くのか?」

 訊ねる俺に暴力女は頬を染めそっぽを向きながらズイッとバスケットを差し出した。どこから出したんだ?

「これ、作ってきたから。か、勘違いしないでよ、あたし一人で食べるつもりだったんだけど、もう給食ないって言うんなら食べさせてあげないこともないわ」

「・・・いや、別に俺はいいよ。大林と食べてくれ」

 途端に悲しそうな顔になる暴力女。

「いや、嘘です。頂きます、もうお腹ペコペコッ!」

 遠慮したつもりだったのだが、本当によくわからない。

 バスケットを開けると中にはパン切れやらレタスやら生肉やら潰れたゆで卵やらが詰っていた。俺と大林は顔を見合わせる、どうやら共通の疑問を抱いているようだ。

「何これ?」

「サ、サンドイッチよっ! 見ればわかるでしょう!」

 腕を組みどこか恥ずかしそうに言う暴力女。

 茶色い耳が所々に残ったパンの切れ端、バットでぶち割って拾い集めた様なレタスの残骸、火を通した努力が微塵も感じられないピンクの豚肉、悪意が感じられるほどに殻の混入した卵のタルタルソース、その食材達がバスケットの中でこの世の終わりだと言わんばかりに混ざり合っていた。

 これをサンドイッチと呼んだらサンドウィッチ伯爵はサーベル片手に暴れまわるだろう。

 わかったことが二つ、彼女はサンドイッチを見たことが無いのとハムと豚肉の区別が付いていないことだ。

 達の悪い冗談かと思い暴力女を見ると期待する目でこちらをチラチラ見ているではないか。どうやらこれを口に含んでもらいたいらしい。

「ほ、ほぅら、大林。うまそうだぞぉ、先に食べろよ、たぁんとお食べ、できれば全部お食べ」

「い、いやいやいやいや、先にどうぞ、きっと彼女はあなたのために早起きして作ったんですぞ。それを口にするなどもっての他です」

 そんなやり取りをする俺達を見て暴力女の顔が見る見る悲しげになる。

 まずい、ここで泣かれて飛び出されでもしたら非常にまずい。野朗二人の密室から少女が泣きながら飛び出してきたら、中の野朗は鬼畜扱い必至だ。今度は精神病棟に移されるかも、最悪の場合留置所だ。

 俺は覚悟を決めてパンとレタスを鷲掴み頬張った。

「う、うん! 素材の味が生きててうまいよ」

 それ以外の褒め言葉が思いつかない。当然だ、素材の味しかしないのだから・・・

 暴力女の表情が見る見る明るくなり、 

「でしょうっ! あたしサンドイッチは得意なのっ! 友達もみんな泣きながらおいしいって言ってくれたんだ」

 満面の笑みでそんなことを言っている、どうやら彼女の周りはずいぶん寛容な人間が多いらしい。その友達の気持ちが痛いほどわかる。俺も泣きそうだ。

「あたしの分はいいから全部食べてっ」

「お、おう!」

 応えながら大林を横目で睨む、次はお前だ。

 大林も覚悟を決めたようで、パンとレタスをもそもそと食べ始める。

 どうやら考えてることはいっしょらしい、まだ食えそうなパンとレタスに逃げる作戦だ。

 俺と大林はパンとレタスを取り合うように食べて、生肉と殻入り卵を譲り合いながら喰らいバスケットの中身をなんとか平らげた。

 腹の中で生肉の雑菌と卵の殻が劇的に反応して行くのがわかる、食っても食わなくても入院が長引くのは運命のようだ。

 嫌な感じの満腹感に腹を抱えつつ、俺はアニメの鑑賞に戻ることにした。


 ラブみこを見終わる頃、辺りはすっかり暗くなっていた。

 大林と暴力女はとっくに帰ってしまい、薄暗い病室を大林から借りたパソコンだけが照らしていた。

 ふーっと深く息を吐いて、長時間の労働に文句を言い出した目を揉んでやる。 

 結局、このアニメを観て得られたのは小さな感動と無駄な疲労感だけだった。最初はうまくいくと思ったのだが、虚しくも空振りに終わったわけだ。

 パソコンの電源を落とそうとして、あるファイルが目に付いた。

 大林のパソコンのディスクトップはほとんどゲームのショートカットや怪しげなソフトで埋まっていたがそのファイルだけ、通常のフォルダのアイコンだ。

「・・・パンドラの箱?」

 非常に開けにくい名前のファイルだった。開けた途端この世の全ての災いが飛び出してきたらたまったものじゃない、これ以上の災難はごめんだが・・・、最後の希望に賭けて見るのも悪くないかもしれない。

 それにこのファイル、おそらく大林が俺のために用意したものだろう。

 しばらくそのファイルを見つめてみたが、大林の意図を理解できるはずもなく俺は覚悟を決めてダブルクリックした。 

 中にはテキストファイルが三つ入っていた。『1、始めに』『2、絶望』『3、希望』。

「・・・なんだこれ」

 とりあえず、『1、始めに』をダブルクリックした。


『始めに言っておきますが、ここに書いてあることははわたくし大林森樹の妄言ですぞ。なのでここに書いてある文章は本気にしないでいただきたい、それでも読みたいと思ったのなら三つのルールを守ってもらいますぞ。

 一つ、絶対に他言しない。二つ、マチ様になったつもりで読む。

 ルールを守ってくれる者だけに閲覧を許可しますぞ。』


「あいつ名前なんて読むんだ? シンキ? やたらと木偏の多い名前だな」

 そんなことよりこのルール・・・、三つないのは流すとして・・・、内容が問題だ、他言しない、マチ様になったつもりで・・・、マチ様はラブみこの小澤マチで間違いないだろう、しかしなったつもりでってなんだ。小澤マチは頭脳明晰で観察眼に長け、ラブみこでは私立探偵として登場する。

 とりあえずそのファイルを閉じようとポインタを×印に持ていったとき、違和感を感じた、本当に些細な違和感だったが俺はその正体にすぐ気が付いた、スクロールのカーソルが小さい。文章は終わっているのにカーソルはまだ下へ行けることを示している、まだ下に文章があるのか。

 マウスホイールを転がして、下へスクロールしてみる、何百行も空白が続き、最後に文章が現れた。


『よく気付きましたな、流石ですぞマチ様w

 三つ目のルールです。記憶を無くした人は「希望」を先に閲覧ください、「絶望」は最後です。』


 俺は恐怖していた、この文書は明らかに読む人間を選んでいる。小澤マチは私立探偵という予備知識があったからこそ気付けた小さな違和感、これはもう俺へのメッセージで確定だ。

 恐る恐る第三のルールに従って『3、希望』を開いてみる。


『10月14日

 今日もあいつは相変わらずオッチャンとアニメの話、本当に救いようの無いキモオタだ。人の気持ちなんてまったく考えてない。

 10月15日

 あいつは変わらない、このままじゃ卒業して離れ離れになってしまう。私も待ってるだけじゃなくて、勇気を出さないと。 

 10月16日

 大変なことになってしまった、私が殴ったせいであいつが記憶喪失になった。私のせいだ、このまま記憶が戻らなかったらどうしよう・・・

 10月19日

 またあそこに行ってしまった、あいつが記憶を失ってから毎日行っている。我ながらバカだと思う、あんな所に行ってもなんの罪滅ぼしにならないのはわかる、でもあそこに行けばいつか元気なあいつがひょこっと現れる気がして・・・』


 そこで文章は終わっていた。

「・・・なんだこれ?」

 誰かの日記っぽいが。あいつってのは俺で間違いないだろう、ということはもしかしてこれはあの暴力女の日記なのか。それにしても可愛げのない文体だ、俺でももう少し女っぽい日記を書けるだろう。

 しかし、なぜ暴力女の日記が大林のパソコンに入ってるんだ。

 首を傾げながら『2、絶望』をダブルクリックした。

 その瞬間、別のウィンドウが立ち上がる。

「ん? んん!? なんだこれっ!?」

 そのウィンドウには消去していますと表示されている。それもほんの一瞬の間だった、画面は怪しげなショートカットが並ぶディスクトップに戻される、そしてそこにパンドラの箱の姿がない。

「おいおいおいおい、マジかよ!」

 急いでゴミ箱のアイコンを開いたが、中身は空っぽ。

「どういうことだ?」

 確か『絶望』はテキストファイルだったはず、なんでデリートのエグゼが起動するんだ ・・・たぶん大林だ、あいつがそのように仕込んだものだろう。もし第三のルールに気付かず『絶望』から開いていたら全てが消去されていた、『希望』は見れなかった。

「・・・でもなんでここまでするんだ?」

 それほどにあのパンドラの箱は重大なものだったのか、いや、重大なのは『希望』だ。大林は俺だけに『希望』を見せるためこんな手の込んだことをしたのだろう。

 俺は日記の内容を思い出す。 

 記憶を失ったのが16日、それは日記と一致していた。

 そしてあの内容の通りだとすれば俺は暴力女に殴られて記憶を失ったことになる・・・、まぁなんとなく予想はしていたが。あの内容から考えて暴力女はかなり罪の意識を感じてるようだ。別に俺は咎める気なんてない、今度会ったらしっかり話そう。

「・・・問題は次の日記か・・・くそ、はっきり覚えてねぇ、大林め、やってくれる」

 大林に電話して聞こうと思ったが、消えるように仕込んだ張本人が教えてくれるわけがない。

 暴力女なら知っているかもしれない、これは彼女の日記だ。

 携帯電話を開いき電話帳を見て、思い出す。

 俺は暴力女の名前を知らない、名前がわからなきゃ探しようがない、それに暴力女の電話番号が入っているかどうかもわからないのだ。

「はは、まるで他人の携帯だな」

 一人で苦笑して携帯電話をベッドの上に投げ出す。

 なんとか思い出すしかない。

 たしか最後の日記は19日、昨日だ。俺が記憶を失ってから暴力女はある場所に毎日通っているみたいなことが書いてあった。どこだろう。・・・わからない。

 しばらく考えてみたが思い至らず、頭を抱えたときに閃いた。

 あいつが幼馴染みなら俺が覚えてる場所の可能性もあるんじゃないか。

 幼馴染みなら幼少の頃の二人の思い出の場所とかに行くものじゃないのか、俺の長期記憶メディアにあいつの記録は無いが子供の頃遊んだ場所は結構覚えてる、近所の土手、帰り道の公園、駅前のコンビニ。

 そういうところに行って一人で黄昏てるのかもしれない。アニメやドラマの定番だ。

 夜の公園で一人ブランコに乗って涙を流す暴力女の画が脳裏に浮かんだ、そして後ろから暴漢に襲われる、暴れる暴力女、しかし女の力では男に敵うわけもなく、無理矢理茂みに連れ込まれて・・・。

「いかん、いかん」

 無駄に活性化する思春期の妄想を振り払う。しかしそう思うと少し心配になってきた、あの日記を信じるなら暴力女がどこかに通っているのは確かだ、もし時間帯が夜だったら少女の一人歩きは危険過ぎる。

 俺の脳内でまた暴力女が襲われ始めた。



「くそ、なんだってんだ」

 俺は息を切らして入院服にスリッパのままで寒空の下を疾走していた。

 心配し過ぎなのはわかってる、だがもしものことを考えると居ても立っても居られなかった。

「上着ぐらい持ってくればよかったなぁ」

 しかし取りに戻るわけにもいかない。隠れるようになんとか病院から脱走したのだ、もし戻って捕まったりしたら間違いなく精神病棟行きだろう。諦めて走り続ける。

 病院の広場を抜けて門を軸にして回転するように右に曲がったとき、

「あっ! ちょっと!」

 不意に後ろから声が掛かる、俺は飛び出しそうな心臓を抑え振り返らず全力で走った。

 あんなところにいるのは間違いなく病院関係者だろう、これで俺の脱走がバレた、下手すりゃ警察だな。

「引き返すか、今ならまだ間に合う」

 そんな考えが浮かんできたが暴行されてる暴力女を思えば邪念は一発で吹き飛んだ。

 まずは近場の公園からだ。あそこは小学生の頃よく遊んだ記憶がある、俺のお気に入りは砂場だった、昔から身体を動かすことよりも頭や手先を動かす方が好きだった。

 まだそんなに遅い時間じゃないらしく何人か通行人とすれ違った、その度に俺は速度を落として「ランニングしてますよ」みたいな雰囲気を醸し出してやり過ごす。「どうもぉ」なんて頭を下げたりもした。実際にこれでやり過ごせるのかは疑問だが、全速力で過ぎ去るよりはマシだろう。

 三組目のカップルに嘲笑された頃、ようやく公園に辿り着いた。

 肺がズキズキと酸素を要求してくる、運動不足の身体は完全にオーバーヒートしていた、さっき感じた寒さなど完全に吹き飛んでいる。十分も走ってないのに我ながら情けない。

 肩で呼吸しながら公園を見渡すが人影はない、茂みやトイレまで細かく確認したが誰もいなかった。

「ハズレか」

 落胆するべきなのか喜ぶべきなのか複雑な気持ちで去ろうとしたとき、滑り台が目に付いた。

「なんか懐かしいな」

 近付きながら滑り台を見上げた、その瞬間。

『ほらぁ、あんたも来なさいよぉ』

 頭の中で響くような声が聞こえた。

 見ると少女が仁王立ちで滑り台の上に立っていた、文字通りこちらを見下している。

『えぇ、やだよぉ、危ないって、降りてきてよ』

 何処かから不安そうな少年の声がする。

『あんた男でしょ! しっかりしなさい! いい? 見てなさいよぉ』

 少女は言うと膝を曲げ、滑り台から飛び降りた。 

『ああ!』と叫ぶ少年。

 少女は着地するが勢い余って膝をぶつけてしまう、両膝は擦り剥け、少量の血が滲んでいる。

『大丈夫っ!? 血が出てるよっ!』

 少女は膝を押さえてプルプル震えているが、すぐに仁王立ちに戻り両手を腰にあてる。

『ど、どう? 凄いでしょ? あたしが飛んだんだから、あんたもこのぐらい飛べなきゃダメよ』

 気丈に振舞っているがその瞳には小さな涙が浮かんでいた。

『凄いよ! 痛くないの!? ・・・・・でも僕はできないよ、―――ちゃんとは違うもん』

 少女は呆れたような、悲しいような、複雑な表情を浮かべて、「ふん」と鼻を鳴らして去ろうとする。

 俺は咄嗟に少女を追いかけようとした、しかしそこには暗い公園の寒々しい風景があるだけだった。

「・・・・・・なんだ?」

 頭を押さえてその場に座り込む。

「なんなんだ今のは、幻覚か? いよいよ俺やばいのかな・・・」

 異常にぼやけて見えた幻覚。

「幻覚ってあんなものなのか、あんなにぼやけて見えるものなのか? いや、違う・・・」

 勿論、幻覚なんて見たことないが、あれは幻覚なんかじゃないと断言できる。説明できないがもっと純粋な愉しい気持ち。

 そうだ、あの少年の声は俺の声。あれは俺が体験した場面なんだ、俺は一瞬だが何かを思い出したんだ。

「―――ちゃんとは違うもん? ・・・誰だ? ―――ちゃん? ―――?」

 言葉にならない”ちゃん”の前部を繰り返す。しかしその部分だけがはっきりしない。まるで離れたところから囁かれているようなか細い声。

「くそっ、思い出せない、俺は何ちゃんと呼んだんだ? あの子は誰ちゃんなんだ!」 

 ぼやけた記憶は戻りそうにない、俺は諦め頭を振って走り出す。

 次は土手だ、中学校の帰りによくそこで夕日を眺めながら散歩していた、しかしそれは建前で実際は捨てられたエロ本を探してうろうろしてただけだ。

 三十分ぐらい走っただろうか、もはや俺の身体は限界で自分でも走ってるのか歩いてるのかわからない。

 強烈な目眩と吐き気に襲われて転倒した、仰向けになり空を見上げる。

 淀んだ大気には寂しげに月がぽつんと浮かんでいた、その月に巨大な雲が覆いかぶさる、その様は巨大な暴漢に襲われる小さな少女を彷彿とさせる。

 俺は震える膝を殴りつけ立ち上がった。暴力女は今も助けを求めてるかもしれないのだ、こんなところでくたばってるわけにはいかない。

 ようやく土手に到着した。一時間以上走った気がするが実際は三十分も走っていないだろう。 

 千鳥足で土手の斜面を降りる。

 公園と違い外灯が少く、十メートル先も満足に見えない。

 端から端まで歩くしかない、逸る気持ちとそれに反発する身体を引きずるように駆け出した。

 しばらく走っていると奥の方に灯りが見えた、橋の真下だ。その灯りに吸い寄せられるように歩いていく、近づくそこには小学生の頃作った秘密基地の様なダンボールの塊が見えた、その中から弱い光と人の声が漏れている。

「いいなぁ、たまらんなぁ、若い女はいい。セーラー服ってのは脱ぐためにあるんだな」

 その声に俺は最悪の事態を想像した、学校帰りの暴力女が土手で黄昏てるところをホームレスに捕らえられ、このダンボール小屋の中でもってけ!セーラー服状態に・・・。

 足元に落ちていたビール瓶を握り、俺は小屋に突入した。

「え?」

 小屋の中にはボロを纏った中年の男が一人で座り込んでいた、男は驚愕の表情で俺を見つめて手元の本を落とす。

 その本にはセーラー服の少女があわれもない姿で写っていた。

 痛恨の勘違い、会心の早とちりとも言える。

「あ・・・・、あのぉ、この辺で高校生ぐらいの女の子見かけませんでしたか?」 

 俺は失態を誤魔化すように訊ねる。我ながら良い切り替えだ、これなら隠蔽と情報収集の二つを同時に行える。

「いや、見てねぇけど・・・、なんだアンちゃん、そんな格好で?」

 男は戸惑いながらも答える。

「そうですか・・・、ならいいんです。すいません、失礼しました」

 去ろうとすると後ろから声が掛かる。

「待て待て、アンちゃん。この時間にそんな格好でうろつくなんて、まさか・・・アンちゃん」

 ギクッとする。

「エロ本探しか? そうだろ? そうに決まってる、間違いねぇ」

「違います」

 即答した。入院服でビール瓶片手に土手にいる男はエロ本探しの男と断言できる根拠を知りたい。

「まぁまぁ、恥ずかしがるこたぁねえ。男だったら誰でも一度は宝物を探して夜な夜な冒険に出かけるもんさ・・・、俺もアンちゃんぐらいのときはそりゃもう―――」

 男の息からはアルコールの臭いがする、こんなところで酔っ払いの相手をしている暇はない。

「急ぎますので失礼します」

 その時、男は「ほれっ」と俺に向かって何かを投げた。

 キャッチしたそれはさっきまで男が読んでいたエロ本だった。

「それは餞別だ、とっとけ。俺みたいな年寄りよりアンちゃんが持ってた方が役立つだろ?」

 その表紙を見た途端、また過去の記憶が蘇る。

『ちょっとぉ、早く帰ろうよ!』

 夕日に染まる土手の上から少女が怒鳴っている。

『先に帰ってろよ! 俺はもう少し探してみる』

 俺は藪を漁りながら言い返す。

『だ・か・ら、何探してんのよ?』

『あったぞ!』

 見つけた物を掲げて歓喜の声を上げる俺。

『・・・何それ?』

 土手の斜面を降りながら訊いて来る少女。

『いや、何ってエロ・・・成人向け雑誌だよ』

 きっつい目で俺を睨んで少女が言い放つ。

『最っ低!』

『バッカ、俺ぐらいの年齢の勇者は誰しも宝物を求めて冒険に出かけるもんなんだよ、わかる? おい、無視すんなよ、おい! 待てって』

 そっぽを向き、足早に去ろうとする少女を俺は宝物片手に追いかける。

 その後、獲得した宝物を捨てるまで口を聞いてもらえなかったんだ。

「おい、アンちゃん。大丈夫か?」

 心配そうな男の声で俺は回想から戻った。  

 俺は手に持った宝物を見て不敵に笑い、

「ありがとうございます」

 お礼を言って小屋から出る、後ろから「がんばり過ぎるなよ〜、アンちゃん!」と男の声に手を上げて応え土手を後にした。

 土手にあいつはいない、俺の知ってるあいつは一人で黄昏るようなベタなことはしないし、暴漢に襲われるなんてこともありえない。そんな確信が俺にはあった。

 病院に戻ろう。でもその前にやることがある。手元の装備を確認する、ビール瓶とエロ本、ひのきの棒と鍋の蓋より頼りない装備だ。これを処分しなくては、あのときみたいに・・・。

 俺の足取りは軽かった、不安は消え去り、明確な目的地を見出せたからだろう。

 しばらく街中を歩くとコンビニが見えた、そのゴミ箱に宝物とビール瓶を捨てる。

 あのときもこのコンビニで拾った宝物を処分した、かなり名残惜しかったが、捨てるとすぐにあいつは「許す!」っと微笑んでくれた。

 あいつの家は空手の道場で、あいつ自身も段持ちだ。

 あいつはガキの頃から我がままでいつも俺を困らせた。

 あいつは高校に入ってすぐ「告白された」と俺に相談してきた、俺は内心驚愕していたが興味ないふりをして誤魔化した、あのときあいつは悲しそうな顔をしていた。

 そんなあいつの名は・・・・・。



 病院に戻ると門の辺りに人影が見えた、塀に背預け所在なさそうに俯いている。

 学校指定の白いジャージに男みたいなショートヘアーはオシャレ心ゼロ、きっついツリ目は悲しそうに地面を見つめる。

 あいつだ。

「もしかして・・・、通ってるのはここだったのかよ!?」

 俺は自分の無駄過ぎる努力に驚愕した、驚きながらも駆け出していた。

 彼女も俺に気付いたようで驚いた顔をしている。

 その時、彼女の横の電柱から中年の大男がヌゥっと出てきた。

「なっ!?」

 彼女は気付いてない、いくら段持ちの彼女でもあの大男は倒せない。

 俺はそのまま加速し大男に突進する。

「どおりゃあぁぁあ!」

 そして跳びあがり、ドロップキックを大男の顔面にお見舞いしてやった。

「ぐっふぅうぅー!」

 聞き覚えのある奇声を漏らし、大男は吹き飛んだ。

 そのまま転がっていく大男にビシッと指を差し、

「蛮行は二次元だけにしなっ! 変態野朗」

 言い捨てた。

 決まった。今の俺、ちょっとカッコいいかも、チラッと横で震える彼女を見た瞬間、

「何してんのよっ!?」

 殴られた、顔面に正拳がめり込む。そのまま振り抜かれ大男の脇に転がる。

 わけがわからない、わかるのは右頬の痛みのみ。

「大丈夫!? オッチャン?」

 彼女は俺の横で倒れている大男に駆け寄った。

「オッチャン!?」

 俺は頬を擦りながら驚く、そんな俺に大男は体を起こしながら言う。

「酷いですぞ・・・、二次元でも鬼畜物には手を出していないのに・・・」

 そんな台詞の主は紛れもなく大林だった。

「いや、オッチャンだったのか! すまん! またも早とちった!」

 両手を合わせ頭を下げる俺。

「いやいや、もういいですぞ。頭を上げてください」

「本当にすまん。 それよりなんでお前までここにいるんだ?」

 大林はその問い答えず不敵に笑う。

 首を傾げる俺を彼女が無理矢理立たせて詰め寄ってくる。

「あんた何してんのよ!? さっき声掛けたのに逃げたでしょ!?」 

 なるほど、病院から出るときの声は彼女だったのか。

「何って、お前が毎日どっかに通ってるって言うから心配で探しに・・・」

「はぁ!? あたしが何処に通うってのよ?」

「お前自分の日記に書いただろ? あっ」

 しくった・・・。オッチャンのパンドラの箱のルールだ、『他言しない』。

 きっとあれはオッチャンが彼女の日記を拝借したものなんだ、自分の日記を盗み見されたとわかったら彼女は怒り狂ってしまう。

 何かうまい弁解はないかと考えていると彼女は怪訝そうな顔で、

「日記ぃ? そんなもん書いたことないわよっ」

 そんなことを言ってきた。混乱しきった俺はもう何が何やらわからない。

「え!? じゃあ、あれは・・・」 

「ぐっふっふっふっふ」

 驚く俺の横でオッチャンが不気味な笑い声を上げる。 

「書いてあったでしょう? あれは全てわたくしの妄言だって」

「もしかして・・・」

「全てフィクション、でたらめですぞ。いや、一部は事実ですが」

 さらに驚いた、驚愕なんてものじゃない。もはや完璧に理解不能だ。

 そんな俺の心境を知ってか、オッチャンは説明を始める。

「あのファイルの『希望』を見れば、あなたがある結論に行き着くだろうと思ってました。思い出の場所に行って来たんでしょう? ベタですが、過去の思い出の場所に行けば記憶が戻ると思ったんです」

 一分ほどオッチャンの言葉を咀嚼してようやく理解できた、ようするに俺はオッチャンの手の上で踊らされていたわけだ。

「・・・なるほどな、でもだったら他の伝え方もあるだろ? あの方法は効率悪いんじゃないか?」

「あの方法が良いのですぞ、あなたが必死になって自分から考えて動かないと。ファイルを消えるようにしたのはあなたに危機感とリアリティを与えるためです」

「ちょっと! 何の話よ!」

 沈黙を守っていた彼女が痺れを切らす、しかしオッチャンはまぁまぁとなだめて続ける。

「彼女はわたくしが連れてきたんですぞ。策がうまくいった暁にはお互い積もる話もあるでしょうしね。そしてここがゴールというわけです、その様子だとわたくしの策はうまくいったようですな」

 俺は笑みで答える、オッチャンも満足そうに頷いた。

 その場で一人不満そうなあいつに正対しその目を見つめる。

「何よっ!」と彼女は戸惑ったように目を逸らす。

「あのときは悪かったな、はぐらかして」

 小首を傾げる彼女に俺は淡々と言う。

「あのときは、ほら、突然で俺も混乱してたからさ」

「は? だから何の話よ!?」

「学校の帰り道の続きだよ、記憶を失う直前の話だ」

 最初は怪訝そうだった彼女の顔色がどんどん変化していく。

「記憶が戻ったの!?」

「ああ」と答えると彼女はその場に力なく座り込み泣き出してしまった。

「よかったぁ、本当によかったよぉ〜。あのまま戻らなかったらあたし、あたし・・・、本当によかったぁ〜」

 嗚咽混じりで絞り出すように喋る彼女、俺は狼狽してしまった。

 驚いた、こいつのこんな露骨な泣き顔なんて初めて見るかもしれない。そんな俺達の様子を孫の成長を見守る老人の様な達観した表情で見つめるオッチャンが「他に言うことあるでしょう」と耳元で囁いてくる。

 お見通しだな、そうだ、こいつはかなりのオタクだが計り知れない知能を持つ男だった。記憶を失う前もこいつに何回助けられたかわからない。しかし今はオッチャンへの謝礼よりも目の前で泣き崩れる少女に言わなければならないことがある。

「それで・・・返事なんだけどな」

 息を吸って彼女を見つめる。そして、

「ごめんなさい」

 頭を下げた。

 彼女はしばらく呆けたように俺を見つめた後、唇を一文字に結んで立ち上がった。

「うん・・・うん・・・。でも理由を聞かせてよ」

 小刻みに震える声で訊いてくる、その顔は笑顔だがとても悲しそうに見えた。

 そんな強く優しい彼女をとても愛しく感じたが、この結論は変わらない。ずっと前から決めていた。

「俺はオタクだ」

 呟く俺、その言葉が聞こえたのか聞こえないのか不思議そうな顔で彼女は見つめてくる。

「俺はアニメオタクだ」

 今度は聞こえたようだ、怒ったような悲しいような複雑な表情の彼女。オッチャンも驚いた顔をしている。

「俺はロリータ大好きの十七歳・・・、ギャルゲー、エロゲーなんでも来い。かわいいおんにゃの子が出てるものは全て愛せる。ミココたん萌え、萌え、萌えぇ・・・」

 彼女は俯き俺の声と同じくらい震えていた、あのときと同じだ、怒っているのか泣いているのか。しかし今回は拳が飛んで来なかった。

 この続きを言ってしまったら全てが終わる、だが言わなくてはいけない。言うために俺の記憶は戻ったのだから。彼女を見つめて覚悟を決める。

「・・・そんな俺はお前に相応しくない、もっといい男を探せよ」

 目に熱いものが込み上げてくる、必死に瞳と歯を食い縛りながら唇の両端を上げる。自分でも悲痛な笑顔だとわかる、しかし泣き顔なんて見せるわけにはいかない。

 目を閉じているので彼女の顔はわからない、しばらく経ってから彼女の声が聞こえてきた。

「・・・ゲーム、覚えてる?」

 ゲーム? そういえば、そんなものあったな。確か一週間以内に彼女の名前を思い出すとか。

 顔全体を食い縛ったままで首を縦に振る。

「あたしの名前は?」

 急に明るくなった彼女の声、俺は思わず目を開けた。その顔は天真爛漫、まるでとびっきりの悪戯を思いついた少年のように輝いていた。

「・・・舞?」

 質問に答えるというよりも呼びかけるように彼女の名を呟いた。

「正解っ! あたしの勝ちね!」

 わぁっと両手を合わせて喜ぶ舞、その豹変ぶりに俺は頭を傾げることしかできない。

「じゃあ、勝者へのご褒美も覚えてるわよねぇ?」

 ニッと笑う彼女。確か敗者は勝者の命令に絶対服従という条件だったはずだ、じわじわと恐怖が登ってくる。舞のことを知っていればこんな恐ろしい条件飲まなかったのに。こいつは校内で狂気乱舞ダンシングマッドネスと呼ばれていてその名を知らない者はいない程に恐れられている。ラグビー部にアメフトの装具で殴りこめとか、剣道部にフェンシングの装具で殴りこめとか、文芸部に天文学部の装具で殴りこめとか言われかねない。・・・いや、最後のはできそうだな。

「それじゃあ・・・・・・」

 たっぷり間を開ける舞、その間は俺の怯えを楽しむためのものじゃなく、舞自身が躊躇っているようだ。

「あたしと付き合いなさいっ! これは命令よっ!」

 予想外の言葉に俺の思考は混乱する。

 あたしと突き合う? 汝、我と戦えって意味だろうか? いや違う。勝負にならない、瞬獄殺のTKOで俺が屠られる。

 消去法で可能性を消して最後に残ったものがどんなにありえないものでも事実だっていう探偵がいたな。無理が通れば道理が引っ込む、その理屈で考えると。

「えーと、何だ。つまりお前と俺でカップル、もしくはアベックと呼ばれる集合体になりませんかって意味?」

「・・・そうよ」

 ボソっと言う舞、その顔は夕日の様に真っ赤に染まっていた。

「・・・・・・・・・・・えっ?」

 少し落ち着いて整理してみよう。

 俺は舞に告白された、俺は誤魔化した言い方をして舞に殴られ記憶を失った、そして記憶が戻ってからはっきり返事をした、しかし舞は絶対的優位な外交カードを使って、拒絶不可の告白を行った・・・。

 俺の考え抜いて出した解答を無視して、この女はそんなトンデモナイコトヲオッシャッタノデスカ?

「いやいやいやいやいやいや、ちょっと落ち着け。クールに行こうぜ、ブラザー。俺はお前のことを思って返事したんだぜ? お前のことが嫌いなわけじゃない。お前にはもっと相応しい男がいると思うんだ、だから俺みたいなダメ人間とくっ付いちゃダメだ。OK?」

「・・・うっさいわね。あんたに心配されなくても自分の彼氏くらい自分で見つけるわよ、って言うか見つけたわよ。言っとくけど断る事はできないわよ、命令なんだから」

 舞は腕を組み仁王立ちでそっぽを向く、もうなにも言う事はないらしい。

 口をぱくぱくさせていると肩をオッチャンに叩かれた。

「観念した方がいいですな、年貢の納め時ですぞ。いやぁ、若いっていいですなぁ〜、ぐっふっふっふ」

 こうなることを確信してたのだろう満足そうに笑う。そんなオッチャンと舞を交互に見て、

「やれやれだよ」

 と俺は自嘲気味に笑った。

 空を仰ぐと雲は霧散し、大きな月が俺達三人を照らしていた。



 突然の記憶の復活を疑う病院を半ば無理矢理退院した、その翌日、俺はいつも変わらない登校風景の中にいた。

 こうして見ると記憶を失っていたあの四日間はまさに幻のようだ。

 あの四日間は今までの人生で一等奇抜で一番充実していた、しかし今の俺は普通のオタクの高校生だ。不思議なもので少し寂しく感じる。

 小学生の頃は早く大人になりたいなんて思ったものだが、今は幼かったあの頃に戻りたいと心から思う、そんな感覚に似ている。

 そんなことを考えていると突然後ろから「やあっ!」と言う掛け声と共に激しい衝撃、俺は前にすっ飛ばされた。遅れてじわじわと背中に鈍い痛みが広がる。

「いってぇな!」

 見ると舞が正拳突きの構えで立ってた。

「あんたなんで先に行っちゃうのよっ!?」

 どうやら俺が一人で登校したことが不満らしい。

「いつもバラバラに登校してんだろ?」

 背中を擦りながら応じる、舞は「そうだけどさ」と呟きながら横目で脇を通り過ぎる楽しそうなカップルを見ている。

「何、もしかしてあんな風に仲良く登校したかったのか?」

 冷やかす俺を見て舞は見る見る赤くなり拳を振り上げた。

「ちょっ、おい、これでも俺は病み上がりだぞ!」

「うっさい! 死ねっ!」

 拳を振り下ろしたその時、

「いや〜、朝からアツアツですなぁ。ひゅうひゅう」

 と声がする、舞の拳は俺の顔面ぎりぎりで止まった。

 見るとオッチャンが自転車に乗って近づいてくる。

「まったく、見てるこっちが恥ずかしくなるツンデレぶり、これで暴力的じゃなかったらリアルメイリンたんですなぁ。いやぁ、良い彼女じゃないですか」

 周りには通学中に生徒がわんさかいるのに大声でそんなことを言うオチャン。舞は俯きプルプル震えている、もはやお決まりとなった舞の姿だが今回は人体の限界を遥かに超えた顔の赤さだ、その様は怒り狂った赤鬼という比喩がぴったりだろう。

 ちなにみメイリンとはラブみこに登場するツンデレキャラだ。

「そういえば昨日から始まったマジキャルギャールズにも似たようなキャラがいましたなぁ、え〜と確かぁ」

 次の瞬間、舞が視界から消えた、気が付くとオッチャンは自転車ごと宙を舞っている。舞のひっさつわざ『むげんとうぶ』だ。そして

「ナナミたぁんっ!!」

 オッチャンはマジキャルギャールズに登場するツンデレキャラの名を叫びながら地面に激突。

「うわぁ、今頭から落ちたぞ、大丈夫なのか」

 舞をなだめながらオッチャンに近づく、我に帰った舞も心配そうに駆け寄ってきた。

 オッチャンは唸りながら頭を抑え起き上がった、見た目通りタフな男だ。安堵する俺と舞。

 しかしどこかオッチャンの様子は変だ、辺りをキョロキョロと見渡している。そして俺達を見据えて、

「・・・はて、ここはどこ? 私は誰?」

 などとのたまった。

 その台詞に俺と舞は顔を見合わせ凍りつく。

「マジかよ・・・」


 オタクのキオクが脆いのか、舞の拳には人のキオクを失くす属性があるのか。

 そんなことを考えながら俺は今、オッチャン宛ての『パンドラの箱』を書いている。

  









作者と読者、両方が楽しめるように書きました。

楽しんで貰えたなら、嬉しいです。

評価、感想、アドバイス等もらえた日には小躍りします。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 何年も前の作品に感想を付けるのも野暮な感じはしますが…… 単純に、馬鹿馬鹿しくて面白かったです。 [一言] この話、主人公がオタクである必要はあったのですか?? オタクキャラがいるとメタ的…
[一言] 作品拝見させていただきました。 短編にしては二万字を超えて長いかなあと思いましたが、思いのほか早く読めました。 きっとノリがいい作品だったからでしょう。 いろいろ僕と通じる部分はありますが、…
[一言] 最後の一文で吹きましたw キャラが全体的にヲタヲタしすぎている気もしますが……読み直してみるとこれはこれでアリかなぁとも思えました。面白かったです。
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