赤と雨と青春と
ヒント
1 このゲームに参加している人間の共通点とは?
2 市川の勝利条件は何か?
「いやだあああああああああああああああああああああ!!!助けてくれェェェェッ!!!死にたくない!!助けてっ…!!!たすけてくれェェェェェェッ!!!」
「出して!!出してよおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!いやだぁ…!!いやあああああああああああああ!!!!出してぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
ーーー9月26日ーーー
17:30 市川コウジ
カチャ。
カチャ。
寂れた廃工場。
俺はそこにあった木箱に腰掛け、無機質に拳銃に弾を込める。
装填された音だけが響く。
カチャ。
カチャ。
そろそろ頃合いだろう。
俺の計算によると、直に彼らは目覚める。
俺は立ち上がり、隙間風の通る窓際に向かいながらセブンスターを取り出す。
○○区のとある廃工場。
数多く存在する廃工場の中から、俺はなるべく人気の少ない場所を選んだ。
ツテを使い、根回しをしたから人が来ることはない…大丈夫だろう。
彼らはこんな夕方からいびきを掻くことなくスヤスヤ眠っている…。
正直間抜けに思えるし、少し気が抜けそうになる。
だが、それと同時に俺は闘志を抱いた。
カチャ…カチャ…
そうして俺はスミス&ウェッソン・M629にひとつひとつ
命を吹き込んでいた。
左肩が少し軋む。
忘れてはいけない。
俺は自分の腕時計を見た。
そろそろだ。
ーーー9月26日ーーー
PM17:40 上野ケンイチ
漆黒の意識の海から光が見えた。
上野ケンイチは重い瞼をゆっくり開けた。
「…」
視界が揺れている。ぼやけて見えるのは、薄暗い光に映る汚れた壁。聞こえるのは風が空を裂く音。
何だか体がだるい…。上野は横たわっていた。
なぜだか…ひどく鉄の臭いがする。
視界がはっきりしてきて上野は異変に気付いた。
!!
自分の手と足に鋼鉄製の手錠がつけられている!!
「〜〜〜!!!〜〜〜!!」
声が出ない!ガムテープを口に貼られている!
(どうなっているんだ!?僕は何でこんなところに?!)
ガムテープを繋がれた手で外そうとすると、
「外さないで。殺しますよ。」
その声と同時に、無機質な鉄の音がした。
諦めかけていた時、何かが聞こえる…。
ゆっくりと体を起こし、首を左に向けた。
自分の他にガムテープと拘束具をつけた人間が、自分の他にも3人いる。
不安そうな表情を浮かべている女性。力任せに錠を引き千切ろうとしている男性。
そして小刻みに肩を震わせているのは…まさか…
どうなっているんだ?
ここはどこだ?
なんだこの臭いは?
そこは…吹き抜けの廃工場。錆の臭いが充満している。
「全員目が醒めたようだ…」
暗闇から男の声が聞こえて、コツコツという足音が聞こえてきた。
ーーー9月26日−−−
PM17:50 秋葉ユリ
男の声が聞こえて私は涙が止まった。
私のすぐ右にいる男の人が目覚めたみたい。彼はまだ状況が把握しきれていない。
それもそのはず…
私だってどうしてこんな事になっているのか、皆目見当がつかないんだから…。
私が目覚めると手足が繋がれていて、私の右に一人の男の人、
左に男の人と女の人が横たわっていた。
ガムテープも口に貼られ、声も上げられない。
ここはどこなの!?
どうして私がここにいるの!?
それは私以外の3人の人たちも目覚めたら思うだろう。
そして彼らが目覚めてもその疑問は消えなかった。
コツ…コツ…
奥から足が見えた。黒い靴…黒いズボン…黒いスーツ…そのポケットに手を入れて上半身が見えて…
男の顔が見えた。
顔はやや色黒。髪の毛はストレートで若干茶色がかっている。
二重瞼だけど鋭い眼光を放っている。
「!!!」
一番端の女性は、男の顔を見て驚いているみたい…。
男が言葉を発した。
「ようこそみなさん。はじめまして…私は市川コウジ。24歳の…社会人です」
とても温厚な声をしているが、その中に何か狂気を私は感じた…。怖い…。
「早速ですが本題に入ります。『なぜここにこのように縛られているのか?』をみなさんお考えでしょう。
それについては非礼を詫びます。みなさん、各々自身の左腕を見ていただきたい。
注射の跡があるでしょう」
私達は同時に左腕を見た。
確かに何かを注射した跡があった。
「麻酔…?」
一番端の女の人がつぶやく。
そうです。みなさん、ここにいる直前の記憶はありますか?ある者は玄関先で、ある者は人気のない路地裏で…それにより眠らせ、あなたたちにここに運び、両手足に枷をかけたのは…
私の仕業です…。」
何言っているの…?
あの男は私達を集めた?
「さて問題なのは『なぜ自分達が集められたのか?』ということです」
市川と名乗ったその男の人は私達の前を歩き始めた。
「それは…私によってみなさんは選ばれた人間だからです」
選ばれた…?そう言うと市川は先ほど目覚めた男の人の前にしゃがみこみ、ゆっくりとガムテープを剥がしていった。
「おっと…まだ言葉を発しないように…ね?」
子供をあやす感じだが、それが逆に怖い。そして私の前にしゃがみこみ、ゆっくり丁寧にガムテープを剥がしていく…。
「選ばれたとはどういうことか?それはみなさんは重要なゲームプレイヤーなんですから」
ゲーム…?
私にはわけが解らなかった。
市川は次の人のところに向かった。
「ただし、命がけのね。…最高に楽しいゲームをね!」
ビリッ!!
勢いよく、男の人のガムテープが剥がされた!
「うああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
「失礼。あなたが私を睨むから…ね?」
男の人はキッ!と市川の方を睨んだ。
あれ…?この人…。私は恐る恐る声をかけてしまった。
「い…飯田さん?」
私が声をかけている時市川は最後の人間、恐らく私よりも年上の女性なんだろうか?
その女性のテープを剥がす。
ーーー9月26日ーーー
PM17:55 田沼ヨウコ
ヨウコは恐怖していた。
これは誘拐。
これは監禁。
テレビや映画の中だけの話だと思っていたが、
まさか自分がこんなことに巻き込まれるなんて。
「ゲーム…というのは簡単です。『どのようにして、あなたたちにここから脱出することができるか』。これだけです。」
市川の声。ヨウコは何とも言えぬ思いをしていた。
ふとヨウコが向かいの男を見た。
そこにいたのは、
間違いなく、彼氏の上野ケンイチだった。。。
ーーー9月26日ーーー
PM17:55 飯田ヨシオ
「飯田さん?」
聞き覚えのある声だった。
…ユリちゃんか!?まさか…?
「ユリちゃん…?」
「はい!秋葉ユリです!まさか…こんなところで会うなんて思いませんでした…」
この子は昔、俺のバイト先のコンビニでの後輩だった。
明るくて、優しくて可愛い女の子だった。恐らく、3〜4年ぶりだろうか。
正直、忘れていた…。そうだ、ユリちゃんだ…!
「…。これだけです。」
ちっ…
市川とかいう野郎はそう話している。
後輩との感動の再会はこんな錆まみれの廃工場なんて…。
しかし、ゲームだと…?
イカレてる…!正気の沙汰じゃねぇ。
普通に俺達をこんな廃工場に監禁し、なおかつゲームをしようだと…?
「ルールを説明します。」
市川は続けた。
「このゲームでは私一人対、あなた達四人の対決形式ゲームです。しかし、お互いの勝利条件が違います。
あなた達は『ある方法』を用いてここから脱出する、それがあなた達の勝利条件。それが出来なかったらあなたたちの敗北。」
「映画のつもりか?脱出出来なかったら…敗北したら僕達ははどうなるんだ?」
最後に起きた若い男が質問した。
「申し訳ない…今は私がルールを話している時なんです。質問は後ほどたっぷりと伺いますよ…」
市川はそう若い男に言った。
俺はこういう紳士ぶった野郎が大嫌いだ。今度は俺は市川に言う。
「あん?お前に何の権限があるわけ?だいたいこんな錠なんか簡単に…」
「い、飯田さん…」
俺は体中に渾身の力をこめた。
「ふぬぅおおおおぉぉぉぉああああっ!!!」
手と足に架せられたワッパはびくともしない。
…だめだ…はずれねぇ…!
「ちょっと、飯田さん…」
ユリちゃんが小声で止めにはいる。だめなんだよ、ユリちゃん。こんな野郎は調子に乗るから。
「おいてめぇ!こんなことしてただじゃすまないぜ!?よく分かっているのか!?あ?この俺を誰だと思っていやがるんだ!?あ!?俺はこう見えて筋モンのコネがあるんだぜ!この俺に」
俺は市川にそう言った。その刹那、
ジャキ
何か冷たい鉄のようなものが俺の頭に突きつけられている。
「頭に風穴が開いてもいいなら、どうぞ続けて」
ユリちゃんはそれを見たのが初めてなのか、恐怖に慄いている。…俺は違うが。
時間が驚くほど凍りつく。
「…ちっ…」
俺はそう言うと市川は無表情で、ルールの続きを話し続けた。
「ある一つの空間に閉じ込められた
若者達が脱出しようとする。先ほど言われた通り、映画などでよくありそうな光景だ。
ただ、よくある映画と少し違うのは仕掛けた人間がわかっている…ということ」
つまり犯人は俺達の目の前に…ってことか。
「あなた達には、両手と両足の自由が利かない…その限られた条件の中で
どうやって脱出すればいいのか。ということを考えてもらいたい。」
まるで台詞を言うように、市川は続けた。
「もちろん制限時間はあります。24時間。18時からスタートして明日の18時までに脱出出来なければ
あなた達の負けです。」
脱出つったってどうやって…?俺がそう思った時、
「では…18時になりました。ゲームスタートです。」
9月26日
18:00 ゲームスタート
プレイヤー…上野ケンイチ
秋葉ユリ
飯田ヨシオ
田沼ヨウコ
市川コウジ
ーーー9月26日ーーー
18:00 上野ケンイチ
景気良くゲームスタートの鐘などあるわけもない。
誰も無言のまま、スタートされたこのゲーム。
廃工場の割れたガラスから冷たい風が戦慄いている。
「どなたか質問はありますか?」
市川の問いかけに、上野はすかさず質問する。
「さっきの説明は漠然としすぎている。僕たちは手足も拘束され、犯人であるあなたは拳銃も持っているんだ。
この状況で僕達は本当に脱出できるのか?」
「そうだぜ!てめーの方が有利なんじゃねーのか?」
飯田も乗っかって言う。市川は、そこに置かれていたビールケースを椅子代わりにして座っている。
「良い質問と悪い質問ですね。まずこれだけは言っておきましょう」
市川は自身のジッポライターに、タバコを近づけ火をつけた。
「その気になればあなた達は、簡単にここから脱出出来る。
そしてこの状況はむしろ私の不利なんですよ」
拘束された4人は意味が解らなかった。どうやったら簡単に脱出出来るのか?
そしてなぜ市川が不利なのか?
上野の隣の女性、秋葉は声を震わせ、こう言った。
「条件さえ満たせば…ホントに脱出出来るの…?私達。」
「もちろん出来ますよ。ゲームですから。それが出来ないのではゲームの意味がありません。」
市川はタバコの煙を上に撒いて続けた。
「逆に言えば、今ここであなた達を皆殺しにも出来る。しかし、そんなことはしたくない。
あなた達に死んでほしくないのでね。
最も、皆殺しなど最悪の行為。私はそんな外道にはなりたくない。
そもそも私はそんな人種は…もっとも嫌いですから」
市川はややいらだつように話を続ける。
それは初めて見せた市川のエゴイズムのようだ。
「他人の命や心を壊してしまう人間は、絶対に壊れた側の気持ちなど分からない。
そんな人間は私にとって最も憎むべき存在です…!」
市川は吸っていたタバコを噛み千切った。それは上野達4人にまた恐怖感を与える。
地面に落ちたタバコを市川はブーツで踏み消した後、
市川は4人に突拍子もない事を言う。
「そうだ、せっかくのプレイヤー達なのですからお互いに自己紹介してもよろしいのでは?
いわばチームメイト…結束が無ければこのゲームに全員が勝つ事は出来ませんよ」
風で廃工場のガラスが鳴っている。
この空気の中で、誰一人名乗り出るものすらいない。
気分も良くない。
ちょっとでも何かのアクションがあれば、
気が狂ってしまうかもしれない…そんな空気。
「…では、代わりに私がしてあげましょう。みなさんは黙っていて構いません」
市川はおもむろに上野の方に歩き出す。
「はじめまして、上野ケンイチさん。現在27歳でT大学院を首席で卒業なされ、有名病院で外科医として勤務されている。その姿勢はストイックで真面目。
立派なことです。グッドラック…」
コツ…コツ…
市川の冷たい足音が上野の前から消える。そして、
市川は隣に座っている秋葉の前に立つ。「ひっ」と秋葉は肩を硬直させる。
「はじめまして、秋葉ユリさん。現在23歳で駅前のファミリーレストランでウェイトレスをされている。
もう長いこと働いていますね。その前はコンビニ。
…その忍耐力でこのゲームも乗り切ってください。グッドラック…」
そしてコツ…コツ…と音を立てて歩き、隣の飯田の前に立つ。
「飯田ヨシオさん。現在28歳で以前は秋葉さんと同じところで働いていましたが…。
ある諸事情で辞めていますね…。昔は暴力団と結びつきがあったようで?」
刹那、飯田は市川に言い放った。
「う…うるせぇ!!な…なんでそんな事知ってるんだ!?」
「ゲームにおいて大切な事は情報。敵に勝つためにはまず、敵の情報をよく知ることです。…まあ良いでしょう」
コツ…コツ…
飯田の隣の女性の前まで市川は歩く。
「田沼ヨウコさん。現在は26歳で職を転々としながら、
劇団に通い将来の夢は、世界を又にかける大女優になること。そして…上野さんの彼女ですね」
!!!
何も知らない秋葉は目を見開き、上野と田沼の顔を交互に見る。
飯田は田沼の方をギョッと見開く。上野は歯を食いしばり田沼を見たが
田沼は下を向いたままだった。。。
ーーー9月26日ーーー
18:30 田沼ヨウコ
「ヨウコ!」
上野の声に不安そうな顔で
「ケンイチ…!」
ヨウコは言った。
上野は田沼に叫んだ。田沼は下を向いたままだ。
「どうして…!?どうして僕達を…?どうしてあんたはこんな事をするんだ!!」
田沼の最愛の上野は、市川に勇敢に怒鳴る。
「答えてくれ!なぜ僕のみならずヨウコまで…!?どうして!?どうしてなんだ!!」
市川は静かに上野の方に向く。
「誰も…未来に何が起きるかなんて分からない。」
「な…なんだって…!?」
「例えば自分の行いが相手を深く傷つける事になっても、気づかないことの方が多い」
市川は懐疑的な事を言い始め、田沼は細々と言葉を吐き出した。
「どうして…私達を…?あなたはいったい何がしたいと言うの?」
さらに背中押しのように、秋葉が言う。
「そ…そうよ!何かの腹いせ!?は、はっきり言うけど私はあなたのことなんか知らないし
恨みを持たれる筋合いもないわ!」
「そうだぜ!ユリちゃんの言うとおりだ!俺もあんたのことなんかしらねぇ。だいいち、
俺自体、知ってんのは…ユリちゃんだけで…他の連中なんか知らないぜ」
その言葉に市川は飯田の方に向く。
「果たしてそうだろうか…?飯田さん」
コツコツ…その冷たい足音がまた飯田の前に近づく。
「私は無差別に選んだわけじゃない。現にあなたと秋葉さんは知り合いだった。
…これがヒントですよ?」
ヒント?
最初のヒント…ということだろうか。
「アッ!」
上野が叫んだ。その表情を見届け、市川は視界の闇に消えた。上野は市川に聞こえないように
3人に向けて話した。
「ヨウコ、みんな!…もしかしたら『共通点』ってことかも知れない」
「共通点だと?」
「ああ、現に僕とヨウコは恋人同士。秋葉さんと飯田さんは知り合いだった。つまり、ペアになっているんだ」
確かに…秋葉や田沼が納得する中、飯田は切り返す。
「だからって何なんだよ?ヒントでも何でもねぇじゃん!?
映画の見すぎだよ、それ…。それが脱出出来る事につながるのかよ!?」
切り返され、少々唇を引きながら上野は飯田に諭す。
「だが、何か意味があると思うんだ。市川って男は僕達をココに監禁している。もしこれが突発的な事だったら
その時バラバラにいた4人を集めるはずが無い。本当に無関係な人たちでゲームをすれば良いのだから…」
今回は飯田も市川の話を静かに聞いている。
「それにこんな手錠といい、拳銃といい、とても一日二日で用意できるものじゃない。何か目的があるんだよ。
僕達4人と市川には何かがあるんだ」
「あの…上野さん、何かってなに……?」
秋葉のその台詞はみんなの思っている事を代弁した。
「ああ、それは…きっと、」
秋葉は上野に注目した。
飯田は上野に注目した。
田沼は上野に注目した。
「ごめん、そこまでわかんないんだ。」
ずるっ。
「わかんねぇのかよ」
「それが解ったら苦労はしないよ…」
飯田は舌打ちする。
まるで獣が鳴くように風が通る。
9月と言っても夜には冷える。
廃工場の中だけは異空間に放り込まれたようだ。4人の真正面に見える柱にはガラス面が割れた時計があった。
まだ20分しか経っていないのに、4人に絶望が漂っていた。
廃工場を通る風は冷たく鳴いていた。
ーーー9月26日ーーー
20:00 市川コウジ
セブンスターが俺の喉を汚す。
4人は言葉を無くし、うつむいている。
それでは意味が無い。
それでは俺が勝てないからだ。
そして10本目のゼブンスターを吸い終わると、足元のセブンスターの墓場にこの一本を混ぜた。
「…どうしました、みなさん」
俺の言葉にビクッと反応する秋葉に対し、眼光を鋭く光らせる飯田。
「癪に障る野郎だぜ市川さんよぉ!一体何が目的なんだよ…」
飯田の言葉に俺は言った。
「…あなたこそ癪に障る。事実を根本から理解せず、自分のわがままの通りに事を運ぶタイプですね」
「うるせぇっ!!!」
飯田の怒号が鳴り響く。俺はまたこのスミスを突きつけてやろうとした。
すると、
「待ってくれ、飯田さん、市川さん」
静止したのは上野だった。
「市川さん。さっきあなたは言いましたよね?その気になれば簡単に脱出出来ると」
この男は実に賢い。物事の核に逸早く辿りつくタイプだ。
「そうですよ。何か考えでも?」
「この状況で簡単に出来る方法…つまり今のままで、拘束されても出来る方法がわかったんだ」
この男は実に鋭い。
俺はこの男を選んで正解だった。いやこれには田沼に感謝せねばなるまいがな…。
「ケンイチ!解ったの!?」
「ああ、ヨウコ。だがあくまで仮説。馬鹿げている結論かもしれないんだけれど…これには」
ガチャン!!
重い鉄の扉が開く音がした。そして俺の聞き慣れた声がする。
「アニキ、持ってきたぜ…古傷は大丈夫か?」
闇の中から見えてきたのは、黒スーツのチンピラ風の男。
「ありがとう、習志野」
習志野トオル。
俺の一つ下の後輩だ。彼とは俺が19歳の秋頃に知り合った。
お互い、傷を負った俺達はすぐに打ち解けた。彼は暴力団と絶縁し、ファイナンス会社を設立した。。
「ここか…なつかしいな…。
ところで俺のスミスは役に立っているのか?せっかくコネ使ってサツから譲ってもらったんだ。有効に使わねぇとよ」
そうだ、この銃は警察が押収した銃で、習志野が裏で警察から横流ししてきたものだ。
この区の警察とは一時的に、我々と協定を結んだ。つまりここで発砲しても、もみ消してくれるのだ。
「へぇ…この4人か、アニキの標的は」
「…まあな」
4人は言葉の出ないままだった。無理も無い。強力な協力者が現れてしまったからだ。
「おいてめーら!アニキからの差し入れだぜ」
「…差し入れ?」
秋葉が口を開く。
「そうだよ、ねーちゃん。駅前のフライドチキン屋でチキンを買ってきたぜ。
ありがたく思えよ。」
市川は4人の手に架せられた手錠を外した。
…あっけにとられている4人だった。
ーーー9月26日ーーー
20:30 秋葉ユリ
数時間ぶりに、自分の手が自由になった。
私はその感覚を確かめていた。
食料…?
私達に?
なんで?
私がキョトンとしていると市川は
「持久戦ですからね、空腹は脳の働きを鈍らせる。」
そういうとチンピラが箱から4つのトレイを取り出した。
その中に適当にチキンを持って順番に私達の前に置いた。幸い私達の手は前で繋がれている為、手でチキンを掴むことが出来た。
あつい!
「おっと、熱いから気をつけな、お嬢ちゃん。出来立てだからよ」
「…いいのか?」
隣の上野さんがつぶやいた。確かに敵に塩を盛られているのだ。
「あのなぁ?俺達をなんかの鬼畜とか外道とかって思っていねぇか?アニキはよ、
てめーらには出来る限りのベストコンディションを保たせようって考えてんの。
ただのチンピラだと思うなよ」
十分チンピラだと思うよ…。
「習志野の言うとおりです。私もゲームに参加している。私だけ空腹を避けるのはフェアではない。
睡眠、食事、トイレなどの生理現象もちゃんと平等に与えたい。」
市川はそう言い直すと、箱の中のチキンを一つ手に取り頬張った。
それにつられて、上野さんは左手で恐る恐る口に運ぶ。
「上野さん、左利きだったんですね」
市川はそれとなく上野さんに聞いた。
「ああ…」
上野がチキンを食べる。
「うまい」
次に田沼さんが手を伸ばした。そして私も。
美味しい…。
お肉がとてもジューシーで外の衣もカラッとしている。
ぱくぱく。
もぐもぐ。
ごくん。
私はあっという間に平らげてしまった。
「ふふふ、秋葉さんはフライドチキンが好きみたいですね」
市川が笑った。
不思議なことにこの笑顔は今までの冷徹な笑顔ではなく、何か温かみさえも感じた。
ーーー9月26日ーーー
20:45 田沼ヨウコ
「あきばさんはフライドチキンがすきみたいですね」
「え…ええ」
ヨウコは顔を赤らせる秋葉を見て、何かを思い出した。
(フライドチキンを食べている男女。
女のほうが多く食べてしまい、男は笑いながら話す)
なんだこれは…?
しかしその記憶は断片的にしか思い出せない。
ヨウコは潜在的に思い出してはいけない気でいた。
昔のことなど、上野が現れてから幸せいっぱいの日々で忘れてしまった。
耳鳴りがする。頭が痛い…
薬が欲しい…
ふと隣に目をやると、飯田の皿のチキンには手をつけられていない。
「あの…」
ヨウコが飯田に声をかけると、飯田はぎょっと振り向いた。
「な、なんだよ」
「あ…その、たべないんですか?さめちゃいますよ」
「な…なんだよおまえは…!おれはいらねぇよ!」
飯田はヨウコにぶっきらぼうに言い放った。そして飯田に火をつけてしまった。
「ばかかよ!?てめーらよくくえるよな。いちかわがああいっても、じつはどくをもられているかもしれないんだぜ!?」
毒を…?
「アニキ、なんだこのバカは?」
習志野が重い腰を上げた。しかし、すぐさま市川は習志野に待つように
習志野を手で制した。
「…しんがいですね」
空気が冷たく重く変わった。視界が大きく揺れる。
毒…?
ヨウコは気を確かにさせようと必死だ。
先ほどのチキンの後味が吐き気を催す。逆流するそれをヨウコは必死に喉で止めた。
「おれはくわないぜ。これがいちばん、あんぜんだからな…!」
その言葉に習志野が市川に告げる。
「アニキ、ハジいちゃっていいっすか?」
「まて」
習志野の言う「ハジく」。それは説明せずとも4人には分かっていたが飯田はさらに続けた。
ヨウコの意識は不安だったが『症状』は消えた。
「撃ちたきゃ撃てよ!むかつくんだろ!?俺が。
こんなゲームでじわじわやられるんなら、いっそ…一思いに撃てよ!殺してみろよ!」
血の気の多い習志野が反応する。
「この野郎、調子こいてんじゃねぇぞ!!」
習志野は飯田の胸目掛けて、蹴りを放つ。ドッ!と鈍い音と共に、飯田は倒れる。
「きゃあああぁぁっ!!!」
秋葉の叫び声がする。飯田はすぐに起き上がろうとしたが、習志野の二発目の蹴りが再び炸裂する。
そして習志野は、自分の懐に仕舞ってあった拳銃を取り出し、飯田に銃口を向ける。
「口を開けろ…!口を開けろって言ってんだよぉぉぉぉぉっ!!!!」
無理やり飯田の口に銃口を入れ、飯田はもがいている。
「あ!?何だって!?今すぐ殺してくださいってか!?やってやろうじゃねぇか、今すぐブッ殺してやるよぉぉぉぉ!!!」
上野は思った。飯田が殺される。
秋葉は思った。飯田が殺される。
ヨウコは思った。飯田が殺される。
ジャキ…
習志野の後頭部に市川は自身の拳銃を突きつけた。
「やめろ、習志野。そいつを撃てば、俺がお前を撃つ。」
「何だとアニキ?こいつはあの時、組長のチャ」
「習志野ォッ!!」
市川が怒鳴る。さすがに、習志野にも効いたようだ。
しばしの沈黙の後…
「ちっ…」
習志野は飯田の口から拳銃を抜いた。
「アニキ、こいつはミスキャストじゃねぇのか!?…俺はこんな頭の悪い野郎、虫唾が走るんだよ!」
不安と恐怖だけが周囲を覆う。
ヨウコは目を瞑り、顔を伏せることでしかこの状況を把握出来なかった。
ーーー9月26日ーーー
21:00 飯田ヨシオ
もう嫌だった。この状況が何もかも…!
市川も習志野とか言うチンピラも…この隣の女も…!!
まさか…ユリちゃんにまでこんな姿を見せるとは思わなかった。
そうだ悪夢なんだ。
だから、俺は一刻も早くこの悪夢から目覚めたい。そうだ、夢なんだこれは。
そうでもなければ、よりによって、こんなところで…!
「飯田さん」
市川の冷たい声が響いた。
「私が毒を入れたとでも?」
「あ…ああ思っているぜ。言っておくけどよ、確かにそいつ言うとおり俺を選んだのはミスキャストだぜ。」
さっきは唐突だったから、すくみあがってしまった。だが今は違う。俺は絶対に屈するものか。
ガキの頃から、俺は俺しか信じていなかった。
自分以外の事などどうでもいい…!
自分が負けにさらされることがあってはいけないのだ。
気に食わないことがあれば、実力行使。
俺の正義を誰にも捻じ曲げられてたまるかよ。
「飯田さん、あなたはミスキャストなんかではないよ。」
ぱくっ。
市川は俺のチキンに思い切り齧り付いた。
あっという間に一本平らげた。
「毒は入っていませんよ」
もう一本を俺の口に押し込んだ。
美味い…。
「…これでも?」
市川はジャキッ!と鉄の冷たい音を響かせた。撃てるものならば撃ってみやがれ。
心が折れなければ、俺の勝ちだ。
チャッ!
俺の頭にそれが冷たく当たっていた。
「一度しか言いません、飯田さん。今だけでも前言を撤回してくれませんか…?」
俺は唇を横に広げ、
「嫌だね、バカ野郎」
静寂。
誰も何も発しない。
「解りました、飯田さん。残念です…」
撃てるかよ…?俺が…?てめぇに人の命を奪えるのかよ?
その銃だってどうせニセモンだろうが?
だが次の瞬間、思いもよらぬことが起きた。
確かに俺の額につき付けられていた拳銃は、額から離れ、俺の右の人間に銃口が向いた。
「えっ…」
女のか細い声が聞こえた。
まさか…ユ…
ズガアアァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!
ーーー9月26日ーーー
21:30 上野ケンイチ
「ああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!」
まるで獣の断末魔のような声が響き渡る。か弱い人間のだせる声の域を脱していた。
誰しもが飯田が撃たれるであろうと確信しきっていたのかも知れない。その予想は見事に外れ、
まさか自分の足が撃たれてしまったことなど…
一体誰が予想出来ただろう。
痛い。
熱い。
それしか考える事しか出来ない。
痛い。
熱い。
患部を手で押さえ、指の間に通る紅を感じながら激痛に悶える事しか出来ない。
ーーー9月26日ーーー
21:30 田沼ヨウコ
市川の拳銃は矛先を飯田から秋葉を通過して上野が撃たれることになった。
私の愛する人が撃たれた。
銃口は野の右足ふくらはぎに。弾が命中した。
「ケ…ケン…!」
心の中ではケンイチと呼んでいるものの、すくみあがって唇が思うように動かない。
代わりに止め処なく涙がこみ上げてきて、視界がにじむ。
声にならない泣き声をヨウコはあげていた。
「キャアァァァッッ!!!上野さん!!!」
秋葉は瞳が更に大きくなった。
どうして…?ケンイチが撃たれなければならないのか?
いや、もう赤い血が止め処なく流れているのを見て、失神しそうになるのを必死に抑える。
どうしても手の振るえだけは止まることが無い。
その時、
ヨウコの脳裏に何かビジョンが映し出された。
乱暴そうな男。
泣き叫ぶ少年。
雨の強い夕方…。
だが、それは突如遮られた。
潜在的に遮断された。
現実に戻されたヨウコは、再びこの状況を把握するしかなかった。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
ヨウコは咆哮した。
ーーー9月26日ーーー
21:45 飯田ヨシオ
上野が撃たれた。
もがき苦しんでいる。俺は言った。
「なんで俺を…撃たねぇ…?上野は何も関係ないはずじゃ…」
その通りだ。上野が撃たれる事など誰も想像してなんかいなかった。ところが市川は俺に言った。
「関係無いからですよ」
…!?
「飯田さん、あなたでもさすがに自分の痛みは耐えられる。だが、上野さんはあなたのせいで撃たれた。
あなたに上野さんの無念さ、解りますか?
そして、あなたに人の痛みが…解りますか?」
つまり他人の痛みだと…?
俺だって撃たれたくない。だが、俺はどこかで「市川に負けるはずもない」と自信過剰になっていたのか?
最悪、自分が撃たれてもいいと思った。
俺だって…こんな状況で…。平静を保てるわけがないだろう…!?
「じゃあ…どうすれば…どうすればよかったんだ!!!」
俺は叫んだ。すると、ユリちゃんが俺に言った。
「飯田先輩……カッとならないで…
だから…上野さんが先輩の代わりに…」
ユリちゃんは涙浮かべ俺に言った。
「じゃあ、ユリちゃんは俺が撃たれても良いって思ったのかよ!?めちゃくちゃいてぇんだぞ!?」
俺はユリちゃんに怒鳴った。何も怒鳴ることなどないのに…。
解っているよ、そんな事…。でももう遅かった。
自分の思っていることをはっきり言って悪いのか?
「…先輩…、私が撃たれても…おんなじ事言っていたんですか…?」
!!!
俺は言い返せなかった。
これ以上言葉を重ねても、逆効果になる。
くそ…。
ーーー9月26日ーーー
22:00 市川コウジ
俺は上野の右足のジーンズを捲った。
骨の下の、ふくらはぎから大量の血液が流れ出している。
「習志野…酒持っているか?」
「アニキ…!?」
「持って来いって俺は言ったよな?」
習志野はやや、驚いている…。
「ああ…酌でもアニキとしようと思って…上等のバーボンならあるぜ」
「…よし。貸せ。」
習志野は舌打ちをしながら、俺にバーボンを渡す。ラベルを乱暴に剥がし、
上野のふくらはぎの銃創に流し込む。
とくとくとくとく…
「あああああああああああ……ッッ!!!!!!」
上野は唸った。無理も無い、何を注がれても激痛は免れない。
「上野さん、横になってください」
上野は察しが付いていたようなのか、あるいは逆らいたくない一心なのか俺の言う通りに
冷たい床に横になった。俺は上野の身の上に自分のコートをかぶせ、
ポケットからハンカチを取り出して、患部に巻きつけた。
「何を…?」
秋葉は俺に尋ねた。俺の代わりに習志野が声を発する。
「麻酔も兼ねてアルコール消毒、おまけに止血だよ。ゲリラ戦での応急処置だな。
しばらくしたら、こいつは睡魔に襲われて夢の中さ。」
「待ってくれ…」
上野はかすれ声で訴えた。
「ケンイチ…大丈夫?ねぇ…!ケンイチ!」
田沼が上野を心配している。
「いいか…ヨウコ…」
上野がささやく。それも震え切った声で。
「答えを考えるんだ…」
そう…俺が恐れているのはそれなのだ。上野にはそれを察するカが他を逸している。
まだ数時間もタイムリミットが残っているのだ。
俺は腕時計を見る。
「習志野」
「はい」
「セットしてくれたか?」
「……はい」
「そうか、悪いな…こんな事にお前を巻き込んで」
本心だ。習志野は実に優秀な人間だ。
いくつか稼業も残しているのに、俺のゲームに付き合ってくれているのだから…。
「アニキ」
そう言うと、セブンスターを一本俺に差し出し俺のタバコに火を着ける。
「アニキ、俺はアニキのやり方について行くぜ。俺にとってアニキが正義なんだよ」
義理堅い習志野は昔からそうだ。
ーーー9月26日ーーー
22:20 田沼ヨウコ
ヨウコは考えてみた。
どうして市川はこんなゲームを目論んだのか?
習志野とは違い、猟奇的な所も感じられない。
至って紳士なのだ。
異常犯罪者…なわけでもない。
ヨウコは考える。
「まさか…復讐とか…?」
考えられる一番の理由はそれだ。
だとすれば一体誰に?もしかして全員?それにしても
単なる復讐にしたとして、なぜこんな手の込んだ事をするのか?
ヨウコは考えていた。
市川について。
はっきり言って面識などない…と思う。
ヨウコは数年前に記憶障害を起こしている。幼少期から高校生までの記憶。
21歳ごろからから今までの記憶はあるのだが、どうしても19歳から21歳までの記憶が
欠如している。
時々、断片的には思い出すのだが潜在意識がまた、闇の中に記憶を戻してしまうのだ。
もしかして…
「さて、みなさん」
市川の言葉で現実に戻る。
ーーー9月26日ーーー
23:00 秋葉ユリ
「早いですがそろそろ就寝しましょう。」
普通に考えてちょっと寝るまで早い…。でも何だか私の体は何故かだるい…。
「実は、お詫びしなければいけません。先ほどのチキンには睡眠薬が盛られていたんですよ」
飯田先輩は言った。
「て…てめぇ…!」
「毒物ではありません。体内には支障をきたすことはないので安心してください。まだ時間はたっぷりあるんです。
脳の活性化には、ちゃんとした睡眠が必要ですからね。風邪をひかないようにちゃんと毛布もありますご安心を」
視界が…
ぼやけて…
目の前が…
真っ黒…
真っ黒…
9月27日
5:00 ゲームスタートから11時間経過。
プレイヤー…上野ケンイチ
秋葉ユリ
飯田ヨシオ
田沼ヨウコ
習志野トオル
市川コウジ
ーーー9月27日ーーー
5:00 市川コウジ
「アニキ」
習志野の声で俺は目が醒めた。
「相変わらず、寝起き良いよなアニキは。充分仮眠は取れたかい?」
確かにお前の寝起きはすさまじく悪い。
俺達は、お互いに1〜2時間ずつ仮眠を取った。
「しかしよアニキ。寝ている時は手足の鎖を外すなんて、お人よしにも程があるぜ。
連中が逃げ出したらどうするんだ?」
「ふっ…だからお前がいるんじゃないか」
「……そういうことか」
習志野は拳銃をちらつかせながら、俺に笑いかけた。
「アニキ。案外楽しみにしてんだぜ。このゲーム、結末がどんなだか…」
寝ているときぐらい、枷の無い方がいい。
私が勝つためには、彼らが必要なのだから…。
そろそろ良いだろう。
「習志野、お前…役所のリスト作らなくていいのか?」
「リスト…?あっ!いけね!忘れていたぜ…」
まあいい、そういう所も分かっていた。
「悪いが、今すぐ作りに行ってくれ」
「あ、ああ分かったぜ…すまねぇアニキ、先行くわ」
そう言うと習志野は服を調え、急ぎ足で出口に向かった。
それでいい…習志野。
「アニキ!」
俺は振り向かないで聞いていた。
「馬鹿な真似しやがって…」
習志野の駆けていく音が聞こえて、遠くになって行った…。
「馬鹿な真似…か」
習志野の足音がやがて聞こえなくなった。
さびれた廃工場。そこで地面に眠る4人。
俺は彼らを起こさぬように、足音を消して隅の窓際に向かう。
まだ日もかすかに見せるだけで空には星が残る。ズボンのポケットからセブンスターを取り出し火をつける。
いつだって俺は、これに頼っていた。
「ふー……」
煙は割れた窓に吸い込まれていった。
それに反応するかのように、俺は左肩を押えた。
「みーみーをーつーくーようなー…」
俺は小声でそのメロディを口ずさんだ。
すると、かすかに背後に気配を感じる…!
誰だ?
振り向こうと思ったが、俺は靴の音で判断した。そうか…君か…
俺は
「失礼、起こしてしまいましたか」
と言った。
ーーー9月27日ーーー
5:15 秋葉ユリ
「馬鹿な真似しやがって…」
習志野さんのその言葉で目が醒めた。
市川のそのメロディが懐かしくて、私は起きてしまった。
なぜだろう…、市川には恐怖心を抱いていない自分がいる。
「失礼、起こしてしまいましたか」
「あ、いや…こっちこそ…邪魔しちゃったみたいで…」
市川のタバコを吹く音以外何も聞こえなかった。沈黙…。
「さっきの歌、…私知っています。」
私は話しかけた。
「たしか…5年くらい前に流行りましたよね、その曲」
すると市川は振り返った。
「よくご存知ですね、秋葉さん。」
「はい、あの時は受験勉強しながら聞いていました。そう、その年の2学期あたりはこの曲に思い出があるんです。」
「思い出…ですか?」
私は昔話を話した。
……
……
「そんなことがあったんですか…」
市川は私の昔話を聞き入っていた。
「でも、私おせっかいですよね。小さい頃からよく世話焼くの、しょっちゅうで…」
市川はタバコを吸い、微笑みながら言った。
「その男の子はきっと、感謝していますよ…」
そう言われてなんだか嬉しくなった。目の前には誘拐犯だっていうのに…。
みーみーをーつーくーようなー…サイレンと…
「秋葉さん」
「は、はい!」
急に市川がシリアスになった。
「私の話も聞いてくれますか…?」
私は市川の…市川さんの話を聞いた…。
ーーー9月27日ーーー
7:00 上野ケンイチ
闇が少しずつ晴れていくのと次第に、右足に痛みが甦る。
「うっ!」
上野の目が醒めた。
上半身は何とか起こせるので、両手に力を入れて起きた。
上野の左には順に、秋葉、飯田、田沼が順に眠っていた。配列は昨日と変わらない。
「おはようございます。」
コツコツ…冷たい靴音を鳴らしながら市川が出てきた。
「痛みはどうですか?」
「まだ…ズキズキする…」
上野は自分の傷を確かめようと右足の足元を見た。
ふくらはぎの内側に冷却材を包帯にはさんで、それでもなお膨れていた。
「あなたが…してくれたのか?」
しかし市川はそれにはこたえず、
「即効性のある痛み止めです。どうぞ」
市川はそう言うと、一粒の錠剤を手渡した。
「副作用は…?」
「体に害はありません。ご安心を…。」
ゴクッ。
上野は手渡された錠剤を、市川の一緒に持ってきた水と共に喉に流し込んだ。
なるほど、痛みが抜けていく。
上野は話した。
「僕…分かったような気がするんです。」
「何を…?」
「共通点」
市川の唇がゆがんだ。
「しっ…その話はあとで聴きましょう」
「……………」
上野は無言で再び横になった。
上野は確信を持った。同時に上野にとって紛れもない脱出への兆しだった。
ーーー9月27日ーーー
7:20 飯田ヨシオ
闇から引き戻される…そんな感触だった。
そんな中、ふとある情景が思い出される。
雨のひどい夕方。何者かの絶叫。それは悲鳴だったのか…。
「みなさん、起きてください。」
その言葉は俺を現実に戻した。
視界に映るのは、錆びれた壁。
戻ってきちまった…。またここに。「現実」に…。
俺が上体をあげたとき、すでに市川、ユリちゃん、そして…隣の女が目覚めていた。
「全員起きましたね、朝食にしましょう」
市川だ…。
俺達は昨日と変わらず、両手足に手錠をかけられている。すると、俺達の目の前に
各一つずつトレイが用意されていて、クロワッサン2つとコップに注がれた牛乳があった。
「みなさん、召し上がってください。言っておきますが、
昨日のような睡眠薬は入っていませんのでご安心を。
それに、ちゃんと朝食を摂らないと体に毒ですからね。」
昨日と変わらないテンションで市川が話しかける。
刃向かう気力も無い。
この監禁は確実に俺を蝕んでいる。
思考も、
体力も、
気力も、
精神も、
気迫も、
何もかも…!
パクパク…モグモグ…クチャクチャ…ゴクゴク…
咀嚼する音しか聞こえない。
会話の無い俺達は、肉食動物と何ら変わりない。
うんざりだ、こんな馬鹿げたゲーム…
味も何も感じない。
市川がちらっと時計を見て言った。
「7時半…」
まるで死の宣告だ。
それのみでまた咀嚼の音しか聞こえない。
つまりはあと10時間半でこのゲームは終了する。
終了するまでに抜け出さなければ…
俺達は死ぬ。
「あの」
声が聞こえた。みんな声の主の方を見る。
その声の主は上野だった。
「市川さん、いくつか質問したいんだが…」
「かまいません、どうぞ」
みんなの咀嚼音が止み、代わりに上野の声が始まった。
「市川さん、今から僕の質問に答えてほしい。だが答えられないものは「言えない」で良い…。」
市川はフッと軽く笑みを浮かべて
「良いでしょう。では上野さん、質問をお願いします」
上野は深呼吸しながら言葉を発した。
「あなたは最初に言った。僕達が勝利条件を満たせば脱出出来ると。だが敗北したらどうなるんだ?」
誰もが予想はしていたが、改めて上野は4人を代表して尋ねた。すると
「敗北すれば…生きてここからは出られない。それは昨日私が言いましたよ。」
市川は拳銃を取り出して言った。そしてまたスーツの内ポケットにしまった。
「あなたが敗北すれば…どうなる?」
「…私は生きては出られない」
どうなっているんだ。
「このゲームの明確な目的は?」
「…言えない」
核心めいた質問だからか?言えないのは…。
「…なるほど、じゃあ質問を変えます。
あなたは『その気になれば簡単に脱出出来る』と言った。それは本当か?」
市川はタバコに火を付けながら質問に答える。
「本当です。もう一つ言うならば、私は基本的にこのゲームで嘘は言っていない。まぁ、確かに昨夜の睡眠薬の件は隠してしまいましたが…それ以外は何も。勝利条件にあなた達が達すれば、潔く錠を解きます。」
俺はつい言ってしまった。
「嘘なんじゃねーのか!?信用できねぇよ」
市川はまた俺に眼光を向ける。しかし…
「飯田さん!」
その声は上野だった。
「恐らく彼は、そんな事はしない…」
あん?
俺は声を荒げた。
「何でだよ!?いい加減目を覚ませよ!
手足を繋がれて、拳銃突きつけられて、チキンに睡眠薬盛られて、こんなイカれたゲーム考えるくらいだぜ?
俺達をいたぶり、じわじわと殺していくんだよ!」
「ゲームだからさ」
上野は間髪入れず答えた。
「ここまで用意周到にしている…そんな泥を塗るようなことはしない」
更に続けた。
「僕の通っていた大学で学んだんだが…
猟奇殺人者や凶悪犯罪者は、犯罪そのものをゲームとして見ている傾向が多く報告されている。
彼らは異常なまでの『プライド』を持っているから、例え敗北する事はあっても、課したルールを自ら反する事はしない。」
ちっ…
「猟奇殺人者は頂けないですが…まあいいでしょう。続けてください、上野さん」
市川の言葉は上野の背中を押した。
「僕は最初、単なる私怨や復讐が目的だと思っていたんだ。でも実際どうだ?本当に心の底から憎んでいる人間に、普通に快適に食事や適度な睡眠、清潔なトイレなど与えたりするだろうか?
僕は逆だと思う。
まずは肉体的にじわじわと苦しみを与えていくと思うんだ。そしてやがて精神まで崩壊させ
やがて死に至る。
きっと、彼の目的はそんな安直ではないはずなんだ。」
俺は無性に腹が立った。なぜ上野は市川の庇護をするのか…?
「市川さん…僕の見解で合っていますか?」
市川は口から煙を吐いた。
「確かに。私の目的は単なる復讐や私怨ではない。」
その言葉が終わるのと同時に上野は俺達に向かって語りだした。なんだか、だんだんリーダーシップを取っているようでムカついてきた…。
「だろう!?だから僕達はもう一度考える必要があるんだ。なぜなら共通点は」
「上野さん」
市川の言葉の裏で冷たく『ジャキッ』という音が聞こえた。
拳銃を上野の右のこめかみに当てていた。
ーーー9月27日ーーー
8:00 田沼ヨウコ
上野のこめかみに当てられた拳銃。
それは唐突だった。
「申し訳ない、上野さん。共通点はまだ明かさないでください。」
………え?
共通点をケンイチが解いた…?
その思惑そのまま、秋葉が言う。
「上野さん、共通点って?」
共通点。
考えて見れば、さっきからなぜ共通点にこだわるのだろう?
この4人の共通点なんて無いに決まっている。
田沼にとって、秋葉ユリは見た事もない女の子なのだ。
飯田ヨシオも見た事がない…はず。
しかし、ヨウコには何故だか歯がゆい感じがする。
なぜなのだろうか?
市川は拳銃を納め、静かな口調で話した。
「そうです。先ほど上野さんは共通点を導き出しました。恐らくそれは勝利条件に『近くなった』だけ。
まだ足りないんですよ。そしてそれをみなさんに伝えるのはダメです。」
飯田は口を挟む。
「何でだよ?俺達VSお前一人なんだろ?ヒントを共有するのはいけないのかよ?」
市川は話す。
「ヒントはとっくに共有していますよ?…もっと分かりやすく言いましょうか?私は数多くのヒントをみなさんに
既に伝えているんです。」
ヒントは既に出ている…?
しかも数多くの…?
「あの、市川さん」
秋葉は言う。
「何でしょう、秋葉さん」
「あくまで私個人の考えなんだけど…いい?」
その秋葉に市川は「どうぞ」と言った。
「私は最初、自分の手足が繋がれていることにものすごい恐怖を覚えた。
自由に動けないから…。そして市川さんにはその『枷』が無い。
これはどう考えても市川さんの有利だと思った。
…でも市川さんは言った。『私の方が不利だ』と。
それは恐らく、市川さん自身の勝利条件は私達よりも難しいと思う。
そしてもう一つ。
私達が簡単に脱出出来る方法…。
つまり今、私達一人一人が必ず持っている物で…
市川さんに立ち向かい、市川さんに勝つこと。
人間だけが持つ『牙』。それは…」
秋葉の考えに上野がすばやく反応する。
「言葉!!」
秋葉のテンションが若干上がった。
「そう!人間だけが持つ、相手の心を討つ牙。
言葉よ!時に人に感動を与え、時に人に衝撃を与える…。
言葉…人間だけが持つ牙」
上野も秋葉の論理に賛同する。
「僕も気づいていたんだ。確かにそうだ…。もしも手足が封じられていなければ、僕達は市川さんと丸腰で直接対決することを考えていたし、行っていたかもしれない。
でもそれはあまりにもフェアじゃない。市川さんのこのゲームは、フェアで無くてはならないのだから。
手足を縛られていても、僕達には言葉という牙が残っている。
言葉がカギなんだ。」
上野がそう言うと、市川は笑い出す。
「フフ、実に素晴らしい…!あなた達は素晴らしい…そうですよ。」
私はそれとなく、市川に聞いた。
「もし…答えが分かった場合は…どうすればいいの?」
これはいい質問かも知れない。ある程度カテゴリが絞られる可能性がある。
「その場合はそっと私に耳打ちをしてください。答えの内容をあなた達の『言葉』で」
答えの…内容…?
ーーー9月27日ーーー
8:30 市川コウジ
ヒントを与えすぎただろうか?
いや、かまわない。
……
そろそろはじめるか。
「秋葉さん」
俺は秋葉を呼んだ。すると秋葉は顔をこちらに向けた。
「お話をしましょう。」
俺は秋葉の手と足の枷を外す。ガチャガチャという音の元に四人は釘付けとなる。
「まさかユリちゃん、脱出か…?」
飯田は驚きの中に羨ましさを混ぜて言うが、俺は飯田の言葉を無視した。
秋葉は戸惑いながらその場にすっと立ち上がった。
「…え?出してくれるの…?」
「秋葉さん、問題です。」
俺はセブンスターを一本咥え、火を着けた。
「人間の根源とも言える4つの感情。秋葉さん、何だかわかりますか?」
秋葉は若干戸惑いながら答える。
「えっと…喜怒…哀楽…かな…?」
「そう。それが人間である以上決して剥がす事の出来ない感情です。
その中で、マイナスの感情はなんですか?」
俺は秋葉に問いかけ、そして秋葉は答える。
「え〜?…怒りと…哀しみ…ですか?」
「そう。秋葉さんもその感情を抱いたことはありますよね?」
秋葉は困ったように答える。
「そりゃ…ありますよ。…人間なんだし。」
「では今、私があなたに『ひどいこと』をしたら、あなたは悲しみますか?」
秋葉は目を見開いて驚いている。
「え…?」
ガシッ!!
俺は秋葉の首を両手で締め上げ、そのまま後ろの壁に突進した。ドン!と壁は音をあげ、秋葉は苦しそうに
必死に自分の首を締め上げている俺の手を取り外そうとしていた。
「く…くるしい…うぅ…」
秋葉は声を漏らす。首からメキメキと音を上げつつも、俺は彼女の首を絞め、壁に押し続けた。
「何をするんだ!!やめろぉぉ!!」
上野の絶叫がこだまする。
「おいてめぇ!ユリちゃんから離れろ!その手を離せ!!」
飯田の絶叫もこだまする。
「いやあぁぁぁ!!!やめてぇ!やめてよおぉぉ!」
田沼の絶叫もこだまする。
これで皆に枷が無ければすぐにでも飛んでくるのだろう。
メキメキ…グググ…。
「やめ…て…いちか…わさ…」
秋葉の限界が近い。恐怖と苦しみのあまり、秋葉は涙を流している。
だが俺は尚も首を絞め続けた。
メキメキ…グググ…
「あ…ぅ…は…」
秋葉の口から唾液が泡のようになって吹き出ている。
「やめろぉーっ!許さねぇぞぉぉっ!!」
その声は飯田だった。私は秋葉の首から手を離した。
「ゴホ…ゴホゴホ!!」
力なく秋葉はうずくまり、苦しそうにえづく。
体は痙攣して身も心も震えきっていた。
俺は後ろを振り返り、飯田に問いかける。
「飯田さん。もし私がこのまま彼女の首を絞め続けていたら…どうしていましたか?」
すると飯田は鋭い眼光を向けて、俺に言った。
「殺してやるよ…」
「それは…あなたの命を犠牲にしてでも?」
飯田は一瞬ピクリと止まる。
ーーー9月27日ーーー
9:00 飯田ヨシオ
命を犠牲にしてでも?だと?
「ああそうさ…!ぶっ殺してやるよ…!」
市川は少しずつ、俺に近づいてくる。怯んだら負けだ。
俺は今まで気持ちの部分で負ける事は一度もない。
攻撃こそ最大の防御。
絶対にこんなやつに負けてたまるか…!
「では飯田さん、特別サービスです。私と勝負しましょう。」
何…?
市川は顔色一つ変えず、言った。
そして市川は先程の拳銃とは違う、胸のポケットから別の拳銃を取り出した。
「これはコルト・シングル・アクション・アーミー アーティラリーモデル。装填数は6発。
リボルバー(回転式拳銃)の中でもクラシックなデザインです。
弾薬は.45LC弾を使用し、装弾はシリンダー後部のイジェクションゲートを開けることで
1発ずつ装填・排莢をする方法を採用しており、金属薬莢を使うリボルバーとしては装弾には非常に手間がかかる。
その点、金属薬莢とオープントップ方式のスミス&ウェッソン社製のリボルバーや、
レミントン・ニューアーミーに見られるようなシリンダーをスイッチひとつで回転軸を抜いて
簡単に取り外す事が可能なメカニズムを持つ機種に…」
「うんちくはいいんだよ!!」
俺は思わずイラついて怒鳴った。一体何がしてーんだ…!
「失礼。では本題に行かせてもらいます。勝負をしましょう、飯田さん。早撃ち勝負です。
簡単でしょう?ただし、お互い一発のみ。ぶっつけの真剣勝負です。」
市川はそう言うと二つのリボルバー拳銃に一発ずつ弾丸を込めた。
そして俺の手と足に繋げられた枷を外す。
俺は1日と数時間ぶりに立ち上がる。
足はまだ力が入らずふらふらしている。
「大丈夫ですか?何なら少し待ちましょうか?」
「いや…良い…!もたもたなんかしてられねぇ…今すぐてめぇをぶっ殺して、ここから脱出してやるんだからよぉ!!」
俺の言葉はむしろ怒号に近かった。
周りが緊迫する。誰も何も口出ししなかった。全員が俺と市川の勝負に注目する。へへへ…撃てば俺は英雄だぜ…!
「コインを垂直に投げます。地面に落ちた後に早撃ち勝負です。いいですか?これがルールです。
ルールは守ってください。いいですか?」
「ああ…良いぜ…」
心臓の音が次第にでかくなる…。
ドクン…!ドクン…!
俺は恐怖の中で興奮していた。なぜならば…『また』こんなチャンスが訪れたのだから。
あの時の俺はまだまだ甘ちゃんだった。
確実に心臓を仕留めてやる…!
「ではいきますよ。」
キイィーーン…
市川はコインを投げた。
周囲の奴等はコインの軌道を捉えていた。
コインが上昇を止め、下降すると思われた。
その時。
「バカがあぁぁぁッ!!!」
くたばりやがれ!俺をここまでコケにしたのだから。俺がそんなルール守ると思ったのかよ!?良いか!?俺をこんな目に遭わせたやつは誰だろうとゆるさねぇ!そうさ!俺は俺の事以外どうでも良い!他人がどうなろうと知ったことか?だから俺は俺の為に引き金を引くのさ!だから死ね!死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ねエェェェェェェェェェーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!!!!!!!!!
ーーー9月27日ーーー
9:00 上野ケンイチ
それは一瞬の事だった。
コインが落ちるのを、飯田は待たずに叫び声を上げながら拳銃を市川に向けた。
ルール違反。
だが、皆がそう思う前にすでに飯田は引き金を引いた…。
ズガアァァァァァァーーーーーーン!!!
刹那の瞬間だった。飯田の方が早撃ち勝負に勝った、ように思えた。
しかし、市川は左半身をあらかじめ後ろに引いていた為、弾丸は市川の体すれすれで空を切った。
カン!!
甲高い音が市川の後ろにあったドラム缶から鳴った。
静寂…。
そしてコインが落ちる音。。。
「そ、そんな…」
飯田が乾ききった声でつぶやいた。
上野はそれに続いて言葉を発した。
「まさか…避けた…。飯田さんの不意打ちだったのに…ありえない…」
そして市川は拳銃をゆっくり飯田に向けた。
「ルール違反ですよ、飯田さん。他の人に、ならともかく私には通用しません」
飯田が凍りついた。あわてふためきながら拳銃の引き金を引くが、弾など一向に出てこない。
「言ったでしょう?一発勝負だって。」
市川の冷たい声がまた、この場を凍てつかせた。
「相手を一撃で確実に仕留めるには、心臓を狙うこと。それは常識ですね。ところが飯田さんは、気持ちを抑えることができなくて
微妙にブレた。…あのドラム缶の穴の位置を見ると…私の左肩に当たっていたでしょう。」
飯田は体中が震えた。殺される…殺される…
しかし、
「いいでしょう、残念賞を与えます。飯田さん」
そう言うと、市川は飯田に向けていた拳銃を自身の左肩に当てた。
「え…?」
上野はそうつぶやいた。
ズガアァァァァーーーーーーーーーーーーン!!
市川の左肩から大量の血液がはじけ飛び、辺りに薬莢の焦げた臭いが一気に充満する。
市川は自分で自分の左肩を撃ち抜いた。
「ど…どうして…?」
ヨウコがつぶやいた。
「私はさっき、あなたの彼氏を撃った。その罪を自分で償っただけのこと…」
イカれている。自分で自分を撃つなど考えられるだろうか?
しかし、肩の銃創はまずい。止血をしなければ…。
上野が口にする前に、秋葉が言った。
「止血しなきゃ…!」
ーーー9月27日ーーー
9:30 秋葉ユリ
市川さんは自分で自分の左肩を撃った。
どうしてそんな事を…。さっきは私の首を締め上げた。
恐怖と言うより、悲しみが込みあがる。
「止血は必要ありません。」
市川さんはやせ我慢なのか、淡々とつぶやいた。
ポタポタと市川さんの足元に血が染まっていく。
「秋葉さん…」
「はい」
私は条件反射で反応した。
「先ほどはどうもすいませんでしたね…。さぞや苦しかったでしょう。」
「…」
私は言葉に出来なかった。どう返事をすればいいのか、まったくわからなかった。
「私に強い嫌悪感を抱いていますよね?」
私は正直にこう言った。
「わかんない…でも…怖かった。殺されてしまうと…思って。私は市川さんのことは悪い人じゃないって
思っていたのに…」
すると、飯田さんは口を挟む。
「おいユリちゃん!何を言っていやがるんだよ!こんな監禁までされて、首を絞められてんだぜ!?100%悪い野郎じゃねーか!」
飯田さんがそう言ったのを見計らって、市川さんは話した。
「では飯田さん。あなたは秋葉さんが首を絞められた際、『殺してやる』と言った。
それは秋葉さんへの好意の裏返しですか?」
!?
唐突に市川さんは言った。
そして飯田さんは…
「好意っつうか…知り合いだし、ユリちゃんは良い娘だから…」
「では良いでしょう…じゃあ仮にですよ、飯田さん。
もしも私が秋葉さんを酷く痛めつけると仮定しましょう。その後、あなたはきっと私を殺すでしょう。ではその後、秋葉さんの事を好いてあげられますか?」
想像するのが、怖いけど…。
飯田さんは言った。
「当たり前だろう!?以前にも増して大切にするし、絶対に守ってみせる!」
嘘っぽいけど、私にはほんの少し、飯田さんを見直した。
昔は飯田さんはただの乱暴者だったのに…。
「では上野さん…あなたはどうですか?田沼さんを以前にも増して、愛してあげられますか?」
数秒の沈黙の後、上野さんはこう言った。
「…無理だと思う。」
その言葉にヨウコさんが酷く動揺する。
「ケンイチ…?どうして!?いつだって寄り添って生きていくって誓い合ったじゃない!
どうしてそんな事を言うの?ねぇ…ケンイチ!」
そんなヨウコさんの言葉に動せず、上野さんは話した。
「怒りが形を…愛の形を変えてしまう…」
私もびっくりしてしまった。でも、比較的温厚な上野さんは更に続けた。
「ヨウコ、君が酷い目にあって、君の復讐をしたとしよう。それは君に対する愛情ではなく、怒りなんだ。怒りは愛情を変質させる…理屈では分かっていても、どうにもならない。怒りが変質させた愛情は反比例していく。そして君の方はそれを見抜き、そしては姿を消す。
その時僕は内心ほっとするんだよ…きっと。
怒りは憎しみに変わり、愛する者をも恨んでいくんだ…」
誰も反論出来なかった。
飯田さんも舌打ちをして、黙り込む。
確かにそうかも知れない…。でも…
「でも…そんなの極端じゃない!?相手の苦しみも分かち合って生きていく。それが愛じゃないの!?簡単に諦めないで!」
私は思わず声を荒げて言った。
そして…私は市川さんに更に言った。
「これは、私達に愛情を試しているというの?…あなたは人を愛した事があるとでもいうの?!」
市川さんは窓の外の更に遠くを見て、静かに語りかけた。
「ずっと…昔の話ですよ。愛は恋のように美しい思い出にはならない。
失えば、人を二度と好きにはなれないかもしれないもの…」
「だから何だって言うんだよ!!」
飯田さんが突然怒鳴った。
「それが今関係あるのかよ!?そんなメロドラマを聞いて、俺達が助かるとでもいうのか?いいか!?ここから早く出せ!
俺達を解放しろよこのクソ野郎!!」
…言葉使いは乱暴者のままみたい。
ーーー9月27日ーーー
10:00 田沼ヨウコ
ヨウコは黙る事しか出来なかった。
端から見たらこんな監禁劇でさえ、茶番なのかもしれない。
恋人が足を撃たれ、女の子が首を絞められ、犯人は自身の左腕を撃った。
次は私の番かも知れない。
ヨウコは自分の精神を何とか保つことで精一杯の状態だった。
これが夢ならば…。
現実に戻れば、すぐに忘れてしまえるのに。…夢ならば。
コツ…コツ…
市川がヨウコの方にやってきた。
「田沼さん」
ヨウコは返事ができなかった。
「お話をしましょう」
ヨウコはわずかに首を市川に向け、つぶやいた。
「話…?」
すると、市川は思いがけないことを言い出した。
「小岩カズユキという人物について」
ヨウコは一瞬何のことだか解らなかった。
すると、飯田がその名前に反応した。
「小岩…だと!?」
解らない。私には。
ヨウコには解らない。でも…
すごく重要な事のような気がしてならない。
「ね…ねぇ、小岩…なんとかさんって…誰なんですか…?」
秋葉は誰に向けるわけでもなく問いかけた。
「小岩の話の前に、上野さんに伺いたい事があります」
市川は上野に尋ねていた。上野はただ、首を縦に降った。
「もしかして…田沼さんは…記憶障害にかかっていませんか?」
間を空けて上野が話す。
「…何でもお見通しみたいだ…。確かにヨウコは記憶の一部が欠けているんだ。
僕と付き合い初めの時に教えてくれた。
でも私生活に支障をきたすことはないと、医者の判断に従ってそのまま生活していたんだ。
だから僕もその欠けた記憶については何も知らない」
上野が話している最中、ヨウコの隣にいる飯田は顔面蒼白…脂汗がびっしり流れていた。
そして…飯田が口を挟む。
「ホントに覚えていないのか…?」
その飯田の発言を不審に思いながらも、上野は話した。
「……。ああ。僕が保障する。ホントにその部分の記憶だけ欠けてしまっているみたいで」
「…そうか…ははは…まぁ、支障をきたさなければ…なぁ、いいんじゃねーか…?」
飯田はそう言った。気になった秋葉は尋ねた。
「先輩、どうかしたんですか…?」
「それでは、話をしましょうか」
市川が声を少し大きくして言った。
「小岩カズユキ。彼はどこにでもいる普通の男でした。ところが彼は5年前に付き合っていた彼女に浮気をされ、
さらに心身ともに深く傷付けられ…行方不明になりました」
「行方不明?」
上野が反応した。そして市川は続けた。
「まるで神隠しにあったようにね。」
痺れを切らしたのか、飯田が反論した。
「それがなんなんだよ?小岩とてめぇは友達だったってことか?」
「………」
市川が無言になり、そしてこう言った。
「ある意味、一番身近な人間でした」
親友だったのか?
そして飯田が追い討ちをする。
「はっ!?解ったぜ!要するにターゲットはこの俺なんだろう。ダチを苦しめたこの俺に復讐がしてぇんだろうが!」
秋葉が言う。
「復讐って…?先輩、小岩って人知っているの?」
ヨウコは何だか気が気でなかった…。
私にどういう関係が…?
視界が捻じ曲げなれるような感覚…。
ーーー9月27日ーーー
10:30 飯田ヨシオ
ユリちゃんにそう聞かれ、俺は硬直した。
「…いや…別に」
すると今度は上野が言う。
「飯田さん、あなたは何をしたんだ?この際言ってくれないか?昔の事なんだろう?」
…そうだ、昔の事なんだ。
あいつに感づかれなければいい…。それだけだ。
俺は話し始めた
「まぁ…なんつーのかな。俺と小岩は知り合いだったんだ。ちょっとワケありのな。
ある日些細なことで奴ともめてよ、取っ組み合いのケンカになったんだ。
お互い血まみれになるくらいのケンカでよ、それっきり会ってもないぜ。」
この言い方で問題ない。
だが上野が食いついてきた。
「一体何が原因でケンカに…?」
まずい。
「何でもねーよ!些細なガキみてぇな理由だよ」
上野はため息をひとつこぼして、
「飯田さん。一般的に血まみれのケンカになるには、余程の理由が無ければそんなことにはならない。
あなたには悪いが、その些細な理由がこのゲームに勝つ『ヒント』になるかも知れないんだ」
俺は激昂した。
「うるせーな!!何でもねーよ!!そんな特別な理由じゃねーから、とっくに理由なんか忘れたよ!」
俺は焦った。
頼むから、理由だけは聞かないでくれ…!
「では私が教えましょうか?」
市川はそう言うと、スーツの上着をゆっくり脱ぎ、その下のYシャツの赤く染まった左肩の辺りを
ビリッと破いた。
肩に500円玉ほどの黒い穴が見え、そこから赤い血が止め処なく流れていた。
あいつが自分で撃った、銃創だ。
「…はっ…!!」
横の女がそれを見て過敏に反応する。
そして…
ーーー9月27日ーーー
11:00 田沼ヨウコ
『 鋭く響いた銃声。
少年は倒れる。
しかし少年は立ち上がり、男に殴りかかる。
男は地面に仰向けで起き上がれない。
私は男が心配で仕方無かった。 』
「あああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっっ!!!」
ヨウコは顔を歪め、咆哮した。
「あああああああああああああああああああっっ!!!ああっ!!ああ…
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
ヨウコのそれは悲鳴を通りこしていた。
まるで子供のように泣き叫んでいる。
「ヨウコ!?どうした…?ヨウコ!!」
上野は繋がれた手足のせいですぐにはそばにはいけない。イモムシのように少しずつ這いつくばってヨウコの元に向かおうとしていた。
だが市川が上野の目の前に立ちはだかる。そして市川は上野に銃口を向ける。
「だめです、上野さん。」
「どいてくれ!!ヨウコに…ヨウコのそばに行って彼女を救ってあげなければ…だからどいてくれ!!」
ヨウコの目から涙が溢れ出ている。咆哮は止まらない。
「頼む!市川さん!僕をヨウコのところに!!」
ヨウコの鼻から水性の液体が溢れ出ている。咆哮は止まらない。
「だめです、上野さん」
「なぜだ!!なぜ彼女のそばに行かせてくれないっ!?」
ヨウコの口から唾液が溢れ出ている。咆哮は止まらない。
ヨウコは繋がれた両手で自らの両頬に爪を立てる。上から下へ掻き毟りだした。何回も何回も。
「いやあああああああああああああああああああああああああああああああああああああーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!!」
見る見るうちに、ヨウコの頬の皮膚が裂け、肉が散り、血が流れ始めた。
それでもなお、ヨウコは自らの頬を掻き毟る。
「ああっ!?ヨウコさん!!やめて!やめてぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーっ!!!」
秋葉がすかさずヨウコに大声で叫ぶ。しかし、ヨウコには秋葉の声は届かない!
「だめぇぇぇっ!!!ヨウコさん!!!やめてぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!」
もう悲鳴でも、咆哮でもなく、断末魔に等しく全員の耳を劈いた。
「ヨウコーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!!僕が今行く!!!」
「行ってどうなる!?」
「ゴフッ!!ブリュッ!!ゴバァァァッ!!」
ヨウコは嘔吐した。胃の内容物がヨウコ自身の目の前に撒かれた。
「うわぁぁっ!!きたねーなぁあぁぁぁぁ!!!」
飯田は自分の所に飛び散った液体を、身をよじらせて避けた。
するとヨウコは飯田の顔を見た。
「…あなた…ま…まさか…どうして…」
市川の次の言葉はヨウコの元に向かう上野を止めた。
「彼女を止められる自信が、上野さん…あなたにはあるのか?」
「じゃあどうしろというんだ!!僕の彼女だぞぉぉぉぉっ!!」
上野のその言葉に秋葉が後押しする。
「私からもお願いっ!!これ以上見ていられない!!」
ヨウコの口の両端が裂けてまた血が流れ出ている。
「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!ううううううう…うううああぁあぁぁぁあぁ…ぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
もはや人間の叫び声では無かった。
ヨウコの爪は額、瞼、鼻筋、頬、耳たぶ…ありとあらゆる顔のパーツを傷つけて、
涙、鼻水、唾液、胃の内容物、汗、失禁…ありとあらゆる液体をぶちまけた。
目は白目を向き、声は擦れ、体中が痙攣して、
そしてヨウコは後ろに仰向けに力なく倒れた。
上野はそれを見て、体がすくみ…
秋葉は顔を背け、歯を食いしばりながら泣き…
飯田は隣のヨウコに怯え失禁した…
それは地獄の光景だった。
全員の時間が完全に止まった。
胃液と血とアンモニアの異臭が立ち込めるだけ。。。
ーーー9月27日ーーー
15:00 市川コウジ
俺は間違っていたのか?
いや、もうそんな事を問う必要など無い。
このゲームを計画する時、
俺は心に決めたのだから。
あれから誰も口を開こうとしない。
俺はさすがに田沼の前の「液体」に新聞紙をかぶせ、臭いを紛らわせるために
バーボンを撒いた。
「どういうつもりだ…?」
その言葉は上野のものだった。
「ヨウコになにをしたんだ…」
さすがの上野も怒りが露になる。だが俺はこう言った。
「何も?何もしていない」
「ふざけるなッ!!」
誰彼の怒号にもう秋葉も飯田も反応しない。響くのは上野の声のみだった。
「何もしていなくて、こうなるか!?気絶したんだぞ!しかもこんなことにまでなって!!」
確かにやりすぎたかもしれない。しかし気付いてくれ。
これが大きなヒントだということに…。
「あのさ…」
その細い声は今までとは想像できないが飯田のものだった。
「まさか、記憶…この女の記憶を…」
「記憶…?ヨウコさんの記憶を…市川さんが思い出させたってこと…?」
秋葉も口を開く。
これは予想外だ。まさか、真相に近づかせすぎたか…。
「…答えてくれ、市川さん…。あんたは何者だ…。」
飯田と同じように、上野の声も今までとは異なっていた。
「言えない」
俺はそう言った。
「ふざけるな!!ここまで来て言えない等、通用しないぞ!!」
「言えないものは言えないと言え、そう言ったのは…上野さん。あなたですよ。」
「屁理屈だ!!」
上野はそう言い放った。
「ね・・・ねぇ。さっき、ヨウコさん、先輩の顔を見て『あなた、まさか』って言ったよね…」
秋葉が飯田に言った。
「そうだったっけか…?」
それに動揺する飯田。
「とぼけないで先輩。もしかして先輩、ヨウコさんのこと…知っていたんじゃない?」
「お・・・おいユリちゃん。何を言ってるんだよ…俺はこの女なんて・・・」
すっと、上野が虚ろな表情で飯田を見た。
「ヨウコを知っていたのか…?」
「ちょ・・・ちょっと待てよ!何だよ、しらねぇよ。こんな女…」
すると秋葉は上野に尋ねた。
「上野さん、ヨウコさんは記憶障害だとしてさっきので記憶を取り戻した…そういう事じゃないのかな…。」
飯田がそれに反応する。
「おいおい、何も確証なんかねーじゃねーか」
「でも先輩、先輩が真っ先に記憶の事を言ったのよ。なんで言ったの?」
「そ、それは…」
「飯田さん…」
上野の冷たい声が飯田に向けられた。
「解ったよ、話すよ…」
飯田が話を始めた。
ーーー9月27日ーーー
16:00 飯田ヨシオ
5年前、俺はこいつ…田沼ヨウコと交際していた。
だが、半年あまりで別れたがな。
俺はあいつを振った。
なぜかって?
こいつは極度の淋しがりやなんだ。
わかるだろ?上野…?
それが災いして、バイト先とかでナンパされて尻尾ふって付いていっちまう。
最初から知っていたけど、いざ自分がこいつと付き合うことになって…
そんな女めんどいし、だりいから振った。
ーーー9月27日ーーー
16:30 上野ケンイチ
「そうだったのか…」
上野は察知した。
「でもこのゲームが始まってこいつにまた会ったとき、まさか記憶障害になっていたなんて…知らなかった」
上野がそれを聞いて思わず漏らす。
「僕なんだ。ヨウコの記憶を封印したのは…。」
秋葉と飯田に衝撃が走る。
「学生の頃、彼女に一目ぼれをして。でも彼女は何かに怯えるような感じだった。
僕の友人が心理学科を専攻していて…友人は彼女にカウンセリングをしたんだ。
そして、記憶を一部分断絶するような催眠も仕掛けた。」
「催眠…?」
秋葉が信じられないという顔で聞いた。
「彼女は『あなたも男だから、暴力を振るうのよ』とそればかり。何かに怯えているようで、だから…
だって僕は彼女と付き合いたかったから…」
飯田が言った。
「それについては俺のせいだ。あいつを従わせるために、俺は…暴力を振るったよ…。」
秋葉が頭を抑えながら言った。
「整理させて…。つまり、飯田先輩とヨウコさんは5年前に付き合っていた。
でも半年で別れた。
その後、ヨウコさんは上野さんと知り合って、昔のトラウマを消し去るために
催眠術をかけて交際した…ってこと?」
「ああ…」
上野は力なく答えた。しかし秋葉はつづける。
「でもついさっき、その『封印』が解けた。そして、ヨウコさんはトラウマを思い出して
壊れてしまった…。」
「ああ…」
上野は力なく答えた。
「上野さん。」
秋葉が言う。
「どうして封印が解けたのかな?」
「それは…たぶん…解除スイッチが入ったんだ。封印していた記憶に直結していた記憶…
待てよ!?」
上野は閃く。
「あの時何があった?さっき、ヨウコが記憶を取り戻したあの瞬間…
もしかしたら…重要なカギかも知れないぞ!?」
あの時…考えるんだ…。
あの直前、小岩カズユキという人物が出てきた。
そして飯田と小岩に接点があった。
ということはヨウコにも接点が…!?
いや、まだ直前じゃない。
あの時、
市川がスーツを脱いだ。
そこだ!!
市川だ!!
それに気付き市川を見る。
市川はビールケースに座りもたれ掛かっていた。
顔中に汗が吹き出ている。
「市川さん…?」
上野が尋ねた。
「ああ、申し訳ない…。つい眩暈がしてね…どうしましたか…?」
まだ左肩の銃創から血が出ている。
しかし、上野は市川に尋ねた。
「市川さん。あの時なぜスーツを脱ぎましたか?」
「はぁ…はぁ…ノーコメントです…」
心なしか、市川の顔が蒼白している。
「やっぱり、小岩かよ…!」
飯田が言う。
「俺が小岩にしたことを、あの女に見せたんだな!!」
その言葉に秋葉が反応する。
「え…?一体何を…」
ーーー9月27日ーーー
17:00 田沼ヨウコ
ヨウコはまだ目覚めない。
深い深い闇の中を…いつ目覚めるか解らないまま。
ーーー9月27日ーーー
17:00 市川コウジ
さすがに、慣れているとはいえ…
今回こそはまずいかも知れないな…。
「皆さん、あと一時間です…。全ての…ヒントはもう出ました。そろそろ…私からの最後のルールについて
話しましょう」
「ルール…!?まだあるのか!?」
上野が言った。
俺の『ルール』という言葉に上野、秋葉、飯田が顔を向ける。
正直、話すのも辛くなってきた。
「この現場の周りにプラスチック爆弾が数個設置されています…。その破壊力はこの建物を一瞬で
木っ端微塵にするでしょう…この爆弾が起動するのは18:03分…。
それはぎりぎりでクリアした人のための処置です…。」
「爆弾…どうしてそんな大事なことを…!」
飯田が声を震わせた。
「はやく…クリアしないと…死にますよ…」
「へっ、俺達が死んでもどうせ市川だけは真っ先に逃げるだろうよ!」
飯田が言う。
「飯田さん…申し訳ないが…私は助からない…」
「えっ…!?」
秋葉が言葉を漏らす。
「仮にも私はこのゲームに参加している。プレイヤーを放棄して立ち去ることなど…出来るわけが無い…」
俺の左肩の銃創をみて上野が反応する。
「止血だ…止血をするんだ、市川さん!それとアルコール消毒だ!市川さんさっきのバーボンは!!市川さん!!」
上野の指示に飯田が反論する。
「は…?肩撃っただけじゃねぇかよ…大袈裟な」
「何を言っているんだ飯田さん!肩を撃っても人は死ぬんだ。数多くの神経と太い動脈が通っていて心臓にも近い、患部に細菌でも感染したら…」
上野の言葉に秋葉が話す。
「でも上野さん、足を撃たれたじゃない。あれは…?」
「たしかにあのままだったら僕も危なかった。でもあの後市川さんは止血と消毒を施した。
まだ痛みは残っているが、大丈夫だ。
問題は肩だ。足よりも危険なんだ。」
…するどいな…上野…ケンイチ…。
「お…おい!!このゲーム中止にして、早くここから脱出しようぜ!でないと…あんた死ぬんだぞ!!」
飯田はある種の弱音を吐いた。先ほどの威勢の良さはどこに言ったのか。
「私は中止には出来ない…だが…まだ一時間くらい持つだろう。私の命は」
俺は…命など惜しくもないのだから…。
「市川さん!お願い!止血だけでもしてぇッ!!」
秋葉が叫ぶ。
「発汗がひどい…高熱をだしているな…感染している…消毒だ…さっきのバーボンは!?」
「上野さん…あなたの足に使った後、習志野が飲んでしまいました…残りは先ほど撒いたのでもう無いです」
「なぁ…また後日…やりゃいいじゃねーか…ゲームなんだろ…?」
飯田…呑気なことを…
「後日になど出来ない。少なくともこのゲームは…」
だめだ…埒があかない。
俺は拳銃を手にする。
「では答え合わせしましょうか…逃げようとしたって無駄ですよ…
その場合は…即、撃ちます。」
「ううぅ…市川さん…」
「答えが解った方は挙手をしてください…。そして私の耳に囁いて下さい。
このゲームの答えを…。
ただしここからは真剣性を増すためにも、不正解した場合も…
撃ちます。」
あと30分。
飯田が挙手をする。
(俺が悪かったよ、小岩の復讐なんだろ…?な?市川さん、正解だろ?)
…不正解だ。
ズガアァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーン!!!
俺は飯田の足元に向けて発砲した。
「不正解です…」
弾は飯田に当たることなく、冷たい地面に穴が開いた。
「畜生!!ヒントをくれーーーーーーッ!!わかんねぇーーーーーッ!」
飯田が怯えながら叫ぶ。
「静かにしてくれ、飯田さん。僕だって考えているんだ。」
「うるせーっ!こんな状況でよく冷静でいられるよな!?てめぇの彼女、まだ気絶しているんだぞ!!」
「僕だって、ヨウコを全く気にしていないわけじゃない!!飯田さんこそ、少しは冷静になるんだ!」
「なんだとォッ!このクソヤローッ!」
「やめてぇッ!!もういい加減にしてーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!」
飯田が上野に掛かろうとするが、手足の錠により、芋虫みたいで間抜けだ。
俺は…彼らの茶番を見ていた。
あと20分。
「ん…?」
田沼が目を覚ます。
「ヨウコ!!大丈夫か?」
朦朧とした意識の中で田沼が言う
「…もう…たくさんよ…」
顔は涙と血で真っ赤に染めたヨウコが目を覚ます。上野はすかさず声をかける。
「ヨウコ…?」
「なんで私がこんな…何も悪いことしていないのに…」
「ヨウコさん、しっかりして。今は答えを導き出さなきゃ…!」
「答えなんかあるわけないでしょぉぉぉぉッ!!!」
田沼が叫ぶ。
「私は何もしていない!この男がやったんじゃない!」
「お、おいてめぇ…」
田沼は飯田に啖呵を切った。
「ヨウコ、落ち着け!」
「何よケンイチ!あんた、早く私を助けてよ!ここから逃がしてよ!」
「僕だってもちろんそうしてあげたいんだ…!僕を信用してくれ…!」
「じゃあ早くしてよ!!いつもあなたはトロイのよ。いつまでも自分が天才ぶってんじゃないわよ!」
「ヨウコさん…上野さんは必死に答えを探しているのよ…。あなたのためにも。
そんな言い方、ひどい…」
「黙っててよ!何なのよあんた。さっきからガタガタうるさい!小娘のくせしてさ、泣けば世の中回ると思ったら大きな間違いだからね!
その年頃は脚でも開いていれば、勝手に男が寄ってくるもんねぇ!!」
「ひ、ひどい…!」
「ヨウコ…!!」
「いい!?ケンイチ!私だって、その小娘みたいなころには…」
ここに来て、俺はまたこれを見るとは思わなかった。
確実に4人が崩壊してきている…。
あと10分。
怪訝。
お互いがお互いに崩壊している。
上野も田沼に対し、残念に思っているだろう。
仕方ない。
「このままでは…全員ゲームオーバーになってしまいます…。
特別です…。最後のヒントです…。」
4人は俺のほうを見る。
「このゲームがスタートして、今まで。全ての事象を思い出してください。
これが…最後のヒントです…」
俺からはもう言えない。
後は彼ら次第。
さてどう出るか…。
上野は、ふと俺の左腕の傷を見つめていた…。
ーーー9月27日ーーー
17:50 ????
「解った!」
「どうぞ…私の耳に答えを…」
(あなた……?あのとき……。もう……)
市川は懐から何かを取り出す。
拳銃か?
それはカギだった。
がちゃ。
がちゃ。
「おめでとう、上野ケンイチ」
上野の手と足の錠が外された。
安堵と現状を飲み込めない上野がいる。
「手を…貸しましょう…」
市川は上野に右手を貸す。
上野は左手で掴んだ。
上野は立ち上がる。
「こんなものしかありませんが…出口までなら充分でしょう。
ここからまっすぐ行ったところに扉がある。
…行きなさい…上野ケンイチ…」
錆びれた鉄パイプを杖代わりに、上野は進みだす。
「待って!」
ヨウコだった。
「ケンイチ…答えは…?何なの?」
「……」
上野は何も答えない。
「ケンイチ…?…さっきはごめん、私どうかしていた…。」
「……」
上野は何も答えない。
「ケンイチ…?」
コツ…コツ…
上野は進みだす。
「待って!ケンイチ!私達、将来を約束していたじゃない!ねぇ!ケンイチ!」
上野が立ち止まる。
「君を…もう愛せない…。」
「そんな…」
コツ…コツ…
上野は進みだす。
「私は何もしていない!!」
コツ…コツ…
上野は進みだす。
「私は…何もしていないのにーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!なにもしていないのにーーーーーーーーーーーーッ!!!」
「…」
「わたしはあぁッ!なにもしていないのにーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!ケンイチぃッ!!」
「…」
上野が立ち止まる。
そして…
「そうだね…君は何もしていないよね…今も昔も…」
コツ…コツ…
上野は進みだす。
上野の姿が見えなくなる。
「いやああああああああああぁぁぁぁぁぁ!!!ケンイチ!!ケンイチーーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!」
もう足音が聞こえなくなっていた。
9月27日 17:50 上野ケンイチ ゲームクリア
ーーー9月27日ーーー
17:58 ????
「選ばれたとはどういうことか?それはみなさんにゲームをしてもらいます」
「このゲームでは私一人対、あなた達四人の複単混合ゲームです。しかし、お互いの勝利条件が違います。
あなた達はここから脱出する、それがあなた達の勝利条件。それが出来なかったら私の勝利。」
「あなた達には、両手と両足の自由が利かない…その中でどうやって脱出すればいいのか。ということを考えてもらいたい。」
「その気になればあなた達は、簡単にここから脱出出来る。そしてこの状況はむしろ私の不利なんですよ」
「他人の命や心を壊してしまう人間は、絶対に壊れた側の気持ちなど分からない。
そんな人間は私にとって最も憎むべき存在です…!」
「ヨウコ、みんな!…もしかしたら『共通点』ってことかも知れない」
「みーみーをーつーくーようなー…」
「たしか…5年くらい前に流行りましたよね、その曲」
「その通りです。私の目的は単なる復讐や私怨ではない。」
「ルール違反ですよ、飯田さん。他の人に、ならともかく私には通用しません」
「では良いでしょう…じゃあ仮にですよ、飯田さん。
もしも私が秋葉さんを酷く陵辱したと仮定しましょう。その後、あなたはきっと私を殺すでしょう。では
その後、秋葉さんの事を好いてあげられますか?」
「ずっと…昔の話ですよ。愛は恋のように美しい思い出にはならない。
失えば、人を二度と好きにはなれないかもしれないもの…」
「小岩カズユキという人物について」
「その男の子はきっと、感謝していますよ…」
!
全ての事象が一つに収束した。
すっと、挙手をする。
「どうぞ…」
(……私はあなた…、……さ…)
がちゃ。
がちゃ。
「おめでとう、秋葉ユリ」
私は答えにたどり着いた。
市川さんは私に手を差し伸べた。
私は市川さんの手を借りて立ち上がる。
「うっ…ううっ…」
私には涙が止まらなかった。
嬉し涙などではなく…。
私はどうしてだろうか。
市川さんの胸にうずくまった。
市川さんの心臓の音がする。
とくん…とくん…
でも、もうこの鼓動は聞けないんだね。
市川さんは優しく私の頭を撫で、優しい声で囁いた。
「行きなさい…秋葉ユリ…」
市川さんはゆっくり私を引き離した。
私は悲しくて仕方なかった。
こんな結末にしか出来ないことに。
「ううっ…うっ…ううう…」
考えてみれば私は泣いてばかりだった。
「待ってくれ!ユリちゃん!」
飯田…先輩…。
「俺、前からユリちゃんのこと…好きだったんだよ…!だから…ね…?」
私は先輩の元に行った。
「助けてくれよ…な?」
「…」
「答え…ああっ、ヒントだけでもいい!な…ユリ…」
なにそれ…。
なんなの…。
私はそんな飯田先輩の元に戻り、
パン!!
思い切り平手打ちをした。
「なにそれ…?」
そして私は振り返ることなく、出口に向かい歩いた。
そうか。
18:03って…。
私の為だったのか…?いや、まさか。
出口に向かう際、私にあのメロディーが流れてきた。
…みみをつくようなサイレンと シャボン玉作る女の子…
9月27日 18:00 秋葉ユリ ゲームクリア
ーーー9月27日ーーー
18:00 市川コウジ
タイムアップ。
残されたふたりは各々、助けて欲しいと懇願する。
助けて欲しいと叫ぶ。
「いやだあああああああああああああああああああああ!!!助けてくれェェェェッ!!!死にたくない!!助けてっ…!!!たすけてくれェェェェェェッ!!!」
「出して!!出してよおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!いやだぁ…!!いやあああああああああああああ!!!!出してぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
…ううっ…
俺は涙が流れた…
畜生…だめだった…俺はこのゲームに勝てなかった…。
期待していたのかもしれない。
心のどこかで…。
また、俺は負けた…。
ゲームオーバー…。
ーーー9月30日ーーー
16:00 習志野トオル
トオルは喫茶店で待ち合わせをしていた。
「お!来たか!こっちだ!おーい!」
静かな店内にチンピラ風の声が響く。
そこには松葉杖を突いた上野ケンイチと秋葉ユリがいた。
「へへ、まずはゲームクリアおめでとう!」
習志野はひょうきんな声を出した。
「まぁ…どうも…」
「おいニイチャン、辛気臭いぜ!明るく行こうぜ、な!?」
「明るく…できませんよ…」
「何だよ、これだから素人はよぉ〜。」
「はぁ…」
習志野とは対称に、上野と秋葉は辛気臭く答える。
困った習志野は、さっそく本題に入ることにした。
「ほれ」
テーブルに二つの封筒が出された。
『上野ケンイチ様』『秋葉ユリ様』
とそれぞれに書いてある。
「開けてみろよ」
言われたとおりに二人は自分の封筒を開ける。
そこには一枚の手紙と、小切手が入っていた。
「…2500万円…!」
「まぁよ、アニキからの報酬だよ。ありがたく受け取っとけよな!」
「…でも…」
秋葉が返そうとした。
「おっと!俺は確かに渡したからな!俺に返すなよ!
…まぁ、いいんじゃねぇか?もらっとけよ、アニキなりの迷惑料だと思うからさ。
後で捨てるなり何なりしろよ」
「……」
「ちなみに俺ももらっているからよ、ほれ」
習志野の手には二つの封筒があった。
『飯田ヨシオ様』『田沼ヨウコ様』
それを見て、上野が言う。
「市川さんはやはり全員、クリアさせようとしていたのか…」
「そう。公平にゲームしたんだよアニキは。んでクリア出来なかった奴らの報酬は俺がいただくってこと。
ちゃんとアニキから言われてっから。」
「おまたせしました〜、コーヒー3つですね〜。」
「おう悪いね〜、サンキュ」
習志野がウェイトレスに答えた。
上野と秋葉は依然、何も話そうとしない。
ズズッとコーヒーを飲んだ習志野が言う。
「まぁ…アニキもな…いねぇけどさ。だから俺がアニキの分もやらなきゃならねぇ…。
気合いれてよ…!でもさぁ…
思い出を忘れちまう事と、思い出を忘れられない事って…
どっちが悪いのかねぇ…」
10分後、習志野は『仕事』のため、喫茶店を後にした。
秋葉と上野もすぐに喫茶店を出て、ある場所に向かい歩き始めた。
「秋葉さん、あの手紙はなんて書いてあった?」
「うーん…たぶん上野さんのと同じですよ」
「じゃあ…秘密にしておくよ」
夕暮れ時、オレンジ色の夕日が上野と秋葉を初めとする全ての物を暖かく照らす。
「ヨウコさんの事…ショックですよね…」
「…いや、ありがとう。」
「さっきの習志野さんの言葉…」
「ああ…思い出の事?」
思い出を忘れちまう事と、思い出を忘れられない事って…
どっちが悪いのかねぇ…
「私は…絶対に忘れない…。あのゲームも、市川さんも…
忘れないで…生きていくの」
「ああ…僕も…忘れない。忘れないさ…」
二人の着いた先は、一本の電信柱だった。
「ここか…」
「…ええ…そうね。」
ラスト・エピソード
ーーー9月27日ーーー
18:00 小岩カズユキ 5年前
○○区のとある一角。
裏道のような場所。
少年は女と男に対峙していた。
「どうしてこんなことに…」
男が前に出る。
「この女は愛より距離を取ったんだよ」
「悪いけど、彼の家近いし。お金もカズユキよりあるし。」
少年は咆哮した。
少年は男に掴みかかる。
男は逆に少年を投げ飛ばす。
「他人の事情なんか知らないね」
男は拳銃を手に取り少年の左肩を撃ち抜いた。
鋭く響いた銃声。
溢れる大量の血。
少年は悶える。
しかし、少年は立ち上がった。
大切なものを取り戻すために…。
少年は男にタックルした。
マウントポジション。
少年は交互の拳で男の顔を殴りつけた。
何度も何度も。
殴っている拳の痛みもない。
女が少年を引き離す。
肩から流血して立ち尽くす少年。
顔から流血して仰向けの男。
女は男のほうに行った…。
「大丈夫?ねぇ…大丈夫…?」
少年は絶望した。
少年は涙が止まらなかった。
少年はその場から逃げ出した。
走った。
愛していたのに。
誰よりも君を愛していたのに。
走った。
痛い。
肩よりも心の傷が痛む。
痛い。
僕のこころは壊れてしまうのかな…
痛い。
僕のこころがくずれていく…
痛い。
もうどこが痛いのかわからない…
降りしきる雨。
少年の涙は雨に溶け込んでいた。
少年は疲れ果て、電信柱に横たわる。
通行人が怪訝そうに見ては通り過ぎる。
一人の大学生が傘を少年に差す。
「大丈夫か!?しっかりしろ!…肩から流血…まずい…止血しなきゃ!だれか!だれか!」
女子高生が通りかかる。近所の子なのか。
事態を飲み込んだ女子高生は、大急ぎで自宅から救急箱を持ってきた。
救急箱から消毒液とガーゼを、大学生が少年の左肩に反時計回りに巻く。
「救急車を呼びましょうか!?」
少年は立ち上がる。
「いや…いいです。もう…いいんです…」
ありがとう。
言葉が出なかった。
少年は早歩きで消えていった。
少年は廃工場に雨宿りしていた。
「誰だ!」
そこには先客がいた。しかし…恐る恐る話してみれば人懐っこい先客だった。
先客は少年にタバコを差し出した。
少年は生まれて初めての、セブンスターを吸った。
ーーーエピローグーーー
「…次のニュースです。
東京都○○区で現在使用されていない工場が
爆破されました。
警察の調べによると、
2名の焼死体が発見され、身元の確認を急いでいます…
この2名の焼死体についてですが…」
完