01:少女の秘密
――――――――県立二ツヶ丘高等学校 木沢市
「次のニュースです。アラスカ州の国立公園内にて、現地時間昨夜未明、大規模な爆発事故がありました。州当局によりますと、現在、負傷者六十五名が病院で手当を受けているという事で、死者、行方不明者の正確な数はわかっておりません。爆発の原因は、地球に接近した小惑星によるものとされております。天文学専門家筋によりますと、昨年十月にインドネシア上空に飛来したものと同規模のものが、再度地球に飛来したのではないかと分析、国内のアマチュア天文家からも爆発直前に小惑星を捉えたとの目撃例が報告されています。州当局は負傷者の救命を急ぐと共に、爆発事故の詳細な原因を追及しています」
学食の大型テレビの前で、現地アナウンサーの映像に日本語訳を被せたその報道を、棒立ちのまま食い入るように眺める一人の女子生徒がいた。手には学食の山菜定食を持ったまま。二年生を示す臙脂色のスカーフと紺色のブレザーを身に付けている。
画面下に流れる字幕に「Gates of the Arctic National Park」の文字列を認めて、彼女の中の疑問が確信に変わった。
「ねえ卯美、なに観てるの?」
不意に後ろから肩を叩かれて、雨宮卯美は我に返った。そこで初めて自分が通行の邪魔になっていることに気づいた。
「あ、ごめん」
すぐに脇のテーブルに寄り、ランチのトレイを置いた卯美は、テレビから視線を外さずに謝罪した。声を掛けたのは、同じクラスの友人の一人、早川刹那だった。
「どうしたの、ぼーっと突っ立ってて」
「……ないでもない」
何でもないと言う事はないでしょ、とでも言いたげに刹那は不思議な顔で卯美を見た。いつまでたっても、その視線はテレビから離れない。
「あ、卯美の昔住んでたのって、アラスカだっけ」
思い出したようにそう告げる。
「……うん」
消え入るような声で、卯美は答えた。
「あの近く?」
「まさか。昔ちょっと遊びに行っただけだよ。何もないところだけど。あ、ごめんね、ぼーっとしちゃって」
ようやくテレビから目を離すと、卯美は済まなさそうな声でそう言った。
「何もないところって言っても、負傷者とか結構出てるみたいね。ご両親は、もうアラスカに住んでいないんでしょ。不幸中の幸いというか」
卯美のアラスカ暮らしについて、刹那は興味本位に何度か訊いてみたことがあるのだが、彼女は、何故かあまり話したがらなかった。知っている事は、十三歳までアラスカにいた事、その後、両親はサンフランシスコに移り住んで、彼女は一人日本に戻ってきた事、そして高校に入って一人暮らしをしている事、そのくらいだった。勉強会で、彼女の部屋に遊びに行こうという話になったとき、彼女はそれをやんわりと断った。家庭の事情は人それぞれであるから、深く踏み入るべきではないと思っていたが、何故、そうも彼女は頑なに自分の事を話したがらないのか不思議でならなかった。
「ひょっとして、向こうに彼氏がいたとか」
「まさか」
これも刹那が不思議に思っていたことだった。雨宮卯美は同姓の刹那から見ても溜息が出るほど、美しかった。背中の中程までに伸びる黒髪、全体的に華奢な割に、ふくよかに膨らんだ胸、そしていつも涼しげな瞳。そしてその左目の脇にある泣き黒子。男達の話の種に、度々話題に上がっているのを何度も聞いている。ところが、実際に浮いた話は一つとして聞かない。
普段は、休みの時間になれば自分たちの下らない話にも、そこそこ乗ってきては楽しんでいるのだが、今日の彼女は、どことなく儚げだった。
「卯美、やっぱりアンタ、黙ってたほうが綺麗だわ」
刹那の目が怪しく光る。彼女は、よく隙を見てはからかい半分に卯美とじゃれ合った。クラスメイトから百合疑惑を持たれているし、実際、半分は本気かも知れない。
「……何言ってるんだよ刹那。私、ご飯まだ食べてないよ」
「卯美はやっぱりアタシのモノ。さっさとウチに嫁に来い」
周囲にかまわず、刹那は卯美に抱きついた。
「こら、刹那、離れなさいって」
そんな言葉も耳に入らないのか、刹那は猫のような顔で卯美にほおずりする。案外これが、彼女に浮いた話が無い原因なのではないかと、刹那自身が思っている事なのだが。
「今日は、駅前のクレープ屋に行こう。新メニューが出てるんだって」
「ご飯食べてるときに、もうおやつの話? 刹那、そんなだとまた太るよ」
はっと我に返って、刹那は周囲を見回した。方々から視線が飛んできている。卯美ほどではないにせよ、刹那も自分の容姿にはそこそこ自信があった。卯美とは対照的に、さっぱりとしたショートカット、きりりとしたまるで男のような眉。中学時代から高校一年が終わるまで陸上をやっていたので、足の綺麗さは卯美に負けてない。よく、中性的な魅力があると囃され、言い寄ってきた男も数知れず。とは言っても、とある事情で陸上をやめてからというもの、徐々に体型が崩れてきているのではないかと本気で不安になっていた。
「……まあ。そんな、すぐに太るわけでもないし」
咄嗟に誤魔化した。それでも新メニューは食べたい。そういう欲求は年頃の女の子そのものだった。
「山倉君は、どうするの?」
「あー、あいつか。今度の文化祭実行委員だから、しばらくは遊べないよ。無視無視」
「えー? 可愛そうだよ。刹那の彼氏でしょ?」
山倉潤、一応、現在の刹那の彼氏の名だ。一応というのは、彼女の言い寄ってきた男どもの中の一人で、その中から彼女が比較的容姿がいいということで便宜上付き合っているというだけ、と卯美は彼女からそう聞かされていた。実際、悪い奴ではないし、男としての力強さや優しさなども備えている。その容姿のためか、他の女生徒からも人気が高い。そんな男が、なぜ自分を選んだのか、刹那は理解できなかった。だが、あまりにも刹那に構いすぎているようなところがあるので、ここのところ鬱陶しく感じてきている。いつもはこういったタイミングで割り込んでくる男なのだが、今日は文化祭委員としての仕事で先生に呼び出しを食らって、今頃は職員室や印刷室であくせくと働いているはずだった。
「刹那も手伝ってあげればいいのに」
「やだよ。めんどくさい」
「山倉君、可愛そう」
「そう思うんなら卯美にあげるよ。あの男、調子いいところあるからな」
「えー?」
素っ頓狂な声を上げて、卯美が驚く。
「うそうそ。そんな事したら卯美が奴に取られちゃう」
そうして、また抱きつく。
「卯美はアタシのモノ。男どもにくれてやるなど、勿体ない」。
卯美は困惑しながら、目の前の食事に箸をつけていた。
そんな彼女らとは離れた場所で、もう一人、テレビ画面に釘付けになっている少年がいた。彼女らと同じく、二年生を示す臙脂色のネクタイと紺色のブレザー、中身が空になったトレイを持って、その画面を凝視していた。銀フレームのメガネを通したその視線は、画面に穴を開けんばかりに鋭かった。
「……小惑星。そんな訳ないだろう」
誰に聞こえるわけでもなく、少年は一人呟いた。
「本当に、山倉君誘わなくていいの?」
「女同士で行くんだから意味があるんじゃないか」
衣替えの季節も近づくある五月の平日、卯美と刹那は学校を出た下り坂の途中で、二人談笑していた。校門前にたむろしていると運動部の邪魔になるので、クレープ屋に行く他の仲間をここで待っている。背面が急な崖になっているというのに、刹那は何も恐れることなくそのガードレールの縁に腰掛け、足をブラつかせて遊んでいた。
「刹那、危ないよ」
聞く耳持たず、とでも言いたげな顔はいつもの事だ。
「遅いな。みんな」
県立二ツヶ丘高校は、毎年七月に文化祭をする。進学校なので、夏休み以降より夏休み前に終わらせたほうが勉学に都合がいいという理屈らしい。今日はほとんどのクラスがホームルームで文化祭の出し物を決める。山倉はそのための準備に借り出され、他の仲間達のクラスもなかなか出し物が決まらないようだった。
「全く、今年もまた喫茶店だなんて」
「そういえば刹那のクラス、去年も喫茶店だったね」
「メイド喫茶な」
卯美は昨年の文化祭を思い出して、赤面した。
彼女らは去年は別々のクラスだった。当初、ノリノリで文化祭の準備をしていた刹那は、本番当日、クラスの友人に頼りきりだった衣装デザインを見て轟沈した。やたらと胸元を強調した露出度の高い物だったからだ。そして、たまたまそのクラスに遊びに来た卯美は、なにがなんだかわからないうちに刹那の制服を着せられ、別のクラスだというのに強制的に手伝わされた。
「ああ、あの時、アタシも卯美ぐらいのチチがあれば」
わきわきと、自分の手と卯美の胸を見比べる。
「私は嫌だよ、あんな格好もう二度としませんからね……刹那、その手、なんか、やらしい」
下校している他の生徒達が、怪訝そうな顔で通り過ぎていく。早めに出し物が決まった自分達のクラスの人間も何人か混ざっていた。
「おい、早川、また雨宮と遊んでいるのか。そこ危ないぞ」
男子生徒が反対側の歩道から、からかい半分に声を掛けてくる。
「うるさい。とっとと帰れ。二人の愛を邪魔するな」
「おお、コワイコワイ」
何人かの生徒も彼女らの様子を「またか」という顔をしながら通り過ぎていった。
「卯美、ちょっとこっち来い」
そう言って、刹那は雨宮の腰を掴むと、くるっと背中に返す。刹那はそのまま彼女の腰に抱きついた。
「……ちょっと刹那。変なコト考えてるでしょ」
腰を抱いていた刹那の手が、徐々に卯美の体を這い上がっていく。
「ちょ、ちょっと、待って」
「さあ、卯美、その柔らかい体を存分に味わってやる」
「やぁっ、こら、刹那、やめなって」
ぎゅっと胸を鷲掴みにされた卯美は、反射的にその手を振り解いた。
「あっ!」
刹那の体がぐらりとバランスを崩し、仰向けに傾いた。咄嗟に伸ばしたその手を、卯美が掴もうとする。が、その手は空しく宙を掻いただけだった。足でバランスを取ろうにも、すでに虚空に円を描いている。間に合わない。刹那の体は、そのまま背後の崖に、真っ逆さまに――――――――落ちなかった。
「しくじった《Bull shit》」
ほとんど聞こえない小さな呟き。いつの間にか、刹那の足は、一人の男子生徒の手に掴まれていた。
「え?」
その場に居合わせた卯美も、助かった当の刹那も、訳が解らなかった。下校している生徒のほとんどは、このガードレールと反対側の歩道を歩いている。この男子は、一瞬にして、道路を横切ってここまで来たというのか。
彼は、刹那の足を引っ張りあげて地面に下ろすと、まるで何事も無かったかのように、その場を去ろうとした。
「ちょ、待って」
彼は足を止め、少し躊躇うように振り返った。卯美も刹那も、その細い銀縁のメガネを見て、確かに見覚えのある顔だと思った。同じクラスの、目立たない男子。咄嗟に名前が出てこない。
「えっと、ありがとう。確か、君って」
「……滝川だ。気をつけた方がいい」
ぶっきらぼうに、彼はそう言い放った。
「俺は急いでいるから。じゃあ」
再び彼はすたすたと歩き始めた。二人は顔を見合わせた。確かにクラスメイトではあるのだが、その声をまともに聞いたのは初めてのような気がする。授業中に何度か聞いているはずだが、それも思い出せない。新しいクラスになって二ヶ月も経ってないという事もあるのだが。
「滝川、いたっけ? そんな奴」
「えっと、たまに、山倉君と話してたよ。たしか……」
基本的に、刹那は自分に言い寄ってきたり、色目を使ってくる男子は覚えている。卯美にハッパをかけそうな男子もそうだ。それ以外では、よく掃除をサボる男子、クラスで虐められている男子も。しかし、そのいずれにも該当しない。
その後ろ姿を眺める。男子の中では、特に背が高い方ではない、かといって、低くもない。痩せてはおらず、かといって太ってもいない。細い銀縁のメガネも、ありきたりだ。
「クソ真面目そうだなぁ」
「そうでもないよ。たしか……山倉君と話してるときは、そんな風は見えなかったし」
山倉は、よく休み時間に馬鹿な話で場を盛り上げたりする。お下劣話のオンパレードだ。真面目なら、そんな話にはついて行けないだろう。ところが、そんな場面でも、違和感なく溶け込んでいる彼の姿を、刹那もようやく思い出していた。
「そういや、そうだ」
今頃になって、卯美の目から、ぽろぽろと涙が溢れてきた。刹那も、自分の足が震えているという事に気がついた。
「……助かった……」
二人とも、ぺたんと地面にへたり込んだ。
「……ごめん、刹那、悪い事、しちゃった」
落ちそうになったのは自分の責任だと、卯美は泣きながら刹那に謝罪した。
「アタシも悪かったよ。今度からちゃんと二人きりになった時に」
「違うでしょ」
あはは、と涙を流しながら、卯美は笑った。
「明日、滝川君にちゃんとお礼しなくっちゃね」
「あー、どんな風にお礼すればいいんだ?」
そこで、二人はまた顔を見合わせた。お礼と言っても、特に親しい男子ではないし、口頭でありがとうと言うだけでは、ほとんど命の恩人とも呼べる人に対して失礼な気がした。
「何かプレゼントあげるのは」
「卯美、それは大袈裟。変な勘違いしそうじゃん」
「じゃあ、手紙書こうか」
「え、アタシ、そんなの書けないよ」
「……私が書くよ」
助けられたのは自分なのに、どうして卯美がそこまでする、と刹那は食い入るように卯美の顔を覗き込んだ。何か、思うところがあるらしい。
「……わかった。まかせる。でもさ。それも勘違いしちゃって、卯美に言い寄られたらどうする? アタシはイヤだよ。卯美が男に取られるの」
あはは、と卯美は笑って誤魔化した。いつもの事だ。そうなった場合でも、この子はやんわり断るだろう。刹那はそう思っていた。
「おーい、早川、雨宮、一体どこに座り込んでるのよ」
坂の上から、クレープ屋組の残りの仲間が、ようやくお目見えした。
読みにくいので行間を空けてくれと言う要望をよく聞きますが、ブラウザで読む前提では書いてないので
縦書きビュア等をご活用下さい。