プロローグ
眼が覚めると、そこは少女――星河 奈々芽にとって見慣れた世界ではなかった。
格子状に区切られ、それぞれに竜の紋章が金色で薄く描かれた天井。深い翠の壁紙が貼られ、落ちついた雰囲気のあるクラシカルな壁。さらに遠くに見える無垢な木目調のオートクチュールや、その上に置かれた果実を模した硝子のランプシェード。周りにあるすべてが、少女の知っている昨日までの世界――父親に押し込められた埃っぽい屋根裏部屋とは違っていた。
「うぎゃ……?」
一体、ここはどこだろう。
そう声を出そうとして、奈々芽はハッとした。大声を上げた直後のように、喉が言うことを聞いてくれない。息苦しくはないが、何か食べ物でも詰まらせたようだった。彼女は思わず喉に手をやるが、そこでもまた背筋を冷やす。
彼女の目に飛び込んできた手は、酷く小さかった。しかもジャガイモがつながったような丸っこい手だ。どうみても、幼児か赤ん坊のあのふにふにと柔らかな手にしか見えない。奈々芽は十四歳、とうにそんな手は卒業して、大人のほっそりとした手になっていたはずだ。しかも、幼いころに煙草を押しつけられて出来た小さなやけどの跡が、今の彼女の手には見当たらない。右手の親指の付け根にあった、ケロイド状の豆粒ほどの物体がきれいさっぱりと消えうせている。
「おんぎゃー! うぎゃあ!」
わけがわからず叫ぶ奈々芽。すると彼女の方に、翡翠の髪を長く流した女性が近づいてくる。眼は目尻の方がやや下がり気味ながら大きく、瞳は澄んだ鳶色。唇はぷっくりと艶やかで、淡い桜色をしている。鼻筋は高くまっすぐに通っていて、鼻先がスッと上がっていた。
優しそうな人だな。
女性の温かな気配に安心したのか、奈々芽の泣き声がやや収まった。そうしているうちにその女性は奈々芽の身体を抱きかかえると、耳に心地よいソプラノで囁く。
「ハイネ、どうしたの? 恐い夢でも見たの?」
奈々芽の身体を包み込んだ手は暖かく、折れてしまいそうなほど細いのにしっかりと彼女の全身を支えた。ここにきて彼女は、混乱しつつも現状をおぼろげながら理解する。
私は赤ん坊で、この人はお母さんらしい――と。