第9話 分け合えない朝食
一段飛ばし、いや二段飛ばしで階段を下りる。背中にベネディクトの視線を感じるが、スルーしてレオの元へと向かう。
「レオ。お疲れ様」
レオのこめかみから一筋、汗が伝い落ちるのが見えた。息は少し上がっているが、それだけだ。
「無事試験に合格して、参加資格も手に入れたぞ!」
「おめでとう。最後の持久力テストなんて、さすがレオって感じだったよ」
「まぁ俺は、その……な?」
偶然誰かの耳に入ることを恐れて、レオが言葉を濁す。
仮にノーラが背中に石を背負って闘技場を十周したとすれば、合格はできても滝のように汗を流していただろう。竜人の身体能力はさすがだ。
「武闘大会の出場権を手に入れたお祝いに、屋台でなにか買ってあげるよ。お腹空いてるでしょ?」
「いいのか?昼まで我慢するのはしんどいなと思ってたから、凄い嬉しい」
「いつもは食べられない朝ごはんだと思ってくれればいいよ」
ノーラは古い記憶を頼りに石畳の上を歩いていく。屋台の場所も、そして味も、決して変わることがないから、自信を持って歩を進めることができる。
「こういうのが変わらないのは、便利なんだけどね」
レオの耳に届かないよう、声に出さずに呟くと、五、六人ほど人が並んだ小さな屋台が見えてきた。
鉄板の上では、ラードを練り込んだ平たいパンがきつね色に焼けている。そこへ、薄くスライスされた巨大なソーセージと、とろりと溶けたチーズが挟み込まれた。
屋台から漂う芳醇な脂の香りは、道行く人々から理性を奪い、彼らを列へと導いていく。
「人が少ないときに並べてよかったな」
レオが後ろを振り返りながら言った。
「そうだね。……二つ欲しい」
恰幅の良い店主からパンを二つ購入し、近くのベンチに座る。屋根付きの通路が、午前の日差しからノーラたちを守ってくれる。
「うまいっ!」
レオは両手で抱えるようにして、その熱い塊に大きくかぶりついていた。包み紙からはチーズがこぼれそうになっている。
口内で暴れる熱気を逃がすようにハフハフと息を継ぎながら、夢中になってザクリザクリと音を鳴らしている。
「これもレオの分だから、どうぞ」
レオは口の端のパン屑を、舌でペロリと舐め取っている。ノーラはそんなレオに、手つかずのパンを差し出す。
「は?」
レオは意味が分からないという表情でノーラを見つめている。
「レオは食べ盛りだから、二ついるかなって」
「それはノーラの分だろ?」
「私の分も買う素振りを見せないと、レオは食べないでしょ?」
レオは怒気を含んだため息を吐いた。
「最初からノーラは食べないつもりだったのかよ?」
「うん。私たち貧乏だから、買える数は限られてる。だから、食費はレオに当てる割合を増やそうってシアと話し合ったんだ」
「エルシアはそういう意味で言ったんじゃないだろ。俺はノーラと一緒に食べたかったんだ。仲間に絶食させて、自分が食いたいわけじゃない!」
そう言うや否や、レオはノーラからパンを奪い取り、強引にノーラの口へと詰め込んだ。
レオにしてはすごく乱暴で、だからこそ、彼の苛立ちを理解できる。唇の端から熱い油が滴り落ち、溶岩のようなチーズに舌を焼かれる。
「あつっ……!」
「俺は潔癖症だから、これでもう食えないな」
そんなの初耳だ。
ノーラは口を開くことができず、ジュワッ、ジュワッと音を鳴らしながら顎を動かすしかなかった。
「……次からは、半分に分けて渡すよ」
ノーラは必死に咀嚼して口の自由を取り戻すと、今回の反省点を踏まえた発言をした。
レオから返ってきたのは二度目のため息だった。しかし、そこに含まれていた感情は、先ほどのような怒りではなかった。
「そうじゃないんだけどな」
レオは諦めたように言葉をこぼすと、だんまりを決め込んでしまった。沈黙が気まずくて、ノーラは味わうことなく残ったパンを流し込む。
口内にはソーセージの塩気が残っていて、口の中の水分をすべて奪い取っていくような気がした。
「お腹も膨れたし、そろそろ協力者に会いに行かない?」
ノーラは水筒を取り出しながら言う。
「いいけど、どこにいるのか分かるのか?」
「琥珀都は永遠に変わらない都市だよ?いつだって同じ場所を拠点としているから、会うのは簡単だよ」
喉を潤すと、ベンチから立ち上がって回廊を進む。街の東に向かうにつれ、人通りが少なくなる。
代わりに増えたのは、道端にうずくまる痩せた影たちだ。彼らは一様に、飢えた獣のような目でこちらの懐具合を探っている。
レンガは崩れかけ、まるで都市そのものが皮膚病を患っているかのように、赤茶色の粉を路面に撒き散らしていた。
「悲惨だな」
レオはこの光景に目を伏せていた。
「雨に打たれないだけましだよ。食べ物も大量に廃棄されてるから、漁れば飢えをしのげるし」
貧民たちの咳き込む音や、わずかなコインを巡る怒声。本や絵画を拾い集め、暖を取るための燃料にする老人たち。
それでも、その日をやりすごせるだけの余剰が琥珀都にはある。
「さあ、奥に進もう」
「ああ。……いつ襲われるか分からないから、警戒して行こう」
二人の鼻を突くのは、ドブ川の腐臭と、長く洗っていない獣のような体臭。
東側。そこは、この華やかな都市が吐き出した汚泥が吹き溜まる場所だった。




