第6話 逃げた王家
ノーラが扉を押し開けると、蝶番が悲鳴のような音を立て、店主と思わしき老人がビクリと顔を上げた。
「お客さんかい?」
ノーラは空気中を舞う埃を手で払いのける。
「うん。女性二人と男性一人で長期間泊まりたいんだけど、大丈夫かな?」
「二部屋だね。大丈夫だよ」
暖炉には火がなく、書店である一階の本棚には、灰色の雪が降ったかのようにうっすらと埃の層ができている。
「食事はいるかい?いるんだったら、部屋に運ぶけど」
「三人分を私の部屋に運んでほしい」
店主は頷くと、ノーラに錆びついた鍵を二つ渡した。
内装といい鍵といい、少し不安になってくる。屋根の下で休めれば十分ではあるが、清潔な部屋に泊まりたいと思うのは人の性だろう。
「レオ。鍵」
鍵を渡そうと振り返ると、レオは窓際の本棚の前に立っていた。長い間日に晒されていたのか、どれも脱色している。
「エルシア、この本を買ってもいいか?」
「えーと、タイトルは『琥珀都の歴史』ね。おおまかな歴史は私が教えられるけど」
エルシアは一行の財布を握っている。
「エルシアがいないときに、歴史が気になることもあるだろ?」
「それはそうだけど……」
値段は安い。だけどエルシアは渋い顔をしている。日雇い仕事や狩り、薬草の直売りで生計を立てているからだ。
「ふふっ」
笑い声が聞こえて振り返ると、店主が好々爺そのものといった愛らしい表情で笑っている。
「持っていきなさい。代金はいらないよ。日焼けしている粗悪品だからね」
「ありがとうな、お爺ちゃん!」
レオの無垢な笑顔に、ノーラの頬がほころんだ。エルシアと二人旅をしていた頃は、笑うことなんてほとんどなかった。
ありがたいなと、いつもそう思う。
狭い階段を上り、部屋へと入る。
「客室は綺麗なんだね」
ノーラが胸をなでおろす。
卓上のランプに火を灯すと、簡素な木製の家具と、塵ひとつなく磨き上げられた木の床が浮かび上がった。
「ふう……。ようやくフードを下ろせる」
エルシアが厚手の布地を肩に下げると、無理やり折り畳まれていた長い耳が、ばねのように勢いよく跳ね上がった。
ノーラはこの光景を見るのが好きだ。
単純に面白いからというのもあるが、なによりも、エルシアがフードを外すのを見て、ここが安全な場所なのだと認識できるからだ。
背教者たちは、旅の疲れを癒すように椅子に座って押し黙っていた。
「食事ができたよ」
扉の向こうから、店主の声が聞こえてくる。ノーラはエルシアがフードを被ったのを確認してから扉を開けた。
運ばれてきたのは、透き通るような黄金色のスープに浮かぶ、リング状のパスタだ。
小ぶりなパスタを噛めば、中から生ハムとチーズの塩気がじゅわりと溢れ出した。
「……おいしい」
三人の声が見事に調和する。
舌先から広がる幸福感に、気を緩めてしまったのだろう。ノーラは、この世界ではなんの意味もなさない問いを口にしてしまった。
「こんなに美味しいのに、お客さんがこないんだね」
「代々そうなんだ。立地が悪いのかなぁ」
相好を崩して笑う店主は、どこか寂しそうな瞳をしていた。二言三言言葉を交わすと、店主は部屋から去っていった。
その背中を、レオがじっと見つめている。
「……エルシア。琥珀都について教えてくれ」
「この街は約三百年前まで、シルリス家によって王政が敷かれていたの」
「最後の王様は暗君だったんだよな?」
レオが『琥珀都の歴史』を捲っている。
「いいえ。違うわ」
「むしろ名君だったらしいよ。貴族の権益を削いで民に還元しようとして、それで殺されたんだよ」
ノーラが静かに補足するように言った。
「はあ!?なんだよそれ!?」
「歴史は勝者が書くものだから仕方ないわ」
エルシアが憤るレオをなだめて、説明を続ける。
「その後、三頭政治や共和政、独裁と目まぐるしく政治体制が変わったの」
「当時の琥珀都は、相当混乱してたんだろうな」
レオの言葉にエルシアは頷く。
「混乱はまだまだ続くわ。独裁をしていた男が暗殺され、琥珀都の指導者が不在になったの」
「泥沼すぎるだろ。俺だったら琥珀都から出ていく」
「そうね。……内戦にうんざりした人々は、シルリス家による王政復古を望むようになったの」
レオが「当然の流れかもな」と口にする。
「でも、シルリス家の当主は逃げたの」
「はぁ!?」
予想外の言葉に、レオが再び大きな声を出す。
「権力闘争が怖かったのよ」
「いや、まぁ分かるけどさ。……身勝手すぎんだろ」
王族としての責務を果たせと、レオが付け加えた。エルシアは短く応じると、解説に戻る。
「その後も内戦は続いたのだけど、前に言ったバロンやミカエルを含む三人の実力者が台頭し、彼らはバロンを王に据えて、議会王政を樹立しようとした」
「三頭政治も独裁もうまくいかなかったからか」
エルシアは微笑を返すと、そこで一旦言葉を区切った。
「でも、テレスフィアが降臨してミカエルが王位に就いた、だよな?」
レオが合点がいったという表情で結論を出し、背もたれに体を預けた。
「つまり、俺たちの協力者はバロンの子孫だ」
ノーラとエルシアは顔を合わせて笑っている。言いづらそうなエルシアに代わって、ノーラが間違いを指摘する。
「違うんだよね。……誤解するのも仕方ないと思うけど」
「えっ?じゃあ誰?」
目を丸くして驚くレオを見つめながら、ノーラが答えを告げる。
「私たちの協力者はシルリス家だよ。……先祖が逃げたことを、ずっと後悔しているんだ」
「なるほど。琥珀都が歪なまま固定されてしまったことに、罪悪感を感じているんだな」
レオが天井を仰ぐ。
「俺はてっきり、バロンの子孫が協力者だと思ってたよ」
「バロン自身は恨んでいたらしいけど、子孫は今の地位に満足しているらしいよ」
ノーラは苦々しく笑うと、ため息交じりの言葉を吐いた。




