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終焉を告げる神  作者: 琴坂伊織
第一章 琥珀都編

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第10話 スラムの洗礼




 ぬちゃり、と靴底が嫌な音を立てた。何を踏んだのか確認する気にもなれない。ノーラは鼻を歪めている。


「今すぐ靴を洗いたいけど、洗うときのことを考えると億劫だな……」


「今までいろんな所を歩いたけど、まぁ慣れないよな」


 どこまでも続くと思われた通路の屋根が、巨大な獣に噛みちぎられたかのように寸断されていた。崩れ落ちた屋根の破片が石畳を埋め尽くし、足の踏み場もない。


「靴底がぬかるんでるから気をつけろよ」


 レオの助言通り、慎重に足を石片の上に置く。少しバランスを崩せば捻挫してしまいそうだ。


 足裏に大小さまざまな岩の凹凸が食い込んできて、ノーラの平衡感覚を揺さぶってくる。


「うん?」


 頭上で何かが弾ける音がして、ノーラは反射的に前へ跳ぶ。着地の際に、足首があらぬ方向に曲がりそうになる。


 ノーラがついさっきいた場所から、ビチャビチャと液体が降り注ぐ音が聞こえてきた。


 顔を上げると、崩壊した屋根の隙間から、バケツを持った痩せこけた老婆がこちらを見下ろしていた。


 彼女は謝罪もせず、濁った目でノーラを観察しているだけだった。


「ノーラ!」


 レオはひとっ飛びでノーラの隣へと迫ると、危なげなく着地した。ノーラの体に汚水がかかっていないのを確認してから、怒ったように頭上へと目をやる。


 視線の先には、平坦な表情で変わらずノーラを見つめている老婆がいた。その瞳は光を吸い込むばかりで、何も映さない。


「レオ。行こう」


 ノーラが呼びかけると、レオは怒っているような、泣いているような顔でこちらを見つめると、素直に頷いた。


「こんな環境だもの。仕方ないよ」


 ノーラはそう言うと、何事もなかったかのように歩いていった。


 この街の壁は全て赤やオレンジといった暖色で統一されているが、貧民街の赤は血糊のような暗褐色だ。


 汚物を投げつけられる程度であれば可愛い類に入るのだろう。割れた壁の隙間から、ノーラのことを食い入るように見つめる瞳と目が合った。


「レオ」


「……ん?なに?」


 レオは先ほどから視線が下に向いていて、周囲への警戒もおろそかになっていたのだろう。


「明確に害意を持った男を一人見つけた。こういう場所って徒党を組むのが一般的だから、もっといると思うよ」


「あいつだな。どうする?回り道でもするか?」


「いいや、戦おう。私たちはスラム街の奥に用があるから、どこかで戦闘は避けられないよ」


 前方の壁から五人の男が姿を現す。それに呼応するように、背後から三人分の下卑た笑い声が聞こえてくる。


「どこに隠れてたんだ?……俺がもっと警戒しておけば」


 錆びついたナイフ、釘の飛び出た角材、鎖。スラムの住人らしい粗末だが殺傷力のある凶器が、一斉にノーラたちに向けられている。


 彼らはノーラの顔や胸、臀部を舐めるように見つめている。隣にいるレオのことなど、眼中にないようだ。


「ノーラ。俺はあの五人を相手する」


 レオは低い声で呟くと、間髪入れずに地を蹴った。拳が放たれ、空気が破裂する音と共に先頭の男が弾け飛んだ。


 だが、それは被弾によるものではない。男は咄嗟に角材を盾にすると、衝撃の瞬間に自らバックステップを踏み、攻撃をいなしてみせたのだ。


 身代わりとなった角材は粉々に砕け散ったが、着地した男の身体には、傷一つ刻まれていなかった。


「思ってたよりも強い。ノーラ、気をつけてくれ!」


「うん。レオもね」


 ノーラは腰の剣を引き抜くと、自らの敵を見据える。三人の男から下卑た笑みが消え、代わりに冷たい光が瞳に宿った。


「嬢ちゃん。武器を捨てな。そうすりゃ手荒な真似はしないでやるよ」


 中央の鉄パイプを持った男が、くぐもった声でノーラに話しかける。


「それは自殺行為だね。武器を捨てた瞬間に手荒な真似をするでしょ?」


「ははっ、違いねぇ。バレちまった」


 ノーラは足元にあった石を鉄パイプの男に向かって蹴り飛ばすと、右の丸腰の男に向かって駆ける。


「斬るからね」


 丸腰の男の懐へ潜り込み、下段から一気に斬り上げる構えを見せる。男は反射的に顎を守ろうと上体をのけぞらせた。


 その瞬間、ノーラの手から剣が消える。


 斬撃の軌道を描くはずだった刃は、遠心力を乗せたまま手元を離れ、銀色の矢となって男の無防備な喉元へ深々と突き刺さった。


「がっ……」


 丸腰の男は断末魔を上げ、ひびが入った石畳へと倒れる。


「てめぇ!」


「よせっ!感情的になるな!」


 鉄パイプの男が怒りに任せてノーラに近づこうとするが、それをナイフを持った男が制止する。


 ノーラは投擲した剣の代わりに鞘を構える。


「ああ。私も丸腰になってしまった。あの男のように瞬殺されてしまうんだ……」


 ノーラはわざとらしく体を震わせて言う。


「ねえ。今からでも媚びれば、殺さないでくれる?」


 ナイフの男は冷静だが、鉄パイプの男は顔をピクピクと痙攣させている。次の標的は彼だ。怒っている相手ほどコントロールしやすいものはない。


 ノーラは踵を返すと、回廊を出て頭上に空が見える空間へと駆け出した。鉄パイプの男に向かって鞘を投げつけるのを忘れずに。


「し、しにたくないよー」


 棒読みで紡がれたノーラの言葉を飲み干すように、鉄パイプの男の罵声が轟いた。




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