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賢者の石  作者: 黒孤大流
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ある朝の一幕

 シッドが街に来てから早くも2週間ほど経ち、冬の寒さも僅かに柔らぎ始めていた。新しい生活にも慣れ始めた一方で、これまで触れてきたことのないことばかりを学ぶ生活は常に新鮮で退屈することは一切なかった。

 シッドは今日も日課となったステラとの早朝の特訓に励んでいた。

「ゴッド・スピード!」

「こら! 安直に加護に頼るなと言っているだろ!」

 のらりくらりと攻撃をいなすステラに焦れたシッドが神の加護を纏うと、すかさずステラから注意が飛ぶ。

 ステラは一気呵成の勢いで攻めるシッドの攻撃を時には斧で時には剣の腹を拳で叩き一つ一つ無力していく。

 そして、息が切れ攻撃のリズムが切れたところでシッドの鳩尾めがけて蹴りを叩き込む。シッドはかろうじて片手を挟んで、直撃こそ避けたもののあまりの威力に数メートルほど吹き飛んだ後に、四つん這いになって嘔吐してしまう。

「何度も言っているが、お前の仕事は敵を殺すことじゃない。賢者、つまりハルを守ることだ。無闇に自分から距離を詰めるんじゃない」

「ごっほっ、そ、そうは言われても」

 ステラは息をするのも苦しそうなシッドの背中をさする。

「特に加護は最後の切り札だ。魔法を使うものは多いが、神の加護を使える者はそう多くない。魔人にとっても未知の能力なんだから」

 神の加護とは、その名の通り神からなんらかの加護を受けることができるものである。ただし、この修得には何年にも渡り神に仕える必要がある。シッドはたまたま孤児院時代に併設された教会の手伝いをしていたことで加護を受ける条件を満たしていたのだ。

「それでも、やっぱり引いて戦うのは性に合わない」

「少年。君はもう少し自分を大切にしなさい。確かに敵からすれば、君の命知らずの立ち回りは脅威であることは間違いないだろう。でもな、それじゃ長生きできないぞ」

「長生きか、考えたこともなかった」

 シッドはここ数日散々言われるようになったことだが、いまだにピンとはきたことはなかった。明日くらいの未来は思い描けても、それ以上先の未来はあまりにも曖昧にしかイメージができない。

「未来のことはゆっくり考えればいいさ。大切なのは死に急ぐような真似をしないことだ。ハルを守れるなら敵を殺せなくてもいいんだ」

「頭ではわかってるつもりなんだけどなぁ」

 2週間、ほぼ毎日のように言われただけあって、シッドも自分の課題が突っ込みすぎであることは理解していた。しかし、戦局が停滞したり、僅かにでも隙があると攻めて次の展開に進めたくなってしまうのだ。魔獣まみれの戦場では、戦闘が長期化するとぞろぞろと他の魔物呼び寄せることになり、戦況が悪化してしまうことも多々あった。これを防ぐために身につけた戦術でもあるといえば聞こえはいいが、単にじっとしてられない性分なのだ。

「仕方ない。わたしも少年には死んでほしくないからね。心を鬼にして、初日と同じく攻撃禁止の特訓をしよう」

「げっ……、あれ、めちゃくちゃきついから嫌なんだけど」

「もう決めたことだ。明日もダメなら明後日もだぞ」

 今日はここまでと、ステラはシッドの背中を軽く叩いて立ち去ってしまう。

 シッドはいつのまのにか呼吸が落ち着いていることに気がついた。どうやら落ち着くまで待っていてくれたらしい。シッドは地面に頭からゴロリと倒れる。

 青空半分、雲半分といった空模様で、まだ朝早い時間ということもあり少し肌寒い。しかし、運動で熱った体と頭を冷やすにはちょうどよかった。

 もう少し自分を大切にする。シッドはこれまでの人生であまり馴染みのなかった言葉について考える。これまでは使い捨ての駒のような扱いを受けてきた。ぞんざいな扱いだと思うこともあったが、戦うことしかできない自分にはふさわしい扱いだと思う方がずっと多かった。そんな扱いだったからだろうか。確かに先生の言う通り、いつからか自分の命にさほど頓着しなくなった。かといって、自ら命を投げ出すような真似をする理由もなく、ただいつ死んでもいいという思いで戦い続けて、気づけば剣として選ばれるまで生き残っていた。

 自分でも豪運だったと思う。自分よりも遥かに強かった大人たちがぱたりぱたりと倒れていき、いつか自分もああなるのだと子供ながらに思うほどには酷い戦場を生き残れたのだから。

 しかし、生き延びても生き延びても変わり映えのしない毎日に、明日への期待の仕方を忘れてしまった。剣としての召集がかかった時も、ここより少しでも美味しいものが食べられればいいなと、その程度の期待しかなかった。

 だからこそ、今日明日以上の未来を思うことはシッドには困難極まりなく、しばらく考えても答えは出そうなかった。

 シッドは考えるのを辞めて、体を起こす。そろそろ家に戻らないと、朝食の準備に間に合わなくなる。

 結局食事はシッドが担当することになった。とはいえ、現状切って焼くことしかできないシッドを指導をするために、イグナシオの幼馴染でもあったマヤを招聘している。

当初はマヤの負担が大きすぎるのではという懸念もあったが、シッドからお願いしに行くと、面白そうだからいいよと二つ返事で承諾され、それからはほとんど毎朝朝食の時間に来てくれるようになった。

 丘の上にある賢者の家から歩いて十五分ほどの訓練場はからの帰り道は、街の様子がとてもよく見える。雪こそ降っていないが、肌を切りそうな冷たい世界の景色はいつも澄んでいて、初めての帰り道では足を止めるほど美しかった。

 そんな景色の中に異物が一つ。鋼鉄の身体と熱の動力をもつ輸送機械が、けたたましい音をあげてゆっくりと動き始める。その体躯に対しては不釣り合いなほど小さい無数の車輪が数本の長い鉄板で結びつけられ、ひとつの車輪の回転に合わせて加速していく。あっという間に馬の走りよりもずっと速い速度に到達し、ほどなくして街の奥へと隠れてしまう。

 初めて見た時はまずはその巨大さに驚き、次はその巨大が矢のような速度で走る姿にもはや少しの恐怖を覚えた。こんなものにぶつかれば自分の体など、簡単にバラバラになってしまうだろうと。

 しかし、三日にはもはや恐れることはなくなり、一週間後にはわざわざ近くに観に行くほどには慣れ、今ではどうにかあの汽車なるものに乗れないものかと密かに夢見ていた。

 シッドはすでに見えなくなった汽車が走っているだろうところをぼんやりと見ながら歩き続ける。それにしてもこんなものを作ってしまってしまう賢者とは一体どれだけの知識を蓄えているのだろうか。汽車を造ったのはハルではない他の賢者らしいが、ハルも同じくらいの知識を持っているのだろう。現に、マヤの不思議な髪色もハルの研究の副産物で生まれた薬品のおかげらしい。きっと、無学な自分には到底理解できない境地なのだろうと、それ以上考えることをやめる。もう、賢者の家は目の前まで迫っていた。

 シッドは庭へと続く坂道を残った雪に足を取られないように、ゆっくりと進む。ここ数日は雪が降っていないからか、ところどころ土が混ざった道はぬかるみがあるせいか雪だけの時よりも滑りやすい気がする。転ばないように一歩一歩歩く必要がある。しかし、気をつけなければならないのは足元だけではない。

 その証拠に、シッドの目線は基本的に上空に向かっていた。目線の先には空を舞うハルの姿がある。上空のハルは見たこともない威力の魔法を家の裏にある湖に打ち込んでいる。シッドが街に来た当初は完全に表面が凍っていた湖も、気づけば完全に溶け切っていた。

 ハルは今度はシッドの十倍はありそうな岩石を生み出して湖に打ちこむ。シッドは一層警戒を強め、上空からの飛来物に備える。水滴くらいなら被っても問題ないが、そこそこの頻度で、石や枝などが、ひどい時は打ち上げられた魚が空から降ってくる。打ち上げられた魚はそのまま食卓に並び、魚好きのステラを喜ばせてはいるのだが。

 ハルのこの魔法の訓練はほとんど毎朝行われており、シッドは見るたびに自分の力の無さに打ちのめされそうになる。それほどまでに、ハルの魔法は規格外の規模のものばかりだった。

 剣としてハルの命を守るのが自分の使命であるはずなのに、最上位の魔法を無尽蔵かと思えるほど連発するハルを見ていると、自分がハルを守ることなどできるのだろうかと弱気になってしまう。

 剣を振ることしかない自分が、剣を振ることで役に立てないのなら、一体自分に価値はあるのだろうか?

「おや、帰ってきたのかい? 今日はいつもより早いんじゃないかい?」

 上空の警戒をしている間に訓練を終えたハルが、玄関の先まで来ていた。

「……今日は早々にノックアウトされたから」

 シッドは自分の情けなさにどこか入れる穴はないかと思う。好きな子の前で、自分の無様を話すというのはなかなか恥ずかしいものだった。

「ふーん? ともかく頑張りたまえ。私には戦闘のアドバイスできないから。大丈夫さ、君は強いんだろう? 強くないなら強くなってもらわないと困る。でも、まずは料理を上手くなることからだよ。マヤさんはすでに来ているから、存分に教わってくるといい」

 ハルはシッドに興味があるのかないのかどちらともつかない調子で淡々と言葉を並べる。言い切ると、シッドの返事を待たずに振り返って家に向かって歩き出してしまう。やはり、あまり興味がないのだろうと肩をガックリと落とすと、ハルが急に立ち止まって、くるりとこちらを振り返る。

「そう言えば、言い忘れていたよ。おかえり、シッド」

「た、ただいま」

 振り返ったハルの口角はわずかに上がり、目は少しだけ細まっていた。あまり笑わないハルの不意打ちにシッドはドキリとして、声が上擦ってしまう。

「へんな声」

 ハルがくすりと笑う。それだけで、シッドの顔は真っ赤になって、叫び出しそうなほど感情が爆発する。シッドには、その衝動をどうにか抑え込むことで精一杯だった。それにしても、今ではこうして毎日おかえりと言われるが、それ以前におかえりと最後に言われたのはいつだろう。少なくとも棒振りになる前なのは間違いない。孤児院いた頃は妹に言ってもらっていたかもしれない。それでも、鮮明に残るおかえりの思い出の全てがハルからのものだった。そもそも言う人自体が少ない文化圏であるが、シッドはハルから与えられるその言葉がどうしてかたまらなく好きだった。

 気がつけば、ハルはすでにシッドの随分先まで行っていた。慌てて、ハルを追いかけて、追い越し、振り返る。

「ハルもおかえり!」

「…ただいま」

 ハルは怪訝そうな、不思議がっていそうな、あるいは少し恥じらいがありそうな、どれとも取れそうな声で返事をする。その答えは長い髪に隠されて見ることはできない。でも、シッドは満足だった。

 シッドはハルを追い越した勢いそのまま駆けてゆき、そのまま家の中へと入って、靴紐解いて、揃えて置く。脱ぎ散らかすとステラからお小言を頂戴するからだ。

「うぇ〜い、シッドちゃん。今日もおはよ〜。最近あったかくなったと言っても、まだまだ朝はさっむいね〜。布団が恋しいし、めっちゃねむぃ〜………、はっ、今、ちょっと寝てた。いけないいけない、集中しないとシッドちゃんに殺されかねんからな〜。……ちょっとそこはツッコミ入れるとこでしょ。流石に、シッドちゃんも料理で私のこと殺さないでしょ? え、流石に大丈夫だよね? ちょっと本気で心配なってきたんですけどぉ……。お願い、シッドちゃん、命だけは、命だけは……」

「おはよう、マヤ」

 会話と台所はいつもマヤの独壇場だ。シッドは泣きつくふりをするマヤを引き剥がしながら、挨拶を済ませる。内心では未だに困惑しているが、数日経ったことで対処法もわかってきた。とにかく、話を聞きすぎないことだ。内容の8割が枝葉であり、残り1割が冗談で、残り1割が重要な情報だったり、そうでなかったりする。要はほとんどが意味の話なのだ。

「ちぇ……シッドちゃんもつれなくなってきたね。ナッチョみたい」

「あれと一緒ちょっと嫌だぞ」

 ナッチョとは、イグナシオの愛称である。幼馴染の2人からすれば当然なのだろうが、未だにナッチョという呼び方に違和感を感じてしまう。

「だよね。あれはとんかちでカンカンすることしか取り柄ないからね」

「顔もいいだろ」

「論外、ギリギリだけどシッドちゃんの方がマシ」

「……マシか」

 奇跡の顔面を持つイグナシオよりもマシというのならば、随分な褒め言葉ととってもいいのかもしれないが、マヤの苦虫を噛み潰したような表情を見る限り、本当にマシなだけなのだろう。

「そんなどんぐり比べしてないで、さっさと手を洗って、支度するよ! 時間は有限! 今日こそちゃんと全部焦がさないで作るよ!」

「……どんぐり」

 マヤの何気ない言葉に少しだけ傷つきながらも、パッパと手を洗って髪を掻き上げて、手拭いで留める。随分伸びてきてしまっているが、ハルの厳命により毎日風呂に入っているおかげか汗や皮脂が溜まり不快な気分になるということもないため、そのままにしている。風呂上がりに見る自分の姿は我ながらそこそこ似合っていると思う。このまま伸ばしてみるのもいいかもしれない。

「ねぇ、ロン毛うざい。似合ってない。絶対切った方がいい」

「…………」

 シッドは、やっぱり時間がある時に自分で切ろうと決心して、涙をぐっと飲み込む。マヤの言葉は思ったことをそのまま口に出すので、指摘されるとなかなかダメージが大きい。考えなしなのは自分も同じなのだろうが。

「伸ばすならせめてあと5年経ってからね。それまでは、それ以上伸ばしたら私が刈り上げるから」

「今日、手が空いたら適当に切っておく」

「直しくらいはしてあげるから。よし、準備できたね。じゃあまず、包丁を置くところから。なんでいつも最初に包丁握るの?」

「なんか、握りやすいんだよな」

「怖すぎ……ほら、野菜洗って、お米研いで」

 そんな調子でマヤの指示を受けながら、シッドはどうにかこうにか調理を進めていく。マヤはシッドに指示を出しつつも、シッドの倍以上の速さで、そのほかの料理の支度を整えていく。

 シッドはこれまで誰かに何かを教わるということをあまりしてこなかった。それゆえか、とにかく吸収が遅く、2週間経っても、なんとか形になったのは「切る」工程だけだった。マヤがあの手この手で教えてくれているにも関わらず、なかなか要領を得ない自分に苛立ちと、情けなさを感じる。

 一方で、シッドはこの料理の時間を楽しみにも思っていた。上達しないことは確かであったが、それでもマヤが手際良く美味しい料理を作る姿を見るのは爽快感があったし、何よりマヤの徹底的な指導の下とはいえ、自分にも美味しいと思える料理を作ることができるというのが面白かった。少なくとも棒振りの時は想像さえしなかったことだ。

「ほら、ぼうっとしないよ! またまな板切ったらどうするの?」

 マヤの注意でシッドは手元の包丁へと意識を戻す。シッドは、危ないところだったと深く息をつき、気を取り直しして、調理に集中する。

 結局シッドがスープを完成させる頃には、マヤはその他の料理3品を全て完成させ、洗い物にまで取り掛かっていた。

「今日はシッドちゃん、だいぶ頑張ったんじゃない? 野菜も木っ端微塵じゃないし、塩と砂糖も間違えてないし、その辺で捕まえたカエルも鍋に入れてない。これはハルさんも喜ぶっしょ!」

「そうか、それは楽しみだな」

「……シッドちゃんって、ほんとにハルさんのこと好きなんだね」

 マヤはなんとも言い難い表情でシッドを見つめる。

「ああ、好きだ。あんなに魅力的な子はハルだけだ」

「きゃー!って、もう慣れてきたけど、直球すぎて面食らっちゃうな。ぶっちゃけハルさんのどこが好きなの?」

「全部だな」

「ふーん、私にはわかんないや。っと、ご飯冷めちゃうね。私はナッチョ呼んでくるから、シッドは、ハルさん呼んできて」

 マヤはタオルで手を拭き終えると、イグナシオの部屋へとスタスタと歩いていく。2週間も経つが、未だマヤとハルの交流は少ない。歳の近い同性ということもあって、ハルはマヤに少なからず関心を寄せているようではあるが、自分からはどう話を切り出したらいいのかわからないようだった。それよりもシッドにとって意外だったのはマヤがハルにはあまり絡まないということだった。その理由がハルが睨んだことでマヤの友達を泣かしたとことだと気づいたのはつい最近であった。マヤの無駄話のほとんどは彼女の友達の話であり、それを聞いているうちに、シッドはマヤが友達想いな人間であると自ずと知ったからだった。

 シッドは、研究室へとハルを呼びいく。階段を登り終え、ノックをしながら食事の用意ができた旨を伝える。すぐに行くと返事くるが、ここで帰ってはならないことをシッドはこの2週間で身をもって学んでいた。

 ドアノブを回して中へ入る。案の定、ハルは本に夢中の様子だった。

「飯だって言ってるだろー。早く、本置いていくぞ」

「すぐ行くって言ったろう」

「そう言って来たためしがないだろう」

 シッドはハルに歩みのより、本を取り上げようと、掴んで、上へと引っ張る。

「ああ、せめて、このページだけ!」

 本を掴んだままのハルはバンザイの姿勢になるが、それでも目は本に釘付けだった。

 シッドはため息をついて、そのままの姿勢で待つことにする。それから程なくして、ハルがようやく視線を本から外した。

「……さて、朝食に行こうか」

「今更取り繕っても無駄だぞ」

 ハルは、先ほどの自分の言動を思い出し恥ずかしくなったのか、まるで何もなかったかのように素振りで歩きだした。無論、なかったことにできるわけもなくシッドは容赦なくツッコミを入れ、本を机に置いてハルの後を追う。

 ハルの耳は少しだけ赤くなっていた。

 階下に降りると、すでにステラ、イグナシオ、マヤの三人は席についていた。マヤがカトラリーをイグナシオに渡そうと手を伸ばし、寝ぼけたイグナシオが何もないフォークの柄を咥え、ステラはそれを見て大笑いしていた。マヤは目を丸くした後、イグナシオの頭を引っ叩き、ちゃんとするように、キツい口調で叱りつける。さすがのイグナシオも叩かれた直後は、ピッと背筋を伸ばしてごめんごめんと下げて反省の色を見せていた。

 シッドは、いつもの光景だなと思いながら、パーティの主役が座るような、机の短編の席に腰かける。大食いのシッドの料理が他の人の邪魔にならないようにするためである。

「それでは、手を合わせて。いただきます」

 ハルの声に合わせて各々、食事を始める。この地方では馴染みのない手を合わせ感謝を伝える儀式も、ステラが真似するようになると、気がつけば皆がやるようになっていた。

「そうだ、シッド。朝食の後は時間はあるかい?」

「なんだ!? デートか!?」

「ハハっ、耳が潰れると思ったよ。シッド、ハルが君をデートに誘うわけないだろう。そんなの火を見るようにも明らかじゃないか。え、僕は見えないだろうって? いやぁ、それは一本取られたね!」

 イグナシオはいつもの絶妙に笑いにくい冗談を差し込んでくる。シッドだけが咳き込む勢いで笑い、ハルは気まずそうな表情をし、マヤはまた言ってるよと呆れ、ステラはそもそも聞いていないのか、美味しそうに魚を頬張っていた。

「50点だな。ハルが俺のことをデートに誘ったって何にもおかしくないからな」

「うーん、僕も人のこと言えないけど、シッドの自信ってどこからきてるんだろう」

「自信があることはいいことだ。特につがい探しに関してはそうだ。自信のある雄に雌は惹かれるから」

「え、ステラも恋したことあるん!?」

 マヤが机に乗り出さんばかりの勢いで食いつく。

「しまったな。余計なことを言ってしまったか。まぁ、一度だけだがね。さぁ、そんなことよりハルに話をさせてあげよう。まだ質問の途中だろう」

 ステラは額にポンっと手をついた。

「そうだった! 俺は暇だけど、どこに出かけるんだ?」

「出かけないよ。御使いを頼もう思ってね。はい、これ。実験に必要だから町で買って来てくれたまえ」

 ハルは、手のひらほどの紙切れをシッドに手渡す。そこには十五から二十ほどの文字列が書かれていた。シッドはそれを見て、気まずそうに頭を掻いた。

「すまん、出来ん」

「え、ちょっと、なんで断るんだい? 君は私の剣だろう!」

 断られると思っていなかったハルは動揺したようにシッドに体を寄せる。ハルの顔が近づいたことにシッドの心臓がドクンと跳ねる。

「さては、最近ゴミ捨てもサボりがちになってたからかい? それとも、靴下を逆さのままカゴに入れたからかい? まさか、使ったコップをそのままにしてるからかい?」

「え、あれ、大きいガキンチョがもう1人いたんだけど、この家大丈夫そ?」

「僕と違って、シッドはまだまだお子ちゃまだからね」

「そういうところもガキだっつーの」

 ハルはシッドの機嫌が悪いため、頼みを聞いてくれないと思ったらしく、機嫌を悪くした原因を突き止めようとする。その内容聞いたマヤが眉間に皺を寄せ、すぐにイグナシオと口喧嘩を始める。

「いや、俺、文字読めないんだ」

「……なるほど。別に機嫌が悪いわけではないと」

「ああ。むしろ、自覚あったんだな」

「……よろしい。しかし、文字が読めないというのは困るね。いずれは研究も手伝ってもらうつもりだし、仕方ない、ステラ、今後は彼に読み書きも教えてあげてくれ」

「ハル、なかったことにはできないぞ。賢者とはいえ、同居人に負担かけないようにしなさい。」

「うっ…はい」

 ハルはしゅんと落ち込むも、聞き分けよく返事した。ハルはシッドのいうことはほとんど聞かないが、ステラの言うことは半分くらいは聞く。本人曰く全て聞いているつもりらしいが、元がズボラすぎて半分くらいしか直らないようだった。

「それも私は読みはなんとかできても、書くのはできないし、どちらも教えられるレベルではないよ」

「そもそも街でもちゃんと読み書きできる人なんて数えられるくらしかいないんじゃない? 私もメニューくらいしか読めないし」

「当然、文字なんて僕も無縁だからね」

 ハルの提案を却下するように3人がそれぞれの言葉を口にする。

「はぁ、仕方ない、自分で買いに行くとしようか」

「いや、私が買ってこよう」

 ステラが名乗りをあげる。

「その代わりハル、君が少年に文字を教えるんだ」

「「え?」」

 ハルとシッドの声が重なる。次の言葉を制したのはシッドだった。

「俺、頭悪いし、文字なんて覚えられないぞ」

「なんで私が?」

 どちらもが否定的な声をあげる。ステラはその反応は想定内といった様子で、水を飲む。

「少年、文字を読みかきできるようになれば助手として、ハルの側にいられる時間が増えるぞ」

「よし、やろう!」

「即決すぎてでウケる」

 シッドにとって、ハルと過ごす時間はいま最も求めているものだった。同じ家で暮らしているのに、しっかりと顔を合わせるのは食事の時だけだった。というのも、ハルが生活の大半を研究に充てているからである。当初は研究室に入り浸っていたのだが、研究の邪魔だと三分以上の滞在を禁止されてしまった。歯痒くもあったが、剣である以上、ハルの決定には逆らうこともできない。

「ハル、書類を分けるのが面倒で後回しにしている研究があるだろう。少年が文字を読めるようになれば、書類分類もできるから、研究を再開できるだろうな」

「くっ、あ、あれは優先度が高くないだけで、いずれはちゃんとやるさ」

「そうか。少年が文字を書けるようになれば、いつも面倒くさそうに書いている領主との手紙も任せられるだろうにな」

「おつかいできるようになるだけじゃなくて、料理も上手くなるかも。メモとかとって。ほら、みてこれ」

「あっ! トカゲのしっぽ! シッドちゃん、また勝手に入れたでしょ!」

「だ、だめだったか? カエルじゃなければいいのかと」

「カエルもトカゲもヘビもダメって言ったから! 何回言ったらわかるの!」

「むぅ、すまない」

 シッドは申しわけなさそうに眉を下げる。

 その光景を見たハルは青ざめながらもようやく口を開いた。

「わかった。私が文字を教えてあげようじゃないか」

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