激烈少女
シッドとハルとの強烈な出会いから1週間。シッドはほぼ万全というほどの回復を果たしていた。身体中にあった痺れは完全になくなり、かすかに凍傷の痛みが残っている程度だった。
久しぶりの外を実感することのできたシッドは大きく息を吸って、冬ならでは澄んだ空気を肺いっぱいに溜め込んで、ゆっくりと出す。
シッドはこれまでの生活にはなかったどこかワクワクした気持ちを胸に抱いていた。
ハルとの共同生活、恩師ステラとの再会、気のあいそうな友人のイグナシオとの出会い、まだ街に来て間もないというのに、楽しみなことがどんどんと増えていく。
その一方で、漠然とした不安もあった。戦うことしかできない自分はもしかしたら彼らにとっては不要の存在なのではないだろうか。
シッドは頬を両手で挟むように叩く。考えても仕方ない。そんなことは不要と言われた時に考えればいいと、思考を切り替え、朝、最後の診断をしてくれた賢者の言葉を思い出す。
「おはよう、そして回復おめでとう。気持ち悪いくらいの生命力だね。明日からはここではなく私と共に生活してもらうから好きな時に丘の上の家まで来るように頼むよ。改めてよろしくね、シッド。ああ、そうそう、今日は外で食事を済ませてきたまえ。快方祝いだ。これで好きなものを食べてくるといい」
彼女は言うや否や踵を返しそそくさと部屋から出て行ってしまったため、いろいろと聞きたいことを聞く機会はなかった。幸い、丘の上の家は分かり易い位置にあったので、オデロトの街中で遭難することは避けられそうだった。
となればと、シッドは視線を左右に振りながら歩みの速度を下げる。あたりにどこか料理を扱う店がないかを探しているのだった。病室では、果物やパンなどありきたりな食べ物ばかりを食べていたせいか、ただでさえ大きい食欲がさらに肥大化し、腹の虫がひっきりなしに鳴いていた。まだありつくことのできていない子豚の丸焼きをもとめてさまよっていると、ある店から非常に良い香りが漂ってきた。乳と炭の混ざり合ったような不思議な匂いは、シッドの足を自然に引き寄せ、彼が我に返った時にはすでにその店に入っていた。
「いらっしゃ~ませ~」
よくとおった声とは裏腹にどこか気の抜けた挨拶が彼を出迎えた。声の主は給使でとてとてと玄関にむかっていった。
「何名様ですかー? ってもしかして剣のお兄さん? え、てかお兄さんどころかタメ? 何なら年下じゃない? 歳はおいくつですかー?」
「ええと、一人で、歳は16」
シッドは、給使の女性の勢いに押され、思わず少し声が裏返りそうになる。異様なまでの距離の詰め方だったが、本人は気にしているそぶりはなかった。
「え、じゃあタメじゃん。なんかうれしー。てかすごいね、剣って超エリートしかなれない的な奴でしょ? まじそんけーって感じ。あ、そそ、私はマヤ、見ての通りここで働いているただの美少女でーす。あ、ごめんごめん、席に案内しないとね。じゃあ案内するからついてきて、えーと、名前は? ヴォルフガングとか?」
シッドはかろうじて自分の正しい名前を伝えると、マヤは「思ったよりフツー」といって背を向け歩きだす。後ろから見るとステラほどではないが、女性にしてはかなり背が高いことが分かった。
「はい、到着。どーぞおかけになってください。はい、これ、メニュー表、そんなに数ないでしょ? 私がおぼえられないから減らしてっていったら減らしてくれてさ。なんでもいってみるもんだよねー。でも、減らしたら減らしたですぐに何頼むかきまるからさー、すぐに呼ばれるようになっちゃって、あんまりおしゃべりできないんだよねー。ちなみにおすすめはこれ、チキンステーキ、胡椒かけて焼いただけど、めっちゃおいしいの。ほっぺなくなるくらい」
「ああ、じゃあそれと......子豚の丸焼きていうのはあるのか?」
「コチリーニョ? あるけど、肉×肉になっちゃうけどいい感じ? それとも、チキンステーキやめて、パエジャとかにする? コチリーニョははじめてなら、めっちゃおすすめ。もうとろっとろだから」
「ならミートソースも追加で頼むよ」
「おおう、さすが男の子。たくさん食べる人は結構好きよ、私。じゃあ、全部で三つね。それと初めて来てくれたし、同い年だから、ドリンク一杯はサービスしたげる。とっておきのオレンジジュースね。あ、あと、うちの店、元から結構量多いから覚悟しといてね」
彼女は一礼すると、厨房へと注文を伝えに行った。まだ夕飯には時間が早いからか、店の中は混んでいるということはなく、そこまで待たずに済みそうだった。それにしても、すごい勢いだったなとシッドは息をつく。いままでであった来た人の中で、間違いなく彼女が最もおしゃべりな人間だった。彼女の前では孤児院時代に嫌というほど聞かされた説教さえもゆっくりと聞こえるだろう。しかし、不思議と嫌悪感はなく、むしろどこか親しみがわいていた。同い年というのもあるのだろうが、そうさせるのは、やはり彼女の元来の性質の恩恵に他ならないのだろう。
数分もしないうちに、マヤはコップを片手に席に戻ってきた。ただし、そのコップの中に入っている液体はあきらかにオレンジジュースとは異なる色していた。
「お待たせー。こちら特製梅のジュースでーす。オレンジジュースさ、もうあんまりなくて私も後で飲みたいからこっちにしたー。梅の飲み物飲んだことある? 意外とおいしいんだよ。料理はもう少し待ってねー」
「ありがとう、飲んだことないからむしろうれしいくらいだ」
「マジ? ラッキーじゃん。やったね。あ、ラッキーといえば、雪崩に巻き込まれたんでしょ? よく見つけてもらえたよね、やっぱあれかな。賢者のエイチってやつかな? 君のピンチを感知して、ビビビッてきたのかもねー」
マヤは、びびびと口で言いつつ、指を一本だけ立てて震わせていた。それ挙動が何を指し示しているのかをシッドは幾ばくか考え、理解するのを諦めた。
「運がいいのはまちがいないな。わるかったら雪山で遭難する前にとっくに死んでるだろうし」
「棒振り出身なんだっけ? まぁ棒振りって、剣になってもそういう仕事だよね。でも、大丈夫? みんな心配してるみたいだよ。本当に賢者様を守れるのかって。ぶっちゃけ本音はこの街をだろうけど。皆案外期待してたからね。かくいう私もちょっと期待してたし。ステラみたいに超強くて、カッコイイ人がが来るのかなって。でも蓋開けてみたら私のタメで吹けば飛びそうな男の子。私は友達ができて嬉しいけどね、みんなはそうじゃないのかも」
注文はいったからいくねとマヤは手をひらひらと振って席を離れた。
シッドは自分が町の人からどう思われているのかを認識した。気づけば今も周りからちらちらとみられているのが分かった。皆それぞれ様々な目で彼を見ていた。不安、落胆、侮蔑、憐憫、あるいは不満に満ちた目をしていた。それほどまでに剣に対する期待は高かったらしい。少年は、自らの手を見つめる。決してか弱いものではなかったが、ステラのそれとは比べてもまだ小さい。自分にはこの役目はやはり重すぎるではないかと己に問いかける。答えはすぐに出た。重すぎるのだと。しかし、それは今の自分ににとっての話だった。ゆえに、彼は拳を握り、視線を上げる。強くならなければならない。それは、決して街の人ためではなく、己のために。
誓うと、すぐに料理が運ばれてきた。最初に来たのは待望のウズラの煮込みだった。マヤの言う通りかなり大きい皿にウズラが丸々4羽も入っていた。強くなるためにも、まずは腹ごしらえだよなと自分に言い聞かせ、少年は勢いよく食べ始める。あまりの熱さに火傷しそうになったが、それでもかまわず食べ進めた。無限に食べられると思うほどどの料理もおいしかった。
が、結局、三品目のチキンステーキまでを食べ切った時には、彼のおなかははちきれる一歩手前で立ち上がることすら困難であった。あまりの苦しさにテーブルの上に突っ伏していると頭上から声をかけられた。声の主は、そのテンションからマヤであるとわかった。
「すごっ! マジで、たべきったの⁉︎ 全部に勝手に鬼盛りにしておいたのに。みんな鬼盛りなら一皿で大満足しちゃうよ」
「なんつーことを......、おぇ、マジ無理、腹割けて死ぬ」
最初はこの店の標準なのかと思ったが、途中から周りの客と明らかに皿の大きさが異なることには気が付いていた。たまたま、そういうものなのかとも考えたが、最後に出てきたチキンステーキが、同じものを頼んではずの客の二倍以上の大きさをしていてことからある種の確信はあったが。
「えー⁉︎ 死ぬの⁉︎ まじぴえんなんだけど。けどお墓参りはいくからね」
「墓には今度こそオレンジジュースを……」
「なんだ、全然元気じゃん」
マヤはケタケタと笑う。とても愛嬌のある笑顔で、きっと町の人からも人気なんだろうとシッドは考察する。髪はどう染めているのか派手な桃色で、長さは肩甲骨のしたぐらいまであり、それを頭の高いところで括っていた。なかなか見かけない色と長さだったが不思議と違和感はなかった。時折振り返ると見えるうなじには金色の産毛が生えていて、やはり何らかの手段で染めているようだった。
「その髪はどうやってその色にしたんだ?」
「これ? ああ、きれいでしょ? これね、賢者様の発明品なの。エイチっていうやつ。でも、これを作りたかったんじゃなくて他の何かを作ってたらたまたまできたんだって。 賢者様が作ったから最初はだれも使ってなかったけど、ステラが一度銀髪にそめてから急に流行りだしたの」
マヤは、括ってある尻尾のような束を掴んで自慢するかのように肩にかける。しかし、シッドは視線こそそれに注目していたが、それよりも気になることがあった。
「賢者様が作ったから誰も使ってないってどういうことだ?」
「ああ、そっかー、シッドはこの街に来たばっかりだから知らないのか。ここだけの話、といってもみんな知ってるんだけど、賢者様はね、あんまりみんなから好かれてないんだ」
「え、なんで?」
シッドは心底不思議であった。出会ってまだ1週間ではあるが、彼女がそこまで嫌われているような人物だとは思わなかった。少々そっけないところはあるものの彼にとってはそこまで気になるものではなかったし、それは他の人も同じはずだった。しかし、1つだけ心当たりが浮かんだ。彼女の顔の火傷の跡だ。しっかりと目にしたわけではないが、彼女は確かに非常に気にしていた。もしかたらそれが原因なのかもしれないと考えた。が、その予想はあっさりと外れた。
「だって、すぐにらむんだもん」
「睨む?」
「そー、君は睨まれなかったの? 話しているとね、いつもきまって眉間にしわを寄せて、名前を聞いてくるの。なんで名前を聞いてんのかわかんないけど、ちょっと怖いじゃん。私の友達も睨まれて泣いちゃってさ。だから、みんなあんまり近寄らないんだ」
「はー、てっきり火傷の跡が原因かと思ったけど」
「火傷の跡? あー、そういえば、そんなんもあったきーする。最初は驚いたけど、あの人がめっちゃ隠すのもあるからかな、言われるまで忘れてたレベル。それより隠すためなのかあんまりこっち見て話してくんないとか、たまにこっち向いたと思ったらえぐ怖い顔するとかのほうが、百倍なんだかなーって感じ」
マヤはおせわにはなってるんだけどねと頬を掻く。その様子は彼女のことを心から嫌っているのではなく、むしろ心のなかでは仲良くしたいと思っていることをうかがわせた。
シッドは、賢者とのやり取りを思い出すが確かに目を合わせようとしないというのは当てはまったが、睨まれるということはなかったはずだった。無論そこまで長い時間話したわけではなかったのでたまたまの可能性も否定はできなかったが。
「あー、でも私は髪を染めてからは睨まれてないかも。名前も覚えてくれてるみたいだし、案外私気に入られてる方かも」
「そうなのか、もしかしたら何か理由があるのかもな」
「かもね、よかったら暇なとき聞いてみてよ。どうせ四六時中一緒なんでしょ?」
「そのはずだな」
賢者と剣は基本的には常に行動を共にする。それは有事の際に賢者を守るためであったが、いまのシッドにはその役目は務まらない。そのため、現在はステラがその警備に当たっている。
「しないとは思うけど、二人きりだからって襲ったりしたらだめだよ。ロリコンはこの街にはいりませんからね」
「ロリもなにもあの人俺たちより年上だぞ」
そしてしないとは言いきらない。
「ま!?」
マヤは今日一番大きい声を上げて驚く。ただでさえ大きい声が、さらに大きくなったので食堂中の人が彼女を見る。彼女は、厨房の奥から店主と思しき人に睨まれ、あ、やばっとうろたえた。
「今日一番の収穫だわ。もっと詳しく聞きたいけど、これ以上騒ぐと店長から怒鳴られるから、もう行くね。君ももう動けるでしょ」
いわれて確かに体が軽くなっているのが分かった。シッドは自分の消化が早い方だとは自覚していたが、これはさすがに速すぎた。何らかの外的な要因が影響していることは間違いなかった。
「びっくりした? これが私の『寵愛』なの。周りの人のおなかを早くすかすことができるんだ。」
「『寵愛』持ちかよ......」
「へへーん、いいでしょ! じゃ今度こそ行くね! ばいばい、シッドちゃん」
「ちゃん?」
聞き返すもマヤにはきこえていなかったのか、それともわざと無視したのかはわからなかったがその問いに返事が返ってくることはなかった。
シッドは、席を立ち、剣を携え会計を済ませると店の外へと出た。相変わらず街の人からの視線は冷たい。けれども、マヤとは良き友人になれる。そんな気がした。