弐 その3
そうだろうと予想していても、実際に事実と言われるといろいろ応える。その夜、俺の浮かない表情に察しのいいユメは気付いたようだ。いつもははしゃぎまわる夕餉の際も、静かに箸を動かしていた。
「親父、元気にしてた?」
「ああ、おまえのことも元気だと伝えておいたから」
それだけで十分だと言うように、さっさと自室に籠ってしまった。
だが、話はそれだけでは終わらない。市村に出向いた二日後、さらに衝撃的な事態に俺は晒された。
「忠親様。表にお客様がいらしております」
「客? 誰かまた、見舞いに来てくれたのかな」
「それが……その」
俺が自室で筆を持つ稽古をしていた時だ。おまつが怪訝な表情で部屋の襖を開けた。どうも様子がおかしい。俺は客間に茶を用意するよう命じて、玄関へ向かった。
「な……なんでまた」
「同心、無礼のないようにせぬか」
玄関前には、数人の武士の姿があった。思わず動きを止めた俺に、その一人が咎めた。
全員、ここいらでは滅多にお目にかからないような立派な羽織袴を揃えた目つきの険しい家臣たち。彼らが囲う中央には、高級絹の白い頭巾を被った男が立っていた。見事な二本差しを腰に持ち、羽織の紋は沢潟。
――――水谷盛之……。
俺は膝を折り、首を垂れた。
「畏まらなくてもよい。突然の訪問、申し訳なかった」
「いえ、まさかこちらにお見えになるとは思っておりませんでした。狭いところですが、どうぞ」
額に冷たい汗が滲む。なんだってこんな八丁堀に老中様がやってくるんだ。そりゃ、このお方がユメの御館様だとわかってから、こういう場面を想像しなかったわけじゃない。
でも、少なくとも今日とは思ってなかった。市村の親父、まさか知らせたのか?
「いや、それには及ばん。少し話がしたいだけだ。その、縁側で構わん」
さすがに上がり込むことは考えなかったのか。俺はいつもユメ達が朝稽古をしている中庭に水谷を招き入れた。
そこの縁側に座布団とお茶を用意させる。お付きの者たちは、そのまま玄関で待たせることになった。当のユメが学問所に行っていることも承知のうえなのだろう。
「ユメが、世話になったな」
水谷盛之は縁側に座り、頭巾を恭しく取る。そして、茶を一口飲んでからそう言った。うちで一番上等なお茶を出したが、口に合うだろうか。俺はそんなどうでもいいことが気になった。
「いえ、お……私の意志で決めたことです」
隣に座ることを許された俺は、少し間を開けて座っている。頭巾を取った老中の顔をちらりと横目で見た。
姿も顔も見るのは今日が初めてだ。歳は四十を超えたところのはずだが、肌の血色はよく、随分若く見えた。体つきもがっしりとしている。俺よりも背は低そうだが、それでも大きいほうに類するだろう。
「ふむ……貴殿の素性、悪いが調べさせてもらった。ユメから文をもらってすぐだ」
「はあ……」
そりゃそうだろう。むしろ、そうでなければ困る。ユメはあんたの大事な愛人だったはずだ。その身請け先を、調べもせずに渡したとあれば、犬猫同様の扱いってことになる。
いや、犬猫だって俺なら調べる。ちゃんと育てることが出来るやつか。大事なことだろう。
「問題ないと私は思った。市村勘左衛門からも話は聞いたし、八丁堀というのも、ユメにはいい環境だと考えたから」
「と……申しますと」
確かに城勤めや大名屋敷に仕える武士のなかでは、同心というのは特異な存在だ。広さも十分な屋敷は提供されるし、低いが安定した給金も約束されている。だが、役職を持つ上位階級の武士から見れば、割の悪い貧乏な役人だ。
「あいつの知恵と度量を発揮できるからだ。今度もまた、役に立ったろう?」
どこまでこの老中殿はご存じなのだろう。銘刀の件だけじゃない。今回の事件は崎前藩の跡取り息子がしでかしたことだ。表からも当然耳に入っているだろうが。
「そんなことを仰りに、ここへいらしたんでしょうか」
俺の素性を調べ倒しているなら、八丁堀くんだりまでノコノコやってくるのは変だ。一体何が目的なのか。
「そうだな。私も忙しい身だ。単刀直入に言おう。一つ、確かめておきたいことがあってな。ここで貴殿を見て、益々その意を強くした」
確かめておきたいことだと。俺はわかりやすく身構えた。
「ユメは……貴殿を好いておる。それは承知しているだろう」
身構えたはずの心臓が思い切り跳ねる。俺はいきなり核心に迫られ動揺した。
そんな話を老中はしに来たのか。一体どう答えればいいんだ。
「貴殿はユメをどうするつもりだ? ここから、それなりの家へ養子に出すか、はたまた婿養子を縁組みするつもりか?」
俺が心のどこかで考えあぐね、決めかねていたことを、思い切り土足で踏み込んできやがった。
全く考えてなかったわけじゃない。いつかは決めなければならないことだ。だが、それをおまえに言われたくない。
「それは……」
俺が言い及んでいる様子をどう思ったのか、水谷は茶を飲み干すと腰を上げた。
「まだ決めてないようだな。そうか、まだ決めてないか」
なんで二度言う。俺は追うように立ち上がった。
「水谷様」
「私が言える立場ではないが。どうか、ユメを傷つけないようにして欲しい」
俺が唖然としていると、水谷はその首を下げようとした。
「よ、よしてください。ご老中様に頭を下げられる理屈はございません」
「そうか? そうだな。それでは、心が決まったら教えてもらえるかな。いや、どうしてもとは言わん。貴殿が良ければ、知らせて欲しい」
想像とは違う、気安い笑みを残し、水谷は玄関へと歩き出した。
後を追って門まで見送ると、乗物駕籠が鎮座していた。老中殿が乗るのに少し小さめなのは、お忍びで来たからだろう。それでも、引き戸は塗が施され立派な造りだ。駕籠人の衣装も様子もそこらの駕籠かきとは全く違った。
乗物駕籠に水谷は身を沈めると、お付きの連中に囲まれ、八丁堀の道を帰って行った。
俺はそれを見送りながら、水谷のユメへの情を感ぜずにはおれなかった。歪んだ情かもしれないが、水谷は彼なりにユメを大事に思っていたのだろう。
だからこそ、俺はまたあの疑問に行きついてしまう。水谷はその権力にものを言わせて、ユメの願いを聞き入れたのではないか。あの銘刀を用意したのと同じように。




