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陰間由夢乃丞と八丁堀  作者: 紫紺
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第三章 壱 休息 その1


 庭のもみじはすっかり葉を落とし、寒々とした姿で立っている。縁側でぼんやり眺めていると、開いていた本が膝から滑り落ちた。利き腕が使えないってのは、想像以上に面倒だ。

 刃物傷を負った俺は、八丁堀の屋敷で暫く休むことになった。お勤めに行かなくてよいのは楽だが退屈だ。かと言って、腕を上げることもできず吊ってる状態じゃあ出来ることは限られている。本を読むのも飽きた。


 あの後、奉行所は蜂の巣をつついたような大騒ぎになったそうだ。俺はそのままユメと伝八に連れられ医者に行き、その場には居合わせていない。見舞いに来てくれた佐々木殿が教えてくれた。


「私も本人が口を割るまでは黙っていたんだ。知っててお縄にしたとなれば、面倒なことになるかもしれんからな」


 崎前藩の大名屋敷からは、程なく迎えが来た。家臣共々、まるで処刑場に引っ張られる罪人のように項垂れていたという。実際、切腹ものだから当たらずも遠からずだろうけれど。

 ただ、与謝野伊織はそのまま牢獄に残った。白洲で裁かれたいと申し出たそうだ。『主と思ったことはない』。あいつはそう言い切っていた。奉行所にいるのであれば、その心うちを尋ねてみたい。


「ところで……佐々木殿」


 俺はずっと疑問に思っていたことを口にした。崎前藩の連中をお縄にしたさなか、ユメが叫んだ『佐々木殿、殺してはダメだ』。


 ユメが言うには、残りの五人に腕の立つものはおらず、簡単にねじ伏せられたと。倒れた藩士を伝八や与市が縛り上げていたのだが、佐々木殿はもう抵抗できない若殿を斬り捨てようとしたという。


「おまえの弟分は腕もいいが目もいいな。そして人の心も読めるようだ」

「いや、勝手な行動ばかりしゃがって、面目ないです」


 俺の真正面に座る佐々木殿は、おまつが入れたお茶を啜り、ゆっくりと息を吐いた。


「辻斬りはな、何年かに一度、江戸の町に現れる流行り病みたいなもんだ。二年前にも同じような事件があった。覚えているか?」


 二年前。俺がまだ新米で、御前試合の後、肋骨の骨折を騙し騙しで仕事をしていた頃か。言われてみれば、そんな事件があったように記憶する。確かその犯人は捕まってなかったんじゃないかな。


「その事件で、一人の老女が斬られた。私の母だ」

「え……」


 その頃、佐々木殿は今の北町ではなく、南町奉行所にいた。事件の後、しばらくして北に異動してきたんだ。

 北と南の人が変わるなんてことは滅多にない。先輩たちが噂をしていたようだが、同心一年生の俺はそれに聞き耳を立てる暇はなかった。

 それに佐々木殿はとても熱心で真面目な同心だったから、その噂もいつの間にか立ち消えていたんだ。


「そうだったんですか」

「今度の辻斬りも、もしかしたら同じ人物かと思ってね。張り切り過ぎたな。ある日突然、命を奪われた母の無念、それを思うと……。なんの落ち度もない無防備の人間を斬り捨てるなんて、卑劣な連中のやることだ。そんな輩を私はどうしても許せなかったんだ」


 俺は何も言えなかった。残された者の悔しさや悲しみは計り知れない。しかも自分は取り締まる側の人間だ。どれほど責めただろう。俺は首を垂れ、同じようにお茶を啜った。


「でも、殺さなくて良かった。あの若さでは、二年前の事件とは無関係だろう。それにもし手をかけていたら、間違いなく私の首も飛んだだろうからな。ユメ殿には助けられた」

「いや、滅相もないことで……でも、お役に立ったのなら何よりです」


 崎前藩に連れ戻された若殿、加納重義は、然るべきところからの沙汰が降りるまで謹慎中だ。

 『然るべきところ』、がどのあたりを指すかは俺達下々にはわからねえが、本人の切腹は免れないだろう。最悪お家断絶となるが、さて、どうなるか。


 佐々木殿がいつも以上の熱心さで、このヤマに当たっていた理由はわかった。母上様を斬り捨てた犯人を今でも追っているんだろう。これからは俺も気にかけるとしよう。




 飯の時刻になると、俺の苦痛が始まる。

 ユメと二人きりの食事が楽しかったのは最初のうちだけで、それ以後は変な緊張があり苦手だった。今はさらにそれが厄介に増している。


「ほら、忠親様、あーんして」

「な、何があーんだ。これくらい、左手で食えるわっ」

「さっきから落としてばっかじゃん」


 むむう。大体おまつも気が利かないじゃねえか。飯はおむすびなら手で持てるし、魚も骨抜いてくれればいいのに。


「うるせえ。もう、手で食う」


 ヤケになった俺は箸を捨て、手で飯を攫おうとする。


「待って。強情だなあ。結んでやるよ。俺、実は得意なのさ」


 茶碗をさっと取り上げると、さくさくと握りだす。見れば手桶と塩がおいてあった。


「おまつさんに言ったんだよ。食べる直前に握ると美味しいから、俺がやるって。魚も俺がほぐすからそのまま出してって」

「おまえ、ふざけてんじゃねえぞ」


 全く冗談じゃない。早く腕を直さないと、こいつの玩具にされそうだ。いや、その前に左手で箸が扱えるように練習するか。


 ――――待て待て、なんだってこんなことを。ユメの調子に合わせ過ぎだ。これじゃ佐之助と変わらねえ。


 事件の後、佐之助を問いただしたのは言うまでもない。だが、あいつはしれっと返してきた。


「そりゃ、貴殿とユメのどちらの言うことを聞くかって言えば、言わずもがなだろう。私も反対はしたが、ユメのたっての頼みだったからな」


 さも当然とばかりに口角の片方だけ上げてのたまいやがった。


「だがユメは遊び半分で私に頼んだわけじゃない。その意味、わかってるだろうな」


 逆に俺を睨みつけてくる。相変わらず趣旨貫徹だな、おまえは。俺だって、そんなことはわかりきってる。あいつの気持ちは……。





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