漆 対決 その1
三日後、佐之助が任務完了して屋敷に戻ってきた。代理人同士の駆け引きは終わり、二本差しは崎前藩の若殿、加納重義の手に渡った。恐らく、あいつは今夜街に出る。
天気は冬晴れ。夜には気温がぐっと下がるだろうが、風がない。月の出も深夜になるので好条件だ。
俺は佐々木殿に連絡して準備をした。町方にはいつも通りだ。あまり警備を厳しくし過ぎて、奴らが用心してしまうのが嫌だった。
最後の事件から二十日近く経っている。奉行所の連中は、もうないかもなんて油断している輩もいるくらいだ。網を張るにはちょうどいい。
「ねえ、ホントに俺は留守番なのかよ」
俺が気を引き締め部屋を出ようとすると、ユメが不服そうに声をかけてきた。
「あたりめえだ。大人しく俺の帰りを待ってろ」
「でも、もしもこれが今生の別れだったら?」
「なっ、縁起でもないこと言うな!」
当然、首を竦めてふくれ面するところだろう。そう予想してユメの顔を見ると、思いのほか真剣な表情だった。
「忠親様。俺が役に立つのはわかってるだろう? 俺は多分、先生より使えると思うよ」
「長行は来ねえよ。おまえと違って分をわきまえてる」
佐々木殿と俺は十分に稽古をつけてもらった。あいつは自分が足手まといになることを承知していた。
「でも……」
「それにあの加納重義は、おまえのお座敷に来たことがあるんだろ? 面が割れてんだ。囮にも使えねえよ」
「それは大丈夫だよ。すっぴんの俺の顔なんか気付くわけがない。町人に化けていくつもりだし」
「屁理屈いってんじゃねえよ」
「物凄く理に適ってるよ」
うう。ダメだと言ってもついてきそうだ。いっそのこと縛ってしまうか。それとも連れ歩いて目を離さずにいるか。二択に迷う。
「佐之助!」
俺はそこらにいるであろう、佐之助を呼んだ。すると返事もなく、廊下側の襖がすっと開いた。これはこれで面白くないが、今は抑えた。
「こいつを見張っとけ。出したらおまえの責任だぞ」
佐之助は俺を威嚇するような目つきで見た。
「貴殿の指図、受けたくはないが、その指示には同意する」
ったく。腹立つなっ。
「めんどくせえな。素直に受けろよっ」
「旦那!」
俺の裾を握りしめんばかりにユメの声が追ってくる。旦那ってなんだよ。
だが俺は振り向くことなく廊下を突き進んだ。おまえが役に立つことなんか百も承知だ。だけど、盾にするわけにはいかないだろう?
お願いだから、今夜は大人しくしていてくれ。俺は……必ず帰ってくるから。
江戸の町に夜の帳が降りていく。俺と伝八、佐々木殿と与市の二手に分かれ、崎前藩本屋敷の門を見張った。
人通りがなくては人斬りは出来ない。決行の時はおのずと知れてくる。
――――出てきた。
連中は、あの日長行たちが証言したように、浪人姿で屋敷から出てきた。全部で六人。もちろん与謝野もいる。
若殿の腰には、例の銘刀二本が納まっているのが見えた。鍛えの足りない中肉中背の体には刀が重いのだろう、少し左肩が下がっている。
――――おまえのような者に、その刀を振らせるわけにはいかねえな。
佐々木殿に合図を送り、手筈どおりに追跡を開始した。刀を持ってウロウロしただけではお縄にすることは出来ない。かと言って誰かを犠牲にするわけにもいかない。
奴らが狙いを定めて刀を抜いたところが勝負だから、本来なら囮作戦が有効だ。狙われた相手が丸腰だと斬り捨てられる確率が高い。寸でのところで躱せる使い手がいるに越したことはないんだ。
けれど、俺はその作戦に踏み込めなかった。そんな策に当てはまる人物が、一人しか思い浮かばなかったからだ。
――――ユメにそんなことさせられるか。
用意周到したのに、肝心なところは行き当たりばったりか。俺は心の中で舌打ちしながら、連中の後を追った。
奴らはもう何度もやっているからか、足さばきも堂に入っている。まるで最初から獲物を狙う場所を決めているかのようだ。
今夜は、ユメが行っていた寺院へと向かう道を選んでいる。なんだ。ものすごく嫌な予感がする。
――――あっ! 嘘だろ?
月のない夜だ。連中の下げる提灯だけが道しるべになっている。その先に、小さく揺れる別の提灯が見えた。その持ち手にぼんやりと浮かぶ後姿。俺には十分すぎるほど見覚えがあった。
着流しの町人姿。頭には手ぬぐいを頭巾代わりに垂らしているが、あれは間違いなく。
――――ユメ……おまえ、どうして。
目の前に起こっていることが俺にはすぐ理解できなかった。囮になるにしても、どうして連中が歩く道筋がわかったんだ。偶然とは考えにくい。
ここ数日、俺もただ連中が動くのを待っていたわけでない。江戸の地図を広げて、奴らが狙いそうな場所をいくつか絞っていた。
事件のあった場所はもちろん、あいつらが茶店に通うのも下見かもしれんと地図を汚して格闘していたんだ。ユメも時々それに参戦していたが、あまり口を出すことはなかった。
――――まさか、あいつ何か閃いても黙っていやがったのか。
すぐ前を行く崎前藩藩士たちの動きが変わった。獲物を定めたようだ。そうだろう。
まるで用心なく歩みを進めるユメ。隙だらけだ。もちろん、そのように見せているだろうけれど。四の五の考えてる暇はねえ。こうなったら、やるしかない。
俺のすぐ後ろで伝八が息をのんだ。奴にも事態が急変したのがわかったようだ。標的がユメとは気づいていないだろうが。俺は指で合図する。伝八は足音を殺して佐々木殿のところへと走っていった。
――――ユメがここにいるってことは、佐之助もいるんだろう。ちぇ、俺に同意したんじゃなかったのかよ。
この始末、どうつけてくれるのか。いや、今更だがあいつを信じた俺が馬鹿だった。
腹に一物も二物も抱えながら、俺は気配を消し、奴らに迫る。気を付けるのは与謝野だけだ。あいつに気付かれないように近づかなければ。




