陸 仕掛け その1
朝稽古でユメたちと打ち合い、奉行所でも佐々木殿と軽く稽古をした。
やはり思った通り、佐々木殿は腕が立つ。だが俺同様、本気で柄を握ったのは何年振りかのことだったろう。かなりさび付いていた。
「いやあ、腕もそうだが、息があがるよ。情けないな」
「私も同じです。少しさぼり過ぎました」
「いや、さすが火浦だ。初めて手合わせしたが、想像以上だったよ」
褒められて悪い気はしないが、俺も大分さびている。二度と御前試合なんかに引っ張り出されたくなかったからだが、地道に腕は磨いておくべきだった。
佐々木殿は見回り中、偶然連中の後を付ける与市と出会ったらしい。
結局この日、連中は街中をうろついて、茶店に入ったくらい。目立ったことはしなかったようだが、与謝野の立ち居振る舞いには注目したという。
俺の伝言を与市から聞き、稽古をしなければと思い立って俺の屋敷を訪ねた。考えることはおんなじだな。
崎前藩に狙いを付けてから七日間。奴らに動きはなく、江戸の町は昼も夜も表面上は穏やかだ。見回りも厳しく続けている。
この七日間は、俺が菱元屋に頼んだ時間稼ぎだ。箕六屋をうまく操って、奴らと銘刀のご対面を引き延ばしてもらっていた。
この間、下準備の傍ら俺も佐々木殿も長行の道場に出向いて稽古に勤しんだ。こんなことでとても間に合うとは思えないが、やらないよりはましだ。
そして手筈通りの七日目、菱元屋から連絡が入った。月も変わり、本格的な冬が来ていた。
「今夜、箕六屋が客を連れて来るってさ」
どういうわけか、ユメが奉行所にやってきた。
「なんでおまえが来るんだよ」
「みんなそれぞれ役割があるんだよ。俺は暇だったから来ただけ」
役割ね。まあ、伝八は張り込んでるだろうけど……。
若侍姿のユメを物珍しそうに同僚が見てやがる。こういう視線が俺は嫌だ。男であっても綺麗すぎる顔立ち、しゃんとした姿勢。
連中がどんな顔をしてユメを見ているのか。想像すると俺はとてつもなく不快な気分に晒される。
「わかった。佐々木殿に知らせてすぐに行くから、ユメは先に帰ってろ」
「俺も菱元屋に行っていい?」
は? 何言ってやがる。いいわけないだろ。
「それ……」
「もちろん顔は出さないよ。おとなしくしてる」
何がおとなしくだ。信じられるか。
「おまえ……」
「あれ、火浦、おまえの弟か? 随分男前の弟だな」
ちっ、言わんこっちゃない。
「はい。遠縁の者でございます。私の屋敷で面倒をみているもので」
「へええ。おまえんとこでねえ」
なんだこいつ。普段は俺と滅多に話もしないくせに。図体ばかりデカい給料泥棒が。
「ユメ、わかったからさっさと行け」
俺は自分の体でユメを隠すようにして後ろを向く。
「仕事場にやってくるなど、まだまだ未熟者で困ります」
ユメの気配が背中から消えるのを感じながら、俺は同僚の男に声をかける。そいつは俺の肩越しに残念そうな視線を送りながら舌打ちをした。
「なんでえ。俺はおめえじゃなく、さっきの可愛い弟君と話したかったんだよ」
「それはまた。ご冗談を」
冗談として受け取ってやってるうちにてめえもさっさと消えな。俺は口元だけで笑みを作り野郎を睨みつける。
眼力に気圧されたように巨体を少し後ろに反らせ、それでも何事か捨て台詞を吐きながら、そいつは背を向けた。
佐々木殿に伝えてから、俺は崎前藩本屋敷の前で見張る伝八のところへ向かった。今夜、恐らくこの門から奴らが出てくる。それを知らせるためだ。
「人数と様相を見たら、すぐに知らせに来るんだ。頼んだぞ」
「へいっ。任せて下せえ」
伝八はにっと口角を上げて答えた。伝八は親父の頃から使っていた岡っ引きだ。こいつも自分の父親に習ってこの仕事を引き継いでいる。
半端ものの多い輩のなかでは使えるほうだ。切れ者でなくてもいい。多少小遣いが必要でも、言われたことをこなしてくれる方がずっと助かる。
伝八に日銭を渡し、俺は菱元屋に足を向ける。まだ夜には早いが、連中と鉢合わせになるわけにもいかない。惣十郎には邪魔かもしれんが、連中が来るまで張り込ませてもらうつもりだ。
「お待ち致しておりました」
出迎えてくれた菱元屋店主、菱田惣十郎は、自信に満ちた笑みを俺に見せた。これは何に対しての自信だろう。
「由夢之新様と佐之助様が奥に入られております」
「世話になるな」
「いえ、勉強させてもらっています」
謎の言葉を俺の背中に浴びせる。商売のことはよく知らないが、こいつが迷惑していないのだけはわかる。勉強というのは世辞でもなさそうだ。
「遅かったね」
案内された部屋には楽しそうなユメと、相も変わらず憮然とした佐之助が行儀よく座っていた。
惣兵衛の事件の時に通された例の客室だ。佐之助はこの間より上等な装いに見える。金剛時代では決して腕を通すことはなかっただろう。市村を出るとき、例の『御館様』から支給されたのか。
「あ、これか……」
その二人の前に、銘刀が入っているであろう刀袋が台座の上に二つ並べて置かれていた。その台座自体もまた作りがいい。
「よくこんなもの揃えたな……」
菱元屋の底力とでもいうのか。いつもは商わないものなのに、どこにそんな伝手があったのか。
――――んっ!
だが、その畏敬は霞のように消え失せた。刀袋に施された紋を目にしたからだ。
いつぞやの、ユメが訪れた寺が俺の脳裏に過ぎる。刀を手に取ることもなく、俺は隣に座るユメを睨みつける。
「なんだよ。忠親様、見てみないの?」
「おまえ……まさかと思うが」
「どうしたのさ。何か勘違いしてるなら思い過ごしだよ。俺は何もしてない」
本当だろうか。だが、この紋の持ち主が菱元屋に刀を渡すとは考えにくい。それとも菱元屋には大きな貸しでもあるのか?
「驚かれたようですね」
襖を開け、店主惣十郎が入ってきた。その背後には息子の惣兵衛が畏まって座っているのが見えた。
「老中様とは、江戸に入る前からの付き合いがございまして」
「そうなのか……」
鵜呑みにはできんが、否定できるものでもない。現在江戸城で実質の主権を握っている、老中水谷盛之。沢潟という植物の家紋は独特のものだ。
元々は尾張の盟主だった水谷家だが、国替えを繰り返しこの地位にたどり着いた。この場でこの家紋を見て、俺は『御館様』はこいつかと邪推したが、見当違いだと口を揃えてくる。それならそれに越したことはない。
地位も富もこの国で将軍に次ぐところだが、いい噂のない御仁だ。俺の考えすぎであればそのほうがいい。
――――考えてみりゃ、そんな人物に囲われてたとか話が出来過ぎだ。今はそれどころじゃねえし、おかしなことに気を回すのはやめだ。
刀は家紋が示す持ち主に相応しい銘刀だった。水谷家の家宝とまではいかないだろうが、収集家としても悪名高い老中だ。隠れた銘刀の一つや二つ、持っていても不思議はない。
ただ、これを無事に、誰も斬らせることなく返さなければならない。そう思うと自分で立てた作戦とは言え胃が痛くなった。
佐之助に二、三用心することを伝え(あいつが聞いていたかどうかはわからないが)、俺とユメは隣室に下がった。
「上手く行くといいな」
「そう簡単にはいくか」
うまくいって欲しいに決まってるのに、俺も素直じゃないな。憎まれ口をたたくガキみたいだ。ユメがちらりと俺を見る。
「いくよ。願掛けしたって言ったろ」
こいつは先日、ある寺院に出かけた。その時に願掛けしたんだろうけど、本当にそれだけだったのか。俺はこっそり後を付けたので、大っぴらに聞けないでいる。
「そうだな。弱気はいけねえな」
だがユメの願掛けが嘘であろうとなかろうと、余計な雑音を封じてもやり遂げなければならない。俺は自分に言い聞かせるように言葉にした。




