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陰間由夢乃丞と八丁堀  作者: 紫紺
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伍 その2


 菱元屋を後にした俺の行くところは一つ。長行の道場だ。今のままでは与謝野伊織に勝てる気がしない。この不安を埋めるには刀を振るしかない。


「おお。火浦じゃないか。おまえからここに来るなんて、雪が降りそうだな」

「まだ降ってたまるか。寒いのは苦手なんだよ」


 急に来て悪いが、おまえとはしゃぐ気にはならねえよ。

 道場は午前中が基本だ。ユメのような無職の若侍が集まるので、朝早くから剣の技を磨く。寺小屋帰りのガキどもももういないみたいだ。人がいないのは助かった。


「ごたくは言い。とにかく稽古つけてくれ」

「うむ……どうやらふざけてる場合ではなさそうだな」


 長行も一度は刀を突き合わせたのだ。俺がここに来た訳を理解したはずだ。

 こいつは怪我をした後も見回りを志願していたが俺が止めていた。それに従ってくれたのは、必ず役には立ってもらうと言っていたからだ。

 その時の俺はこの事態を予想もしていなかった。長行は必ず来ると知ってんたんだろうな。こいつほどの剣士がかすり傷でもつけられた事実を、もっと重く受け止めるべきだった。


「ま、正直来るの遅いと思ってたけどな」

「うるせえ」


 俺は道着と稽古用の刀を借り、長行と手合わせをする。命のやり取りをしなきゃいけない。しかも取られる可能性が高い。だから真剣に向き合った。

 今よりもずっと若い頃。俺ら二人が道場をけん引していたあの頃のように。




 あの頃――。他の道場と他流試合をしても負けることはなかった。無敵と信じていた。


『長行、次の試合もいただきだな』


 他道場との試合ほど楽しいものはなかった。俺らとまともに勝負出来る奴はどこの道場にもいなかった。勝負になるのはお互いだけだ。俺たちは夜暗くなっても、二人で鍔突き合わせていた。

 どちらが強いか。負けたくない気持ちはもちろんあった。だがどっちでもいい、確かめる必要はないとの思いの方が強かった。


『火浦。おまえと真剣に勝負したい』


 長行がいつになく固い表情で俺に言ってきたのはいつだったろう。道場を継ぐことに腹を決めた。おまえはそう言った。だが、本当はそうじゃなかったんだろう。

 俺は知ってた。おまえがずっと目で追っていたお絹の存在を。

 お絹は長行の妹、おしのの知り合いだった。共に花嫁修業をする仲だったらしい。歳はお絹のほうが上だったが二人は仲良しで、よく道場にも遊びに来ていた。


 おまえは彼女に一目ぼれしたんだ。いつの間にか俺と馬鹿をやる時間も少なくなって、二人で一緒にいる姿を目にしていた。

 彼女だっておまえのことが好きだったろうに。それを、俺に勝たないと許されないみたいに思うのは、お門違いもいいとこだ。

 だけど、勢いを付けたいおまえの気持ちもわからんでもなかった。だから俺は勝負を受けた。俺にも、そうしなければいけない理由があったんだ。ガキの時代は終わったんだと、その時が来たのだと知っていたから。


 勝負はおまえの勝ちだった。手を抜いたわけでも、あいつに勝たせようと思ったわけでもない。あいつの方が強かったんだ。どうしてもここで勝たなければならないという思いが。それだけだ。

 それからの俺は、まだ元気だった親父のもとで同心としての心得を学んだ。道場にもしばらくは通ったけれど。

 長行がお絹と婚礼を挙げたころ、俺も親父の跡を継いだ。それからずっと疎遠になっていたんだ。ユメが俺の前に現れるまでは。




「やめっ!」


 道場に甲高い声が響いた。審判ではない。だが、終わりを決めておかないといつまでもやりかねない。ちょうど家にいたおしのに、キリのいいところで止めてもらうよう頼んでいたのだ。


「はあっ、はあっ。もう……おしまいか……」

「負け惜しみ、言ってんじゃね……え。もう足腰立たないくせ……に」

「二人とも、いい加減にしないと明日仕事にならないわよ」


 おしのに言われるまでもなく、俺達はそのまま膝を折り、道場の真ん中に転がった。


「火浦……鬼気迫ってたな……。あの夜の侍……誰かわかったのか?」


 まだ苦しそうに息を吐きながら、長行が言った。


「そうだ……。ただもんじゃねえよ。長行に怪我をさせるくらい……なんだから……」


 おしのが汗を拭くようにと声をかけてきた。二人でふらふらと道場脇にある井戸場に行き、まず一気に水を飲む。上半身をはだけ、手ぬぐいで汗を拭いた。


「また来てもいいか」

「当たり前だ。火浦以上の相手は私にはいないからな。おまえも、奉行所で敵がいないなら、いくらでも相手になってやる」

「助かる」


 俺らは渡り廊下に座り、おしのが入れてくれたお茶を飲んだ。夕焼けが目に眩しい。のんびりしている暇はないのはわかっていたが、去りがたかった。





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