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陰間由夢乃丞と八丁堀  作者: 紫紺
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肆 その4


 ユメが言った通り、翌日、箕六屋の番頭は朝早くから準備を整え、店を後にした。

 伝言ではなく、自ら出かける。どうやら餌に食いついたようだ。あとは糸を切らずに釣り上げてやるだけ。気を抜かずにいくか。


「それで、どこに入った?」


 江戸には何百の武家屋敷、大名屋敷がある。大名屋敷もその役割によって屋敷を構える。多いところでは十か所にのぼる藩もあるほどだ。俺は自室に地図を広げ、伝八の応えを待った。


「へえ。ここの佐多藩の中屋敷を抜けて……」


 所狭しと並ぶ屋敷。その中でも特に大きな場所を陣取るのは、百万石の伽賀藩。御三家とこの藩の敷地面積は他の藩とは比べ物にならない。伝八の指はそのでかい敷地を素通りしてさらに進んだ。


「この角を曲がって……ここに入っていきやした」

「うむ。狙った通りだったな」


 伝八が最後に指で押さえたのは、俺が目星をつけていた三藩のうちの一つ、崎前藩だった。

 石高はそれ程でもないのに金に困っていない藩と言われている。他に産業があるんだろう。参勤交代時も、随分な人数と贅沢な旅程で以て江戸来訪していると聞く。


「ふうん。ここって、材木問屋だよね」


 いつの間にか部屋に入ってきたユメが俺の横で言った。道場の朝稽古を済まし、さっぱりした面だ。普通なら汗臭いはずなのに、なんでかいい匂いしてくる。


「材木問屋? それはどういう意味だ」

「ここの国元の半分は深い山なんだってさ。だから材木を切って商売してるんだよ。あれ、忠親様、知らなかった?」


 悪かったな。知らなかったよ。


「そんなに有名なのか?」

「菱元屋さんか市村の親父に聞いてみなよ。商売人なら誰でも知ってるよ。石高は小さいから税は少なくて済むし、がっぽり儲けてる。俺は内心、ここが一番怪しいと思ってた。一番の金持ちだったからね」

「なんだよ。なら始めから言え。後からなら誰でも言える」

「そりゃそうだ。今のは撤回するよ」


 おどける様に肩を聳えさせ、俺に控えめな笑顔を見せた。

 ユメによると、陰間茶屋のお座敷でも最も羽振りが良かったらしい。伝八が部屋を後にしてから、ユメは詳しく話し始めた。そこの殿様だか、若様だかがユメを買おうと市村で大騒ぎをしたこともあったそうだ。


『金に糸目は付けない』


 そう豪語したが、店主は頑として受け付けない。初めからそれは出来ないと約束してでのお遊びだと。

 刀を持っていれば、確実に刃物沙汰になっただろうその場は、なんとか箕六屋が取り成し、ようやく収まったそうだ。


「あの品のなさと金の使い方。ろくなことしてないって、みんなとも話してたんだよ」


 切れ長の目をきらりと光らせ、片方の口角を上げる。そんな面してると、おまえの方が悪いことしてそうだよ。

 したたかな獣の双眸。それに魅入られるのは、仕方ないことのようにも思える。おまえと初めて会った時。背筋を撫でられるような感覚に襲われた。美しさと妖しさ。俺は心奪われた。

 でも、本当に惹かれたのは、時折見せる無邪気な笑顔のように思う。


「でさ……。忠親様、どうかした? ぼんやりして……」


 出会いの衝撃を思い出してしまった。こいつの前でそんな隙を作るとろくなことになりゃしねえのに。


「もしかして、俺に見惚れてた?」


 ふふっと口元を緩ませる。ほれみたことか。道着姿で若侍そのまんまのおまえになんか見惚れるか。


「馬鹿言うな。なわけねえ。って言ってるだろうがっ」


 するりと猫のように体を滑らせ、俺の懐に入ってくる。


「そうかな?」

「猫かよ。おまえ」

「にゃあ。あはは、三毛のように気まぐれじゃないよ」


 俺の首に両腕を絡め、まるでぶら下がるように見上げた。


「俺は、忠親様に一途だよ」


 な……何を言いやがるっ。俺の鼻先でいたずらっ子のような目をしてるユメ。子供なら可愛いが、そこには隠せない獣がいる。


「真っ赤になってる」

「う、うるせえ。今は捜査のことで頭がいっぱいなんだ。邪魔するな」


 そう言うのが精いっぱい。絡まったユメの腕を解こうと両腕を上げ掴みにかかる。


「待ってよ。昨日の続き……しようよ」

「何が昨日の続きだ。馬鹿やろっ、やめ……っ」


 昨日は簡単に剥がれていったのに、今日は何故だがやめようとしない。

 あいつは顔を寄せると、その勢いのまま口づけをしてきた。柔らかいユメの唇。思わず体が固まり、取りにいった腕も止まってしまった。


「ん……」


 俺の腕は力を失いユメの肩のあたりに留まった。心臓が早鐘のように打ち鳴らし、鼓膜が震えて耳が痛い。


 ――――あ……。


 柔らかく湿ったものが俺の唇を割って入ってきた。理性が一挙に吹っ飛ぶ。両腕がユメの背中を這い出し、このまま押し倒してしまいたいと逸る。


「にゃあー」


 ぐいっと全身に力を入れたその時、俺とユメの間に無理やり体をねじ込ませてくるものが……。


「み、三毛っ。おまえっ」


 人が夢中になっていると、必ずやってくる。俺たちは弾かれたように体を離す。

 猫に見られたって構うこたないのだが、見つめる金色の目は非難してるようでどうにも決まりが悪い。


「ああ、もう、おまえはお邪魔虫だよ」


 それでも鈴の音を転がすような笑い声をユメが立てる。三毛はちょこんと袴姿のユメの膝に乗った。お邪魔虫と言いながら、その背中を愛おしそうに長い指で撫でている。


「いや、助かったよ」

「なんで?」


 大きく息を吐きながら言う俺に、ユメが鋭い視線を向ける。


「おまえの色香に危うく惑わされるところだったからな。三毛には礼を言うよ」

「ふううん」


 不服そうにふくれっ面をするユメ。だが俺はそれを直視できない。さっさと立ち上がり、地図を持ち上げた。


「とにかく、一度奉行所に行ってくる。佐々木殿とも話したいからな。おまえは勝手なことするんじゃないぞ」


 振り向きもせず部屋を出る。背後に少しだけ間を置いて、『はあい』という不満げな声が追いかけてきた。





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