肆 その2
「菱元屋さん。ええもんが入ったって、ほんまですか? お客さんをうちに回して下さったら良かったのに。もちろん。菱元屋さんに損はさせまへん」
打診をしたら、番頭は一も二もなく飛んできたそうだ。商売人同士の話だ。店の奥で話し合いはされた。当然そこには佐之助も同席している。
「いえね。ものがものですから、内密とのことですので……」
と、部屋の隅に陣取る佐之助に視線をやる。番頭もそれを察し、声を低めた。
「見せてもらえますやろか」
当たり前の要求だろう。だが、モノはないのだ。俺も火浦家家宝の打刀、脇差を預かっているが、大名様に売れるような逸物ではない。
「申し訳ございません。それは出来ません」
「なんでですか? それやとご紹介もできまへんよ。まずは私に見せてもらわないと。相手様にもご納得いただけませんでしょう」
その場にいた佐之助が言うには、店主の惣十郎は大層な役者だったとのことだ。顔をしかめ、そして声を顰めてこう言った。
「門外不出の際物でございます。私どものところに持ってこられたのも、武器商人を通じて噂になっては困るからです」
「なんですと?」
「ですから、箕六屋さんには、橋渡しだけをお願いしたいのです。かなり値が張る代物です。厳選したお客様をご紹介ください。もちろん、箕六屋さんに損はさせません」
番頭はさすがに迷った。うーんと唸ったまま押し黙る。
「店主よ」
そこで佐之助が声をかける。台本通りだ。
「あれは殿の魂とも言えるものだ。こんな胡散臭いものには扱えまい」
その言葉に、大坂で名をはせた番頭はカチンときた。多分。惣十郎に向かってこう啖呵を切った。
「よろしおま。大坂商人の名にかけて、うちの最上得意様をご紹介しましょ。ですが、銘刀お披露目の際には、私も同席させてもらいますよ。もし、ろくでもないものでしたら、それなりの詫びを入れてもらいます。あの、後ろのお方にも」
「それで構いません。よろしいですね?」
惣十郎が佐之助に向かって言う。
「問題ない。吠え面かくのはそのほうだからな」
「吠え面かくことなど、なんでもございません。ええものでしたら、いくらでも頭をおさげします。ほな」
番頭は端から浪人姿の佐之助など、なんとも思っちゃいない。だが、佇まいや言葉から、元はそれ相応の家に仕えていたと考えたのだろう。それならば、出てくる刀は悪くないはず。ましてや、天下の菱元屋が請け負っているものだ。
こちらの芝居を信じてくれたような番頭は、足取りも軽く店を出ていく。その後ろを伝八がつけていった。
「上手くいったみたいだね」
佐之助の報告を横で聞いていたユメが言う。相変わらず襖から庭を眺め、手持ち無沙汰な体だ。
「おまえの出番はないって言ったろ?」
「ふふん。別にいいさ。うまくいってんなら」
「なんだ。何か言いたそうだな」
「いいや、まさか。忠親様の見事な策略に驚いているだけさ」
なんだこいつ。歯になんか挟まってみてえな言い方しやがる。俺の策に文句でもあんのかよ。
「佐之助も楽しそうだったし、ホントに驚いてるんだ」
「そうはみえんけどな」
「疑い深いな……。さて、俺、外出てくるよ」
「あ? どこ行くんだ?」
若侍姿のユメがすっと立ち上がる。今朝も道場と塾には行っていたようだが、こんな時間にまだどこかに行く用事があるのか。
「日の入りも近い。物騒なのにウロウロすんな」
「暗くなるまでには帰るよ。なんだよ、そこらのガキみたいだな、俺」
「ガキだろうが」
ふんっ、と鼻で笑うとユメは出て行った。どのみち佐之助も一緒だろうから心配はしてねえが、嫌な予感がする。
気が進まなかったが、俺はユメの後をつけた。驚くことに、ユメは一人だ。つけてきたことに後ろめたさを感じていたが、それはどこかに吹き飛んだ。一体なんだって一人で出歩いてんだ。こんな時間に。
ユメは暮れていく空を気にしてか、それともつけられていたって構わないと思ってか、さして用心もせず歩みを進めている。ずいぶんと急ぎ足だ。そのうち、でっかい寺の前に来ると迷わず境内に入っていった。
――――この寺は……。
江戸の町には由緒正しい寺がいくつもある。これもその一つだ。火浦家の菩提寺ではないので、ここに来たのは初めてだが。あいつは何の用があってここに。
寺院内の大木に姿を隠しながら後を付けると、あいつはなにやら紙を木に結び付けている。なんだ。御籤でも引いたのか? それとも願掛けかなにかか。
この寺は多くの大名たちが菩提寺にしているとこだ。所謂格式の高い寺。最も有名なのは……。
滅多に口にできないような人物の名前が脳裏に浮かんだ時、ユメがこちらに向かって歩いてきた。俺は咄嗟に隠れる。あいつは俺が隠れる木の前を、まるで鼻歌でも歌うような明るい顔で通り過ぎて行った。
約束通り、ユメは暗くなる前に帰ってきた。もっとも俺の方がその後で帰ってきたのだが。俺はユメが屋敷に入るのを見届け、その足で箕六屋に出向いた。伝八に様子を聞くためだ。
「どうだ? あいつ、動いたか?」
「いえ、菱元屋から戻ってから、一歩も出てませんぜ」
「ううむ。夜に武家屋敷に出向くとも思えんな。いいだろう。また明日、頼むわ」
「へえ、承知しました」
すぐにも動くと思ったがそうでもなかった。やはりモノを見ないと動けないのか? それともなにか感づきやがったか?
俺はしばらく箕六屋を遠目に見ながら独りごちる。店番が出てきて暖簾をしまう。その後は誰も出てくることはなかった。




