肆 餌で釣る その1
ユメを先に帰して、俺は奉行所に寄った。江戸武家屋敷に居を構える各藩の名簿を借りるためだ。
借りるといっても、持ち出し禁止の書類だ。一時的に黙って持って帰るんだがな。誰もそんなもの見ちゃいないので、苦も無く手に入れることができた。
「部屋にはもちろん、お座敷には刀を持って入れないからさ、帳場で預かるんだよ」
「ああ、それは聞いたぞ」
名簿を持って屋敷に戻ると、早速二人で作戦会議を開く。ユメが書いた謎の言葉を前に、あいつは興奮気味に話しだした。
「いつも二本差しで入って来てたじゃない。今日だって」
「俺は仕事で行ってんだよ」
確かに陰間相手に刃物沙汰を起こされちゃたまらないだろう。彼らをモノのように扱い、試し斬りにすることはなくても、惚れたはれたは男色道でもありそうだ。
だが俺は違う。仕事で来てんだから、帯刀は当然だ。あの、桜花の弔いの後、訪れた日を除いては。
「まあいいけど。で、刀には家紋が付けられてるだろ? 偉い人の刀は特にさ。忠親様のにはないかもしれないけど」
「うるせえな」
いちいち突っかかる言い方しやがる。
「大抵の客は身分を隠したいからさ、帳場では手っ取り早く、その家紋を帳簿に付けるんだよ。桐、三つ巴。そしてたまに葵」
「おいっ、まじかよ」
「さあね」
また人をからかって。いくらなんでも、お忍びで陰間茶屋通いはないだろう。あ、でも、まさか……。俺が神妙な表情でユメを見ると、そうと気づいたのか、わざとらしく声を上げて笑い出した。
「あ、はははっ! 俺の元旦那は葵の御紋じゃないよ。そこまで大物じゃない。なんて顔してんだよっ!」
「笑うなっ。なんでえ、もう」
――――そこまで大物じゃない。
なら、どこまで大物なんだよ。聞きはしないけど、気になっていないわけじゃない。俺の隣でユメはいつまでも笑いこけている。
「こら、笑うなって言っただろ」
俺はユメの腕を取り引き寄せた。別に他意はなかった。いつも俺を惑わすあいつにイラついただけだ。だけど、その手に力が入ってしまって、ユメは俺の懐に体を寄せる格好になった。
「あ、すまんっ」
陽が短い初冬の頃。部屋から見える中庭も夕暮れの淡い光に包まれている。屋敷には誰もいないと思うくらい静かだ。
猫の三毛も今は姿を見せず、自室には俺達だけ。ユメは何を思ったのか、俺の背中に腕を絡ませてきた。
「や、やめろ」
「なんで? 忠親様が引っ張ったんだ」
「勢いがついただけだ……体を離せ」
俺は両手であいつの肩を押すと、ユメは俺の顔を見上げた。心臓が鷲掴みされたみたいに苦しくなる。黒目勝ちな二つの瞳は宝玉のように輝いている。口ほどに物を言うとはよく言ったもんだ。
「忠親様。俺がいると迷惑?」
またそんなわけのわからねえことを。そんははずないだろう。
「なんの話だ。いつ俺がそんな……」
「じゃあ、何が気になるのさ? 市村で、親父に何を聞いてた?」
やっぱり聞いてやがったのか。いや、聞いてないのか? カマをかけてるのかもしれない。迂闊に手の内を見せらねえ。確かにおまえは面倒だよ。
「何って、事件のことだよ。店主は何も教えてはくれなかったがな。客の素性は語れねえって。でもな」
「でも?」
「勘左衛門は、おまえが帳場で調べてるのを黙認してくれたんだ。だから、犯人を捕まえないとな」
ユメの花のような匂いが俺の鼻腔をくすぐる。茶屋にいたときからこの香りはしていた。今でも同じ香を使っているんだろうか。
「さあ、離せ。もういいだろう? 台帳は明朝返す。さっさと調べさせろ」
「ええっ。もう? 残念だな」
「残念言うな」
俺がもう一度肩に置いた手に力を入れると、簡単にユメは離れていった。なんだか心惜しく感じたのは気のせいじゃないだろう。
ユメが描いた家紋を台帳で調べた結果、三つの藩が浮上した。どれもみな、江戸武家屋敷に滞在中の金に不自由ない藩だ。
本音を言えば、これらの藩が今回の辻斬りに関わっていて欲しくはない。いずれも石高の大きい大名だ。滅多なことでは話も聞けないだろうし、たとえ現行犯で確保してもトカゲの尻尾切りに会う事態になりかねない。
「にゃあ」
大きなため息をついて思案していると、三毛がのそりとやってきた。ユメが手を伸ばして抱こうとするが、するっと抜け出して俺の目の前にある台帳の上に寝そべった。
「こいつはまたっ。遊んでやろうとすれば逃げるくせに。なんだって邪魔をっ」
俺は三毛をどかそうとするが、あいつめ爪を立てて踏ん張りやがった。
「あっ!」「げっ!」「にぎゃっ」
鈍い引き裂くような音がした。台帳は割としっかりとした紙でできていたが、三毛の爪には勝てなかったようだ。見事に破れてしまった。
「おいおい……マジかよ」
「忠親様が無理やりどかそうとするからだよ。餌で釣れば良かったのに」
「なんだよ。俺のせいかよ」
仕方なく部屋の外に三毛を放り出す。破れたところは糊で張るしかないだろう。全くこれが知れたら減給もんだ。
「でも、餌で釣る……か」
「何か思いついた?」
ユメの黒曜石みたいな瞳がきらりと光っている。どうせおまえは、とっくに思いついているだろうよ。
「そうだな。でも、おまえの出番はない」
にやりと笑って俺は言う。おまえは自分の出番と思ってるだろうがそうはいくか。間に合ってるよ。
「へえ。そうなんだ」
だけど、あいつは全く意に介さぬ様子。こういうときは用心しないと。またろくでもないことを考えてる証拠だ。
俺の手持ちの札は、岡っ引きの伝八ただ一人だ。佐々木さんとこのを貸してもらったとしても二人。三藩を一度に見張るのは難しい。そこで、俺は一つの策を考えた。
「火浦様のお頼みでしたら、喜んでお手伝いしましょう」
翌日、俺は再び菱元屋の暖簾をくぐった。店主と、例の若旦那、惣兵衛が出迎えてくれた。
「世話になるが、よろしく頼むわ」
俺は店内に一人、潜り込ませた。潜り込ませるにしては図体がでかいし、不満いっぱいの顔が腹立たしいが、こいつが一番適任だ。
「頼んだぞ。佐之助」
「ユメの代役とあれば致し方ない」
菱元屋は基本的に武器防具は扱っていない。だが、お得意様から是非にとお願いされたら断れないはずだ。今、ここには相当筋のいい銘刀が引き取られている(ということになっている)。
とは言っても、販路のない菱元屋はどうするか。武器取引では抜きん出ている『箕六屋』に打診する。佐之助は、銘刀の売主の元家臣役。菱元屋が用心棒も兼ねて雇っている(ことにした)。
あいつは元々、ユメの言う『御館様』の家来、武士なんだ。この役にはユメよりもずっと相応しい。
最初はユメがしゃしゃり出るのを止めるためだと引き受けさせたが、本人まんざらでもなさそうだ。これで味を占めて、こいつが使えるようになるといいんだけどな。
うまくいけば、俺と伝八は箕六屋を見張るだけで事足りる。あの番頭が、誰の屋敷に行くか。見届ければいいわけだから。




