参 その4
「忠親様、話は済みましたか?」
店主の部屋の外からユメの声がした。今の俺たちの会話、あいつは聞いていただろうか。俺が何を気にしているのか、わかっただろうか。
「ああ。なんだ、入ってこないのか?」
俺がそう声をかけると、一瞬の間の後、ふすまが開けられた。ユメはその場に傅き、頭を下げる。
「お邪魔いたしました。勘左衛門殿」
「いや、由夢之新様、頭をお上げください。お元気そうなご様子に安堵しております。ですが……もうここには来られない方がいいでしょう」
ユメはすっと顔を上げる。凛とした、美しい顔立ち。眉目秀麗とはよく言ったものだ。
その切れ長の双眸を少しだけ和らげ再び首を垂れた。寂しい気持ちもあるだろうけれど、店主の言うことはもっともだ。おまえもわかっているだろう。
「承知いたしました。ありがとうございます……。忠親様。それでは私は、表で待っております」
俺にまで他人行儀に話し、ユメは立ち上がると踵を返した。
「邪魔したな、店主。助かったよ」
俺も刀を手にし畳を踏む。勘左衛門は玄関まで見送ってくれた。俺ももう、ここに来ることはないかもな。頭を下げる店主に軽く一礼して、店を後にした。
通りに出ると、ユメは市村の看板の横で俺を待っていた。
「気が済んだか?」
「ああ……うん。なんだか不思議な気持ちだよ。ありがとう」
珍しくしおらしい。ここはもう、おまえを苦しめる場所じゃない。勘左衛門の言う通り、今日を最後にするんだな。
「で、忠親様、収穫はあったのかい?」
「おまえの方にあったんだろ?」
「さすが、気付いてた」
「店主もな」
ふふっとバツの悪そうな表情を見せ、懐から紙を出した。
「気になった名前を書いた。帳簿では隠語を使ってるから、解読しないとね」
ユメは帳場で、最近箕六屋が連れてきた一行の帳簿を見てきたのだ。そんなにしげしげと見られるわけじゃないから、世間話でもしながら一瞬だろう。それを覚えて、今、ここで書いていたのだ。全くどういう頭してんだろ。
「朝顔、蜂、下り藤……。なんだこれ。わかるのか?」
「ん? そうだね。俺をこの事件からはじき出さないってなら、教えてもいい」
「なんだと!」
人の足元を見るってどういう了見だよっ。
「おとりになるとかはしないから。それに先生には内緒にする」
先手を取って、俺の懸念事項を潰す。
「だめだ。捕物には出張ってくんな。俺に知恵を貸すだけだ」
「えーっ、それだけ?」
不満そうにふくれ面を見せる。……可愛いじゃねえか。いや、そんなことで惑わされてはいかん。
「佐々木殿にも言われてるんだ。それに、俺もおまえに危険なことはさせられねえ。わかってるだろ?」
恨めしそうな顔で、俺を見ている。全く困ったもんだ。大人なのか子供なのか、とらえどころがない。だが、そうそう甘い顔もしてられない。
微妙な空気が流れるなか、大門から外へ出たところで蕎麦屋の看板が見えた。以前、ここらで屋台を引いていた若いのが、店を構えたようだ。
「そんな顔するな。あそこで蕎麦でもどうだ?」
「蕎麦……食べる」
ユメは蕎麦が好物だった。これは俺の屋敷に来てから気付いたことだ。蕎麦打ちは十一郎爺の趣味だが、しょっちゅうせがんで打たせている。
好物、機嫌を取るのにこれほど役立つものは他にない。しかもここのは旨い。食べてるうちに、教えてくれる気にもなるだろう。ユメは小走りになって、自ら暖簾をくぐった。
「二つ頼むわ」
「へい、毎度あり!」
師走ももう目の前だ。日中でも風が冷たい時期になってる。うちの猫も気が付けば誰かの膝の上で丸くなるばかり。あったかい蕎麦が五臓六腑に染み渡るぜ。
「家紋だよ」
「え?」
黙ったままそばを啜っていたユメがぽつんと言った。
「ここの蕎麦、美味しいね。俺、出前取ったことあったよ」
「あ、そうだろ? なんかなあ、縁を感じるよ。この蕎麦には」
市村で起こった事件。その前日に俺はここの店主が作る蕎麦を食った。そこで陰間の話になったんだ。あれからまだふた月経っていない。おまえとこうして蕎麦を啜ってるのも何かの因果かね。
「屋敷に着いたら教えてやるよ」
「ああ。助かる」
案の定、あいつの機嫌は直ったようだ。だが、それをうのみにしてはいけない。ユメのことだ。どうにかして事件に関わろうとしてくるのは目に見えてる。俺もしっかりしねえと。こいつの知恵がなければ事件が解決できないとか、冗談じゃねえ。
出汁のふくよかな香りが俺達を包み込んでいる。古い建屋を小綺麗に作り替えた蕎麦屋は、昼時でもないのに賑わいを見せていた。




