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陰間由夢乃丞と八丁堀  作者: 紫紺
29/46

参 その4


「忠親様、話は済みましたか?」


 店主の部屋の外からユメの声がした。今の俺たちの会話、あいつは聞いていただろうか。俺が何を気にしているのか、わかっただろうか。


「ああ。なんだ、入ってこないのか?」


 俺がそう声をかけると、一瞬の間の後、ふすまが開けられた。ユメはその場に傅き、頭を下げる。


「お邪魔いたしました。勘左衛門殿」

「いや、由夢之新様、頭をお上げください。お元気そうなご様子に安堵しております。ですが……もうここには来られない方がいいでしょう」


 ユメはすっと顔を上げる。凛とした、美しい顔立ち。眉目秀麗とはよく言ったものだ。

 その切れ長の双眸を少しだけ和らげ再び首を垂れた。寂しい気持ちもあるだろうけれど、店主の言うことはもっともだ。おまえもわかっているだろう。


「承知いたしました。ありがとうございます……。忠親様。それでは私は、表で待っております」


 俺にまで他人行儀に話し、ユメは立ち上がると踵を返した。


「邪魔したな、店主。助かったよ」


 俺も刀を手にし畳を踏む。勘左衛門は玄関まで見送ってくれた。俺ももう、ここに来ることはないかもな。頭を下げる店主に軽く一礼して、店を後にした。

 通りに出ると、ユメは市村の看板の横で俺を待っていた。


「気が済んだか?」

「ああ……うん。なんだか不思議な気持ちだよ。ありがとう」


 珍しくしおらしい。ここはもう、おまえを苦しめる場所じゃない。勘左衛門の言う通り、今日を最後にするんだな。


「で、忠親様、収穫はあったのかい?」

「おまえの方にあったんだろ?」

「さすが、気付いてた」

「店主もな」


 ふふっとバツの悪そうな表情を見せ、懐から紙を出した。


「気になった名前を書いた。帳簿では隠語を使ってるから、解読しないとね」


 ユメは帳場で、最近箕六屋が連れてきた一行の帳簿を見てきたのだ。そんなにしげしげと見られるわけじゃないから、世間話でもしながら一瞬だろう。それを覚えて、今、ここで書いていたのだ。全くどういう頭してんだろ。


「朝顔、蜂、下り藤……。なんだこれ。わかるのか?」

「ん? そうだね。俺をこの事件からはじき出さないってなら、教えてもいい」

「なんだと!」


 人の足元を見るってどういう了見だよっ。


「おとりになるとかはしないから。それに先生には内緒にする」


 先手を取って、俺の懸念事項を潰す。


「だめだ。捕物には出張ってくんな。俺に知恵を貸すだけだ」

「えーっ、それだけ?」


 不満そうにふくれ面を見せる。……可愛いじゃねえか。いや、そんなことで惑わされてはいかん。


「佐々木殿にも言われてるんだ。それに、俺もおまえに危険なことはさせられねえ。わかってるだろ?」


 恨めしそうな顔で、俺を見ている。全く困ったもんだ。大人なのか子供なのか、とらえどころがない。だが、そうそう甘い顔もしてられない。




 微妙な空気が流れるなか、大門から外へ出たところで蕎麦屋の看板が見えた。以前、ここらで屋台を引いていた若いのが、店を構えたようだ。


「そんな顔するな。あそこで蕎麦でもどうだ?」

「蕎麦……食べる」


 ユメは蕎麦が好物だった。これは俺の屋敷に来てから気付いたことだ。蕎麦打ちは十一郎爺の趣味だが、しょっちゅうせがんで打たせている。

 好物、機嫌を取るのにこれほど役立つものは他にない。しかもここのは旨い。食べてるうちに、教えてくれる気にもなるだろう。ユメは小走りになって、自ら暖簾をくぐった。


「二つ頼むわ」

「へい、毎度あり!」


 師走ももう目の前だ。日中でも風が冷たい時期になってる。うちの猫も気が付けば誰かの膝の上で丸くなるばかり。あったかい蕎麦が五臓六腑に染み渡るぜ。


「家紋だよ」

「え?」


 黙ったままそばを啜っていたユメがぽつんと言った。


「ここの蕎麦、美味しいね。俺、出前取ったことあったよ」

「あ、そうだろ? なんかなあ、縁を感じるよ。この蕎麦には」


 市村で起こった事件。その前日に俺はここの店主が作る蕎麦を食った。そこで陰間の話になったんだ。あれからまだふた月経っていない。おまえとこうして蕎麦を啜ってるのも何かの因果かね。


「屋敷に着いたら教えてやるよ」

「ああ。助かる」


 案の定、あいつの機嫌は直ったようだ。だが、それをうのみにしてはいけない。ユメのことだ。どうにかして事件に関わろうとしてくるのは目に見えてる。俺もしっかりしねえと。こいつの知恵がなければ事件が解決できないとか、冗談じゃねえ。


 出汁のふくよかな香りが俺達を包み込んでいる。古い建屋を小綺麗に作り替えた蕎麦屋は、昼時でもないのに賑わいを見せていた。




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