弐 その4
辻斬りのあった現場に行くと、そこには既に町方、つまり俺の同僚たちが到着していた。いくつもの提灯が集まり、昼間のように明るくなっている。
「佐々木様。今夜は見廻りでしたか」
仕事熱心なのだろうか。既に佐々木さんが遺体を確認していた。
「ああ、火浦か。まさか連日やられるとは思わなかったから今夜の番にしたのに、ついてねえや。なんだ、おまえその恰好は」
いつもの同心の姿、黒羽織りではない俺を佐々木さんは眺め見た。
「はい。今夜は出身道場の有志が見回りをするというので、一緒に回っておりました」
「そりゃ感心だな。では、笛を吹いたのはあんたらか。……怪我したのか?」
佐々木さんが俺の後ろで佇む長行に気付いて声をかけた。
「風間道場師範の風間長行と申します。怪我は大したことはございません。笛を吹いたのは私の門下の者で。ご遺体を発見した時のことは、火浦に話しております」
「ふうん、そうかい。ま、大事なくて良かったよ。仏さんの身元は知らねえのか」
「生憎……。門下の者にも知った人間はいないようでした」
俺も顔を覗いたが、見たことのない男だった。風体は町人だが、提灯も屋号が付いてないし、身元がわかるようなものも持っていない。
そうこうしている間に、戸板を持った番屋の連中がやってきた。とりあえず番屋へ運んで医者に見分してもらうことになる。
「続きは明日だ。えっと……風間さんとやら」
「はい」
「明日は番屋に出向いてもらうよ。火浦、いいな」
俺は長行と目配せをする。長行にはまだ聞きたいことが沢山ある。だが、怪我が気になる俺は、明日にしてもらったほうが有難かった。
「承知しました」
長い夜になった。俺達はそれぞれの帰路に付く。道場まで送っていくつもりだったが、呆れ顔の長行にあっさり拒否されてしまった。
道場では怪我がつきものだ。お絹さんにちゃんと手当してもらうだろうから心配はない。懇意の医者もいる。そう、わかってはいるのだが……。
「なんだよ。機嫌悪いな」
二人きりになった八丁堀までの帰り道。ユメは相変わらず黙ったままだ。別にご機嫌を取るつもりはないが、こんな沈黙は調子が狂う。
「そんなことない。だけど……」
嘘を吐け。
「だけどなんだ?」
「先生ほどの使い手が翻弄されるとは。甘く見ない方がいいなって思ってね」
「そう……だな」
確かにそうだ。俺は長行が怪我したことに気がいっちまって肝心なことを忘れていた。
「門下生の連中に聞いたけど、賊の一行は四、五人だったらしい。身なりは全員地味な格好で髷も浪人風だったというから、変装してたってことだろうな。浪人が束になって辻斬りしてるなんてあり得ない」
「おまえ、いつの間に……」
「忠親様が先生の隣で取り乱している間だよ」
「なっ……」
なんも言えねえ。しかし、そうか。俺の考えは外れてなかったってことだ。これは明日、伝八からの情報が待ち遠しいな。さて、どんな話になっていくか。
「ユメ、俺、取り乱してたかな」
「ああ、みっともないくらい」
みっともない。そう言われて俺は少なからず凹んだ。この間の模範試合で惚れ直したと言ってもらえたのに。手のひらを反すような言い草じゃねえか。
「悪かったな……。俺はただ、おしのやお絹さんに申し訳が立たないから」
「へえ、どうだか」
「何がどうだかだよっ!」
「旦那……もし、俺が怪我をしたら、あんなに取り乱すかい?」
いきなり振り向くと、ユメは足を留めて真面目な顔を俺に向ける。姿はまだ色気のあり過ぎる町娘だが、切れ長の双眸に宿る光はいつものユメだ。
「何言ってやがる……おまえには、怪我なんかさせねえよ。俺が、守る」
あいつは俺の答えをどう思ったのか、きょとんとしている。
そりゃ、おまえが腕も立つしすばしっこいのも知ってる。だけど、どうにも手に負えない時は、俺が命に代えても守ってみせる。それが面倒を見るってことだ。俺はそう思ってる。
「ふうん。そうなんだ……」
「おまえ、親指見せてみろ」
「え?」
ユメが手を差し出す前に、俺はあいつの右手を取る。長くて細い指、綺麗な手だ。だが、親指の爪だけが歪に齧られている。
「ほら、爪んとこ傷んでるじゃないか。もう、爪を噛むのはやめろ」
「あ……ああ……このところ、やってなかったのにな」
「せっかくの綺麗な指が台無しだ」
俺は親指の先を自分の指で撫ぜた。どうしてそんなことをしたのか、自分でもわからなかったが、あいつの痛みが和らげばいい。多分、そんなふうに思ったんだろう。
「うん……ありがとう」
ユメの表情が少し照れたようすでほころんだ。ようやく笑顔になってくれ、俺はホッとしている。俺も甘いな。
「帰ろ。俺、もう眠いや。明日も爺たちと稽古するし」
「また陽も上がらないうちからやるのかぁ? 勘弁してくれよ」
「忠親様も起こしてあげるよっ」
提灯の灯りがゆらゆらと揺れる。小走りにかけるユメを追って、俺も駆け出す。八丁堀の屋敷まではもうすぐだ。




