弐 その3
しかし……ユメの女装と分かっていても、綺麗なお姉さんの尻を追いかけるってのは性に合わない。罪悪感というのか。妙な気分だ。
拍子木の音がどこからともなく聞こえてくる。子の刻が近づいてきた。
だいたい辻斬りが出てくるのはこの辺りからだ。町方も見回りは強化しているので、何度か連中とすれ違った。これほど見張りが多ければ、今夜は出てこないかもしれないな。
「おっと、またかよ」
もう何度目か。ユメに言い寄ってくる酔っ払いやら金回りのいい侍やらの多いこと。
「生憎だね。あんたと遊んでる暇はないんだよ」
「なんだとお。お侍の言うことが聞けねえのかよお」
「おいっ。嫌がってるだろ」
俺が駆け付け、そいつの腕を捩じり上げる。
「いてっ! な、なんだよ。美人局かよっ」
と言って、大抵は速攻逃げ去っていく。そいつが提灯をぶらぶらさせながら行くのを見送ると、ユメが大きなため息を吐いた。
「これはしくったな。俺としたことが」
「どうした? 獲物が釣れなくてご立腹か」
さっきからナンパな連中を捌く以外のことをしていないユメ。紅の引いた唇をへの字に曲げて言った。
「何を悠長なこと言ってんだよ。今回、この変装は間違ってたってことだよ。相手は辻斬りで人攫いでも暴漢でもないんだ。女である必要すらなかった」
まあ、そういうことかもしれないな。
「第一こんなに色ボケ野郎に声を掛けられてたんじゃ、目立ち過ぎて駄目だ」
「確かにそうだな」
「それに、忠親様もすぐ現れるから」
なんだよ。俺のせいかよ。ユメは上目遣いで俺を見る。でも、その視線が柔らかく感じたのは気のせいだろうか。
「ま、嫌じゃないけど、そういうとこ」
なんて小声で言う。俺はまた聞こえないふりをする。
その、ほんの少しの間の沈黙のなか、微かに音は聞こえた。
「忠親様!」
「ああ、笛だ」
俺が長行たちに渡したのは見回りのと同じ笛。これはその音だ。風間道場の連中かはわからないが、辻斬りが現れたのは間違いがない。
「あっちだよ!」
こいつは耳までいいのか。正確な方角が俺にはわからない。とにかくユメの後を付いて行くしか今は出来ることがなかった。
笛の音が増えていくと同時に大きくなってきた。間違いはないようだ。それにしても足も速い。女装のための着物で走りにくいはずなのにものともしやしねえ。
俺はと言えば、慣れない袴が重くてしかたない。普段、着流しでいるのは好きじゃなかったが、こういうときのためだったのか?
「先生!」
角を先に曲がったユメの声が突き刺さる。先生だと!? まさかっ。
「長行!」
急いで角を曲がった先には、はたして完全に狼狽する門下生に取り囲まれた長行がいた。
締め切られた店の外に置かれた縁台。そこに腰を下ろしている奴にユメが駆け寄っていく。
「大丈夫かっ。おまえ!」
「なんだよ。火浦もユメも大げさだな。かすり傷だよ」
俺は周りにいる門下生を突き飛ばさんばかりの勢いで長行に迫る。
おまえにもしものことがあったら、お絹さんやおしのに合わす顔がない! 襟をはだけ肌を露出している長行をユメが覗き込んでいる。
「ほんとだ。刃の先が掠めたのかな、少し血が出て……」
「血が出てるだと! ならかすり傷じゃないだろう!」
長行の横で安堵の表情を向けるユメを睨みつけ、俺は自分の首の襟巻を取ると長行の肩を縛った。その様子をユメが呆けたように見ている。なんだよ。文句あんのかよ。
「あ、ありがとう、火浦。でもそんなきつく縛んなくても……」
「おまえにもしものことがあったら、奥方に申し訳が立たんだろ」
「はあ……全く、心配性は変わらずだな」
「うるせえ……。で、何があったんだ。遺体が転がってる様子もないが」
俺は周りを見回すが、門下生が数人たむろしている以外は誰の姿もない。
「ご遺体はもっと向こうだ。町方が向かっているよ。俺達は、多分斬られてすぐの現場に居合わせたんだな。その場から去って行く怪しい奴を追っていたんだが……」
「ぼ……僕のせいなんです」
俺の後ろで、門下生が涙声で口を挟む。長行と一緒に見回りしていた奴だ。多分、道場に入ってまだ日が浅いのだろう。見た目もガキだ。
「僕が余計なことをしたので、先生が……」
「火浦、連中のなかにかなりの使い手がいる。顔を隠して、浪人の姿をしていたが、只者じゃないぞ」
長行と門下生二人は、見回り中、悲鳴を聞いたという。慌ててそこに駆けつけると、既に息の無い犠牲者が伏していた。笛を吹こうとした時、数人が走り去る足音が聞こえたので、思わず追ってしまった。
「そこで笛を吹けば良かったんだ。周りに町方がいたかもしれないのに。すまなかった」
長行はそう言って頭を下げる。その通りだが、追いたくなる気持ちはわからんでもない。
静かに追っていくつもりだった長行だが、門下生の一人がつい声を上げてしまい、最後尾を走っていた浪人姿の男に気付かれた。そいつはすぐさま刀を抜いた。慌てたのは門下生の二人だ。すぐに逃げればいいものを、何を思ったか刀を抜いて応戦しようとした。
長行は二人を庇いながらの戦いになってしまう。あいつの肩に男の切っ先が届くのと、ようやく我に返った門下生が笛を吹くのがほぼ同時。男はすぐに決着を付けられないと思ったのか、さっさと逃げてしまった。
「まったく面目ない」
「いや、とにかく傷が深くなくて良かったよ」
俺は誰にともなく呟いた。血が止まったのを確かめ、ようやく気持ちが落ち着いた。
ふと気が付いてユメを探すと、あいつは以前見かけた親指の爪を噛む仕草をしていた。最近は見かけなかったのにな。俺が怒鳴ったこと、まだ拗ねているのだろうか。なんだか変な具合になっちまった。




