弐 その2
そろそろ陽が西の空に落ちていく夕暮れ時。道場に続く長い階段の下で門下生たちが集まっている。
秋も深まるころだ。寒いのが苦手な俺は早くも首元に襟巻を巻いた。
「みんな、揃ったか」
どんな時でも爽やかな長行が声をかける。門下生たちが元気よく返事をした。
物騒になった江戸の街に、風間道場の有志が街の見回りを始めたのはつい先日のことらしい。
ユメも参加したいと十一郎爺にお願いしていたようだが、俺は昨日まで聞かされていなかった。
『師範と数名の門下生が三人組になって見回るんだ。上級者を必ず入れるから危険はない』
昨夜、ユメは俺にそう言った。
だが、辻斬りの犯人は一人とは限らない。というか、絶対に何人かでやっている。ご遺体の痣がそれを物語っているんだ。あの痣は刀の柄や鞘で小突いた跡に違いねえ。どのみち腕に自信のない奴だ。手練れの連れがいることも十分に考えられる。
『でね。見回りだけじゃつまんないじゃない。俺が、囮になるってのどう?』
夕食を食べ終え、ユメは三毛を膝で遊ばせながらそんなことを言い出した。俺はもちろん反対した。
『先生か忠親様がいれば大丈夫だよ。俺の実力だってまんざらじゃないだろ?』
にゃあ――
まんざらじゃないどころでもない。だが、そういうことじゃない。なのにユメは、三毛が餌をねだるようなしぐさを俺に向けてくる。
『忠親様が無理なら、先生に頼むけど?』
むっ! なんだと。こいつ、痛いところを突きやがって。結局俺はユメの提案を受け入れた。
「お待たせ。先生、忠親様」
「ユ、ユメ!? おまえなのか?」「由夢之新様!?」「ユメー!?」
階段下は異様な雰囲気に包まれた。長行、門下生はもちろん、見送りに来ていたおしのも驚嘆の声を上げる。
そりゃそうだ。ユメの女装への反応なんて重々わかってたよ。俺はこういうのも嫌だったんだ。
「女装するって聞いた時は、似合うだろうとは思ったけど……」
長行が目玉が落ちそうなくらい見開いて、ユメを眺めている。なんか嫌だ。そのうえ若い門下生は、それこそ下品な顔をおくびもなく晒してやがる。
「ほらほら、見せもんじゃねえよ。さっさと組に分かれて市中に行け!」
俺が門下生どもを蹴散らすと、みなぶつくさ言いながら散らばっていった。それでも何度も後ろを振り返る不届き者どもめ。
「忠親様、何をそんなにかりかりしてるんだよ。どう? 三弦のお稽古帰りの町娘に見える?」
ユメは市村から衣装と三味線を借り、紺地に白い花柄の小紋を可愛らしく纏っている。確かに狙いどころの町娘ってのは年相応だけど……。
「町娘に化けた年増に見える」
「なんだよっ、そんなことない!」
俺の一言にユメが突っかかる。だって、生娘にしては色気ありすぎだろう。三味線は中に刀を仕込むための小道具だが、これならお師匠さんにした方がいい。
「何言ってるの。可愛いわ。とっても。と言うか、凄く綺麗よ。男の人なんて、思えない……」
ため息交じりでおしのが言う。自信喪失させちゃったんじゃないかと俺は焦る。何か適当な言葉はないかと思っているところに長行が。
「本当だ。こりゃ、真っ当な男なら惚れちゃうよ? 辻斬りより、そっちのが危ない」
と、余計なことを言いやがった。
「おいおい、みんなして調子に乗せるんじゃねえ。こんなの化粧が上手なだけだよ。すぐにお里が知れらあ」
俺は思ってもいないことを言う羽目になる。ちらりとユメが俺を見る。まんま非難の目だ。
「はいはい、そうですよ。じゃあ、先生行きましょう」
「待てよ。おまえは俺と行くんだよ」
むくれ顔のユメの腕を掴む。囮になってるユメを長行と言え、素人に任せるわけがない。それは最初からの決まり事だ。
「そうだぞ。火浦はユメのことが心配で仕方ないんだよ。まあ、今の姿を見れば私も同感だが。私はあっちの連中と行くから」
長行と組むことになっている、頼りなさそうな若者二人を指さした。
「う……仕方ないなぁ……」
まだ不服そうに頬っぺたを膨らませながらユメが言う。……なんか、くすぐったい。
「じゃあな、長行。おまえの腕は信じてるが、くれぐれも気を付けてくれ。何かあったら自分で追わず、笛を鳴らすんだ」
「わかってるさ。じゃあ、またあとで」
「みなさん、お気をつけて。由夢之新様、しっかりねっ」
おしのに元気づけられて、残りの見回り隊が出発した。
俺も今夜は八丁堀の衣装ではない。門下生と同じように袴姿だ。ユメを尾行するのにバレるつもりはないが、八丁堀では目立ち過ぎると考えてのことだ。
「忠親様、しっかり見張っててよ。お里が出るかもしれないから」
「怒るなよ。これも男の優しさってもんだよ。わかってるだろ?」
ふんっと鼻を鳴らしてユメは歩き始めた。
寺の鐘が鳴りだした。晩秋の陽は文字通り落ち闇にと代わる。俺はユメが持つ提灯の灯りを頼りに歩を進めた。




