弐 辻斬り その1
最近、江戸では物騒な事件が起こっている。辻斬りだ。
どこの阿保か知らねえが、平和な世の中に刃物を振りかざす野郎がいる。夜道を歩く、(多分)善良な町人が被害にあっていた。
「火浦の旦那、こっちです」
俺の岡っ引き、伝八が現場に呼び込む。それは路地裏だった。表通りは大きな商店が立ち並ぶが、一つ入ったここは人通りが少ないのだろう。特に夜はひっそりとしているはずだ。
「これで三人目ですよ」
伝八がため息交じりにそう吐いた。血のりがべったりとついた遺体が錆色に染まった道端に転がっている。そこには既に俺の同僚の佐々木殿が検分をしていた。
「おお、火浦か。またやられたよ。橘屋の番頭だそうだ」
「佐々木殿、失礼します。同じやり口ですかね」
「ああ、バッサリと袈裟懸けされてらあ。なんで刃物を持たない町人を狙うかね。もし武士だとしたら、風上にも置けねえな」
腕に自信のない者だろうか。だが、いずれの遺体も言い方は悪いが綺麗に斬られている。つまり、得物は上物というわけだ。
ただ、今までの遺体には、小突かれてでもしたような小さな痣が残っていた。複数で襲っている可能性もある。今回もそうだろうか。
「所謂、試し斬りというやつですかね」
「そうだな。その可能性は大きい。どっかの旗本のお坊ちゃまだと、お縄にできないかもな」
諦め口調で佐々木殿は言う。確かにそいつの出自によってはお白州に連れて行くことは難しいだろう。だが、やめさせることはできる。
そいつが切腹になろうが故郷で幽閉されるかはその家次第だが、こんなことを続けさせるわけにはいかない。
被害者は女郎、飲み屋の亭主、それにこの問屋の番頭と、全く繋がりがない。つまり手あたり次第ということだ。
情けないが奉行所は、見回りを増やし夜に一人で出歩くなと注意書きを晒すのが精一杯だ。番頭の遺体にも、案の定、背中や足に痣が残っていた。
佐々木殿と別れた俺は、思うところあって菱元屋に向かった。
「これは火浦様。いつぞやはお世話になりました」
暖簾をくぐって一声かけると、見るからに上等な羽織着物を纏った大旦那の惣十郎が大慌てで出てきた。
つい最近、この店の若旦那が関係した事件を片付けたところだ。惣十郎も俺を無碍にすることはできないのだろう。
「近頃物騒だからな。見回りついでに寄った」
「ありがとうございます。例の辻斬りでしょうか。本当に恐ろしいことでございます」
店先に座ると茶が出てきた。いつかの超高級のものではないが、味わいが深くこれもまたいいお茶なんだろう。
「それでもし、知ってたら教えて欲しいんだが」
「なんでございましょう」
「最近羽振りのいい、武器を扱ってる店はないか。菱元屋ほどの大店なら、噂も入ってくるだろう」
「へえ。そうですね。私どもの店では武器は扱っておりませんので、噂程度ですが……」
恰幅のいい惣十郎は少し考え込む様子を見せ、顎に手をやった。
「そうだ、火浦様。上方から移ってきた箕六屋さんをご存知ですか?」
箕六屋。俺の記憶が正しければ、上方で先見の明があると名を売り、急成長した屋号だ。
武士が刀を質に入れる腑抜けた時代、上方ではその傾向がより激しいという。それを見越して刀剣や武具取引で大儲けした。
最近江戸にも勢力を伸ばしているので胡散臭い話には気を付ける様に、と与力殿から聞いた気がする。俺が頷くと、惣十郎は口元だけに笑みを湛えて続けた。
「どうやら上方仕込みのあくどいことをしていると噂です。今回の事と関係があるかはわかりませんが」
「ふうん。そうか。いや、悪くないな」
「お役に立ちましたら何よりでございます」
「ああ。ところで惣兵衛は元気にしているか?」
惣兵衛。くだんの若旦那の名前だ。愛していた陰間を自分の義弟に殺され、元気もないだろうが。
「はあ、ありがとうございます。そうですね。大分立ち直ったかと存じます。この頃では商売にも向き合うようになりまして。火浦様のお陰です」
「いや、まあ、それならいい。邪魔したな」
惣十郎の後妻。つまり犯人の実母にあたるが、おりくは国に帰ったそうだ。
彼女はどこまで息子の罪を知っていただろう。もし知っていたなら、止めただろうか、それとも手を貸したか。それは今でもわかってはいない。
惣十郎も傷ついただろうけれど、商人魂は消えていないようだ。
かまどや炊事場のある土間に板敷の上がりを挟んでの八畳間。そこが火浦家の食事を取る部屋だ。
御膳の上には、おまつ達が用意してくれたおいしそうな夕餉が並べられている。湯気の立つ汁物を手に取ると、ふわりと良い匂いが鼻をくすぐった。
「箕六屋ね。店主はともかく、連れてくる客は行儀が悪かったな」
俺の目の前で箸を進ませるユメが言う。
父が亡くなってから、俺は専ら一人で食べていた。おまつも十一郎爺も、使用人と一緒は許されないと言って給仕だけしてたんだ。俺は構わなかったのにな。
でも、ユメが来て俺の食事時も賑やかになった。それはやはり喜ばしいことだと思っている。
「あ? なんだ、市村の客だったのか?」
「ああ。色んな殿様を連れてきて。俺らが接待するんだよ」
「な、なに!」
聞き捨てならないことを言うな。枕は共にしないと言ってはいたが、気になるじゃねえか。
「なにって……血気ばらなくてもいいよ。何人かの陰間を呼んでふざけた遊びをするだけだよ。俺は酌してやるくらいだったしな」
文字通り、お高くとまってたわけだ。俺はホッと胸を撫でおろした。その様子をユメが口角を上げて見ている。しまった。俺は意味もなく咳をした。
「で、なんだ。そのお殿様って」
「江戸に参勤しているお大名たちだよ。その家臣とかもいたかな。箕六屋は関西に本店があるんだ。だから西国の殿様が多かったな」
「うっ……マジなお殿様じゃねえか」
俺が顔どころか草履の先も拝んだことない連中と、ユメはお遊び申していたわけだ。
勘左衛門が言っていたことを思い出す。こいつを連れだしたりお話し相手にするには、目の玉飛び出るくらいの金が必要だと。つまり、そういう金や権力のある連中しか、ユメと相対することはできない。
「ねえ、忠親様。俺、いい案があるんだけど。聞いてみないか?」
俺が脳内であることないこと巡らしている間に、ユメは何かを思いついたようだ。
茶目っ気たっぷりの表情で俺を見ている。何となく嫌な予感はしたが、聞いてみることにした。




