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陰間由夢乃丞と八丁堀  作者: 紫紺
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壱 その2


 何年かぶりに道着に手を通し、道具を持ってユメの隣を歩いた。砂利道には散り落ちた紅葉が真っ赤な花を咲かせているようだ。

 道場は寺の境内にあり、ここを抜けると長い階段を昇らなければならない。


「ふふ。俺達の稽古を見て焦った?」

「はあ。思い上がんな。たまにはいい汗掻こうと思っただけだよ。稽古なら、奉行所でもやってるしな」


 半分嘘で半分は本当だ。奉行所にも道場があり、勤務時間外なら好きに使える。

 練習熱心な奴は、毎日寄っていくのもいる。俺はあまり行かない。正直、相手になる奴がいないからだが、それでもたまには寄った方がいいのかもしれない。


「俺とやるのが一番手近で腕も上がると思うけど?」


 ユメが歩きながら呟く。確かにそうだ。それはユメにも言えることで効率的だろう。陽が昇る前はかなわんが、俺も参加するかな。


「おれ……」

「アレと同じだよ。ね?」


 参加表明をしようかと思ったところに、あいつが俺の顔を覗き込むようにして言った。


「ば、馬鹿やろ! そんな上目遣いしてんじゃねえよ!」

「真っ赤になってる。あははっ! なんだと思ったんだよっ」

「お、大人を揶揄うなっ」


 階段を走り昇るユメを追って、俺も駆け上がる。だが、キツイ! 畜生、やっぱり体力落ちてやがる。

 ようやく昇りきった時には、俺は息も絶え絶え、膝に手を置いてしばらく動けなかった。


「あら、忠親様、お久しぶりですね。やだ、階段駆け上がっていらしたんですか?」


 既に稽古に支障がでるほど足腰ががくがくしている俺に、甲高い声が降ってきた。


「こんにちは、おしのさん」

「こんにちは、由夢之新様。今日は忠親様と一緒に来られたんですね」


 ユメがおしのと親し気に挨拶を交わしている。彼女はここの道場の娘だ。チビの頃から知っているが、美しく成長し、若い連中の注目の的だ。彼女目当てで道場に通っているけしからん奴もいる。


「ああ、ご無沙汰してる。今日はユメの様子を見がてら来たんだ」

「あら、そうなんですか? 由夢之新様は、何の心配もいらないと思いますけれど。でも、兄も喜びます。ささ、早くこちらへ」


 おしのの兄、風間長行。つまりこの道場の師範だ。俺の幼馴染でもある。

 剣の腕を磨いていた俺は、この道場でこいつと文字通りしのぎを削っていた。師匠の父親ももう寄る年波、長行が後を継ぐのも時間の問題だろう。


「火浦じゃないかっ。そうか、ユメが連れてきてくれたんだな。おまえ、宮仕えするようになってから全然顔を出さないから、寂しかったぞ」


 長行は俺と同じくらいの長身で筋肉の張った体を誇らしげに立っている。彫の深い精悍な顔立ちも昔から少しも変わらない。嫌味なく爽やかな奴だ。


「何を言ってる。いや、無沙汰したな。ユメはどうだ? 門下生たちと喧嘩してないか?」

「え? なんだそれは。おまえ、変わったなあ。まあいいや。今日は手合わせしてもらうぞ」


 パンパンと俺の背中をたたく。それをおしのがコロコロと笑いながら眺めている。瞬時に昔に戻ったような、なんとも平和な絵面だ。

 俺は苦笑いしながら道場へと入る。既に準備を整えたユメがこちらを見ているのがわかる。後で何か言われそうだ。

 ここで俺は初めてユメと手合わせをした。わかっていたが、こいつは強い。とにかく勘がいい。動きは敏捷だし、相手の呼吸を読むというのか、次の一手を予想しているようなところがある。

 力じゃない。速さだ。速さが異常だ。これはどこの流派なんだろう。今まで出会ったことがない気がする。


「今日は、ここの門下生であり、私を唯一破ったことのある男が来てくれた」


 各自の打ち合いが終わり、師範、長行の話に全員が耳を傾けていた時のこと。ふいにあいつがそう口にした。折角掻いたいい汗が冷えていく。


「火浦忠親殿。模範試合をお願いする」


 マジかよ……。俺は心の中でため息を吐く。嫌な予感はしていたが、よりによって模範試合とは。簡単な手合わせで勘弁してくれよ。

 ユメが隣で興味津々の表情をして、俺の腰を小突く。全く、人の気も知らないで。おしのさんまで、道場の入り口から覗き込んでるし。


「よろしくお願い致す」


 だがこうなったら断れるはずもない。ユメの前で無様な姿は見せられない。俺は一つ大きく息を吐き、前へと進み出た。

 中央に二人。礼をして木刀交じり合わす。師匠である長行の親父さんが審判の位置についた。邪念を追い払おうと俺は気を静める。何十名もの門下生が俺達を注目している。それもみな忘れよう。

 カチリ。

 木刀が触れ合う音がした。それを合図に俺らは動く。素早い剣先。相変わらず鋭い!

 俺は無我夢中で刀を振り、あいつの息に飲み込まれない様対した。道場を所狭しと動き回り、刀身がかち合う甲高い音と床を擦り走る音がその場を席捲した。


「そこまで!」


 どのくらい経ったのだろうか。気が付けば俺は汗びっしょりだ。道場隅まで長行を追い詰めたところで、師匠の声がかかった。

 俺はさっと翻り、自分の場所へと戻る。再び礼をして模範試合は終わった。と、同時に道場は感嘆の声と拍手に包まれた。


「凄い! 忠親様。カッコよかったよ!」


 ユメが俺に飛びつかんばかりに寄ってきた。これまた頬を紅潮させどうしたことか。


「そうか……。いや、きつかったよ」


 俺は正直にそう吐露すると、手拭いで汗を拭う。ユメが小声で囁いた。


「惚れ直したよ」


 俺は聞こえないふりをして、黙って汗を拭き続けた。




 昼近くなり、道場を後にする。長行と妹のおしの、それから長行の奥方であるお絹殿がわざわざ見送りに出てきてくれた。


「今日は突然悪かったな。だが、やはり火浦は強いな。親父が止めなかったら、私は門下生の前で恥をかくところだったよ」


 相変わらず爽やかな笑顔で屈託もなくそう言いやがる。俺は必死過ぎて手加減も何もなかったんだ。


「冗談を。俺こそ立場もわきまえず失礼した」

「何? いや、ユメの前だものな。わかってるよ」


 何がわかってるだよ。わかってたまるか。


「またいらしてくださいね。由夢之新様が通うようになってから、長行はずっと火浦様のことを懐かしがっていて。今日は本当に嬉しそうです」


 奥方のお絹殿が俺に言う。いつもながら、品の良い着物を着こなす美人だ。

 少し勝気なおしのとは違い物静かな人だけれど、大人な雰囲気が色気を醸し出している。長行がメロメロなのがこっちまで伝わってくるよ。

 俺が宮仕えを始めたころ、二人は結婚した。もう昔みたいに長行とはしゃげない。そんなガキみたいな気持ちになったのを思い出す。忙しさもあって、ここから足が遠のいていったんだったな。



「おい、絹。なんだか私が浮かれているみたいじゃないか」

「お姉さまの言う通りです。兄上は今日、ずっと浮かれてますよ」


 おしのにまで言われて、長行は笑うしかないようだ。


「ユメのこと、よろしく頼むよ。俺もまた、顔を出すから」


 社交辞令として、でも少しはその気になって俺はそう応えた。


「お、本気にするからな」

「是非そうしてくださいね!」

「また俺が連れてくるから、安心して待ってて」


 無邪気な笑顔で言うおしのにユメが軽く応対した。まあいいや。勝手にほざいていろ。俺はそれ以上返答することは止め、その場を去った。




「ふうん。なるほどね」

「何がなるほどだ」


 落ち葉が風に舞う帰り道、ユメがわかったふうで呟いた。


「さしずめ、初恋ってわけだ。忠親様の」

「はあ? 何をわけわかんないこと言ってんだ。なわけねえだろ!」


 まさか、おしのに俺が惚れてたとでも? それともお絹さんか? 

 身に覚えのないことを言うユメはさっさと足を進める。俺は異議を唱えながらその後姿を追った。






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