第二章 壱 幼馴染 その1
朝の冷え込みが一段と身にしみ出した。非番の朝は出来るだけ寝坊をしたいのだが、この頃そうもいかなくなった。早朝から耳に飛び込んでくる、気合の入った声と木刀の合わさる音に枕を叩かれるからだ。
「きええ!」「甘い!」「なんの!」
「うるせえっ!」
我慢も限界になり、俺は布団から飛び起きる。俺の足元で丸くなっていた猫の三毛が跳ね退いた。ユメ、元陰間の由夢之丞、改め田所由夢之新が俺の屋敷に来てから半月が経っていた。
「忠親様もそろそろ起きられたらいかがですか?」
俺の叫び声に反応したのは、女中頭のおまつだ。父親の代から火浦家に仕えていてくれる重鎮の声は、すぐそこの廊下からかかった。
俺だって陽が高く上るまで寝ていたわけじゃない。まだ、明け六つなんだ。それなのに。あいつらは空が白む前からやってやがる。
「暇人どもと一緒にするな」
俺は仕方なく簡単な身支度をし、中庭に面した縁側へと出る。そこには爺の相馬十一郎と俺の遠縁田所由夢之新、それと佐之助が実戦さながらに刃を突き合わせていた。
三人とも甲乙つけがたい剣の使い手。爺によると、ユメは粗削りのところがあるが、それでも磨けば俺に勝るとも劣らない剣士になるだろうとか言ってる。冗談じゃねえ。
「あ、忠親様! おはようございます」
俺に気付いたユメが、汗をキラキラさせ俺の方を見る。ようやく昇った朝日が照れるほどの美しさだ。その声を合図に三人とも木刀を下ろし、一息ついた。
「ああ、朝から熱心だな」
佐之助は俺をちらりとだけ見て、ふんっと後ろを向く。相も変わらず、ムカつく野郎だ。
「今起きたのかい? たまには忠親様も一緒に稽古しようよ」
「そうでございますよ。そのうち、ユメ殿に抜かれてしまいますぞ」
なんだとっ。十一郎爺が冗談ともつかない面持ちで俺に言った。
「由夢之新様、体をお拭き下さい。汗が冷えますよ」
いつの間にかおまつが小さなたらいと手拭いを持って来ていた。ユメは嬉しそうに礼を言うと、さっと上着を脱ぎ払った。白い肌が露わになる。
「お、おまえ何してんだ! そんななまっ白い肌晒してんじゃねえよっ」
俺は慌てて庭に降り、ユメの帯で留められた上着を持ち上げ着せようとした。
「若! 若こそ何をしてるんですか! ユメ殿は肌は白いけれど、しっかりしておられます。その、モリモリした筋肉は付きにくい体質なのでしょうが、しなやかでよい筋肉をお持ちですぞ」
十一郎爺だ。三人の中で最も小柄で白髪の老剣士だが、いつもながら背筋がぴんと伸び、かくしゃくとしている。
ガキの頃から俺のしつけ係だっただけに、おまつとともに俺は頭が上がらない。しかし、いつまでたっても『若』呼びは勘弁してくれねえかな。
「は、はあ……」
「だってさ。若様」
爺に怒られた俺をユメはニヤつきながら見ている。切れ長の双眸を三日月みたいにして、口角は上がりっぱなしだ。
「うるせえ、何が若様だ。忠親様って呼べっ」
おまえが肌を露出してんのは、俺が嫌なんだよ。なんでわかんねえんだよ。
俺はユメをじろりと睨む。ユメは手早く手拭いで拭くと上着を着直し、両肩を軽く聳やかした。ちぇっ、わかってやがる。
ユメは今、俺がかつて腕を鳴らした道場に通っている。師範からはもちろん筋がいいって言われてる。
ユメは父親が病死するまで、武家の嫡男として剣術も学問も教えを受けていた。陰間であった時も、佐之助相手に稽古をしたり、独自に勉強したりしていたようだ。俺の懇意の学問所に行かせたが、そこでも優等生だ。
佐之助は十一郎爺に任せている。あいつが爺の後継になるのは凄く嫌だが、爺に言わせれば優秀らしい。なんで俺以外の奴とは親しく出来んだよ。
――――だけど、いつかユメがここから巣立つときがくれば、あいつはまたその後を付いて行くのだろう。
巣立つ、か。それはそうでなければならない。
あいつはここに陰間として来たのではない。ここでしっかりと修行して、立派な武士にする。そうして、ユメが望むのであれば、どこかの武家の養子や婿養子になるというのが理想的だ。
それは十分に分かっているんだ。それでも今は、考えたくない。俺の勝手な言い草だけれど。
断っておくが、俺はユメとそういう関係ではない。少なくとも、今のところは。なんて言っていいのかわからないが、俺はユメのことを憎からず思っているし、あいつもそうなのだと分かっている。
でも、やはりそれは許されないことなんだ。日々、そう自分に言い聞かせている。
「どうしたんだい? 忠親様。おまつがお茶を淹れてくれたよ」
まだ少し上気した頬のまま、ユメは俺の隣に座った。朝飯が出来るまで、お茶で体を温める。罪のない笑顔が無性に腹立たしく思えた。
だが、爺に言われたからじゃないけど、俺もうかうかしていられない。最近稽古もさぼり気味だ。
たまには道場に行くかな。今までも行こうとしたことはある。ただ、何となく足が向かなかった。




