肆 その3
賭場に潜り込んだユメと佐之助は、出入りしている太一郎に届くよう噂を流した。
「あの陰間殺しの若旦那。疑いが晴れて今夜にも菱元屋に帰るそうだよ」
「若旦那って、菱元屋の惣兵衛さんか? あの人今、どこにいるんだよ」
「さあ。まだ陰間茶屋にいるって聞いたけど」
借金の催促に命まで取られかねない太一郎は、耳にしたその話を信じることにした。陰間茶屋のある芳町に行き、屋台の蕎麦屋にそれとなく尋ねてみる。
「へえ、それなら。常連さんの茶屋の方が、ようやく厄介な客が帰ってくれると喜んでおられましたよ」
もちろん俺の仕込みだ。太一郎は間違いないと思い、取り立てで迫ってくるチンピラ達をそそのかした。
「惣兵衛は破談になった身請け金を持っているはずだ。それにあいつが死んで私が店を継げば、借金どころか、あんた達が一生使え切れないほどの金をくれてやれる」
欲に目が眩んだチンピラたちはユメが化けた惣兵衛を襲った。ユメが言う、『撒いた餌』に太一郎は食いついた。
菱元屋、後妻の連れ子である太一郎が番屋に引っ立てられたのは、夜明けのことだった。
そこで先に捕まったチンピラたちの様子を見て観念したのか、あっさりと白状した。自分が惣兵衛を殺すよう、連中に依頼したのだと。
だが、事はそれで終わりじゃねえ。肝心なのはこっからだ。
「桜花と惣兵衛に毒を飲ませ、殺そうとしたのはてめえの仕業だな。録治を使ったようだが、どうやって仕込んだ」
太一郎はさすがに最初は認めようとしなかった。恥知らずにも、録治に頼まれて渡したと言いやがった。
茶屋の害虫駆除に必要だからと。そんな嘘が通用するはずもない。高額な劇薬だ。いくら知り合いでもタダで渡す道理がない。
こいつはこの毒薬だけでなく、店の薬を何度もくすねていた。それを高値で横流し、賭場の資金に充てた。
店の帳簿も太一郎の仕事で誤魔化すのは容易い。俺たちは薬棚と帳簿を細部にわたって調べ上げ、こいつの悪事を露わにした。録治が残した薬包紙と同じ物も出てきていた。
逃げ場は端からない。惣十郎がいつか心配していた、番屋のキツイ取り調べに入るなり、太一郎は洗いざらい吐いた。
「賭け事に走ったのは、あの間抜けな義兄と陰間のせいだ。応援? へっ、陰間なんて気色の悪い趣味だって思ってましたよ。その惣兵衛が男に入れあげている間、私はずっと商売に精を出していたんだ。
私がこんなに頑張ってるのに、店は惣兵衛が継ぐという。なんだか馬鹿らしくなったんですよ」
始めはちょっとした気晴らしだった。だが、勝っていたのは最初だけ、後はどんなにやっても負けてばかり。そんなもの、賭場では当たり前のことだ。
だが、太一郎は止められない。それどころか店の商品にも手を出して、賭け事を続けていた。泥沼に自ら嵌っていった。
「そしたら、惣兵衛は陰間を身請けしたいと言い出したんだ。本物の馬鹿だ。
でも、私は呆れる一方、ようやく運が回ってきたと思った。こんな馬鹿げたことを、あの商売人の義父が許すはずがない。これで菱元屋を継げるし、借金も返せる。ようやくまともに息ができると思った。それなのに……」
そうはならなかった。その義父、大旦那の惣十郎は、あろうことか陰間の身請けを許してしまった。
惣兵衛もその見返りとして、商売に精を出すと誓う。店を太一郎に任せきりにしていた愚兄の総取りとなったのだ。
「あの男は私にこう言った。『今まで苦労をかけてすまなかった。これからは私も商売に頑張る覚悟だ。力を貸してほしい』とね。ふふっ。ふざんけんじゃねえ。どれだけ人をコケにすれば気が済むってんだ」
人には言ってはならない一言ってのがある。太一郎からしたら、生まれた時から裕福で、見てくれもいい惣兵衛は、奴にとって妬ましい存在そのものだったろう。
陰間のことを蔑んでいたのも義兄がらみだったかもしれない。その二人が自分を差し置いて幸せになろうとしている。許せない。
ずっと惣兵衛や桜花に対する嫉妬や憎しみを育てていた太一郎の心は決壊した。
「薬は録治に高価なものだから特別に、と言って渡した。陰間は仕事柄、あっちの病に罹ることが多い。だから、そいつの特効薬と言ったんだよ。綺麗な体になるには、相手の惣兵衛も同時に飲む必要があると念押ししてね」
『義兄さんには内緒で頼むよ。私からだと言うと、きっと気を遣うと思うんだ。
私は、義兄さんにも桜花さんにも幸せになって欲しい。この薬を飲めば、病も心配いらなくなる。二人のためによろしく頼みます』
太一郎は店に度々訪れた録治と親しくなっていた。奴の表の顔を信用していた録治は喜んで持っていったという。
「録治もおまえが殺したんだな。あいつの犯行にするつもりだったのか」
「薬の出所を知ってる録治を、どのみち生かしておけないんだ。身請けしてしまう桜花と惣兵衛に嫉妬して殺し、後追い自殺した。無理心中の筋書きを考えたんでさ」
太一郎は録治にも同じ毒を渡した。彼も元は陰間だ。あの病の恐ろしいところは、忘れた頃に発症する類もあることだ。金剛のなかにも命を奪われる者も珍しくなかった。
「以前、腰が痛むとこぼしていた録治に鎮痛剤を上げててね。本物だよ。それがいい布石になった。すっかり信じてくれてたからね。あんたも心配だろうからって三包包んだ。上手く行くはずだったんだ」
録治は桜花の死を知らずに死んでしまった。奴が服毒したのは、桜花の死がわかる前だったことが判明している。あの白い水差しに毒を入れたのは、薬と信じていた桜花自身だった。
「ところで旦那。なんで私が怪しいと思ったんで? 賭け事のことも隠していたのに」
「ふんっ。おまえが借金で首が回らないことなんざ、とっくに調べはついてたさ」
俺が調べたわけじゃねえけど。
「それにおまえ、俺に言ったろ。『録治さんはそんな感じの方ではございませんでした』てな。おまえはあの時、録治が既に死んだと知ってた。だからあんな言い方になったんだ。わざわざ桜花に惚れてたことまで匂わせて。迂闊だったな」
残念だがこれも気付いたのは俺じゃない。ユメの受け売りだ。あの時、録治の死を予想できたのは毒を渡した奴だけだと。そう言われて、初めて俺も気が付いた。
「なるほどねえ。わざわざ話しかけにいったのがまずかったか。旦那が惣兵衛を犯人扱いしてなかったのが不思議でさ。
店を継ぐには、兄貴が罪人となるのでも構わなかった。それに録治の死体が出てないようだったので、そいつも気になって。ほら、あいつが生きてると面倒だったから」
開き直った太一郎はまるで他人事のように軽口を叩く。不愉快でしかない。地味な顔は醜悪さも混ざり、反吐が出そうだ。
「録治には、薬は惣兵衛と桜花が一緒に呑まなければ効かないと強く言っておいた。なのに肝心の兄貴は死なず、ついでの奴らばかり死にやがって、全く役にた……」
俺の我慢はそこまでだった。俺は同僚や上司の目の前で、縛られた太一郎の胸倉を掴み、感情のままぶん殴った。
切れちまって同僚に羽交い絞めにされるまで殴り続けた。例え死罪になったとしても、俺はこの屑野郎を許せなかった。




