肆 その2
チンピラ共を全員番屋にしょっ引いた時分から、およそ半日、話を戻す。まだ日の高い時刻、俺は艶やかな女装をしたユメと、ある場所で会っていた。
「へえ、八丁堀のお屋敷も広くて綺麗だな」
俺の屋敷だ。同心は、お上から相応の土地と屋敷を頂戴する。かなり広いので間貸しして小金を稼ぐ輩もいるほどだ。
俺は性分として、そういう面倒なことはしない。父の代と同じように、仕えてくれる者達を住み込ませているだけだ。俺の両親は既にこの世になく、天涯孤独の身。だから普通でいい。
「ユメが良ければ、いつでも遊びに来ていいぞ。部屋は余ってる」
手入れのされた中庭を眺めるユメの背中に、俺はそう声をかけた。まんざら嘘でもない。
さっきお茶を運んできた女中頭のおまつが、ちらちらとユメを見ていた。これだけの美女が俺の家に来たんだ。当然の反応だろうが、後が思いやられるな。
「旦那が独り身とは驚いたよ。でも、残念だな。俺は簡単にあそこから出られる身分じゃないんだ。今回は特別だよ」
そうだよな。俺は残念に思いながら、その気持ちにどこか居心地の悪さを感じていた。
このヤマが終わったら、俺とユメの接点は霧のように消滅する。そんなことはわかってる。なのになんだ。覚えのない喪失感が俺を悩ませている。
俺はこのところ、その感情に振り回され困惑していた。
「あれ、猫飼ってるのかい? 可愛いなあ」
俺の後をのそりと追ってきたのは、一匹の三毛猫。おまつが子猫のころに拾ってきた猫だ。こいつもユメのことが気になったのか、客が来ても知らん顔なのに珍しくお出ましだ。
「三毛ってんだ。宿無しだったんで、提供してやったんだよ」
「へえ。旦那らしいや」
自分の持っていた扇子を使って猫をじゃらしている。その仕草も可愛らしくて、俺はこいつが男に体を売る陰間ということをしばし忘れて目を細めた。
もし、普通の暮らしをしていたら、おまえはどんな若者だったんだろうな。男前で気風もいい。さぞかし町娘にモテたことだろう。
実際は生まれも素性も知らない。農家の生まれか武家か商家か。どこだったとしても、明るいものでなかったことだけは容易に想像できた。
――――俺はこいつのことを何も知らない。なにがあって、あの大門の向こう側に行くことになっちまったのか……。
「あの……」
「惣兵衛の着物はこれかい?」
ひとしきり三毛と遊ぶと、ユメは置かれた着物を指して言った。俺は問いを飲み込んだ。
「ああ、そうだ。あいつには俺の着物を着せておいた」
惣兵衛は俺の屋敷に連れてきていた。今は奥の部屋で俺の忠実なお目付け役、相馬十一郎に見張らせている。
歳は取っているが、俺の剣術の師だ。間違いはないだろう。ユメは背格好なら優男の惣兵衛と変わらない。身代わりを買って出たが、大丈夫だろうか。
「旦那が見失わなければ大丈夫だよ」
「本当に来るかな」
「来るさ。餌は撒いた」
女装したユメは江戸で有名どこの賭場に出掛けていた。佐之助と共に、物見遊山で来た金持ちとその愛人を装ったのだ。そして、そこからとんでもない話を拾ってきた。
「偶然じゃないんだ。桜花が俺に言ってたから。太一郎がチンピラに絡まれているのを見て、惣兵衛が心配してたと。
気になった俺はその筋の客に探りを入れた。あいつは賭場に出入りしてた。だから以前から、太一郎には借金があると踏んでたんだよ」
それは見事に当たった。太一郎は賭け事に溺れ、既に取り返しのつかない額を借金していた。それだけじゃない。詰め寄る借金取りに、近々大金が入り返せると、奴は豪語していたのだ。
「義兄の惣兵衛は、家督を放棄する。自分が菱元屋の跡取りになるから、すぐにも金は入る。そう言ってたんだ」
桜花にこだわる惣兵衛は、家督を放棄しても添い遂げる覚悟だった。だが、ことは誰もが思わぬ方向に向かった。
菱元屋の大旦那、つまり惣十郎だが、彼が桜花の身請けを許したのだ。その条件の一つ、店を継ぐことを惣兵衛は約束した。
「焦った太一郎は、惣兵衛と桜花を無理心中に見せかけて殺すことを思いついたんだ」
この事件、本当の狙いは桜花ではなかった。端から太一郎の狙いは惣兵衛だった。桜花と録治は惣兵衛の巻き添えを食ったのだ。
「あの兄弟に何があったのか、そんなことはどうでもいい。俺ら陰間を蔑む連中がいるってこともわかってる。でも、勝手に巻き込んで、挙句に虫けらみたいに殺すなんざ許せねえ」
親指の爪を噛み、肩を震わせるユメ。切れ長の双眸には涙が滲んでいる。
太一郎が何故、手っ取り早く惣兵衛だけを殺すのでなく、茶屋で無理心中などという面倒な筋書を立てたのか。自分への疑いを消すためだけじゃないような気はする。
ユメはどう考えているのかわからないが、太一郎は桜花のことも憎々しく思っていたのかもしれない。だが、今そんなことを伝えるのは酷だ。
「ユメ……。懲らしめてやろう。おまえの大事な弟分、こんなめに合わせた奴を」
俺は悔しさに涙するユメを不憫に思った。力になってやりたい。そんな、自然な流れだったはずだ。右手を伸ばし、細い肩を抱いた。指に柔らかな肌の感触が伝わり、髪のいい匂いが鼻腔を満たした。
しばらく時間が止まったように思えた。でも、多分それは一瞬の出来事だったろう。
「気安く触んな、火浦の旦那。後戻り出来なくなるぜ」
肩に乗せた手をユメが軽く弾いた。
「え、な、なに言い出すんだ」
その目に宿る妖しい光に俺は狼狽え、さっと手を引いてしまった。一体何をしてるんだ、俺は。
「ふふっ。やっぱり怖いんだね。旦那も」
「そ……そんなんじゃねえ」
ユメは俺が動揺するのを楽しむように目を向ける。俺の右手は熱を持ち、心の中に消えない火が点いた。




