肆 七変化ユメ その1
陽はとっぷりと落ち、江戸の街に夜が来た。空に浮かぶ半月が街を穏やかに包み、寝ぼけたようなフクロウの声が通りを横切る。
桜花が殺されてから、二日目の夜だ。
「夜道、気を付けてくだせえよ」
提灯を持って前を歩く伝八に従い、不安そうに歩いているひょろっとした男。俺はその頼りなさげな後姿を見失わないよう、だが足音忍ばせて追っていた。
俺のすぐ後ろには、大柄な男が同じように息を顰めて後を付けている。
ふと、辺りを闇が覆う。見上げると、さっきまで柔らかな光を注いでいた半月が黒雲に隠れている。瞬間、伝八の持つ提灯の灯りが消えた。
「しまった」
伝八の鬼気迫る声。提灯が斬り落とされたのだ。足元で提灯を焼く小さな炎が上がった。
俺は裾をまくって走り出した。大男も俺を追ってくる。伝八達の周りを数人のやくざ者が取り囲んだ。手の中で鈍く光っているのは、恐らく刃物だろう。
「菱元屋の若旦那だな」
「おまえら何者だ!」
伝八が叫んでいる。奴の後ろにいる町人風の男は顔を隠すように被り物をしていた。聞かれた問いに答えるつもりはないらしい。
「てめえに聞いてねえよっ。菱元屋の提灯だ。間違いねえ、やっちまえ!」
血の気の多いやつが叫ぶと、影が一斉に動き、二人に襲い掛かった。
早く行かなければ。そう思う間もなく、後ろにいた町人風の男が十手を構える伝八の前にゆらりと進み出た。
「なんだ?」
「え、うわっ」
チンピラ共が瞬きする暇もない。脇差ほどの長さの刀を目にも止まらぬ速さで操り、連中の刃を弾き飛ばした。続く切っ先もことごとく払い落とす。
「てめえ! 惣兵衛じゃねえのか」
「生憎だったな。俺はそんな恵まれた生まれじゃねえよ」
さっと頭巾を取ったそこに、隠れていた月がまた顔を覗かせる。透き通るような肌、艶やかな長い黒髪、この世のものとも思えぬ、見目麗しい少年を照らした。
「誰だてめえ! 邪魔すんじゃねえよっ」
襲いかかってくる賊を、少年は優雅に躱すと腹に膝を入れ、後頭部に刀の頭をくらわした。たまらず地面にうつ伏すチンピラ。
「誰でもいいだろっ。おっと、火浦の旦那。遅いよ」
「すまんな、ユメ。おまえ一人でも大丈夫かと思って、途中から歩いた」
歩いたのは嘘だ。衝撃で足が止まった。
俺はゆっくりと刀を抜く。本音は今すぐ、目の前で繰り広げられた事実をユメに問いただしたい。だが、それはお預け。まずやるべきことがある。
「さて、誰に頼まれたか聞かないとな。逃がすなよ」
「旦那こそ」
一体どこでこんな剣術を習ったのだ。こいつの正体は何者だ。俺は益々謎に包まれるユメに気を取られながら賊どもの相手をする。
遅れて大男、つまり佐之助も参戦し、全部で八人のゴロツキどもは、一人残らず地面に這いつくばった。
「誰に頼まれた! さっさと吐け」
ユメは連中のなかで頭と思われる野郎の胸倉を掴み締め上げた。
「おまえ……死んだ陰間の仲間だな。おまえみたいな淫乱野郎に言うわけねえだろ」
動けないくせに大口を叩くチンピラ。桜花のことを知ってるということは、俺たちの狙いは間違いない。
同じことを思ったか、淫乱呼ばわりされてもユメは動じず、片側の口角を上げる。だが、その美しい双眸には確かに怒りが見えた。
「へえ、そうかい。これでも言わないかよっ」
ユメは男を地面に叩きつける。そして間髪入れず、そいつの股間を踏みつけた。
「うぎゃあっ」
男が情けない声を出して叫んだ。見てるだけでも縮み上がる。ユメは踏みつけた足をぐりぐと捩じり込んだ。
伝八が面白がって、新たに火をともした提灯を男に向ける。脂汗をびっしょりと掻き、青ざめた顔が見えた。失神しかけてやがる。
「どうだい。もっと傷めつけてやろうか。二度と起たないようにしてやる。おまえじゃ陰間にもなれないだろうよっ」
「う、うわああっ。やめ、やめろ!」
「おい、本当に潰されるぞ。さっさと言え」
気の毒に思った俺は、食い気味に助け船を出してやった。失神されても困るしな。
「言うっ! 言うよ! 菱元屋の太一郎だっ」
男は抵抗むなしく陥落した。




