序章
江戸の街にひんやりとした秋の風が吹き始めた。短くなった陽が落ちると温かいもんが恋しくなる季節だ。
八丁堀の屋敷に戻る道すがら、俺は蕎麦でも食べて行こうかと寄り道をした。最近この辺りで商売を始めた屋台の蕎麦屋。懐で遊ぶ十手を脇に差し、俺は置かれた椅子に腰かけた。
「あったかいの一つ頼むわ」
「へい、いらっしゃい」
声を張り上げた店主はまだ若い。だが、その若さに関わらず、手早く調理する様は堂に入っていた。
「どうだ? 最近の景気は」
湯気の立つ蕎麦をすすりながら、店主に尋ねる。まんま社交辞令だが、街の景気は犯罪に直結する。明るい笑顔を少しだけ曇らせた屋台の主人は、湯切りをしながら言った。
「そうですねえ。最近はさっぱりでさあ。今夜も旦那が三人目のお客様ですよ」
「そうか。蕎麦は悪くないな。場所が悪いんじゃないのか?」
口にした蕎麦は腰もあるし出汁も美味い。これなら客も呼べそうだ。
「いやあ、それがね。ここを少し行ったところに陰間茶屋街があるんですよ。仲間にそこからの注文が来るからって言われて。ガセでしたかね」
陰間茶屋。それは裏吉原のことだ。吉原には着飾った女衆が金回りのいい男を待っているが、陰間茶屋にいるのは男だ。
まだ十代の美少年ばかりと言うが、実際に拝んだことはない。屋台の店主が言うように、その手の置屋が数十軒集まる芳町は、ここからすぐだ。
「見たこと、あるか? その、陰間っていうか、男娼を」
屋台の店主は声を顰め、しかし半身を乗り出して俺に言った。
「あります。出張ですかね、この道を通っていったことがあって」
「どうだった? 噂では美少年ばかりと聞くが」
「それが、頭巾をかぶっていてよく見えなかったんです。それでも腕も首も細くて、ちらっと見かけた眼差しは涼やかでした。その、女にはない色気とでもいいますか」
「なんだ、おまえ、そっちの筋か」
「滅相もない! 私にはちゃんと嫁がいます。女の」
へへっと俺は鼻で笑う。そうか、彼らは出張もするのか。出会いたいもんだな。陰間を買うには吉原以上の金が必要らしい。俺のような下っ端の同心には無理な話だ。
吉原や陰間茶屋は、事件が起きてもその中で解決することが多い。だからこの芳町が例え俺の持ち場であっても、踏み込んだことは一度もなかった。そう、ついこの夜までは。




